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黎明のまほら~アルテミスの祈り  作者: 葵しん
第十章、 イブキドヌシ
101/109

     二の一

     二


 タケル達は馬に揺られ、池田から峠道(梅谷(うめたに)峠)を通って垂井に入った。三日後に満月となる。垂井の伊富岐神社を過ぎ、山が南北から迫る狭い街道筋に出た。南は国府の南にあるという意味の名を持つ南宮山、北は伊吹山の東南に走る尾根の連なりで、この地でそれが途切れている。不破の関である。

 南北に山が迫る狭い通路に竹矢来を巡らし、その中央に柵戸(さくど)(通用門)が見える。その脇には有事の時に閉鎖するための障害物が、尖った槍先を向けて置いてある。柵戸の両脇には長柄を持った門番が見張っているが、そこを旅人が門番にお辞儀をしては通り過ぎて行く。

「やあ、大猿どんではないか。馬なんぞに乗って、これから長旅かいな」

「んん、いやあ、ちょいと米原の知り合いの家まで行くところじゃ。暑くてかなわんなぁ、ひと雨欲しいところじゃのぉ」

 大猿は笠を抓み上げて天を仰いだ。

「ほんまに暑いわ、気ぃ付けて行きんさい」

「ああ、おまはんらも水けを涸らさんようにな」

 大猿が門番に挨拶し、タケル達と共に柵戸を通り過ぎた。この関所の管轄権は元々大碓命にあったが、今は伊福連(いふくのむらじ)が代行している。門番とは同じ家来同士であって顔馴染みなのである。

 関所とはいっても後世のように厳格に通行を規制するものではなく、一朝事ある時に大軍の移動を一時停滞させ、その間に都に早馬を走らせて危険を知らせる、そんな程度の機能と思われる。関所の前後には旅人が宿泊出来る施設もあり、市などで賑わったことも想像出来る。

 関所を抜けると、正面の南西奥にも小高い山(松尾山)が見えてきた。

(むむ・・)

 タケルは不意に悪寒(おかん)を感じた。

 辺りを見廻すが、特に何も変化はない、一面に草茫々の平地が続く。ここを通ると否応なしに妖気が漂う、勘の鋭い者だけが感じる気配なのか。関ヶ原である。都に近く、幾筋もの街道が交差することで、この地は争いの場となり易い。こののち幾たび人の生き血を吸うことであろうか。飛鳥(あすか)時代の壬申(じんしん)の乱に始まり、戦国時代の終わりを告げる天下分け目の関ヶ原の合戦、そんな独特な妖気をタケルは感じていた。

 近江の米原に着いたのは昼過ぎであった、ここに伊吹山の登り口がある。近くに住む大猿の知人の家に行き、馬を預け、宿を請うた。

 タケル達は皆早めに臥所(ふしど)に就いた。気が(たかぶ)って、中々寝付けない。

(必ず龍神イブキドヌシを説得する、出来なければ戦うしかない。だが、その前に真奈と吾子を逃がしたい)

 臥所の中でタケルはそう腹を決めていた。


 一方、伊福建彦は伊香(いかご)からの帰りの道で、わざとぐるっと回り込んで北東の池田方面から垂井に入った。

 知らせを聞いて駆けつけてきた伊福連が建彦を見つけて、慌てて駆け寄ってきた。五十半ばを過ぎたとはいえまだまだ壮健な伊福連は、支那髷に泥鰌髭を生やし、苔色の水干に(はかま)姿、中肉中背の狐のような鋭い目をした老人である。

「どうしたのだ、建彦、その(なり)は」

 と、怪訝な顔で出迎えた。

 建彦は服が擦り切れボロボロで、泥だらけといった恰好をしている。

「はい、賊に捕まってしまいまして、子供を負ぶれと言われました。池田まで行くと、もう(おの)れには用はないと言われ、坂道から放り出されまして、この有り様です。面目御座いません」

「なんと・・して、その賊とは一体どんな奴だ」

「何でも弥三郎とか名乗りまして、大層大きな男が一人でした」

「何だと、弥三郎だ? 伊吹弥三郎と名乗ったのか、はっはっは、笑わせるわい。伊吹弥三郎を(かた)るとは、愚弄するにも程がある・・・池田に向かったのだな。これ皆の者、池田だそうじゃ、手分けして早ぉ探せ」

