第25話「十本くらいなら余裕だと思ったんです」
朝、《銀鈴の宿》の食堂で黒パンをちぎりながら、私は昨日《煙壺亭》で食べた燻し角鶏と赤角豚の香りを思い出していた。
白煙木で燻した角鶏は香りが柔らかく、香樫で燻した赤角豚は脂の強さに負けない濃い煙が残った。昼間までただの木材だったものが、夜には料理の味として戻ってくるのが面白く、前の世界で何気なく食べていた燻製にも、作る側にはいろいろな使い分けがあったのだろうと考えるようになった。
昨日は南東薪置場の仕分け仕事で千四百ゴールドを稼ぎ、昼食に百二十、宿代に三百、《煙壺亭》で六百九十使ったので、その日の稼ぎから残ったのは二百九十ゴールドだった。夜予算七百に対して十しか余らなかったものの、決めた金額を超えずに濃い燻し料理を二皿と酒を二杯楽しめたのだから、不満はない。
むしろ今朝気になっているのは少し食べすぎたことで、量そのものは多すぎるほどではなかったはずなのに、燻し料理は味も香りも濃かったせいか、朝になってもまだ胃に存在感が残っていた。
「昨日、肉二皿だったもんなぁ」
今日は軽めの仕事にして、夜もほどほどにしようと考えながら黒パンを食べ終えた。この時点では、本当にそのつもりだった。
冒険者ギルドへ着くと、朝の依頼板はいつも以上に人が多かった。護衛、採取、倉庫仕事、害獣駆除と紙が並ぶ中で、私は半日程度で終わりそうなものを探していく。
昇格してから少し報酬の高い依頼も選べるようになったが、だからといって毎日危険な仕事をする必要はない。夜に飲めるくらい稼げれば十分だし、疲れすぎて酒の味が分からなくなったら本末転倒である。
目についたのは、東市場近くの商業区から出ていた依頼だった。
《東市場・露店区画整理および杭打ち補助》
《報酬千二百ゴールド》
《半日予定》
《内容:区画紐張り、木杭打ち、露店台移動》
《注意:営業開始前に主要区画を終えること》
「市場の準備か」
戦闘はなく、荷物はありそうだが、昨日の薪運びほど特殊な扱いも必要なさそうだった。
依頼票を持って受付へ行くと、今日の担当は丸眼鏡をかけた若い男性受付員だった。二十代半ばくらいで、黒髪をきっちり横へ流し、机の上に並べた書類の端まで揃えている。
「東市場ですね」
「朝のうちに終わらせるやつ?」
「主要区画は午前中です。昼以降も一部整理がありますが、半日で終了する予定です」
「予定」
「予定です」
「そこ強調しないでください」
「市場ですので、予定通りに進まない可能性はあります」
「最初から言われると安心するような不安になるような」
「隠すよりはいいかと」
「それはそう」
受付員は依頼票へ印を押した。
「現地責任者はバロムさんです。東市場の中央鐘塔脇にいます」
「分かりました」
「杭打ちがありますので、手袋があるなら使ってください」
「持ってます」
「露店主同士で場所について揉めることがありますが、冒険者側で勝手に調整しないでください」
「それは責任者に任せます」
「その判断で正しいです」
「最近、余計なことしないだけで褒められるなぁ」
「余計なことをする人が多いので」
朝から少しだけ疲れた。
ギルドを出たあと、昼食用に豆入りの焼き薄パンと小さな塩漬け根菜を買った。合わせて百ゴールドで、水筒の水は宿から持ってきている。
東市場へ着くころには、まだ本格的な営業前だというのにかなり人が集まり始めていた。常設の店はすでに戸を開け、通りには野菜籠や肉箱を積んだ荷車が行き交い、その間を露店主たちが台や布を抱えて歩いている。
中央鐘塔の脇で、木槌を肩に担いだ大柄な男性を見つけた。
「ギルドから来たか?」
「ミサキです」
「バロムだ。今日はまず北列からやる」
バロムは五十代くらいで、頭頂部の髪はかなり薄いが、横と後ろには灰色の髪が残っている。腹は少し出ているのに腕は太く、肩へ担いだ大きな木槌が妙に似合っていた。
