呼んでいない客
火鉢に手を当てて、かじかむ指を揉む。今日は豪雪になるらしい。中年の男は数度息を手に吹きかけ、今晩の食事の用意をしようと立ち上がった。
昼間に釣った魚を捌き、火にくべる。カチカチになったパンはあと僅かで、そろそろ村へ降りなければならない。ため息と共に、男は火鉢に網を渡し、その上でパンを焼き始めた。
パチパチと弾ける炎の揺らぎを見ながら、微睡み始める。今日はたくさんの薪を割ったから、疲労があった。瞼を閉じ、一度頭を落としかけた時、家の外に人の気配を感じた。そして、戸が叩かれる。
「ごめんください、どなたかいらっしゃいませんか」
女性の声だった。外は既に大雪で、こんな山中に誰が来たのかと警戒する。気配は二人、うち一人は多少腕が立ちそうだが、もう一人は戦闘どころか、歩くことすらままならなさそうなひ弱だ。
「夜分に申し訳ございません。道に迷ってしまい、どうか今晩の宿を貸してはいただけないでしょうか」
続けて声が掛けられる。彼の手のすぐ届くところには、鉄塊のように巨大な剣があった。
そこまでの警戒は不要だろうと、重たい腰を上げて、戸を開ける。
「何者だ」
二人の来訪者に低く言う。雪の積もった外套と深く被ったフード、そこから覗く白い艶やかな肌。旅人でないことは明白だった。彼女は指先が赤くなった両手でそのフードを取ってみせる。
「こんばんは、ジル・ブラック様。突然の訪問をお許しください」
ジルと呼ばれた男は彼女の顔を見るなり戸を閉めてしまう。
「待って! どうか話を聞いてください……!」
扉の向こうでそう叫ぶ声が聞こえる。木の壁を何度も叩かれ、また開けてほしいと縋りつかれていた。
「断る、厄介ごとは勘弁だ。旅人の振りなんざ姑息な真似しやがって。親父のところに帰りな」
「だって、そうでもしないと開けてくれないでしょう!」
ジルは焼けすぎてしまった魚を火から皿に移す。パンの表面は既に炭になっていた。扉の向こうではまだ声がする。自分の名を呼んだ声とは別の声が、他をあたろうと提案していたが、彼女はそれを聞き入れる気配がない。
雪はさらに強くなり、外から聞こえる声も震えている。ジルはパンを片手に扉へ背を預けた。
「要件を言え」
「私を、メドリード王国まで護衛してください。フィルバートに……。いえ、メドリード王国の王子に会わねばならないのです」
「なぜ俺に頼む」
「父が、何か困ったことがあった時は、あなたを頼れと」
「まずはその父親を頼ってくれ。俺は何もできることはない」
「父は……、昨晩亡くなりました」
パンをかじる手が止まった。目を見開いて扉から背を離し、振り返る。
「殺されていました。どうか、あなたの手を貸して下さい……!」
その言葉を最後に、少女の声はしなくなり、ただ荒くなった呼吸の音だけが漏れている。ジルはどこを見るまでもなく天井を仰いだ。何も考えられず、頭を空白が埋める。冗談にしてはたちが悪いと、ジルは扉を開けた。そこには鼻を真っ赤にして、眼には涙を浮かべながらもそれを零すことのない少女がいる。
「入れ、もてなしはできないぞ」
少女は深々と頭を下げて中へ入る。彼女の後ろにいた側近の女性は、ジルの目をまっすぐに見つめたまま、まだ動かずにいた。目を逸らさずに、その視線を受けていると、女性も小さく会釈をして中へと入っていく。
僅かに扉を開けていただけなのに、家の中は冷え込んでしまった。昼間に割った薪を火に放り込む。
座れと促しながら、わずかな毛布を差し出した。
「それで、何があった」
「メドリード王国の王子たちが王位争いをしていることはご存じですか?」
「知らないな、悪いが俗世のことは分からん」
ジルがそう答えると、少女の隣の女性が耳打ちする。
「アメリア様、こんな男信用なりません。他をあたりましょう」
「そりゃありがたいな。俺は、耳がいいぞ」
女性はハッとしたように少女から身を引いてみせる。少女は話を続けた。
