重なり合う手
入った大広間は灯りは全て消されており――暗い中に既に中にいた人々の持つ橙色の灯りがぽつぽつと。人のシルエットを浮かび上がらせていた。
暗いせいか、外からここまでやって来たときよりも他の人の視線が気にならずに緊張が薄まる。エスコートしてくれる人に掴まって中に進むと、ドレスの裾が揺れ、靴が音を立てかける。
「レティー、足元に気をつけて」
「はい」
手のひらに小さな魔法の灯りを浮かせているギリアンが、恐る恐る足を進めるレティーシャを引き寄せた。
城の大広間、集まる人々は全員が小さな灯りで入場しそのときを待つ。
家族とは別に、迎えに来てくれたギリアンと共に城に来たレティーシャはギリアンが導いてくれた場所で止まり、暗めな空間を良いことに少し周囲を見渡す。
各々の魔法の灯りのみで幻想的な光景になっている大広間には、暗さにつられてか聞こえてくる話し声は囁きのみ。顔を近づけ合い、話している。近くの人の灯りに照らされている顔を何気なく見たところで、目が合いそうになって慌てて顔を背けた。
「不安?」
囁き声に上を見ると、ぼんやりと照らされたギリアンと顔を合わせた。黒紫の瞳に灯りが映りこんで、不思議な色合いになっている。
「……少し」
今宵は馬車で来たために、馬車の中にいたときからずっとレティーシャの緊張を解そうとしてくれていた彼に言うのも申し訳ないながら、認める。
初めての社交界。貴族が大勢集まる場。今は暗いからいいけれど、明るくなったら隠れるところはない。公爵であるギリアンは常に注目の的だから、不馴れなレティーシャは隣にいて、何かしてしまわないかとこの日のために習ってきた作法も不安で仕方なかった。
するとギリアンが手のひらの灯りを消して、自由になった手とエスコートしていた手をレティーシャの後ろに回して、向き合う形にした。近いからまだ見えていた顔が、下りてくる。
「君はとても綺麗だ」
突然顔を寄せて囁かれた言葉に、レティーシャは頬が熱くなる。
「胸を張って。今日この場で一番綺麗なのは君だ、レティー。俺の愛しい人」
耳元で囁きを届けた唇が、耳に口づけしてから離れた。その瞬間、レティーシャの顔は熱くて熱くて、真っ赤になった。暗いからといって、何と大胆なのだろうこの人は。
「ぎ、ギリアン様」
「何も心配することはない。君は自然に振る舞って。俺がいる」
離れたとは言っても間近にある顔は微笑み、首を傾けた。
さすがに落ち着いているギリアンが大丈夫、と包み込むような形となっている状態と一緒に伝えてくれているようだった。
だからだろうか。暗いことも手伝って、側にいるギリアンしか見えなくなってレティーシャが頷くと頷きが返ってきた。
と、空気の動きもなかった場に微かな風が吹いたことを感じると、ギリアンが屈めていた身を起こした。
「陛下だ」
呟きがされたと同時、天井のシャンデリアと壁の高い位置に作られた溝に一気に真っ赤な火が生じ、その場全体を明るく照らした。
一瞬。遠くにいる者は姿さえ曖昧だったところが、全員の姿が明らかになった。ギリアンやレティーシャも例外なく姿を明らかにされ、レティーシャの胸元を飾る首飾りが輝いた。
「今宵はよくぞ集まった」
大広間に堂々と響いた声に最奥の壇上を見ると、遠目からでもよく分かる真っ赤な色が現れていた。
魔法で姿を現し、自らの炎で派手に場を照らした王は今日の夜の始まりを告げる。
「陛下は派手なことが好きだ。今日のパーティーが何の祝いで開かれたか知っているか?」
「青の国との……」
「そう。陛下は大きな領土を奪ってはこうしてパーティーを開き、他国の挑発も兼ねて行っている」
件の青の国との領土争いは一段落を迎えた。先の王の時代に奪われた領土のみならず青の国の領土を大幅に削ったと言う。
「早めに陛下に挨拶に行っておこう」
王の短い言葉が終わり、場に話し声が生まれてきた頃にギリアンが言った。改めて差し出された手に、レティーシャが手を重ねると、歩き向かうのは王の座する奥。
「ウィントラス公爵――」
「隣にいる令嬢は――」
人々の中をギリアンが歩くと視線が動き彼に集まり、次に隣にいるレティーシャに視線が移る。
明るくなったこともあり、周りの人の姿ははっきり見え視線も多く感じるけれど、不安はない。隣を見ると、まっすぐに前を見て颯爽と歩くギリアンがいる。レティーシャの視線に気がついた彼が微笑みかけるその顔に、胸には安心しかない。
「来たな」
玉座の前に揃って行くと、王はにやにやとした笑みをしていた。
「ギリアンから報告は受けていたが、……しばらくは愉しめそうな遊びを見つけたところを」
王に見られたレティーシャはどんな顔をしていいか分からなくなってしまう。王と会うのは、あれ以来初めて。あの期間は本当に色々と異例な期間だった。
「まあいいが」
「お兄様、そんなにあっさりいいの?」