「何すればいいです?」
「去年の杭抜いて、新しい位置に打ち直す。紐張って、その幅から台はみ出さないようにする」
「区画整理ですね」
「そう。毎年同じ場所だと思って勝手に台出すやついるから、先に線引いとかないと揉める」
「もう揉めてません?」
少し先から怒鳴り声が聞こえていた。
「揉めてるな」
「間に入る?」
「入るな」
「ですよね」
まず古い木杭を抜き、新しい位置へ打ち直していく。杭自体は太くないが、地面が固いところでは何度も木槌を振り下ろす必要があり、十本ほど続けると腕にじわじわ疲れが溜まってきた。
バロムは慣れた動きで真っすぐ打っていくが、私がやると最初の数本は少し斜めになった。
「それ、右に寝てる」
「分かります?」
「目で見て分かる」
「ですよね」
「上だけ見ずに足元見ろ」
「はい」
次の一本は根元を確認しながら打ち、何度か修正すると、ようやく真っすぐ入った。
「今度はいい」
「杭一本で褒められた」
「朝はそれでいい」
「午後になったら厳しくなる?」
「俺が疲れるからな」
「理由そっちなんだ」
杭を打ったあとは、それぞれの間へ太い紐を張る。
市場の露店区画は思ったより細かく決まっていて、肉屋、乾物、布、雑貨、串焼きなど、売るものによって通りの配置もある程度分けられているらしい。
「何で串焼き屋はこっちなんです?」
「煙と客」
「煙?」
「服屋の横で脂煙出したら怒られるだろ」
「ああ」
「あと食い物の店まとめた方が人流れる」
「考えられてるんだ」
「適当に並べたら市場一日で詰まるぞ」
確かに、朝の時点ですでにこれだけ人が多いのだから、好き勝手な場所へ露店を出したら通路すらなくなりそうだ。
前の世界でもイベント会場や商業施設で、売り場の位置や人の流れが細かく考えられていた。客として歩いているときには気にもしなかったけれど、準備する側になれば、通路一本の幅にまで理由がある。
北列が終わるころには、露店主も次々と到着し始めた。
「そこ俺の場所だぞ」
「去年はな。今年は半歩東」
「聞いてない!」
「告知出した」
「見てない!」
「それを俺に言うな!」
バロムの声が市場へ響く。
私は紐を張りながら、聞かなかったことにした。
隣では同じくギルドから来たらしい男性が、露店台を二人で運んでいる。二十代後半くらいで、短い栗色の髪に、左耳へ小さな木製の輪飾りをつけていた。
「そっち持てる?」
「はい」
「じゃあ一緒に」
名前はレト。普段は採取依頼を中心に受けている冒険者で、市場仕事は何度か経験があるらしい。
二人で長い露店台を持ち上げ、紐の内側へ移動する。
「これ、毎回揉めるんです?」
「毎回」
「区画決まってるのに?」
「決まってるから揉める」
「どういうこと?」
「去年より狭い、隣が出てる、入口から遠い、日陰が少ない」
「なるほど」
「市場の朝は魔物より声でかいよ」
「討伐依頼の方が静かだったりして」
「ゴブリンは『去年ここだった』って言わないからな」
「それはそう」
少し笑ってしまった。
作業そのものは難しくないが、人が増えるほど台や荷車を避けながら動かなければならず、最初より時間がかかるようになった。
南列へ移るころには、食べ物を扱う露店から焼いたパンや煮込み、油の匂いが混ざり始め、その中でもとりわけ串肉の香りが強く流れてきた。
「朝からこれはずるいな」
まだ昼前だというのに、串焼き屋の一軒が試し焼きを始めていた。細い串へ小さな肉を刺し、炭火の上で何本も回している。
「腹減るよな」
レトもそちらを見る。
「昼食持ってきたのに」
「市場仕事で食い物見ると、持参した飯が急に弱く見える」
「分かる」
前の世界でも、弁当を持ってきた日に限って同僚が美味しそうな外食へ誘ってくることがあった。財布のためには持参したものを食べるべきだと分かっていても、香りまで漂ってくると気持ちが揺らぐ。
