第10話:勝つ時は大差だけど、負ける時も大差っしょ
空戦実技競技会の決勝トーナメントは2人1組のノックアウト方式で争われ、同時にスタートし先にゴールラインを通過した選手が勝利するというシンプルなルールで勝者が決定される。姿勢や航路の美しさ等の主観評価は判定の対象外であるが、無論、途中のチェックポイントを通過できなかったり、指定の姿勢を得ることができなければ即失格=敗退=である。
各出場選手は愛機に搭乗して実技を行うが、パルティル校長以下教官達、さらには候補学生達はみな航空士官学校校庭に集合して空戦実技競技会を観戦する。学生達にとっては、他のパイロットの機動を見学することも良い学びの機会なのである。観戦者達には一様に拡張現実ゴーグルが配布され-但し、3号学生は自前のヘルメットを用いて-、みなこれを着用して上空を見上げる。拡張現実ディスプレイは、物理的には設置されていないチェックポイントを上空に投影表示してくれるのである。
今や落ちこぼれ小隊期待の星となったファーレンハイトは、緒戦で席次2位のラグランジュに僅差で負けてしまった。インメルマンターンまでの通過タイムは互角であったが、その後の縦方向スラロームで少し姿勢を乱し、ナイフエッジで遅れを取ってしまった。スプリットSではギリギリまで詰めて増速を試みたが、ゴールラインに先に飛び込むことは叶わなかったのである。対戦相手のラグランジュが先にゴールラインを通過した時には、会場のあちらこちらで失意のため息やら悲鳴が響いた。無論、席次72位による「上位殺し」に興味が集まっていたのではあるが、そればかりが理由ではない。華やかでボリュームのある桜色の二つ結びは、意外にも下級生達の憧れの的だったのである。認識票デコレーション事件は今や下級生の間では伝説であり、今年の航空士官学校募集要項に掲載される42期生集合写真のセンターをファーレンハイトが務めると聞いた下級生の中には「私、45期を受け直したい」などと本気で言い出す者もいる始末であったのだ。
愛機を降り、善戦した仲間を出迎える小隊メンバーの前まで戻ってきたファーレンハイトは
「うちにしては上出来っしょ!」
などと軽口を叩いた。しかし、平静を装っているその二つ結びと同色の瞳がわずかに潤んでいるのに気づいたケプラーが、その涙を他者の目から隠すように、ファーレンハイトの顔を自らの胸元に押し寄せる。
「まじ、巨乳しか勝たんわぁ~」
小声でつぶやくファーレンハイトの華やかな桜色の髪を、ケプラーはただ何も言わずに撫でていた。
一方のキルヒホッフは緒戦のボース戦で勝ち上がり、ベスト8で席次3位ボルタと当たる。イッセキと当たるまでは負けられないボルタから見れば、席次においても予選通過順位においても下位であるキルヒホッフなどは相手ではなかった。一方で少し慎重な立上りを見せたキルヒホッフは、スタートラインで僅かに出遅れる。
「まだまだこれからですわ」
と言って気合を入れ直したゆるふわ金髪は、きれいな縦ループを描き無駄の無い航路で背面飛行からシャンデルに入る。
「ボルタ、いかがですか?」
ループの頂点ではボルタに追いつくキルヒホッフ。シャンデルで少し速度エネルギーを落とし過ぎたボルタが
「何てこと! これではイッセキに勝つなど……」
と、対戦相手を侮っていた自分に喝を入れる。続くスラロームからバレルロール、インメルマンまで、両機とも無難に課題をこなしていく。キルヒホッフがわずかにリードした体制で縦方向スラロームを終えてナイフエッジに入ったところで、アンティークゴールドの機体が若干姿勢を乱した。その隙に席次3位がその実力を示し、差を詰めてくる。
「まずいですわ」