王の側、一段下という位置にいたヴァネッサは今日は特別鮮やかな色のドレスに扇。美しいことこの上ない。
そんな王の妹が声を上げると、王はまたあっさり答える。
「他人の物を意味なく強奪する趣味はない。――意味をつけて奪うのも一興だが、そうすると面白いものが二つ同時になくなりそうだからな。天秤にかければ取る道は明らか極まりない」
妹よりも鋭い光を持つ橙の眼が示したのは、ギリアンとレティーシャだった。特に、ギリアン。
「ギリアン、分かっているな」
「何をだろう」
「それは私の国の者だ。それを娶る意味を」
「……陛下、まさかとは思うのだが、けしかけていたのか」
「答えはどうしたギリアン」
王はギリアンの言葉を無視し、重ねて問うた。ギリアンは「どれだけ焦ったと思っているのか」と呟き、改めて王を見る。
「もちろん、分かっている」
ギリアンが胸に手を当て、軽く頭を下げた。恭しく、優雅な仕草。
「これからはこの国に根を張り、誠心誠意この国と陛下に、一生お仕えしましょう」
初めて聞いた口調にレティーシャは目を丸くした。
王の意向もあって対等な話し方をしていたギリアンのこの話し方は、普通なら当然のはずが、反対に不自然に感じてしまった。
目を丸くしていたのはヴァネッサもで、言葉を向けられた当の王は――笑みもどこへやら苦い表情に変化していた。
「……何だ、その言葉遣いは」
声も苦いものが混じっていた。対してギリアンは首をかしげる。
「区切りをつけた方がいいと思ってのことですが」
「今すぐ止めろ。気持ち悪い」
「……とても心外だ」
率直に言われて、今度はギリアンが心底心外そうな声を出す番だった。
ギリアンが話し方を戻したことを確認して、王は肘をついて息を吐いた。
「まったく……言っておくがお前が娶らなければ私は実行していた。またとない者と言えるからな。だがこの話はもう仕舞いだ。私は私の目的に必要不可欠なお前を真の意味で得た。――一つ言うならば、どうせなら婚約など悠長にせず結婚して妻として連れて来れば、周りの反応が楽しみだったのだがな」
「陛下、俺達の結婚を道楽の一部にしないで頂きたい」
玉座の前から辞すると、ギリアンに挨拶をしにくる人たちが吸い込まれたようにやって来ては、やはり傍らのレティーシャに興味津々の目を向ける。その意識や会話の先のほとんどをギリアンは自身に誘導し、途中でレティーシャの家族と会ったときには側で微笑んで、時折父と言葉を交わしている程度だった。
やがて、避けられない分の視線や初めての華やかな空気そのものに体力気力を奪われていくレティーシャにも悟く気がつき、一旦人の集まる場所から連れ出してくれた。
「すみません、ギリアン様」
「いいや、よく頑張った。疲れたろう」
会場の空気に当てられて微かに火照った頬に滑らせられる手がひんやりして委ねたくなる。
「……ギリアン様」
「うん?」
「先ほどの、陛下に仰られたこと」
「あれは本心だ。言っただろう。俺は、君と共にいる生活があるこの地で生きていきたい。それに、陛下に仕えていることは元々は自分の意思だ。最初にこの国に受け入れてくれた陛下には感謝している。――そうでなければレティーには出会えなかった」
レティーシャの手を掬い上げ、手の甲に口づけたギリアンはそのままこんなことを言う。
「今日はこのまま帰ってしまおうか」
「……え?」
「陛下には挨拶をした。レティーの家族にも落ち合えた」
指先にかかる息から、熱が体中に伝わっていくようだ。
「ですが……まだ、ギリアン様にお会いしたい方もいらっしゃるようでした」
こんなに早くギリアン抜けてしまってはいけないだろう。
「私は平気です」
この先もずっとギリアンに隠れてばかり、任せてばかりするわけにはいかない。彼の手を取り、隣に立つとはそういうことだろうから。レティーシャがじっと見上げると、ギリアンはしばらく目も静かに黙し、口を開いた。
「それでもしばらくは庭を散策でもしよう。城の庭を歩いたことはなかっただろう?」
「ありません」
「可愛らしい君と特別な場所で共にいるのもいいが、一人占めさせてくれる気はあるか?」
甘やかな声音と目で問われて、レティーシャは頬を赤く染めながらも重ねた手を微かに握り、「はい」と返事した。
「では行こう」
導いてくれるギリアンと、レティーシャは会場どころか屋内からも出た。
灯りが遠ざかったところで見る夜空の綺麗なこと。特別は空間からは遠ざかったけれど、他に誰もおらず静かな庭はギリアンと二人しかいないようで、もっと特別に思える。
夜の宴を抜け出した二人は身を寄せ合い、空の下で微笑み合った。
これにて完結です。あとがき的なものは活動報告に作りました。よろしければ。
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最後に。「金の王女の初恋事情」という同じ世界観の物語を始めました。今作の登場人物も出てくるスピンオフです。