「セシルの非礼をお詫びします。私は、メドリード王国の王位継承権を持つフィルバート殿下と結婚をします。そのために、メドリード王国へ行かねばなりません」
「へ~、やっとか。めでたい政略結婚があったもんだ」
軽口にアメリアは口をすぼませながら頬を赤らめる。すぐに何かを払うように首を横に振り、もう一度ジルを見た。
「その道中を、どうか護衛してはくださいませんか」
「……確かに、護衛が必要そうだな」
ジルは感じていた。既に家の周りを大勢の兵士に取り囲まれている。その視線の動きに、少女と共に訪れた女性も状況を察した。
「隠れるところは……!」
「戸棚横の床が開く。そこにいろ」
セシルと呼ばれた女性が言われた通り戸棚の横を調べると、確かに地下へと繋がる扉があった。そこへアメリアを隠し、セシルも剣を抜く。この間に大剣を肩に担いだジルが聞いた。
「お前さんは隠れなくていいのか?」
「私も、姫を護る側近です」
「足手まといになるなよ」
再び戸を叩く音がする。ジルは足音を立てないように扉へと近づき、ゆっくりと開けた。流れ込んでくるように黒衣の者たちが次々に襲い掛かってくる。手の甲に付けられた刃が目の前を過ぎていった。寸前で回避しつつ後ろへ下がり、入ってきた男を背負いこんだ大剣で叩きつける。初手の男が怯んだ陰から男たちが続いた。喉元を狙ったナイフを首の皮一枚のところでかわし、間合いを詰めて投げ飛ばす。握られていたナイフには透明な液体が滴っていた。
「お嬢さん、絶対に斬られるなよ」
ナイフを奪い、その胸に返す。
セシルは黒衣の者に押されつつも、繰り出される刃を剣で受け止める。基本に忠実だと、ジルは横目に見ていた。その時、矢がジルの頬を掠めていく。家の外から、弓兵がセシルを狙っていた。ジルは剣の面で矢を受けながら近づいていく。弓兵が剣を抜いた隙に斬りかかった。同じころ、セシルも攻防が続いていた兵士と決着がつく。狭い家の中に九人も転がっていては、足の踏み場もない。
最後の一人に剣を向け、首を落とす寸前で止めた。
「誰の差し金だ」
黒衣の者は何も答えず、歯で何かを砕いた音がした後、自ずと倒れる。面倒だと頭を掻きながらしゃがみ、彼の口の中を見ると、粉々になったカプセルがあった。
「実に、主人に忠実な下僕だな」
ジルは念のため、外に出て周囲を確かめる。雪はすでに膝が埋まるほどに積もっていた。他に敵はいないらしい。しかし、木の枝に積もったはずの雪が不自然に落ちている。それを見たジルは歯噛みして、家の中へと戻る。
「すぐにここを出るぞ」
「こんな晩に? それも大雪ですよ」
「死にたいのか? ったく巻き込みやがって。隠居生活が台無しだ」
「助けてくださるんですね!」
地下から顔をひょっこりと覗かせるアメリアが言う。
「そうは言ってない。ただ、村までは連れて行ってやる。もうここにはいられない」
「ごめんなさい……」
ジルは簡単に身支度を済ませ、その剣を背負う。地下道を降りようとした時、セシルが先ほどの襲撃で腕から血を流していることに気づいた。セシルはそれを隠そうとするが、ジルは嫌なものを見てしまったと、包帯を出す。治療を拒もうとするセシルの手を退け、固く結んだ。
「毒の可能性もある。異常があったらすぐに言え」
鉢から火をランタンに移し、まだ床から半端に身体を出しているアメリアに、指で行けと示した。自分も地下道へと降りていく。地下は大人が一人通れる幅で、真っ直ぐに道が続いている。最後に降りたセシルがジルに言う。
「セシル・ハーバートと言います。アメリア様の側近を務めております。先ほどのご無礼をお詫びします」
「まだ信用できる男じゃない。気軽に詫びるな。行くぞ、また追っ手が掛かる」
数歩先も見えない暗闇の地下道を、ジルは歩いていく。その後ろを若い二人の女性が小走りでついていった。




