第二章 第十九話 逸転抗勢
ここから、アクションシーンが多くなります。
ぜひお付き合いください。
快の目が覚めた時。
周りは、黒々とした岩石と、気が触れかねない程の冷気の立ち込める空間に居た。
平面に映る、眼前の景色は荒涼にして殺伐。
赤黒い炎がところどころで燃え続け、踏みしめる地面の感触は硬いモノ。
歩く度にすれ違うのは、鋭く尖り突き出た岩山たちと、溶岩と氷河の入り混じった、川のような場所。
誰一人として、人間はおろか、あらゆる生き物の影すらなかった。
時折、うめき声のようなものも聞こえてくるが、うめき声の方角を向けばそこには何も無く。
ただ、岩盤がそびえたっているか、突出したなんらかの金属片があるばかり。
ふと、自分の体を見ると、快は自身に起こっている以上に気が付く。
欠けた部分があまりにも多く――手足の代わりを果たすように、足元が意のままに浮いていたのだ。
覗き込めば、断面は無く、露出した骨が炎を纏って薄く元の形を保っている。
これまで以上に、奇怪な現象を前に快は戸惑い、もはやあるとは言い難い足がすくんでいた。
そうこうしているとき、声が後ろから響く。
「全く、大したものだな……少年」
どこかで聞いた、甲高い声。
背後を向くと、そこには――圧倒的な、言い知れぬ風格をもった青年が笑みをたたえて立っていた。
「織田、信長……! 現代で暗躍してたはずじゃ……!」
返事の代わりに頷くと、信長は語りだす。
「どこかの莫迦が、この地の冥界を治める神を使役したおかげで亡者共が大混乱しよってな。力ある霊の一柱として、忌々しくも戻ってきたというわけだ」
「冥界を治める神……?」
「そうとも。冥界は、地上界の信仰地点に対応した箇所があってな。例えば、ギリシアからローマ近辺はハデスの領域だし、インドから日本にかけては閻魔大王が、死者の行く末を決める」
信長が言い終えると、快の肩に手を置き、前に歩き出す。
元居た場所から三歩進むと、信長は快の前をむき出した。
「さて、お前は……イザナミを、あの日本の冥界の神を召喚し、武器に宿らせてジェネルズを葬ったわけだが……その結果、この日本の死者の魂が蘇ろうと暴れている。境界が無くなっていることもあってな」
快は、一歩踏み出し信長に問う。
「蘇ろうとしている魂はどうなるんですか? もしかして……蘇られたのも……?」
「肉体の失せた魂どもは、ただの亡霊にすぎん。昔から魂と、それに宿った魔力の混じった……“鬼火”とでも呼ぼうか、それへと成り果てる。俺の場合は少し特殊な例だ」
「じゃあなんでわざわざ、こんなところに?」
快の質問に、信長は笑みをたたえた。
発せられる声は、その笑みのままに。
「現代の日本において俺を知らないものはほとんど居ない、それも俺の居た時代以降ともなればなおさらだ。逸話通りの振る舞いをしていれば――俺を恐れない者、従わない者は居ないだろう。秩序を作るにはもってこいだ、ついでに、俺の計画に賛同する部下を作るつもりで戻ってきた次第だ。ここでは生前の逸話、名前と生まれた時代が物を言うのだ」
「じゃあ………って、さっきからその台詞……もしかして、ここが冥界なんですか?! 僕は死んだの!?」
丸くした目に涙を浮かばせ、その場で崩れるように座る快。
次第に、快の胸が動悸に包まれていくと、目の前の男は対照的に笑って胡坐座りになり快の顔を見つめる。
「あぁ死んだ。若者言葉で言うなれば詰みというやつだ。……頑張ったのに、ここからだったのにな……? あんな、いたずらな死に方じゃ死んでも死に切れんだろう」
信長が、胸元から鏡を取り出した。
鏡は、小さくも黄金で縁が彩られた、神秘的な造形をしており――それはただならぬ効果の道具であることに違いなかった。
(閻魔から盗んできた“浄玻璃の鏡”……映し出した者の生前を見つめる事のできる道具だが、少し見せてやるとしようか)
信長は快の前で、浄玻璃の鏡を見せると、快はそれを覗き込む。
覗き込んだ先に映っていたのは――信じがたいものだった。
自分の体が、目の前の全てを破壊していく様。
ありえない方角に、関節を捻じ曲げ、あるいはへし居りながら、超速で街を駆け抜ける風景。
誰にも気づかれる事無く、すれ違っていく人々も、野良犬も爪で切り裂いていく。
鮮血に全身が塗れると、狂ったように目についた建物に身をよじらせ、血液を擦り付けて。
己の肉体の全てを、冒涜するが如く。
無意味に感じる、殺戮と破壊を繰り返しながら、その体はある方向へ進んでいた。
「……まさか」
交通道路を走り抜けて、田んぼの広がる細い道路に抜けると、すれ違いざまにバスを見る。
自分の片手を見つめ直せば、腕にはめこむように、窓ガラスを突き破ったパトカーを手にしていた。
腕の肉を貫く、硝子がより深く食い込む事を、躊躇わず――パトカーを投げていく。
投擲した先は、血が滴る程――こじ開けるように開かれた眼にしっかりと捉えられたもの。
バスには、びおれの文字が書かれており、運転しているのは、ギルバルトだった。
パトカーが、バスの胴体部分に命中するとバスは真っ二つに折れ、炎に包まれていく。
それを見て、自分の肉体が、燃えたぎるバスの底を持ち上げ飛翔した。
飛び上がったのも束の間、下を見下ろすと、今度は丁寧に――建物の前の駐車場へバスを下ろした。
建物の近くに置かれた看板には、びおれの名前。
その後から聞こえてくる、悲鳴と断末魔。
破壊行為と、徹底的な殺戮。
目を塞ぎたくなるような光景――にもはや、快の目は瞼を閉じる事さえできなかった。
(止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めろ止めてくれ!!!)
