小さな道標
メイド長から命を狙われ、それを奇跡的に回避した私の身体は、その代償と言わんばかりに熱を出した。
まぁ、あの日の午前は街歩きをして午後は盗まれた本探しに奮闘し、深夜には殺害未遂だ。おまけに制限されていた以上の魔法を使って、身体は限界を通り越していたのだろう。
後に使用人のローネから聞いたのだが、どうやら3日ほど寝込んでいたらしい。
高熱にうなされていた間、私は長い夢を見ていた。
いつぞやに見た、あの真っ白な夢だ。
相変わらずの真っ白な空間の中、私は前後左右さえもわからなくて自分の体さえ見えないのに、やっぱり歩いているような感覚がどこかにあった。そして私は、ただその動作に従っているだけだった。
やがて、前に見つけた小さな黄色のガラス片と同じものを拾い上げると、またミラの記憶のようなものが頭の中に流れ込んできたのだ。
それは、公爵家に迎え入れられたばかりの幼いミラが使用人達から見下され、嫌がらせを受けるまでの記憶だった。
はじめは陰口から始まって徐々に嘲笑が聞こえてくる。そして本格的な嫌がらせが始まり、ミラの泣きそうな声が頭の中に響いてくるのだった。
“ーーなんで、こんなことをされるの?わたし、何かしちゃったのかな……?“
トボトボと歩く幼い子どもは、かつて自分を救ってくれた人に会いに行こうと公爵の執務室の前までやってくる。そしてその小さな手をギュッと丸めて扉を叩こうとしたが、そこに邪魔が入る。
『お嬢様、あなたの汚い手でオーティス様のお部屋の扉に触れないでください』
『おとうさまに……会いたいの……』
『あのお方はあなたのお父様ではございません。公爵様とお呼びなさいませ』
『…………おとう、さま……』
『“公爵様”です』
ミラの記憶にあるメイド長の顔が鬼のように険しい。その面をできることなら、私が殴ってしまいたいくらいだ。
でも、そう思えるのは今の私だからであって、このときのミラはただただ公爵と自分との関係を否定されて悲しかったのだろう。
“おとうさま、おとうさま……どうして会ってくれないの?”
正直言って、幼い子どもの悲しい声とその姿をずっと見続けるのは精神的にも辛かった。けれど私は何故かこれを知っておかないといけないような気がして、なんとか精神を保ちつつミラの記憶を見続けていた。
ミラの記憶が終わった後、私はまだ歩き続けていた。
夢を見ているというのに意識は明瞭で、色々と考え事ができたため、ずっと歩いている中でもミラの幼い頃の記憶を思い起こし続けていたのだ。
――幼いミラの記憶にあった性悪たちの姿は、主に夕食会で解雇された使用人たちだった。私がメイド長に襲われていた時の彼女の発言を顧みるに、裏で色々と糸を引いていたのはメイド長だったのだろう。
彼女が、ミラを他人から嫌われるように仕向けていた。
この考えに行き渡ったとき、私は心の中で溜息をついた。
己のつまらぬ妄想で幼い子どもを目の敵にして虐げるなんて……なんて愚かなんだろうか。
私の頭の中には、いまだミラの声がこびりついている。
迷子になった子どもが拠り所を探し求める、あの寂しそうな、悲しそうな声だ。
………………。
………………………………。
……それにしても、私は一体どこに向かっているの?
ずっと歩き続けて歩き続けて、それでも何も見えなくて。
ミラの過去に思いを馳せた後、ようやく自分の目的地がどこなのかと疑問に思った。
疲れとか特に感じているわけじゃないけど、何だか座って休みたいような気もする。私がそう思ったところでこの身体は止まってくれないけど。
しかし、歩き続けているということは、何処かに行きたいのかもしれない。あるいは、辿り着きたいのか。
その場所を、私は知っているような気がする。
いや、やっぱりわからないかも。
(…………少しだけ、足を止めてみようか)
強く念じてみれば、この足は止まってくれるかもしれない。ここは何も見えないし、何も聞こえない。ただ私がここにいるという感覚だけが、頼りだ。もしかしたら今の私って、すごく不安定なのでは?
不安になって、もう一度ミラの記憶を思い起こす。
何も聞こえないなら、頭の中で音を再生するしかない。
『ーー、ーーーー』
あれ、それは何の記憶だっけ?
さざなみが聞こえる。
さっきまで、何も聴こえなかったはずなのに。




