第39話 蒸留酒
一方で、リジュクリームと並行して開発を進めていた蒸留酒は、予想以上に手強かった。
原材料は日常的に飲むことが多いワインにした。成功すれば、ブランデーができあがるはず。
ビールから作るウイスキーを作るのは、ブランデーが成功してからにしましょう。
シャロンが宮廷の錬金術師を紹介してくれたおかげで、私が前世の記憶を頼りに描いた蒸留器の設計図をもとに、特製のガラス製蒸留器を作ってもらうことはできた。
けれど、問題はそこからだった。
火加減が難しく、温度がほんの少しでも上がりすぎれば雑味が混ざってしまい、低すぎればうまく抽出できない。
蒸留器の中をぐつぐつと泡立つ液体を見つめながら、私は何度もタイミングを逃し、出来上がったのは苦いだけの失敗作。
「また、焦げてしまった」
私が肩を落とすと、手伝ってくれている錬金術師が急いで火を止めてくれる。
「すみません、少し温度が高すぎたみたいです。香りが……生臭くなってしまいました」
部屋の中にはなんとも言えない臭いが広がっている。
あえて言えば、焼き魚の臭いかしら。ぶどうが原料なのに、どうして魚の臭いがするのか不思議だけれど。
「いいえ、私の判断ミスよ」
その後も、何度やってもうまくいかない。蒸気の抜け道を調整しても、加熱時間を変えてみても、理想の香りは得られなかった。
三度目の挑戦も、四度目も、結果は同じ。
やがて錬金術師の一人が、そっと小さな声でつぶやいた。
「やはり、人族の手法では……」
その言葉に、胸の奥がちくりと痛んだ。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。
何度目かの失敗で、作業部屋にこもる焦げた香りをかき消すように窓を開け放っていると、後ろから静かな声が聞こえる。
「クリスティアナ、無理をしていないか?」
振り向けば、シリウスが心配そうに立っていた。
「ごめんなさい。ちょっと失敗してしまって」
そう答えながら、私は申し訳なくなってしまった。
竜人は番を見つけて求婚する際に、番に他の異性の匂いがついていないかどうかを知るため、最も匂いに敏感になる。
番の匂いだけが過敏になるのなら良いのだが、弊害としてすべての匂いを嗅ぎ取ってしまう。
だからもし、番を見つけて求婚しようと思っている竜人がいたら大変なことになっているはず。
そうじゃなくても竜人は嗅覚が優れているというのに。
「まだ諦めてはいないんだけど……もう七回も失敗していて、どうしたら成功するのか分からないの」
そう弱音を吐くと、シリウスは蒸留器に歩み寄り、ぐるりと装置を観察した。
長い指先で、銅管の接合部に触れながら、静かに口を開く。
「蒸気が抜けすぎている。これでは香りが飛んでしまうはずだ」
作った時は接合部がちゃんとしていたのを確認しているから、きっと実験を重ねている間に壊れてしまったのね。
失敗した時のあまりの焦げ臭さに、竜人の錬金術師たちはすぐに近づけなかった。
その時は異常がなかったから、高温になると接合部が開いてしまうのかもしれない。
「それと、火加減が一定にならないのも原因かもしれないな。竜人の火加減では、熱しすぎてしまうのだろう。人の手で、ゆっくりと熱を加えるほうが向いているのかもしれない」
「人の手で、ということは、私が火加減を見たほうがいいのかしら」
「そうだね。一度加減が分かれば、彼らにもやり方が分かるだろう」
そう言ってシリウスは、皇太子の登場に驚いて部屋の端で小さくなっている錬金術師たちに目を向ける。
彼らは勢いよく首を縦に振った。
「分かった。やってみるわ」
まずは錬金術師たちに接合部をしっかりと直してもらう。
それから装置の前に向き直った。
今度は、蒸気の抜け道をほんの少しだけ絞り、火加減も、炎ではなく熱石を使ってじんわりと加熱する方法に変える。
シリウスの助言を思い返しながら、細心の注意を払って温度を保つ。
やがて、透明な液体が、一滴、また一滴と容器に落ち始めた。
香りを嗅ごうと顔を近づけた瞬間、それはふわりと立ち上った。
熟れたぶどうのような、華やかな芳香。けれどまだ荒々しさを秘めている。