しかし、落ち着いて対応したキルヒホッフはそのままスプリットSに入り、考えられる限りでは最良の速度と姿勢を維持して最終課題をクリアした。ほぼ同時に最終チェックポイントを通過した2機のAMF-75Aは「あとはままよ」とばかりに最大パワーで同時にゴールラインを通過する。写真判定の結果わずかにボルタが先行したと発表された時、悔しがる第18小隊の面々を前に、キルヒホッフは涼やかな笑顔を見せた。
「あとはフレミーに任せましたからね」
「うん、私、キルヒーの分も、ファーレンハイトの分も、もちろんケプラーの分も頑張るよ」
親友の笑顔に、シャトーワインのような深みのある赤髪は屈託のない笑顔を浮かべた。
******************************
決勝戦は大方の予想通り、予選通過1位と2位の対戦となった。
フレミングの緒戦の相手、席次12位のゼーベックは、相手がフレミングであることに多少の焦りを覚えたのであろうか。スタートラインでわずかにフライングをしてしまい、フレミングはスタートラインを通過しない前に勝者になってしまった。続くベスト8戦の相手は席次16位のフェルミ。彼女の航路は別名「計算尽くし」と呼ばれる通り、正確無比なことで知られている。物理エンジンを用いてコンピュータに最適航路を計算させれば、恐らくコンピュータは彼女の航路を再現することであろう。人間が操作する以上その操縦にはメンタルの影響が少なからず現れるであろうが、フェルミの航路にはそのような「紛れ」が見られないことも特徴である。恐らくは、自分の計算と計器表示との一致に全幅の信頼をおいているが故であろう。一方のフレミングは感性だけで操作する代表格である。機動制限装置を解除し推力偏向ノズルを自在に操るフレミングの航路は、その機体のパーソナルカラーから「踊る赤髪」とも称されていた。
「何であんな機動が私の計算より速く飛べるの?」
フレミングの自由奔放な操縦は対戦相手のコンピュータに不具合を埋め込んだらしい。フェルミは彼女の持つ彼女自身の物理学に、今や完全に異物が紛れ込んでいることを感知していた。そしてその異物は、彼女の方程式が不完全であることを証明している。その証明を見せつけられたフェルミは縦方向スラロームの途中で姿勢を崩し、そのまま自律姿勢回復機能の作動によりコースアウトになってしまった。
フレミングの準決勝の相手は、緒戦でファーレンハイトを破ったラグランジュである。
「ファーレンハイトの仇!」
等と言って気負いこんだフレミングはあわやフライングしそうになり、慌ててスロットルを絞った結果、スタート直後からラグランジュの後塵を拝することとなる。相手の出遅れにラグランジュは、それでも油断を見せることなく着実にチェックポイントを通過していく。いくら「特A++]と言っても、これだけの差は簡単には詰められないはず……
「私は席次2位なんだから」
実技試験でもイッセキと並ぶ「A+」であったからこそ、席次2位なのである。いくらフレミングが踊る赤髪であろうとも、そう簡単には譲らない。インメルマンまではラグランジュがリードしていたが、5連続縦方向スラロームでラグランジュは目を疑う機動を目にすることになった。推力偏向ノズルをリズミカルに操作し、テールを滑らせながらチェックポイントを通過すると同時に最大パワーで立ち上がっていくマルーンの機体が、あっと言う間にラグランジュ機を追い越していく。その異様な光景にリズムを乱したラグランジュは、失格にはならなかったものの対戦相手に大きくリードされたままでゴールラインを通過した。
一方のイッセキは緒戦のファンデルワールス戦、ベスト8のプランク戦を不安なく突破し、準決勝でボルタと対戦する。片やボルタもキルヒホッフ戦におけるシャンデルの修正を完璧にイメージし、万全の態勢で悲願の「イッセキ戦」を迎えていた。しかし、スタート直後からその操縦にどこか固さの見えるボルタは、縦方向ループの時点からやや姿勢があやしく、背面からシャンデルに移っても修正できないでいた。
「イッセキが相手だからと言って……」
