第二章 第十六話 煉獄業火全テ燃ヤシ
業火の中。
それは罪過を燃やす、地獄の釜を彷彿とさせる。
炎が燃えたぎり、形あるものが無残なまでに倒されていく様は――グリードに抱えられ、後ろを向いていた少女にはあまりにも残酷な光景だった。
時折、顔に降りかかる火花の一粒一粒と、倒壊していく建物に、少女は思いを馳せる。
眼を閉じたのは、焼きつけられかけた、そこにあるものから防ぐためか。
「燃えていく……あたしらの家が……」
遠のいていく、かつての家に手を伸ばす事無く――少女は力一杯に眼を閉じる。
その小さな手は、自身の体を抱きかかえる、グリードの硬い腕を握って。
「……さぞ辛いだろうな、正直かける言葉が無い」
少女の目の前の景色が、飛躍し、あるいは振動し――全てが一瞬で豆粒の様になっていく。
やがてグリードに持ち替えられると、頭から背中を撫でる柔らかな感触が当たる。
時折、服越しに当たるものは固く、当たった時の衝撃に思わず少女は眼を開けた。
すると、少女とグリードの周りは木々に囲まれており、そこが森林地帯だと解る。
(ここ……東に抜けると街に出るっていう山じゃ……?)
少女が涙の溜まった瞳と、しゃくり返る息を整えつつ周囲を見渡していると、視界が停止した。
少女は下を見ると、グリードの足が止まっている事に気付く。
「ここまでくれば、大丈夫だろう。ほら」
グリードが腰を下ろし、少女の足を地面に着けさせると――少女はそのまま膝から崩れ落ちた。
足をたたみ、力なく。
「びおれ……あたしらの家が……快……なんで……!!」
少女の顔から、涙があふれ出る。
その様を見たグリードは、ただ少女の肩に――そっと手を置いた。
「すまないな、俺が連れてきたばっかりに」
グリードの声を聞き、少女は肩に置かれた手を払いのける。
グリードは、手を跳ね除けられると、少女の顔を見て目を丸くした。
その表情からは、怒りが見て取れたのだ。
「うっさい、白塗り男!!」
また乱れた、荒い呼吸から繰り出される言葉は、強く。
向けられたもの全てを跳ね除けるかのようだった。
「お前なんかにわかるか!! 仲良くしようと思ってた子が……あんなにいい子そうだったのに! あんな……あんな……!」
啜り泣くのを、堪えかけた声に、グリードは淡々と返す。
「そうだろうな……実際、アイツは本当に良い奴だよ。正直者で、弱った奴は見過ごせない……善意の塊みたいなやつだよ」
グリードがその場に座り込み、俯いて体育座りの姿勢でふさぎ込んだ少女の顔を覗き込む。
視線が一瞬合うと、少女は視線を逸らし、体をグリードの方から避けた。
それを見て、グリードは上を見て――笑った。
「ンッハハハハ!」
グリードの笑い声に、少女が険しい顔で振り返る。
煩わし気だった。
「何だよ!」
少女が口を開いたのを、好機とばかりにグリードは語り始めた。
「あいつはな、自分が病気持ちなのをわかって、しかもついでに自分と同じような奴の為に病気の原因と戦ったんだ……余命二ヵ月だったんだぜ? そう行動できるような気持ちになれる筈がないだろ……現代の“普通”の人間なら」
グリードが語りだすと、少女は静かに返す。
「だから何?」
少女の声に、グリードは微かに笑みをたたえる。
想定通り、とでも言わんばかりに。
「ほぉ、じゃあお前はどうする? お前は見ず知らずの他人も、自分も、救おうって気になるか?」
少女は、答えた。
「……なるわけ、ないっすよ」
答えに、グリードは更に笑み少女の肩に手を置きにじり寄る。
「だろうよ、さて……じゃあ、今度はお前の番だ」
少女は、グリードの言葉に首を傾げた。
「は?」
瞳を輝かせ、グリードは少女に顔を近づける。
「そうだ、今度はお前の番だって言ってるんだ」
グリードが近づくと、少女は手を後ろにやり、グリードから距離を離した。
