二の三
やがて西日の頃ともなると遠方から来た者達は、続々と帰り始めた。三日も掛けてやってきた者達もいて、当然のように途中で野宿することになる。
そして夕暮れごろともなると、さすがに年寄りや子供は退席して、残った者が穀物倉庫の前に集まり、大きな車座となり酒宴となった。辺りは煌々と篝火が焚かれ、宴の中央では踊りを踊ったり、丸太を叩いて楽を奏でたりしている。
酌婦がどっと繰り出してきた。といっても他から雇った訳ではなく八十健の女房達や女丁達である。順繰り盃に注いで回り、やがては自分の亭主の側にやってくる。
すると、厚鹿文の前に来た娘が市乾鹿文ではなく見慣れぬ小娘だった。体がいやに細く、珍しく支那風の盤領で浅葱色の袍を着て、脛下が見え隠れする短めの袴を穿いている。切れ長の大きな眼で、髪を鬼の角のように二本浅葱の紐で束ね、余った髪が耳を隠すように肩まで垂れている。頬紅や口紅が鮮やかに色を添え、やけに目立っている。
「んん、ぬしゃ誰じゃ? 奥はどうしたのだ」
面食らった厚鹿文は既に酒が廻っていたのだが、娘の美しさに酔いが醒めるほど驚いた。
「はい、お祓いの儀式のあと、祭りでちょっと食べすぎてしまって動けないとかで、代わりに汝が行けと命じられました」
「さ、さようか・・・(ひっく)注いでくれ」
小娘は厚鹿文に寄り添い、にっこりしながら酒を注ぐ、さすがの厚鹿文も見慣れぬ小娘に酒を注がれ、すこぶるいい気分になってきた。しかも何か良い匂いがする小娘で、すっかり酔ってしまう厚鹿文だった。
大事な儀式さえなければ、この小娘をこそ頂くのにと、目尻を下げて小娘を見る。
いつの間にか厚鹿文はこの小娘を膝に載せて抱き寄せ、小娘の素性などを聞きつつ椀をあおっている。小娘は厚鹿文にすり寄り、どんどん酒を注いでは話し始める。
すると、その隣の一対が、
「ねぇ、見てあんた、厚様が端女に言い寄ってると」
市鹿文が自分の膝を枕にして横になっている亭主の耳元に呟いた。
「んん、何だって・・ほぉ」
娘を見て迮鹿文もむくっと起き上った。
「あの女は誰だ? 見たことねぇな」
「ええ、知らないの、こないだ来た串木野村の娘、姉が使っている女丁よ」
「ふーん、そうか・・(あんないい女いたかなぁ・・兄者もいい思いしているぜ、全く)兄者、少し飲み過ぎだぞ」
「うぅ、何だって、迮鹿文。ふん、今宵は祭りじゃ、無礼講ではないか、捨て置け、捨て置け」
「そんなこと言って、夜の儀式、大丈夫なのか」
「せからしか、まだたっぷり刻があるわい、少し経てば酔いも醒めるわ、心配するな」
しょうがねぇなと思いながらも、ほろ酔い加減で再び妻の市鹿文の膝に寝転ぶ迮鹿文であった。
二人とも常と違ってやや箍が外れている。
やがて小娘は分厚い胸板に抱きつき、視線を厚鹿文の右腿辺りに泳がす。
「ねえ厚鹿文様、あの話は本当なの」
小娘はおねだりするように取留めのない話をしながら、何気なく厚鹿文お気に入りの棍棒を撫でている。当の厚鹿文は空きっ腹のせいもあってか、いつの間にか祝い酒を、椀を使わず酒壺ごと口に運んでいる。
「んん、何じゃい、あの話とは」
「だからさぁ、お頭に挑戦して勝ったら次のお頭に成れるっていう話」
「ああその事か、本当だとも、ははは、わいに勝てればなぁ、あっはっはっは」
酒壺をあおる厚鹿文は、勢い余り零れて二の腕に降りかかる酒を、口からお迎えに行く。
「(ウック)しかし、そんな命を無駄にしたい奴はこの日の本中を探しても、まず居るめぇよ、あっはっは」
娘が上を向き、きらりと厚鹿文を睨んだ。そして、
「ねぇ、わっちが勝ったら、わっちでも頭に成れるのね」