「串一本いくらだろ」
「今買うなよ。昼休憩まだだから」
「分かってます」
「顔が買いそうだった」
「そんな顔ある?」
「ある」
私は視線を串から杭へ戻した。
午前の終わり頃、予定していた主要区画の紐張りが終わった。
バロムが全体を見回し、何か所か紐の位置を修正してから木槌を地面へ置く。
「いったん飯」
「やった」
中央鐘塔の裏にある低い石段へ座り、朝買っておいた豆入り焼き薄パンを出す。
薄い生地の中へ塩気のある豆と細かく刻んだ香草が入っていて、冷めても食べやすい。塩漬け根菜は少し酸っぱく、杭打ちで汗をかいたあとにはちょうどよかった。
それでも、少し離れたところから串焼きの香りが流れてくる。
「今日、夜串焼き食べようかな」
私が呟くと、隣でパンを食べていたレトが笑った。
「まだ昼飯食ってる途中だぞ」
「夜の予定は早めに決める方なんです」
「その方が仕事頑張れる?」
「かなり」
「じゃあ十本くらい食えばいい」
「十本?」
「串ならいけるだろ。一本小さいし」
一口サイズの肉が三つか四つ刺さっている程度なら、十本でも皿料理二、三品くらいかもしれないと思うと、急にいけそうな気がしてきた。
「十本くらいなら余裕か」
「俺なら十五」
「それは多い」
「何で十はよくて十五は駄目なんだよ」
「何となく」
このときの私は、串の数を少し甘く見ていた。
昼休憩後は、残っていた西側の小区画を整えた。
主要部分ほど数は多くないが、すでに営業を始めている露店の隙間で作業するため、人を避ける方が大変だった。
「すみません、そこ杭打ちます」
「今?」
「今です」
「客いるんだけど」
「ここ打たないと隣との線分からないので」
「五分待って」
私はバロムを見る。
「待つ?」
「三分」
「細かい」
「五分待つと次も五分待てって言う」
「経験ですね」
三分後、露店主に場所を空けてもらい、杭を打つ。
予定外の調整は何度かあったものの、大きな問題はなく、昼を少し回ったところで作業は終わった。
「これで今日は終わり」
バロムが依頼票へ完了印を押す。
「追加なし?」
「なし」
「珍しい」
「何だその反応」
「最近『ついでに』とか『あと一個』を警戒してて」
「市場じゃ明日になればまた出る」
「今日は?」
「今日は終わり」
「その言葉好きです」
レトが横で笑っていた。
ギルドへ戻って完了票を提出すると、報酬として千二百ゴールドを受け取った。
昼食百ゴールドと宿代三百を引けば、今日の稼ぎから自由に使えるのは八百ゴールドになる。今日の仕事は昨日より軽く、報酬も二百少ないが、それでも半日で終わり、身体の疲れもほどほどなので、夜を楽しむには十分だった。
「八百か」
昼休みに考えた串焼きが、まだ頭から離れていない。
ただ、全部使う必要はないので、今日は夜予算を六百五十ゴールドにした。串焼きなら一品あたりそれほど高くないだろうし、酒を一、二杯飲んでも足りるはずだ。
《銀鈴の宿》へ一度戻り、少し休んでから夕方の街へ出る。
昼まで東市場にいたので、夜は反対側の西寄りを歩いてみることにした。
同じリーベルでも通りが変われば雰囲気も変わり、商人向けの落ち着いた店が多い場所もあれば、仕事帰りの職人が集まる細い路地もある。今日はできれば気軽に串を何本も頼める店がいい。
一軒目は煮込み中心、二軒目は魚料理が多かったので見送り、三軒目の路地へ入ったところで、店先へ小さな串籠を置いている店を見つけた。
《十串屋》
「名前からして危ないな」
店先の札を見る。
《軽麦酒 百ゴールド》
《焦麦酒 百二十ゴールド》
《角鶏塩串 一本五十ゴールド》
《赤角豚脂串 一本六十ゴールド》
《跳ね嘴鳥香草串 一本五十ゴールド》
《茸醤串 一本四十ゴールド》
《焼き根串 一本四十ゴールド》
《本日の十串盛り 四百六十ゴールド》
《酸葉漬け 六十ゴールド》
《薄麦餅 五十ゴールド》