(さて、何があったのか見せてもらうぜ……禁呪“過去視ノ魔術”)
グリードは魔術を発動させる。
少女は、グリードの顔にただ、怯えた様子で震えていた。
(見せてもらうぜ、“びおれ”に何が有ったのか)
二時間前、グループホーム、びおれ。
そこでは、びおれ内の全員が、誰もが施設から飛び出し――バスに乗っていた。
運転しているのは、ギルバルト。
その後ろの座席に、並んで座っていたのが少女だった。
「ちはなら、家出するとしたらどこへ移動する?」
ギルバルトが問うと、少女――ちはが俯く。
「わかんない……なんで来たばかりなのに、出ていったんだろう」
ちはが窓辺に視線を移すと、隣で座っていた眼鏡の少年は言った。
「全く、不明瞭極まりないですね。まさかまさか初日で泣いて初日で家出を計画するとは全く持って理解不能です」
更に申したげの少年にちはは、少年に振り向き返す。
「春斗、少し黙ってて」
春斗と呼ばれた少年は、ちはに口を塞がれ、不満そうに黙った。
「そうつんけんしなさんな、にしても、家出してから丸々一日経ってるのは気になるけど――」
ギルバルトが運転していると――。
パトカーが、回転しながら正面に飛んできた。
「!! 危ねぇ!」
ギルバルトはそれをすぐさま察し、ハンドルを右に向ける。
その瞬間、バス車内は大きく揺れ、バスの後部座席に当たる場所に――パトカーが激突した。
パトカーが着弾すると、それは爆散し――ガラスは割れ、社内に飛び散っていく。
爆発音と、共に。
バス車内の誰もが、絶叫し、眼、あるいは耳を塞ぐ。
阿鼻叫喚と共に、バスの内部は炎に包まれると、ギルバルトは後ろを向いた。
そこにあったのは――バスドアが破壊され、パトカーが貫通し熱されていく車内。
その火は、子供たちを逃す事無く全員に降りかかっていた。
「ぎゃあああっ!!」
爆心地の近くにいたのは――イヤーマフをした少年。
少年は、シートベルトによって咄嗟の動きを封じられ、もがく事しかできない様子だった。
「大司!!」
ギルバルトが叫ぶと同時に、大司の居たバスの車体はやがて分断されていく。
バスの床、壁と共にバラバラになっていくパトカーの破片が散ると――ギルバルトは何かを察する。
ちはが窓の方へと目を背けていると――バスの窓は何かを映し出していた。
「……嘘でしょ?」
周りは、見慣れた風景が広がっている。
炎に、包まれた駐車場が――まるで炎ごとバスを持ってきたかのように。
「ギルちゃん、子供達を避難させないと!」
ギルバルトの隣に座っていた華弥子は、シートベルトをむしるように急いでベルトを外す。
後ろの座席の、ちはと春斗のシートベルトを外すと、華弥子は先程の衝撃によってひしゃげ潰れたドアを何度も蹴った。
「っ! 壊れろっ! 壊れて……! お願い!」
蹴り続けていると、バスの断面から華弥子の半身に向かうように炎が吹きあがる。
煙と、襲い来る炎に涙を流しつつ、華弥子はただ、蹴り続ける他になかった。
蹴り続けていた時。
「壊してやろうか?」
少年の、凛とした声が聞こえてきた。
バスの中の全員は、その声の主を、知っている。
「! 快君! 良かった、居たのね!」
華弥子が声を上げると――。
ドアが崩れていくと同時に、華弥子の四肢は、四散した。
その様を見ていた、子供たちは絶句する。
血しぶきと、華奢な手足が火の中に入って行き。
胴体が、床に落ちていく様には、もはや絶叫すら赦されていなかった。
ドアが、崩れ切った時、姿を現したのは――隻腕の少年。
歪なる笑みを浮かべた、狂気に満ちた瞳を輝かせる、快の姿があった。
「……かい、くん……?」
涙を浮かべながら、華弥子が上を見上げると、一層口許は弧を描く。
「……ただいま、とでも言おうか」