快がいくら叫ぼうと、嗚咽と、嘔吐をしようにも吐き出すものもなく、ただ顔を青ざめさせることしか許されず。
絶望と、混乱。
自責と、憎悪、罪悪の感情が――快の胸を圧迫し、侵し、満たしていた。
信長は、それを見て顔を渋らせると鏡を胸の中へしまい込んだ。
「……お前の意思は、あの時まではぎりぎり生きていた。が、炎の煙によって死んだ――と見るのが妥当だろう。口惜しかろう」
「あんな、あんな……こんな……こんなことってないじゃないか!! 何の為に僕は!!」
次第に、快の拳は硬くなっていく。
血が流れる代わりに、その指先と掌は際限なく食い込んでいた。
「生き返りたいか?」
信長が問うと、快は叫ぶ。
「当たり前だ!!」
「で、生き返ったところで貴様はどうするつもりだ? 収集はつかないし、ここには貴様の殺した輩が居るかもしれんぞ? ここで楽しく罪など忘れた方がよいんでは――」
信長が、諭すように言い続けていると――信長の胴に、衝撃が走った。
「!?」
腹を見ると、快の透明な腕が腹を貫いている。
腹からは、血が徐々に流れていた。
「収集がつかない? 殺した輩が居る? 黙れ、もう黙れよ。どうするかは僕が決める事だ……いくら信長様とはいえ、僕の動向を決められる筋合いは何処にもない」
信長が次なる一言を、放つ前に快は信長の胸元を持ち上げる。
身長、体重の差は最初から無かったかのように軽々と。
「生き返れる方法があるなら教えろ、お前の存在がなによりの証明だろう?」
「い、生き返られる方法は……思いつく限りだと三つ存在している、その一つを教えてやろう……その前に放せ小童!」
快の胸元を蹴ると、快は動じる事無くその場で立ち尽くしながら、手を離す。
手を離すと、信長は着ているスーツの襟を整えた。
「いいか、まず一つ目、新たな肉体を得る事だ。大抵の死者は、他の種族との契約によって魔力で魂を実体化させ、肉体を得ている。魔力を持っていない俺がそうだ。二つ目は、魂石や魔術によって蘇生させてもらうかだ、体を用意してもらう必要があるがな。そして三つ――」
「三つ目は?」
「……ありえない机上の空論だが、地上に出て他の生命の体を乗っ取る。というものだ」
それを聞いて、快は――唾を飲み干し、額に汗を流しながら返す。
「もしかして、ポグロムアがやっていたのは……“それ”?」
「かもしれん、俺は奴の情報に関して知らないことが多すぎるでな……だが、お前に関してはあの鏡を通して面白いものが見れた。あれはお前の血統の過去も見れる優れもので――」
信長が、何かを言おうとした瞬間。
信長の口は、止まった。
快の、背後に立つ“何か”に、遮られるように。
「いや……とにかく、一言言っておく」
「何?」
「お前は、お前が思う以上に強い……類は友を呼ぶとでもいうべきかね。グリードが禁忌権を使えると言ったろう?」
快の体が、少しずつ光り輝きだすと、信長は言う。
「……あれはお前も使えるようになるだろう。その時が、いつ来るかはわからんがね」
「僕にも使える……? どういう事だ?」
真剣な眼差しで、快は信長の顔を捉える。
「………知らんな、もう使えるかもしれん。さて、その体……魂石での復活がされたようだな。喜ぶが良い、再開する時を待ちわびているぞ……禁忌の召喚者」
信長の声を最後に――快の意識と目の前の風景は、真っ白に染まっていく――。
快が目を覚ますと、固く、温かい感触が頭と背中に伝わる。
目の前に広がるのは、宙に浮かぶ獣と、星一つない夜空。
首を動かそう――とするが、痛みが響きわたり、到底動かせるようなものでもなかった。
次に聞こえてきたのは、快活そうな――それでも涙をこらえるような少女の声。
「快!!」
ちはの声だった。
辛うじて動く目で、ちはの顔をようやく見つめ、快は言葉を発そうとする――。
「あ………がっ!」
声を出そうとした瞬間、鋭い痛みが迸った。
ならばと全身でもがくが、反応の代わりに帰ってくるのは苦痛だけだった。
「……快、お前の大事なもの全てを壊してやったのに……しぶといなア?」
宙に浮いた獣は、聞いた事のある声をしていた。
それがポグロムアのものであることは、明らか。
「ポ”グ”ロ”ム”ア”ッ”……!!!」
「快! 無理しないで!」
ちはの静止を振り払うように、血に濡れた歯ぐきを剥き出し、充血した眼を開く。
一点の瞳に、獣を捉えて。
「どれだけ、どれだけお前の為に人が死んだ? 僕の体はどうだった? この何もかも足りない体で殺めた感触は……どうだっ……ガボフッ!!」
絶え絶えの一息に、快は怨念を込めて放つ。
自身の苦痛は、もはや麻痺していた。
「手があったなら……お前を締めてやる! 足があったなら、踏みつぶしてやる。首が動いたら……噛みちぎってやる!!」
「去勢されて猿轡までされた負け犬は、吠えない筈なんだけどなァ? まぁいい、今度は二度と蘇らないように魂ごと砕いてやる」
宙に浮いたポグロムアは、爪を伸ばし、快とちはの元へと急降下する。
鋭利な爪が、ちはの頭を貫かんとした時。
深緑の触手が、ポグロムアの四肢を拘束した。




