最終章 第二十八話後編 宿敵到来
「お前のその面が気に喰わないんだよ、何もかも、死ぬかもしれないって時に立ち向かって、馬鹿がよ!」
愛魅は美しい陶器を思わせるだろう肌にしわを寄せ、叫ぶ。
叫びに呼応するかのように、指輪の宝石は愛魅の体全身を、宝石から流れ出る冷気に包み込んでいく。
やがて快の目の前に現れたのは、さながら氷でできた、人形のような鎧。
快は、全身にまとった炎を、その鎧に向かって拳に集中させ放つ。
まっすぐ打ち出された拳は、鎧へ一直線上に炎を飛ばしていく。
それを、愛魅は――目の前を横一文に撫でるような仕草をし、迎え撃つ。
すると、愛魅と快の放った炎との間に氷の壁が一瞬できる。
氷の壁が消えると、愛魅と快は互いに距離を詰め、向かい合った瞬間に攻撃をしかける。
炎の拳を、氷をまとった短剣で打ち払い、切り裂く。
切り裂いた瞬間、短剣は煙を上げ、刃が欠け落ちる。
一瞬一瞬、互いに油断ならぬに違いない攻防。
拳と刃。
刃を折り焼き付くす快の拳に、凍てつき貫く愛魅の剣。
肉を切り裂き、骨で穿つ勢いに、愛魅は内心おぞましさにも似た、畏怖の念を抱き――それは自身の足元に現れていた。
攻め立てるべき、快との攻撃の撃ち合いに、愛魅の足は後退していた。
一瞬で抱き、爆発した憎悪よりも強いそれに――今は認めざるを得なかった。
快の感情の方が、明らかに強固なものだ、と。
殺気立ち、睨みながら揺らめく炎を打ち続ける快。
慈悲の全く見えない拳。
ただの、暴力だった。
「どうした、仲間の所でお遊戯の時間でも思い出したか魔女。僕は殴り足りないぞ? 何度でも、邪魔な者は殴り伏せてやる」
快の声に、愛魅は言い放つ。
海を背にして、鎧を解除し――短剣を太もものスリットに納めて。
「……そうやって、一生やっていろ! お前は何も、知らないんだ。何も……お前は、“人”じゃない」
愛魅の発言に、快は我に返る。
両手を見ると、そこにはもう赤黒い光は失せており、自分に湧き立っていた感情も全く――消えていた。
目の前には、傷一つついていない愛魅。
されどどこか、“傷ついている”様子だった。
顔を渋らせ、愛魅は地面を蹴ると、快の右方向に止まっていた船の甲板に飛び乗る。
「まぁいい、もうこの県は時機に機能しなくなるし、お前の大好きな戦いが蔓延る事だろう。じゃあな――船を出せ!」
愛魅が怒鳴ると、船は汽笛を鳴らし、出港する。
快は、息を整えながら、船の出向を見届けていった。
無言で、快はただ、膝をつきながら。
残されたのは、罪の意識と愛魅の言葉。
“人じゃない”。
快にとって、認めたくない言葉だった。
しかし、認める他にない。
何度も言われ、再び耳にする事になり――快は傷心に浸る。
戦いの痛みよりも、快にとって波止場の膝の感触の方が、ただ痛いばかりだった。
「やぁ、我が子よ」
背後から、声が響いた。
老人のようにも、若き青年のものとも聞こえる独特の声に、快は思わず振り向く。
そこに居たのは、左右非対称の瞳の色に、黄色い衣を羽織った、黒髪の痩せこけた男。
痩せこけた男は、快の側に近づくと、後ろ髪を優しく撫でる。
なんだ、この人は。
そう言葉にする余裕も、快には無く。
ただ愛撫を受け入れた。
瞬間、快の目に浮かぶ涙。
罪悪感と、目にしてきた異形の怪物達のあまりの醜さに、快はその場で嘔吐する。
嘔吐している間、男は快の背中を撫で続けた。
骨ばった手で、優しく。
「よしよし……さぞ辛かったろうな。私は君を……というか、この天護県を守りに来た」
穏やかな声色で話す男に、快は吐き気にひきつけながらも、反応を示す。
「誰……ですか……?」
「ほう、言葉が通じる……いや、その先天鏡のおかげか。デモニルス。デモニルス・クロウズ・シャルハルトル……魔術師だよ。お前の力の源と言えばわかりやすいか? まずはその育てた力、返してもらったぞ?」
男はそう言うと、海に手をかざす。
海の上には、先程出港した船が小さく浮かんでいた。
「どれ」
男が呟いた瞬間、海が真っ二つに割れる。
海の上を悠々と進んでいた船は、露呈したサンゴ礁の上で座礁し、全く動かなくなった。
その様子を見ると、男は微笑む。
これでいいとでも言わんばかりだった。
男が指を鳴らすと、座礁した船が宙に浮かび、割れた海を元に戻すと再びその上にそっと乗せられた。
その光景が、快にとって何を意味しているかは明白だった。
快はベルゼブブの言葉を思い出す。
“デモニルス”。
その名は、かつて存在していた魔術師――神々との契約を最期にし、没したという古代人の名だと。
「上等だ、これが神々から奪った魔力、その一端か……ふふふふふふ……待っていろ、人間を侮った神々よ、人間を見捨てた神々よ。禁忌をみすみす生かした神々よ……今からこのデモニルスが全てを無に還す」
「待って、デモニルス……さん? 力を返してもらったって……これから僕は一体?」
さも当然のように、デモニルスは快の頭を撫で、応える。
「あぁ、もうこれから君は魔術を使えない。何故君が、これまで人外を前にして、何も感じずに居られたかわかるか? この私の感情と、共有していたからだよ。そして、お前の中には――この宝石があると見えるが違うか?」
デモニルスの懐から取り出されたのは、赤黒い宝石。
「ダーカーズデビルノコン!?」
「そうとも、これを飲み、あるいは使う事で私とほぼ同化していたのだよ。でももうその必要はない。お前は若い、生を謳歌していろ」
親のような、温かい視線。
快にとって、頼れる大人にやっと頼れたような感覚だった。
それを、裏切るような――黒い影が、快から引き離す。
「快! そいつは危険だ! 離れろ!」