昼にレトと話した数字が、そのまま出てきた。
四百六十なら、軽麦酒百をつけても五百六十で、予算六百五十から九十残る。
「いける」
扉を開ける。
店内は横に長く、カウンターが十二席ほどあり、奥では炭火台が二つ並んで何十本もの串が焼かれていた。壁には肉、野菜、茸を描いた木札がぶら下がり、串の種類ごとに注文札を入れる小さな筒が置かれている。
「一人?」
声をかけてきたのは三十代後半くらいの女性だった。
名前はサーナ。黒髪を高い位置でまとめ、赤茶色の前掛けを腰へ巻いている。右腕には小さな火傷跡がいくつかあり、串をひっくり返す動きがかなり速かった。
「一人です」
「そこ空いてるよ」
カウンターへ座る。
「十串盛りって、十本ですよね?」
「もちろん」
「量、多い?」
「人によるね。一本は小さめ」
「じゃあ大丈夫かな」
「腹減ってる?」
「普通くらい」
「なら酒飲みながらなら食べられると思うよ」
「じゃあ十串盛りと軽麦酒ください」
「はいよ」
注文してから、少しだけ不安になった。
ただ、昼に見た市場の串も一本はかなり小さかったし、ここも一本五十前後なら似たようなものだろう。
先に軽麦酒が出てきた。
一口飲むと、香りは弱めで苦味も軽い。串を何本も食べることを考えれば、こういう酒の方が合いそうだ。
少しして、細長い木皿が目の前へ置かれた。
「はい、十串」
「……思ってたよりある」
皿には本当に十本の串が並んでおり、角鶏塩串が二本、赤角豚脂串が二本、跳ね嘴鳥香草串が二本、茸醤串が二本、焼き根串が二本という組み合わせだった。
一本一本は確かに小さいものの、十本並ぶと見た目の圧は思った以上だった。
「大丈夫?」
サーナが笑う。
「十本くらいなら余裕だと思ったんです」
「食べる前に言う台詞じゃないね」
「今ちょっとだけ後悔してます」
「まだ一口も食べてないだろ」
その通りだった。
まず角鶏塩串から食べてみる。
一串には小さめの角鶏が三切れ刺さり、間に薄い葱に似た《青芯葉》が挟まっている。表面は塩だけのように見えるが、噛むと鶏の脂へ青芯葉の香りが移っていた。
「おいしい」
「角鶏は一番軽いよ」
「最初にして正解」
「盛りは軽い順に並べてる」
「そうなんだ」
二本目も角鶏なので、そのまま食べると、まだ胃には十分な余裕があった。
軽麦酒を一口飲み、次は跳ね嘴鳥の香草串へ移る。
こちらは角鶏より身が締まっていて、《乾青草》という細かな香草がまぶされている。少し土っぽい香りがあり、前の世界のハーブ焼きに近いようで、噛み続けると肉そのものに独特の甘さが出た。
「これ好きかも」
「跳ね嘴は噛む方が味出る」
「柔らかい肉ばっかりが正義じゃないんですね」
「顎あるんだから使いな」
「強い」
四本目まで食べてもまだ余裕があり、むしろ種類ごとの違いを試すのが少し楽しくなってきた。
次は赤角豚脂串。
肉と脂身が交互に刺さっていて、表面には甘辛いタレのようなものが薄く塗られている。
一口目から、今までの四本より明らかに重かった。
「これ急に来るなぁ」
「豚は後半担当」
「後半担当ってあるんだ」
「十本盛りは順番考えてるよ」
「適当に十本じゃないんですね」
「そんな出し方したら途中で嫌になる」
赤角豚の脂は甘く、焦げたタレもおいしい。
ただ、一串食べ終えると、胃の中へしっかり一品入った感覚があった。
「……二本あるんだった」
「十本盛りだからね」
「さっきまで嬉しかったのに」
それでも二本目の赤角豚を食べ終えるころには、軽麦酒も半分ほどなくなっていた。
ここまでで六本を食べ終え、残りは四本。茸醤串二本と焼き根串二本なら、野菜系だし何とかなるだろうと思った。
「野菜系なら余裕か」
小さく呟く。
サーナが聞き逃さなかった。
「その判断が危ないんだよ」
「何で?」
「茸、油吸ってるから」
「先に言って」
「今言った」
「今日それ三回くらい聞いてる気がする」