 伊福連はぷんぷん怒っている。

 建彦は義父(ちち)を裏切ったことになるが、仕方が無いと思った。

(義父も真奈がわが妹であることを知れば、機嫌は治るであろう。しかし、今はまだ打ち明けるには早過ぎる、ほとぼりの冷めるまで待とう)


 アルテミスは小さい映像を三つも見ながら、関係する人達を付きっきりで見つめている。

「ああん、何がどうなっているのやら、忙しくなっちゃって。どうも雲行きが怪しくなってきたわ。今日はちょっと早いけど明日のために寝ておこう」

 アルテミスには分かっていてもタケルに伝える術がない。そのことがアルテミスにじりじりするような焦りを感じさせていた。


 伊吹山の麓の朝は遅い、東南に伸びた尾根が朝日を隠すのだ。まだ暗いうちにタケル達は山の登り口にやってきた。三人とも神の山に入るという事で角髪(みづら)に髪を結い、日笠を被り背負子を担ぎ、失礼にならない姿に着替えている。

(いよいよ明日はイブキドヌシがやってくる日だ。真奈がもう山の上なのか、それともまだ来ていないのか・・山の地形も見ておきたいのだが・・)

 タケル達はここで倒木や岩に座ったままじっと真奈達の到着を待つ事にした。

 大猿の話では三合目までは片道四時間は掛かる。こんな時に足の速い三太夫が居たならどんなにか良かったのにと思うタケルであった。これまで数多くの苦難や戦いを経験してきたが、神を相手の戦いには経験が乏しい。真奈達を逃がすのが遅れるほど危険度が増す、そう思うとタケルはいつになく体が震え、立ち上がって歩き廻った。

 岩に腰掛けている弟彦が、行ったり来たりするタケルを見て、

「主、もう昼ですぞ、明日の今頃はイブキドヌシとの御対面です。もう真奈様は山の上に居るのではないですか」

「ほんまやわ、あすの朝から登るのでは手遅れですぞ」

 大猿も相槌を打った。

「そうだ、おかしいな、きっと上に居る。よし、登ろう、今からなら夕暮れまでに助けだせる。それに地形も念入りに調べておきたい」

 タケル達は意を決して山を登り始めた。大猿を先頭に、タケル、弟彦と続く。

 二合目付近まで登って来た時、どうも前を行く大猿の様子がおかしい。しきりに首を振っては頭の天辺を杖で小突いている。

「どうしたのだ、大猿、頭に虫でもいるのか」

「ああ、タケル様、違いますわい。あっしは考えたんですがね、どうも今度のことには何か裏があるような気がしてならねぇんで。ここは用心して下さいよ、何かの罠かもしれませんぜ」

「罠? いったい誰が・・どうしてそう思うのだ」

「まあちょっとここらで背負子を下ろして休みましょうや。弟さんも座んなされ」

 大猿はもやもやした思いを整理したくて二人を止めた。三人はやれやれと背負子を下ろし笠をはずして木陰の倒木に腰かけ、腰の(ふくべ)を出して喉を潤した。あちこちでジージーとうるさく蝉が鳴く。汗がタケルの首筋を伝っていく。

 松の樹林が鬱蒼と茂っている。のちに杓子(しゃくし)の森とか石神の森とか呼ばれる所である。伊吹山はとにかく強風の吹きおろす山で、三合目付近までしか木々は育たない。登るにつれて育つ植物が様変わりする。

「イブキドヌシとは風の神で御ぜぇます。わしら蹈鞴場(たたらば)の者にとって、風は命で御ぜぇます。毎年睦月(むつき)になると、三合目の祭壇に、蹈鞴場で造った(すき)(くわ)を奉納しておりますだ」