ガラスの容器にたまっていく蒸留酒は、まだブランデーのような熟成した芳香を持ってはいないけれど、しばらく寝かせればアルコール臭が抜けてまろやかになるはず。
「できた……」
呟いた声がかすかに震えたのは、香りに酔ったせいだけではなかった。
何度も失敗して、焦げた臭いや苦い思いにまみれて、それでも諦めずに重ねた試行錯誤の結晶。
この一滴に込めた時間と想いが、今、香りとなって報いてくれている。
「これが新しい酒か?」
忙しいだろうに、一連の作業を見守ってくれていたシリウスが身を乗り出して透明な液体がたまっていくガラス瓶を見つめる。
か、顔が近い……。
シリウスの髪飾りが、シャラリと音を立てて揺れる。
真横にシリウスの顔がきて、ドキドキしてしまう。
まだこの美貌には慣れないわ。
……というか、そもそも慣れる日なんて、くるのかしら。
蒸留された最後の一滴がポトリと落ちる。
「成功だ、クリスティアナ」
シリウスが嬉しそうに言って、私の手を取った。
その瞬間、私の体がふらりと傾く。
長時間の緊張と、立ち上る蒸留酒の香りに、少しくらくらしてしまったのだ。
「危ない」
シリウスの腕が、すっと私の腰を支えた。
気がつけば、私は彼の胸に抱きかかえられている。
「あ……」
顔を上げると、すぐそこにシリウスの顔があった。紫の瞳が、私を心配そうに見つめている。
その瞳の中に、私の顔が映っている。
少し頬が赤くなっているのが分かって、さらに恥ずかしくなった。
「大丈夫か? 無理をしすぎたのではないか」
シリウスの声が、とても優しい。その優しさに、さらに鼓動が激しくなってしまう。
「ええ、大丈夫……ちょっとめまいがしただけ」
そう言って離れようとしたけれど、シリウスの腕は私を離さない。
「少し休んだ方がいい」
「でも、蒸留酒の確認を……」
「それは私がする。君は休むんだ」
シリウスが有無を言わさぬ口調で言う。
でも、その目は優しくて、私を心配してくれているのが伝わってくる。
「シリウス様……」
名前を呼ぶと、彼の瞳がさらに柔らかくなった。
「君は本当に頑張った。何度失敗しても諦めずに、ここまでやり遂げた」
シリウスの手が、私の頬にそっと触れる。
「その努力を、私は見ていた。君の強さと、美しさを」
待って。
こんな風に真っ直ぐに褒められたら、心臓が破裂してしまいそう。
「あなたが、支えてくれたから……」
私の言葉に、シリウスの目が熱を帯びる。
その瞳が、私の目から、頬へ、そして唇へと視線を移していく。彼の顔が、ゆっくりと近づいてくる。
私の心臓が、早鐘を打つ。
シリウスの吐息が、私の唇に触れそうなほど近くなった時。
「ゴホン!」
わざとらしい咳払いが、部屋に響いた。
ハッと我に返って顔を上げると、錬金術師の老人が真っ赤な顔で目を逸らしている。
そして、シャロンは――。
きらきらと輝く目で、私たちを見つめていた。まるで、最高のロマンスを目撃したとでも言いたげな表情だ。
「あ、あの……」
私は慌ててシリウスから離れようとしたけれど、彼の腕はまだ私の腰を支えていた。
「シリウス様、もう大丈夫ですから」
「本当に?」
シリウスが心配そうに尋ねる。
「ええ、本当に」
私が少し強めに言うと、ようやくシリウスは腕を離してくれた。でも、その目はまだ名残惜しそうだ。
「あらあら、まあまあ、お二人とも、お熱いことで」
シャロンが楽しそうに言った。
「し、シャロン!」
私が抗議すると、彼女はくすくすと笑う。
「でも、とても素敵でしたわよ。番同士の絆を見せていただいて、私まで幸せな気持ちになりましたもの」
「そ、そんな……」
顔が熱くて、もう何も言えない。
錬金術師たちは相変わらず目を逸らしたまま、何か作業を始めている。
彼らの耳まで赤くなっているのが見えた。
「クリスティアナ」
シリウスが私の名前を呼ぶ。
振り向くと、彼は優しく微笑んでいた。
「今度は、もっとゆっくり休んでからにしよう。君の体が第一だ」
その言葉に、胸が温かくなる。
ああ、私は――。
本当に、この人のことが好きになっている。
胸元の白銀の鱗が、温かく輝いているような気がした。