茸醤串は、大きな平たい茸を折り重ねるように刺してあり、表面へ濃い色の醤が塗られている。
一口噛むと、茸の中から油と汁が出た。
「本当だ、重い」
「でも美味いだろ」
「美味しいから困る」
茸そのものは肉ほど重くないはずなのに、焼く前に香味油を吸わせているらしく、見た目以上に満足感が強い。それでも醤の塩気と茸の香りが軽麦酒にはよく合うので、一口食べれば次の一口へ進んでしまう。
七本目を食べ終え、八本目へ手を伸ばしたところで一度止まった。
「どうした?」
「今、胃と相談してます」
「何て?」
「慎重に行けって」
「賢い胃だね」
少し水をもらい、急がずに休むことにした。
前の世界でも食べ放題で最初に飛ばしすぎ、後半になって急に箸が止まることがあった。料理は逃げないのに、なぜか最初だけ勢いよく取ってしまう。
店内を見回しながら少し休む。
斜め向かいには、三人組の職人らしい男性客が座っていた。一人は四十代くらいで腕に石粉がつき、残り二人は三十代ほどで、腰に工具袋を提げたままだ。
「今日の親方、昼前に『あと壁一枚』って言ったよな」
「言った」
「その壁終わったら、『ついでに裏も』だぞ」
「裏は壁一枚に入らねえだろ」
「親方の中では入るらしい」
「次から最初に壁の定義聞け」
三人が笑う。
「しかも若いのに『十枚くらい余裕だろ』って」
「お前、何枚やった?」
「七枚で腕終わった」
「三枚余ってるじゃねえか」
「余ってるって言うな」
思わず、手元の串を見る。
十本くらい余裕と言っていた今の私と、ほとんど同じだった。
「すみません」
声をかけると、石粉のついた男性がこちらを見る。
「何だ?」
「その『十枚くらい余裕』、今ちょっと刺さりました」
「何してんの?」
「十串盛り頼んで、八本目の手前です」
三人が一斉に皿を見る。
「あと三本じゃん」
「いや、今七本終わったところです」
「同じだな」
「同じですね」
「若いのに十本くらい余裕だろ」
「店でまで言わないでください」
笑われた。
サーナまで笑っている。
少し休んだおかげで、また食べられそうになった。
八本目の茸醤串をゆっくり食べると、残るのは焼き根串二本だけになった。
見た目は前の世界の根菜串に近く、白、黄、薄紫の根菜が交互に刺さっている。表面には塩と少量の油だけで、肉や茸に比べればかなり軽そうだった。
一口食べると、白い根はほくほくして少し甘く、黄色いものはねっとりしている。薄紫の根は歯応えが強く、噛むとわずかに土の香りが残った。
「これ最後にする理由分かる」
「口直しになるだろ」
「もっと早く欲しかった」
「途中で出したら肉のあとに戻れない人いるんだよ」
「なるほど」
九本目を食べ終えると、残るのは最後の一本だけだった。
昼間なら「あと一本」と簡単に言えたはずなのに、今は少し違う。
最後の焼き根串を見ながら、私は軽麦酒を少し飲んだ。
「持ち帰りできます?」
「できるよ」
「え」
思わずサーナを見る。
「最初に聞けばよかった」
「聞かれなかったから」
「無理して食べなくてよかったんだ」
「食べ物なんだから、無理して詰め込む必要ないでしょ」
「正論」
最後の一本を食べるか、持ち帰るかは予算の問題ではなかった。会計は十串盛り四百六十と軽麦酒百で五百六十なので、夜予算六百五十からまだ九十残っているけれど、お腹はかなり満たされている。
「持ち帰ります」
「はいよ」
少し悔しい。
ただ、無理に食べて苦しくなり、せっかく美味しかった九本まで嫌な記憶にするよりはいい。
サーナが最後の焼き根串を薄い葉紙で包んでくれる。
「十本食べ切れなかった」
「九本食べたなら十分でしょ」
「昼に『十本くらいなら余裕』って言っちゃったんですよ」
「誰に?」
「一緒に働いてた人に」
「明日会ったら九本だったって言えば?」
「絶対笑われる」
「なら十本食べたって言えばいい」