と、悪戯っぽく、ねだるように尋ねた。
「おい、おい、何を言っている、汝のようなひ弱な女に、わいが負けるかいな。酔っぱらっとるのか、酔狂が過ぎるぞ」
「そんなことないわよ、今のあなたにならわっちにだって。まさかわっちが怖いんじゃないでしょうね」
「おい、馬鹿なこと言うな。勝負は遊びではないのだぞ、殺し合いだ、負ければ殺される。わいは汝のような女子を殺したくはない、酒席とはいえ変な事を言うな。酒が不味うなるではないか(ヒック)」
この時唐突に、物見櫓で木が鳴った。
コーン、コーン、コーン
腹の底に沁み渡るような金属音が響き渡る、堅い榧の樹の拍子木である。お開きの合図の音であった。女達がぞろぞろと広場から出ていく。
…榧の木は櫟科の堅い木で、碁盤や将棋盤に使われるもので、はまぐり碁石と共に宮崎産が最高級とされている。…
「ああん、厚様、残念だけど、また今度にするわね。だいち酔っぱらった今の厚様じゃ、役不足だし、うふふ」
右手の人差し指を立てて横に振りながら、小娘が片眼を瞑り、挑発的な言葉を残して下がっていく。
「ふん、この野郎め、小生意気な口を利きおって、ははは。それにしてもよか女子じゃ」
厚鹿文は目をとろんとさせて小娘を見送っている。
今宵は二つの祭りを一緒にしたせいか、皆もだいぶ酒が入ってしまった。しかし、まだ最後の儀式までは一刻余りある。その間に各々は幾分でも酔いを醒ますため、冬だというのに井戸水を被ったりして過ごすのである。
控えの間となった厚鹿文の家では、贄役の小娘の準備もすっかり整っていた。
そろそろ刻限が迫ってきた。階の下には皆が扇形に集まり、地べたに鎮座している。後ろの広場の中央には大篝が焚かれ、それを中心に半円を作り、皆の背を照らすように篝火が点々と置かれている。酔いも幾分醒め、誰もが今夜の贄はどんな娘か噂し合っている。しかし、儀式の最後の瞬間までは贄役の娘の姿を見ることはかなわない。
係の者が祭壇近くに二ヶ所、楼の両端に二ヶ所篝火を据え付けた。そして例の如く楼上の端に立て掛けてあった贄台を四人がかりで転がして中央に据えた。祭壇の周りと贄台付近が真昼のような明るさとなった。階には楼上と広場からわずかに漏れてくる明かりがあるだけで、儀式に臨む四人の姿をわざと見えにくくしてある。
また、祭壇付近は贄台が邪魔して、下からでは殆んど見えない。わざとこのような配置にしたのであろう。巫女の行なう呪法、振舞いは秘法であって、人に知られてはならないものなのである。
やがて刻を告げる木が鳴る。
厚鹿文はふらつきながら棍棒を杖として立ち上がり、服に付いた埃を振り払って歩き出す。そして、高鳴る心を押さえるように大きく深呼吸をして、階の下にすっくと立って待っている。この時ばかりは棍棒を階の脇に立て掛けていた。
そして棕櫚の葉を握った市乾鹿文を先頭に贄の小娘、市鹿文と続いてゆっくり歩いてきた。白ずくめの服を着た小娘は、白い頭巾を被り顔が半分見えない。階の下まで来ると、押し黙ってひたすら前を向いている厚鹿文の脇に来て、市乾鹿文は厚鹿文の左側に小娘を誘う。そして厚鹿文夫婦が挟むようにして小娘の手を取る。市鹿文は厚鹿文の右側の位置について厚鹿文と手を組んだ。
四人はそのままその場で足駄を脱ぎ、足を踏み外さないようにゆっくり階を登って行く、一段一段登るごとに皆の呼吸が速くなるようだ。僅か二十段に過ぎない階が、とても長く感じる。
厚鹿文が思わず十段目の踊り場で、皆を止めて深呼吸をした。見かけに依らずこの儀式のときだけは、厚鹿文も緊張しまくっている。
