第9話:あんなの機動制限装置を解除しちゃえば楽勝でしょ!?
2078年8月3日(水)。
この日は航空士官学校恒例の3号学生による空戦実技競技会決勝トーナメントの開催日であった。空戦実技競技会とは、愛機を駆って定められたコースを定められた姿勢でいかに早くクリアすることができるかを競うタイムトライアルコンペティションである。事前に開催された予選タイムの上位16人が決勝トーナメントに進出し、2人1組の対戦によるノックアウト方式で順次勝者を決定していく。決勝トーナメントの出場者には鷲を模した航空士官学校の校章を愛機にペイントすることができるという、大きな特典が与えられることになっている他、決勝トーナメントでの勝利数に応じて校章数を増やしてよいことになっている。つまり競技会優勝者は合計5個の校章を得ることになるが、それはすなわち、同期中の最優秀操縦士であることを顕す撃墜マークと同義なのである。無論、将来部隊に赴任した際、航空士官学校での席次と同等かあるいはそれ以上に、愛機の撃墜マークはひよっこの能力を先任者達に雄弁に語りかけることになろう。それが本人にとって幸か不幸かは分からないが……
空戦実技競技会の時期が近付くとフライトシミュレータに3号学生が列を成すのも航空士官学校の恒例であった。皆、愛機に撃墜マークをつけたいのは同様であるし、そのためには少しでも事前練習をしておきたい。無論、72人の3号学生が好き勝手に愛機を駆って航空士官学校上空を飛び回るわけにもいかないので、シミュレータが利用されるわけである。実際、空戦実技競技会のコースは物理的にセッティングされるものではなく、各パイロットの全周戦術情報表示装置に投影される仮想のものである。すなわち全周戦術情報表示装置に直径30mの円として表示されるチェックポイントを順番に通過するタイムを競うのだ。従って、シミュレータでも本番さながらの事前練習を行うことができるのだから、コースセッティングの発表がされるや否や、余暇の時間がシミュレータの予約で一杯になるのは道理である。
「いや、まじこんなん、うちには無理っしょ!」
シミュレータから出てきた桜色の二つ結びがぼやく。
「こんなんクリアできるのいたら、そっちの方がおかしいし。なぁ、ケプラー」
隣のシミュレータから出てきたケプラーは、その清流のような水色の編み込みと同じくらい透き通った声で同意する。
「うん、ファーレンハイトちゃんの言う通りだと思う。教官達も、今年は特に難易度が高いって言ってたし……」
「やっぱ、フレミングとイッセキのせいじゃね? まじ、も少し普通の候補学生にラベルを合わせろ、っての」
2078年度空戦実技競技会のコースセッティングは難易度が高い、というのは教官達ですら認める事実であった。候補学生|の乗機には41期学生まではAMF-60Aが採用されていた。これは単発小型のマルチロール戦闘機であったが、42期からはより大型の最新鋭戦闘機AMF-75Aが採用されている。全幅が18m以上と、AMF-60Aの1.5倍を越すAMF-75Aであるが、チェックポイントの直径は変わらないのである。この時点で既に難易度が圧倒的に高くなっている。
そのような条件下で候補学生達はまず、350ノットで進入することになっている。その後スタートラインを通過するのであるが、通過時刻はスタートタイム+1秒-0秒に収めなければならない。すなわち、スタートタイムより少しでも早くスタートラインにかかればフライングで即失格の一方、1秒以上遅れても失格である。また、スタートライン通過時の速度が350ノットを超えても失格である。無論、初速が遅ければその後のタイムに悪影響を及ぼすことは言うまでもない。スタートタイムは30秒前からカウントダウンされるが、いかにスタートタイム直後に速度350ノットでスタートラインを通過するか、が最初のポイントである。
「そもそも、スタートのタイミングを計るのが難しいですわね」
とは落ちこぼれ小隊小隊長キルヒホッフの弁であるが、それは42期生みなの感想でもある。
スタート後に最初のチェックポイントを通過したら縦方向ループを開始、ループ頂点でチェックポイントを通過したらそのままループを継続して水平姿勢でチェックポイント。直後に背面飛行に移行してからチェックポイントを通過したら、水平飛行に戻して右45度シャンデル。このループから背面で速度が大幅に落ちれば、シャンデル頂点でのチェックポイント通過が難しくなる。無事通過したら水平飛行に戻した後、ハイGターンによる5連続横スラローム。ここで多くの候補学生は速度エネルギーを大きく落として次の演目に進めなくなる、いわば第2の関門である。無事クリアしたら左バレルロール2周の後、インメルマンターンで上昇反転。2回目のバレルロールの下降時にいくら速度を稼げるかがここでのポイントであった。
「この後の180度ループなんて、どうやっても無理っしょ?」
「速度が足りないから、アフターバーナーに入れてもチェックポイントには届かないよねぇ~」
