第二章 第十五話 破壊者と裁定者
街中のネオンが、灯りだす夜。
喧騒は相変わらずのもので、僅かに昼間よりその数を増やしていた。
目の前に見える道路には、車が行き交い続け、交通の字を成す。
(さて、あいつも自分で帰った事だし……いよいよあいつにつきまとうのもお役御免か)
手にして、空になった瓶をゴミ箱に入れるとグリードは軽々と地面を蹴り潰した。
地面を蹴ると、体にかかっていた重力に反するかのように、眼前に並び立つ全ての建物らを越えていく。
何度も体感した、風に突き抜ける逆風。
何も映らぬ、暗闇の先を目指し向かっていくグリードの体は――暗雲を貫いた。
雲の上へ辿りつくのを目視すると、グリードは空気を蹴り、宙を一回転し――その場で姿勢を変える。
浮かびあがり、眼にしたのは広がりゆく、虚無。
静かな、暗黒の世界。
そこは、宇宙と空に位置する――狭間。
(ここはいつも静かだな……何もかもを、忘れさせてくれる)
グリードが上を見上げれば、流星が一つ、煌めいて。
その光景が、まだ地球の領域に居るのだという事を、グリードに知らせる。
(快……あいつは本当によくやったな)
誰も居ない空間で、ふと――たった一人の人間の顔が浮かぶ。
呪いを振り払い、生を勝ち取った少年の記憶に、グリードの顔は自然とどこか満足げな表情が作られていた。
(ああでなくちゃな。人間というのは……もっとも、アイツが特別というのもあるが。いや、それ抜きでも本当に凄いよ……)
目を閉じ、眠りにつこうとした瞬間。
――胸騒ぎが、グリードを襲う。
言い知れぬ、不気味な感覚にグリードは目を開き、一瞬力を籠める。
(参ったな、俺がこういう感じに襲われるときは……なにかが起こると決まってるんだ)
再び――宙を、海から飛び上がるイルカのように――回転し、重力に身を任せると、雲の中へ沈んでいく。
雲の奥、小さな明かり達が点在する――街の深海へと。
飛び込んでいくと、やがてビルの屋上が、眼前に迫る。
グリードは換気扇の前へと身をよじらせ、体の軌道を変えた。
換気扇の枠を掴み、ばねの様に腕を屈伸させ、一直線を描いていた足を屋上の床に着かせる。
(なんとなくここに戻ってきたはいいが……)
グリードはビルの屋上の柵越しに、都会の景色を見下ろす。
下にあるのは、車の通交する道路。
その両脇を彩る街路樹と多様な街灯に照らされた歩道。
全くの、普遍的な営みの様だった。
「頼むから、ただの体調不良であってくれ」
そう呟いた時。
遥か遠くから、爆発音がグリードの耳に届いた。
爆発音の方を向くと、グリードはその発生地は北西だと分かる。
(この遠さ、大体十二キロか)
グリードは屋上の柵を飛び越えると、ビルの壁を蹴り、建物と建物の間を巡る。
そして――街を越えた先へ向かうと、やがて何もない田んぼと狭い歩道だけが広がる場所へと出た。
そこでは、見慣れた建造物が――。
燃えていた。
狭い駐車場に止まっていたバスは、バスの中心部分から大破しており――もはや、一つの爆弾によって意図的に爆破されたとしか思えないもの。
何者かの意思でもって、その施設――びおれが破壊されたと考えるのは必然だった。
(びおれに来たのは、誰だ? そして、何の為に……そして、破壊するにしても“来れる”という事は、ここを知っている奴の可能性が高い)
空中から降り、グリードは燃え広がる炎の中に飛び込んでいく。
小さな屋根は、崩壊しており、狭く構えるガラス張りの扉のガラス部分は割れて。
民家に近い、その建物の原形が、辛うじて留まっているのが不思議なほどだった。
炎を振り払いつつ、グリードは扉を蹴破る。
煙と、蹴破った勢いによって散らばりゆくガラスに目を遮られかけ、グリードは一瞬顔を背けた。
顔を正面に戻すと、再び歩みを進める。
脚が崩れ、台の割れた食卓を踏みしめ、周りを見ると、小さな部屋が目に映った。
部屋の前で揺らぐ火の奥には、二つの人影が見える。
(? あれは……まさか取り残されたのか?)