そして再び登り始める。
天辺まで来ると、正面に大きな贄台が邪魔をする。その脇を二手に分かれて通り抜け、再び横一列となって五歩進んだ。祭壇の前にやってきた。
いよいよ二人の巫女の祝詞が始まる。
忘れめや 一樹の蔭や 一河の水
これ皆多生の 縁なり
生きとし生ける 下々は
あまねく神の 下僕候・・・
と歌い、かつ舞い始めた。
…この節廻しは、のちに仏教が伝来して、神仏混淆後にも引用される言霊となった。…
五穀豊穣などと唱えていた昼間とは異なり、神を呼び覚ますために異様な声音を発し、絶叫するが如くの祝詞である。二人の巫女は棕櫚の葉を振りながら、まるで違う呪文を同時に発し、間の厚鹿文と小娘を時々棕櫚で叩く。厚鹿文と小娘も手を合わせてひたすらに拝んでいるが、次第に己の意識が消えて、催眠状態となっていく。
やがて巫女の二人が声を合わせるように、
「喝っ!」と叫んで、祝詞が終わった。
何が起こったのであろうか、果たして本当に神が化身したのであろうか。
市乾鹿文が小娘の頭巾を取り去った。そして静かに巫女の二人は下がっていく。その間じゅう厚鹿文と小娘は目を瞑り、手を合わせて祭壇に向かい拝み続ける。階を下りる音が消えた頃、厚鹿文が拝むのをやめ、くるっと向きを変えて小娘の手を握って、二人並んで贄台へと静かに歩きだす。
とうとう贄台の左脇に二人が立った。厚鹿文は小娘をそのまま前に立たせて、小娘の後ろへ回る。小娘が皆に披露された瞬間、群衆の唸り声がさざ波のように巻き起こる。
そして後ろから勢いよく小娘の服を引き千切らんと手を振り上げたその時、
「ああっ」と言って、厚鹿文は前によろめいた。
思わず階を転げそうになり、楼上に手を突いて跪く。何が起こったのかと思い、階を見回すが、目の前に居たはずの小娘の姿が見当たらない。
すると、頭上から、
「汚らわしい、下郎め」
と、小娘の叫び声が降ってきた。厚鹿文の手を逃れ、小娘が中空に飛び、回転して贄台に着地した。そしてすっくと立って見降ろしているのであった。
厚鹿文には何が何だか分からない。ただただ狼狽て、
「な、汝は何者じゃ? 吾は隼人神だぞ、吾の贄ではなかったのか?」
「吾こそは日孁、日孁貴妃じゃ、汝は隼人の血を受けしわが子孫、カゥハォであろう。汚らわしい血筋を、今こそ成敗してくれよう」
「な、なに、日孁だ? 汚らわしいだと、一体誰の事じゃ、それに何故吾をカゥハォと呼ぶ。ええい、神に逆らう不届き者め、許せぬぞ、捻り潰してやるからそこを動くな」
厚鹿文は口角泡を飛ばし、
えいっ
とばかりに両手を広げて日孁と名乗る小娘を引っ掴もうとした。瞬間、小娘はひらっと宙に舞い、厚鹿文の脳天を勢いよく二度足蹴にしたあと、
たたたたた・・
と猿の如く階を下りていった。
驚いた群衆は蜘蛛の子を散らすように大きく広がって輪を作り、お互いに貌を見合った。恐怖で皆ひきつった貌をしている。そして一斉にその場に座りこんで小娘に向かって手を合わせて拝み始めた。誰もが忌まわしき伝説を思い起こしていたのである。
遥か昔から曾国には、
北の国から、光り輝く乙女が至りて、隼人を滅ぼす
そんな言い伝えが秘かに伝わっていた。八十健達は誰も言い伝えを信じてはいない。しかし、誰一人として口には出さないが、もし万一に現実となったならばという恐れから、この恐ろしい終末伝説をずっと心の奥底に秘めていたのである。
そして今まさに広場の中央の大篝を背にし、眩く光り輝く絹の支那服を着た乙女が、熊曾の首領に戦いを挑んできた。薄暗い階を上がっていく時は、誰も小娘の姿に気付きもしなかったのである。