水平飛行から増速したら、今度は5連続縦方向スラロームである。上昇して背面姿勢からチェックポイントを通過、下降から180度ロールして最下点でチェックポイントを通過したら再上昇を5連続。スラロームが終了したら右ナイフエッジでチェックポイントを通過して、そのまま右ロールからスプリットSで急降下。タイムアタックであるがゆえにここで速度を上げたくなるのが人情ではあるが、チェックポイントをクリアするには適度な速度を維持することも重要で、速度過剰は禁物である。水平姿勢に戻して最後のチェックポイントを通過したらあとはゴールラインを目指して最大パワー。これがコースの全容であるが、過度に不安定な姿勢や失速状態では途中で機動制限装置による自律姿勢回復機能が働いてしまい、機体が勝手にコースを外れて安定姿勢に戻るため即失格になってしまう。競技会では難コースを安定した姿勢で素早くクリアしなければならないのだ。
「フレミーはどうしてあのような操縦ができますの?」と聞いたキルヒホッフに、赤髪の親友はこともなげに返答した。
「えっ、あんなの機動制限装置を解除しちゃえば楽勝でしょ!?」
反則スレスレの事実をあっさり白状するフレミングに「また滑走路ダッシュにならなければよろしいのですが」等とキルヒホッフが考えていると、クルーカットの優等生が横から口を挟む。
「フレミングさん、貴女またそんなことを……小官は機動制限装置を解除などしなくても、きちんとクリアできますわよ」
尤も、フレミングの天才を認識するイッセキは、フレミングの航路と姿勢が自分のそれよりも格段に美しいことを、口には出さないが内心では賞賛していたのだ。「あの機動芸術は天才だからこそ成せる業」と。そして、芸術とは技術である、とも。恐らく彼女は、機動制限装置の解除などせずとも同じように、あの美しい航路を描くのであろう。
パイロット達はシミュレータでの練習結果を分隊整備士達と共有して、よりコース適性に合うよう機体セッティングを変更していく。それはフレミングやイッセキであっても同様であった。より速く、より美しく。分隊整備士にとっても自分達の「ヒメ」が良い成績を得ることは重要なことである。撃墜マークの多寡は整備・調整技術の優劣も意味するのであれば、シミュレータ訓練に整備士達の熱が入るのはパイロット同様であった。多くの整備士達が自分のヒメの好成績を願って、夜を徹して調整に励んでいる。空戦実技競技会は整備士達の練度向上にも一役買っていると言えよう。
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2078年度、42期生の決勝トーナメント出場者が発表された。
予選通過1位はフレミング、同2位はイッセキ。この2人の決勝進出は42期生一同、納得の結果であった。何しろ実技成績「特A++」と「A+」の2人である。早々にシミュレータでのコースクリアも実現し、以降はいかにタイムを縮めるかのセッティングに苦心していた-フレミングの場合には更に「いかに楽しく翔ぶか」が加わる-というのだから、他の候補学生とは一線を画していたと言えよう。トーナメントを順調に勝ち進めば、この2人は決勝で争うこととなる。早くも決勝戦の行方に関心が集まる中、続く決勝トーナメント進出者が発表されていく。同3位に席次3位のボルタ。ボルタは準決勝でイッセキと当たる予定であるが、今度こそ「ダイヤモンドガルフの仇を」と、今から武者震いしている。続く予選通過4位はラグランジュ。席次2位の彼女は予選通過タイムでフレミングはおろか席次3位のボルタにまで抜かれ、密かに期すところも大きかろう。準決勝でフレミングと当り、決勝でイッセキに勝利して、その地位を見せつけたいところである。以下、フレネル、ボース、プランク、フェルミ……と発表が続いている。
一同が耳を疑ったのは席次72位、あのいつもやる気の無さそうな桜色の二つ結びが、13位で予選を通過したことである。既にキルヒホッフは11位で通過していたので、これで第18小隊からは3人が決勝進出を果たしたことになる。仮にもキルヒホッフは席次18位の小隊長なのであるから順当な進出であるとは言え、あのファーレンハイトが……編隊長のケプラーはまるで自分のことにように喜び、その透き通った水色の編み込みを揺らした。
「良かったね、ファーレンハイトちゃん。あんなに頑張ってたもんね。本当におめでとう」
「いや、うちは別に……その、ありがと」
一方当然のことながら、18人の小隊長の内、決勝に進出できなかった者もいる。そもそも小隊長には席次18位までの成績優秀者が就くことになっているので、小隊長が決勝進出者のほとんどを占めるのが例年の傾向である。尤も、初めから決勝トーナメントには16人しか進出できないため少なくとも2人の小隊長は決勝進出できないのではあるが、彼女ら決勝進出を逃した小隊長は校章の無い小隊長と呼ばれ、その称号は大変不名誉なことであるとされている。バーラタ航空宇宙軍では校章の無い小隊長とは「ガリ勉もやしっ子」-座学はできるが実技はダメ-の別名と看做されているのだ。例え戦闘機が輸送機であったとしても、空戦機動に優れたパイロットの方が現地部隊で喜ばれるのは道理であった。