理由は自分でも良く分かっており、だからこそ立て直しの効かないボルタであるが、それでもゴールラインにまで到達できたのは席次3位の面目躍如と言ったところであろうか。ボルタの先を行く桃色クルーカットの瞳はしかし、後方の対戦相手ではなく遥か彼方に続く赤髪の航路を追っていた。
こうして「落ちこぼれの特A++」と「A+の首席」による、史上最高の空戦実技競技会決勝戦が行われることとなった。特A++が勝つか首席が勝つか、周囲の事前予想によれば結果は五分五分であった。「第18小隊なんかが勝てるはずがない」と言うものがあれば
「|戦闘機動は席次でするものではないわ」
と桃色クルーカットが反論し、「フレミングは天才だから」と反論する者には
「えへへ、そうかなぁ~。でも、イッセキの航路は無駄が無くて正確だから~」
とシャギーカットの赤髪が対手を高く評価する。百家争鳴の事前予想の中で最も人気の高かったのは桜色の次の一言であった。
「フレミングはムラっ気があるし~勝つ時は大差だけど、負ける時も大差っしょ」
******************************
席次3位のボルタには、首席のイッセキにどうしても勝ってもらいたい理由があった。それは無論、「私に勝ったのだから」という自負の現れでもあり「イッセキに勝つのは自分である」という信念の現れでもあるのだが、それ以上にボルタにはフレミングを許せない理由があった。それはフレミングの機体カラーのことである。
バーラタ航空宇宙軍では、パイロットは愛機に好きなカラーリングを施して良いことになっている。実際、部隊配備されている機体にはそれぞれ「パーソナルカラー」と呼ばれる塗装が施されているものも多い。操縦士指向分隊編成はある意味ではパイロットたる「ヒメ」を偶像化するものであり、むしろパーソナルカラーの採用は軍から積極的に推奨されてもいた。華やかな戦闘機が大空を駆ける様子は国民の軍に対する人気を向上させ、次のパイロットや整備士を募集するのにも都合がよかろう。戦闘機は輸送機と考えるバーラタ航空宇宙軍にあっては、機体をロービジ塗装にすることは不必要であり推奨外なのである。何しろ、視認距離での格闘戦など行われない前提なのだから。
そうは言っても多くのパイロットが、メーカー標準色のグレー単色ロービジ塗装を選択するのも事実である。目立つのは嫌という理由であったり、ロービジ塗装の安心感であったり、理由はそれぞれである。航空士官学校42期生の間でも、多くの同期生の機体カラーは-キルヒホッフとフレミングの2人を除いては、あの認識票をデコったファーレンハイトでさえ-標準色のままである。それでもキルヒホッフはまだ許されるのだ。第18小隊とは言え小隊長のポジションにあるのだし、機体色にはキルヒホッフのゆるふわ金髪をモチーフにしたアンティークゴールドを選択したとは言え、それはマット塗装で目立ちにくいよう配慮されたカラーリングなのである。ところがフレミングの機体はと言えば、これも自身の赤髪をモチーフにしているのはその親友のコンセプトと同じであるが、その仕上はラメ入りキャンディー塗装であった。おまけに親友の髪色をモチーフにしたアンティークゴールドの縁取りまで入れて。このおやっさん自慢のカラーリングは陽の光を浴びてキラキラと輝く正に『アイドル仕様』なのであるが、それはおよそ戦闘機には相応しくない塗装であった。ボルタなどは最初そのカラーリングに目を疑ったものである。「これは囮専用機か?」
パーソナルカラーの採用など、首席であればいざしらず、あるいは小隊長であればまだしも許されようが、「第18小隊の僚機ごときが何を……」。首席のイッセキに対する思いが強ければこそ、標準色のイッセキを差し置いて派手なパーソナルカラーを纏うAMF-75Aの存在が許せないボルタであった。イッセキは「空戦機動は席次でするものではない」等と言うが、ボルタはこう言いたかったのである。