奥には、小さな後ろ姿を前に、煤だらけの顔を――泣き顔に歪ませる少女の姿があった。
少女の前には――見慣れた少年の背中、隻腕の少年が居る。
「おい、そこの。大丈夫か」
グリードが少女に問いかけると、少女はただ涙を流し、布団を握るばかりで狼狽えている様子だった。
グリードの声に、反応を示したのは――少年の方だった。
「やぁ、びおれの皆とは仲良くやっているよ」
振り向いた、見慣れた顔。
それは、快だった。
快の顔は、血と煤に塗れて。
到底、普段の彼からは想像し難い――狂気に満ちた笑みの表情を浮かべて居た。
残った快の、腕から肘にかけては――歪に曲げられ、ガラスが所々刺さっており、真っ赤に染まっている。
快は、グリードの方へと身体を向けると共に腕を伸ばした。
「……貰ったよ、兄さん。兄さんの期待を全てねェ!!」
首を、横へ百八十度回転させ、再び戻すとグリードは歯を食いしばる。
「ポグロムア……お前!! 乗っ取りやがったのか、快の体を!!」
「当たり。いい器だよこの体は! 力が違う! あんな腐った死体も同然の体とはまず魔力の感じ方が違う! まるでそう……」
ポグロムアが次の一言を発する前に、グリードはポグロムア――のものとなった首に掴みかからんとする。
が、それを見計らっていたかのように、ガラスによって武装された腕は少女の顔へと向けられていた。
「……兄さんが壊した、昔のボクの体みたいだ……アッハァ!」
「あぁそう、それは良かったな。だが、それはお前の玩具じゃあない。お前の元の体を俺が消滅させた以上は、もうお前の体はどこにもない。頼む、帰ってくれ」
伸ばした手を、ポグロムアの首まであとほんの、小指一本分程の距離で止めながら語る。
言葉に頷きながら、ポグロムアは飛び出したガラスを少女の顔へ近づけさせていく。
「帰ってくれだぁ? どこにぃ? ボクはもう居場所はどこにもありゃしない何故だかわかるか? お前が滅ぼしたんだ!」
満面の笑みで、少女の顔ににじり寄らせて――ポグロムアは返す。
そこには何の、躊躇いも無いかの様だった。
「そうだな、だからどうした。その体とその子を離せ、ちっちゃい脳みそじゃわからんか」
手を伸ばし、詰め寄った足を僅かに震えさせながら、グリードは瞳を輝かせ睨む。
対して、グリードの様子をただポグロムアは嘲笑っていた。
「もう、この体を手に入れたからにはボクは目的を遂行する。が、これはその為のデモンストレーションでもなんでもない……愉快犯ってやつだよ」
「お前はいつもそんな奴だよな、全くジェネルズといい貴様といい」
グリードが静かに、睨み続けていると――。
ポグロムアは、手を少女に一気に振り下ろす――。
――が、そこにガラス片はおろか、腕の一本の感触が無くなっていた。
「……は?」
ポグロムアが自身の両手を見ると、そこには何もなく。
更に、その視線はいつの間にか元の視線より低い位置にあるという事に気付いた。
後ろを向くと、ポグロムアの近くにいた筈の少女は、消えている。
正面を向き直すと、それはグリードの腕に抱えられていた。
「“我ガ欲シタ永久ナル解放ノ果テ……忘れたか? お前が俺に勝てない理由の一つだ」
グリードに、見下ろされたのも束の間、ポグロムアの顔はグリードの足に軽く踏まれ、倒される。
「言っておくが、もうこうなったら関係ない。快の体だろうとなんだろうとここで死んでもらう。これまで、俺がどれほどお前を――贔屓していたのかがわかった……っとに嫌な話だ。最初からこうしておけば良かったって、後悔することになるなんてな」
「……甘いよねぇ……兄さんって」
ポグロムアが呟くと、グリードは足を上げた。
冷徹な――視線を向けながら。
「あぁ、そうだな。だがそれも今日までだ」
一気に、足をポグロムアに降ろそうとした瞬間。
「止めて!」
抱きかかえていた、少女の声がする。
グリードは、ポグロムアの前髪にかかとが触れかかったところで、その足の動きを止めた。
「これは、俺の不始末が招いた惨状、その一つだ。快以外に、巻き込む気は毛頭ない。悪いが眠ってもらうぞ」
グリードが少女の顔に触れると、同時に少女の瞼は閉じられていく。
すると、ポグロムアの体は浮かび上がって行った。
「……これだけは避けたかったんだけどなぁ、痛いし!」
ポグロムアがそういうと、快の体から赤黒い棒状のものが生え始める。
棒状の物は、約五十センチ程度の長さとなると、その先端が五つに分かれ。
ポグロムアが降りた頃には――人間の、手足に酷似した造形となっていった。
「久しぶりに、お互いが痛い戦いをしようか兄さん! こんなちっこい所放っておいてさぁ!」
そう言った瞬間、グリードとポグロムアの頭上の屋根が崩落する。
グリードは炎に包まれた屋根を、拳を突き上げて破壊し、少女を左腕から右腕へと持ち替えた。
露わになった、空へと飛翔し、びおれから脱する。
(そもそも、俺があの時……手加減したのが間違いだったのか? いや、だとしても……)
煉獄の業火は、その者の罪を焼き払う。
強欲の名を持つ、裁定者とてそれは例外でなく。
今はただ、太陽を纏いし破壊者から逃げるのみ――。