「嘘になる」
「真面目だね」
「変なところで」
ここで終わってもよかったが、口の中には串の脂と醤の味が少し残っている。
品書きの《酸葉漬け》六十が目に入り、予算残り九十なら収まる。
「酸葉漬け、追加していいですか」
「食べられる?」
「これはいけると思う」
「さっきからその判断外してない?」
「……小皿ですよね?」
「小皿」
「お願いします」
予定外の一品は、最後の串ではなく酸葉漬けになった。
出てきたのは細長い緑の葉と白い茎を刻み、透明な酸味の強い漬け汁へ浸したものだった。量は本当に少なく、二、三口で食べられそうだったので安心する。
一口食べると、かなり酸っぱい。
「酸っぱ」
「脂のあと用」
「ちょうどいい」
口の中に残っていた赤角豚や茸の油が一気に消え、胃まで少し軽くなったような気がした。
これは追加して正解だった。
最終会計は、十串盛り四百六十、軽麦酒百、酸葉漬け六十で六百二十ゴールド。夜予算六百五十から三十ゴールド残り、今日の報酬千二百から昼食百、宿代三百、夜六百二十を引けば、百八十ゴールドが残る。
「今日はあんまり残らなかったな」
「でも予算内?」
「三十残りました」
「ならいいじゃない」
「一本持ち帰ったけど」
「金払ったんだから明日の朝食でもいいよ」
「串一本だけ朝食って寂しくないです?」
「じゃあ夜食」
「今は絶対無理です」
サーナが笑った。
軽麦酒を最後まで飲み、酸葉漬けも食べ終える。
十本のうち九本を店で食べ、一本は包んでもらった。
食べ切れなかったというより、食べ切らなかったと考えれば、少しだけ気分が違う。
前の世界では、頼んだものを残すのが嫌で、満腹でも無理に食べることがあった。食べ放題でも元を取ろうとして必要以上に食べ、帰り道で後悔したことが一度や二度ではない。
でも、食べ物を楽しむために来ているのに、苦しくなるまで詰め込む必要はない。
「会計お願いします」
「六百二十ね」
硬貨を渡す。
「ごちそうさまでした」
「次は五本くらいから頼みな」
「十串屋で?」
「単品あるから」
「最初にそれ言ってくださいよ」
「十串盛り頼んだの自分でしょ」
「そうでした」
何も言い返せない。
包んでもらった一本を手に店を出ると、夜の空気が少し冷たくて気持ちよかった。満腹ではあるが苦しいほどではなく、最後に酸葉漬けを食べたおかげか、口の中もさっぱりしている。
「十本くらいなら余裕だと思ったんです」
店で言った言葉を思い出して、自分で笑う。
一本一本が小さくても、十本集まれば十本分あるのだから、考えてみれば当たり前のことで、それは今日の仕事でも同じだった。
市場仕事の杭一本なら簡単でも、それが何十本も続けば腕は疲れる。職人の客が言っていた壁だって、一枚なら終わっても十枚なら話が変わる。
「一個は少ない」からといって、十個まで少ないわけではない。数字だけを見ると簡単そうに感じるのに、実際に積み重なると急に重くなるものは多い。
串も杭も仕事もたぶん同じで、次に十串盛りを見つけたら今日より少し慎重になると思うけれど、本当にそうできるかは自信がない。
それでも、五本しかない店を見つけたら「もう五本いけそう」と考える気もするので、たぶんこの癖は簡単には直らない。
手に持った包みから、焼き根菜の香りがほんの少し漂ってきた。
今はもう食べたくないけれど、少し時間が経てばまた欲しくなるのかもしれない。そのときのための一本だと思えば、食べ切らなかったことも悪くなかった。
今日も働いて千二百ゴールドを稼ぎ、六百二十ゴールド分を食べて飲み、百八十ゴールド残った。財布の中身は昨日より少し寂しいけれど、腹の中身は十分すぎるほど満たされている。
「次から十本はちゃんと考えよう」
そう呟きながら、私は串一本の入った小さな包みを揺らさないように持ち直し、まだ人通りの残る夜道をゆっくり歩いていった。




