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十二

一瞬しか見ていないはずなのに、その女の子の姿だけは、鮮やかな記憶として舞の中に残った。


耳の下で揃えられたショートボブ。

くりくりと大きな瞳。

口紅を塗ったように鮮やかなピンクの唇。

その子は、溌剌とした若さと自信に溢れていた。

どこからどうみても、二人はお似合いの初々しい高校生カップルだった。


声が遠く離れ、完全に聞こえなくなってから、さらに三十秒、舞はその場にうずくまったまま動けないでいた。

それからようやく立ち上がり、そっと周囲を確認する。

もう慎の姿は見えない。女の子の姿もない。

舞は足早にその場を去ると、ビルを出て、混雑した駅を縫うように走り、自宅へ向かう電車に乗った。

つり革に掴まって揺られながら、さっきの光景が頭の中を巡っていく。

一瞬の出来事が、何時間にも感じられた。


これ以上、何も考えないように、少なくとも自宅に着くまではと、舞は思考を停止させて、足だけを懸命に前に送る。

今、何かを考えてしまうと、そのまま崩れてしまいそうだった。


帰り道が何倍にも長くなったような気がした。やっと玄関まで辿りつき、ドアの鍵とチェーンを慎重にかける。

そして舞はやっと体の力を抜いた。


はぁ、と、大きく息を吐く。喉が詰まったように呼吸が苦しい。どうしたんだろうと疑問に思っていると、ポタリと服にシミができた。

そのシミはあとからあとから増えていき、もうどうやっても止めることはできなかった。


舞は泣いていた。ごちゃまぜの感情に揺さぶられて、どうにもできない苦しい想いが、涙となって溢れ出ていた。

なにが悲しくて泣いているのかも、自分ではよくわからないまま、感情のままに泣いた。


ひとしきり泣くと、ゆっくりと疲労と虚無感が襲ってくる。

その中で、単純明快な感情があった。


──ああ、そっか、ショックだったんだ。ただ単にショックだったんだな


舞はあの光景を見た瞬間、地の底へ叩き落とされたような気分になった。

初めての高揚に、どこまでも高くのぼっていただけに、その落差は激しく、衝撃も酷かった。

夢の世界で綺麗なものだけに囲まれていた舞は、無理矢理現実を見せられたのだ。


それでも、舞はまだ信じられない気持ちだった。慎はいつも優しく、舞への愛情を隠そうともしない、少なくとも舞にはそう見えていた。そんな慎が、なぜ女の子と、わざわざ腕を組んで歩いていたのか。舞とは手すら繋がないというのに。


天井をぼうっと見つめながら、舞はぐるぐると考える。


──どうして、慎くんは、私を本屋に誘ったんだろう


それは素朴な疑問だった。


断りにくそうな用事を作って、それを口実にデートに誘いたかったんじゃないの?

『資格のため』、なんていかにも不自然な口実、そこまでして、会おうとしてくれたんじゃないの?

それとも、本当に、真面目な話だったの?


もしそうだとしたら、慎は、本当に資格をとるつもりで、舞に相談してきたのだ。口実でも何でもない。そこは、舞が勝手に勘違いしただけなのだ。

この資格は、一般的には確かに早すぎるが、受験資格はないので、やろうと思えば高校生のうちにとることだってできる。

慎はとても優秀のようだし、SEになるという将来の希望まで固まっているのだから、今から準備していても何もおかしくない。

そうとも知らず、舞は浮かれ、職場の先輩の時間まで使い、あろうことかデート気分で、少しでも慎によく見られたいと口紅まで買ってしまった。

そうか、それなら納得できる。慎のメッセージの意味も、女の子と腕を組んでいた事実も。きっとそういうことなんだ。


舞は今更ながら、自分がいかに都合のいいように夢見ていたか、いかに恋や愛に慣れていないかと実感した。


──ばかみたいね


舞は、傍らに転がっている小さな袋を手に取った。

中に入っている細い箱を、丁寧に開けて下に振ると、口紅が転がり出た。店でやったようにくりくりと回すと、鮮やかなローズが顔を出す。それを直接、唇に塗りつけた。

するすると滑る感触が心地いい。部屋にある鏡を見ると、泣きはらしたぼろぼろの顔に、唇だけがつやつやと輝く自分がいた。


「うわ、似合わない……」


店で試したときのときめきは、すでに失われていた。


あの女の子は、慎の彼女だろうか。腕を組んで歩いているくらいだ、おそらくそうだろう。

しかもあんな時間、放課後デートでもしていたのだろうか。可愛い子だったし、お似合いだった。

何よりも、あの子は自然のままで慎の隣にいることができるのだ。


本当のところ、舞にはそれが一番ショックだったのかもしれない。

年齢のことは、舞自身も常に気にしているところだった。

どうしても解決できない問題ゆえに、慎に『好きだ』と言われたことを免罪符にして目を背けていた。

改めて、同年代と一緒にいる慎を見て、舞は思い知らされたのだ。自分とは、釣り合わないと。


慎からの告白で始まった関係だったが、舞はそれから二ヵ月も、曖昧なまま慎と友達になっていた。

どうして、ずっと慎は自分を想い続けている、などと思ったのだろう。とんだ自信家ではないか。

誰よりも舞自身が、高校生の心変わりを懸念していたというのに。


または、最初に舞が考えていた通り、からかわれていただけなのかもしれない。

彼女がいるまま、友達と賭けなどしていたのかもしれない。地味な社会人の女は、どれくらいで落とせるか、なんて。


気持ちは千々に乱れ、いろいろな感情や考えが浮かんでは消えていく。その中で、一つだけ確実にわかったことがあった。


──いつの間にか、本当に、好きになっちゃってたんだ


一瞬の出来事が、舞の中を全て壊してしまうほどに、舞の中で慎の存在が、とても大きくなっていた。

高校生に恋などしないと豪語していたのは、ほんの二ヵ月前だ。

舞は泣きながら笑った。


そして思う。やっぱり自分は恋愛には向いていない、と。

今日だけで、舞はどれほどの醜い感情を生み出したのだろうか。

しかもそれを認めず、自分の都合のいいように切り捨てようともした。

慎に会うために、見て見ぬふりをしたのだ。


今の自分は、こうありたいと望んでいた私だろうか。

自分自身を見失って、望んでいない私になってしまっていないだろうか。


舞はこれ以上、醜い感情だらけの自分になりたくなかった。


そうだ、元々、クラスの華やかな女子を見ても、憧れも羨望も抱いていなかったくらいなんだから。

さっきのは、久しぶりの買い物で浮かれてしまって、それを恋愛のドキドキと間違えただけなのだ。

女なら誰だってそうだろう。久しぶりの外出、新しい服、新しい化粧品、みんなワクワクするはずだ。

吊り橋での恐怖による心拍数上昇を、恋のときめきと勘違いするくらい、人間の脳は恋愛事に都合良くできているのだ。

買い物の興奮を勘違いしても何もおかしくない。

 

舞はティッシュでごしごしと口紅を拭った。

取りきれない赤い色素が、皮肉にも舞の顔を健康そうに見せている。


──このメモだけ渡して、もう友達は終わりにしよう


慎と会うために、自分をよく見せるために、なかったことにしたメモ。

せっかく相談してくれたんだ、せめて最後に役に立とうと思った。




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