 大猿が汗を拭いながら語り始めた。

「未だかつて神様が生け贄を出せなどとは、おっしゃったことがねぇ。イブキドヌシは決して悪い神ではねぇで御ぜぇます。下手に山を荒らすと祟りがあると言われてますだ」

「怖じ気付いたようだな、大猿よ。怖いのなら山を降りてもよいぞ」

 タケルはジロっと大猿の顔を覗き込んだ。

「いいえ、そんな。あっしは一度命を落としたような男です。タケル様のためならば何でもします。怖い訳ではねぇんですが、タケル様が祟られでもしたら大変だと・・」

「分かっている。それでもやらねばならぬ、わが子と妻の命が懸かっているのだ。しかし、イブキドヌシの正体が分からんのでは戦えない。いったいどういう姿をしているのか」

「龍神様で御ぜぇますから、空から舞い下りてくるのではねぇかと。馬ほどもある白い大猪に化けて出てくるとも聞きました」

「なるほど、だがそれだけではなぁ・・猪なれば戦いようもあるが、龍となると空を飛ぶのだろう、どうやって戦えばいいのか・・」

「主、それなれば弓で御座いましょう、龍神の目を射抜けば勝てるのでは」

 と、弟彦が(はや)った。

「弟彦に出来るか」

「そ、それは・・・やります、やって御覧に入れます」

「有り難う、吾とて弓には多少の自信がある、やってやれぬことはない。して真奈と吾子だが、三合目の社に居る筈だ、今日中に助けることが出来たなら・・」

「ちょっと待って下せぇ、三合目に社なんてものはねぇです。神様をお祭りするための祭壇が在るだけで。祭る時は丸太を井桁に組んだだけの祭壇に火を付けて、その手前に蹈鞴場で出来た貢物を供えるので御座います」

「何だ、そうなのか・・ともかく二人は祭壇の近くに居るだろう。二人を助け得たなら、大猿よ、お願いだからここから逃がしてやって欲しい」

「そんなタケル様、あっしも戦わせて下さい」

「いや、誰かが真奈達を逃がしてやらねばならぬ、頼む、お願いだ。そして上手く逃げることが出来たなら、二人を神宮に連れて行ってくれぬか。汝もそのまま神宮に仕えるのだ。神宮なればイブキドヌシの祟りも通じぬ事であろう」

「神宮へ・・・」

 大猿は、両膝を握り締めて俯いている、そして柄にもなくしょげ返り、

「へい・・分かりました」

 と、しぶしぶ承知した。

 実のところタケルは、イブキドヌシとの戦いを一人で挑むつもりでいた。神との決戦には祟りが付きものである、何が起こるか分からない。たとえ己が倒れても、最早誰一人と雖も身近な者の不幸を見たくない、そう思っていたのである。


 三人は再び登り始めた。前方の野草の茂る中に踏み固められたような道が、曲りくねりながら上へと続いている。木々がめっきり減り、草原のような景色に変わってきた。そこを大汗かいて通り抜け、あと一息で三合目という所までやってきた。山を南西から南、そして東側へと回りながら登ってきたのである。

 三合目は南北におよそ六百メートル、東西に四百五十メートルほどの広さの草原で、北半分の草原には所々杉の木が聳え、北端に祭壇らしきものがぽつんと見える。その奥は山頂へと続く登り道。しかし、そこから先は神域であって、人間は立ち入ることが出来ない。南半分はなだらかな丘陵で、真ん中にやや小高い丘がある。

 タケルはさすがに息が切れてきて、

「少し休もうか」と、前を行く大猿に声をかけた。

「そうしましょう」

 大猿も相槌を打った。

 皆は木陰に入って、やれやれと背負子を下ろし笠をはずして、杉の大木の根方に寄り掛かって南方を一望した。東南に昨日通過した関ヶ原が見え、南宮山とその西の小山(松尾山)の間の狭い谷筋の向こうに、濃尾の平地(ひらち)が微かに見える。不破の関の山一つ南の道である。

 西を向くと伊吹の山並の向こうに、広大な琵琶の(うみ)の南半分が見えた。懐かしさが込み上げ、タケルは胸が苦しくなった。しかし、これは故郷の琵琶湖の風景にではなく、真奈と吾子に対するものであった。わが子息長にもひと目逢いたい。よろよろとだが、ようやく伝い歩きが出来るようになった(数え年)三つの時に別れたきりなのである。

 ひと頻り汗がひいたところで三人は笠を被って立ちあがった。

 と、その時である、タケルが寄り掛かっていた杉の大木が、巨人が揺らした如くにぶるると揺れた。大気を切り裂くような空振であった。

 タケルは思わず背負子を投げ出し、反射的にその場を飛びのいた。

「ああっと、タケル様、危ない・・」

 大猿がタケルの腕を取って、木陰に引き戻した。その瞬間、

 ひゅひゅひゅう・・・

 と、音を立てて数本の矢が飛んできた。右足に鈍痛が走る。()んぬる(かな)、タケルの右膝の上に一本矢が刺さっていた。二の矢、三の矢も続く。弟彦は転がりながら東に避けた。

 瞬間タケルは小猿の仕業と思った。

「何ゆえ小猿がこの山に居るのだ。大猿、これは一体どういう・・」

 思わず口調を荒げるが、苦痛で言葉が途切れた。


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