最終章 第三十一話 自我の覚醒
「魔界……久しぶりだな」
快の出た感想は、グリードにとって意外なものだった。
「まるで自分の実家みたいに言うじゃあないか。でも、治安ははっきりいって――冥界や天界よりかはまし程度。今に地上界へすぐ帰りたくなるだろうよ……」
グリードはそう言うとすぐに飛び出て切り立った岩に、背を持たれかけ座る。
快はそれを見て、両手を地面に着け、ゆっくりその場に腰を下ろす。
硬く冷たい、手の平と尻に地面の凹凸を感じながら快は息を吐きだした。
「それにしても、僕の力を奪ったって言ってたし、神に復讐するとか、禁忌を滅ぼすって言っても……言ってる事、やってる事滅茶苦茶じゃないか」
グリードは両手を枕にしながら、快に答える。
「いいや、あいつはそれだけの魔力を手にしたんだ。あれだけの魔力、力をお前が育てたって訳だ」
「どういう事?」
「まず、一つ目。“魔力が合成されている”んだ。ジェネルズの皮膚病まがいの魔術に、あいつの魔力が蓄積されて、その後に――俺の魔力で魂を回復させて奇病を誤魔化していた時期があったろ? あれでも熟練の魔術師の一生分を送って回復させていた。それと、アイネスの一件があっただろう。氷属性の、あの一端の魔術師の魔力が吸着したんだ。成長すればきっと天才レベルの魔力量を蓄えられたろうに」
快が、それを聞き、身をすくませるとグリードは続けて語った。
「それと、お前の育てたのは――魔力だけじゃあない。“憎悪”の感情だ」
「憎悪……?」
快の身は更にすくんだ。
それは、己の身に宿った感情の中で、もっとも激しく感じていたもの。
そして――最も自身を巣食い、仇敵を屠ってきた激情だと、快は理解していたのである。
であるが故に、認める事を快の良心と理性が許せなかった。
事実を、何かで塗り潰さんとし巡る思考と、蒼白に染まっていく顔を、グリードの声が切り裂く。
「おいおい、何今更罪悪感だとか恐怖に囚われてるんだ。憎悪を使っていたのはお前だし、その感情がデモニルスの魔力を通じて増幅されていたのも確かだ。でもな、認めろ。それもお前だと。でなきゃ、さっさとくたばれ」
グリードの声に、快は叫ぶ。
快にとって、全力の――喉が張り裂けんばかりの声で。
「だから何だって言うんだよ! お前にはわからないだろう! 自分の感覚さえも誰かの物で! 自分の正体は誰かの力でさ! 結局は僕もつぎはぎだらけの怪物なんだよ!」
涙ぐんだ、決死の叫び。
暗黒の空に響く、少年の声。
それは、グリードにとって――衝撃的なものだった。
グリードは、微笑んで快の側に寄って肩に手を置く。
すると小さな肩は、グリードの大きな手に収まってしまった。
「なぁ、一つ質問だ。言葉って、誰から学んだんだ?」
「誰かって……わからない」
「じゃあ、服を着るのは? その遺伝子はどこから来た? 親からだな。じゃあその親、じいさんばあさん、祖先のそのまた祖先は?」
「わかるわけ、ないだろ……言おうとしてる事がわかんない」
グリードは、ゆっくり――俯き始める快を見据える。
対して快が、顔を覗き込み始めるグリードを見上げるとグリードが軽く頷き、顔を上げた。
「疑心暗鬼になって、自分を疑うだけ無駄だ。その力の出所、言葉の教わった先はどうでもいい、使いようだ。手にした物の使いようが、自分を自分足ら占めるんだ……行動現が例え憎悪だったとしても、結果誰かを守り、救えている。そこに“お前”があるとは思わないか?」
快は、グリードの言葉に目を丸くする。
目から流れ出た液体が、その言葉への何よりの返事であるに違いなく。
快の縮こまるばかりだった体は、次第に力を取り戻していった。
グリードは、黒衣の襟を整え、言う。
「さて、これからあいつの発言からして、死者も神々も、魔族も巻き込んだ大戦争に発展するだろうな。契約した相手に逆切れするクレーマーの押しかけの様にな。俺はそいつらを止めに行く。お前はじっと、そこで待ってろ。殲滅どころか根絶できる事は保証済みだろ?」
「――待て、待てよ。僕はもう戦えない訳じゃあない。僕が巻き込んだ事だ。僕が行かなくてどうする、それに……お前は一つ、嘘ついてるだろ」
「なんだ?」
グリードの発言は、まるで快を試す様に。
“なんだ”と返すその口には楽し気な笑みがたたえられていた。
快は、立ち上がって返す。
「お前の性格からして、地上界を侵攻してきたやつは倒す。けど、元々地上界に居た奴だけは絶対に倒さないだろう?」
「へぇ鋭いじゃあないか。無論そのつもりだ。で?」
笑み続け、グリードが腕を組んでいると――快はグリードの前まで近づき、答えた。
「デモニルスだけは僕が倒す。けど、一つ命令だ」
「あいよ?」
「誰も消滅させるな。もう誰も、傷つけるな――力が無い今、お前を制御する者は誰も居ないけど、僕がどうなってでも、これは果たすべき約束だと思うしね!」
グリードは、一瞬震える。
弱体化したであろう身を、最も理解しているのは快自身の筈。
それでも、“約束”を前に立ちあがり、上位の存在であるグリードに言い放つ。
その光景に、グリードは歓喜を覚えたのであろう。
グリードの笑みは、より一層深みを増していた。
「間違った道に入りそうになった時、何度でも俺を正す……か。お前、無茶苦茶だな」
「殺しても構わないぞ」
「ンッハハハハ! 馬鹿野郎……そこは、意地でも正してやる だろ。これからを望んでる奴が何を言うかと思えば……」
「それでも、お前は強いから……だからお前には絶対に、僕の愛した天護を、そして誰かの居る世界を守って貰いたいんだ――」
快の激怒に、グリードは人差し指をあてがい、快を黙らせ――返事をした。
片目を、瞑って。
「いいや、最高だ……じゃあ、行こうぜ快。一緒に、世界を救おうぜ」