「格闘戦はカラーリングでするものではないわ」
尤も、そんなことを言えばフレミングがこう返答してくることもボルタには分かっている。
「それならボルタもパーソナルカラーにしたら? ボルタの髪のシルクのように気高く輝く青銀色で塗ったら、絶対素敵だと思う」
そしてそれを選択できない自分にも、ボルタは腹が立つのである。
******************************
かつてフレミングに対し「計器を見て操作する」と言ったイッセキとて、計器指示に合わせて操縦しているのではなく、操作結果を計器確認しているのはフレミングと同様である。フレミングの言う通り、計器指示を待っていては反応が遅れるのは当然であろう。特に今回のような難コースにあっては……そもそも、計器に頼りきりのひよっこパイロットでは「A+」の成績など叶うはずもあるまい。イッセキとて、それなりの自負はある。その上でフレミングの天才との差を埋めるべく、日々「首席」と「機付長」は綿密な打合せを重ねてきたのだ。イッセキはフレミング相手に勝てる、と思うほど傲慢ではなかったが、その謙虚さは優等生のイッセキを更に成長させることであろう。
いよいよ決勝戦が開始された。グレーの機体とマルーンの機体が同時にスタートラインを通過する。スタートタイム+0.12秒、349ノット、がスタート時の判定である。桃色クルーカットもシャギー赤髪も、いわゆるゾーンに入った状態と言えようか。スタートから高い集中を見せて縦方向ループに入る。背面姿勢に入るのも同時であればシャンデルまで、まるでコピーしたかのように同じ姿勢、同じ航路であった。続く5連続スラロームからバレルロールを経てインメルマンターンまでアーティスティックスイミングを思わせるような完璧に同調制御された2機のAMF-75Aのリズムに、観戦者達の体も自然に反応する。このリズムが乱れたのは、縦方向スラロームの最初の下頂点であった。
背面姿勢でチェックポイントを抜け降下から180度ロールまで、グレーとマルーンの動作は同調していた。その最下点において、グレーの機体がハイGターンをかける瞬間、マルーンの機体は推力偏向ノズルによるテールスリップを行ったのである。2機の軌道がずれるや否やマルーンの機体はノズルを戻し、その推力の全てを進行方向に振り向ける。AMF-75Aの大推力があって初めて実現できる機動であるが、この機動を行うためには機動制限装置を解除しなければならない。滑走路ダッシュ常習犯のフレミングであったからこその機動であろう。
縦方向スラロームの二つ目の頂点を背面で折り返した時、フレミング機に差をつけられ、このままでは勝てないと認識したイッセキは、意を決したように音声入力で愛機に指示を与える。
「機動制限装置、解除」
途端に、今まで感じたこともないような抵抗を右手のスティックに覚え、同時に機体全体が激しくバタつくのを全身で感じる。
「この機体の本性はこんなにじゃじゃ馬だったのですわね」
体の奥底から感じる恐怖を無視するかのように口を開いたイッセキは、機動制限装置のありがたみを再確認しつつ
「フレミングさんはいつもこんな……」
と、ライバルを思うことで自分を奮い立たせる。確かにこの、少しでも操作を誤ればどこかに吹っ飛んでいきそうなピーキーな機体は、頭よりも先に体が反応しなければ操作できないのであろう。
そのまま最下点のチェックポイントを通り、赤髪のライバルがするのと同じように推力偏向によるターンを試みる。勢い機体を廻し過ぎて上昇角度を誤るが、無理やりマイナスGをかけて調整する。
「うぅぅ……まだ、やれますわ……」
強い意思で意識を繋ぎ留めたイッセキは次のターンに向けて背面姿勢に入る。
「こうなれば、意地でも機動制限装置は入れませんわ」
ループの頂点で推力偏向を使い、先よりは少し上手く機体を廻せたことに多少の自信と理解を覚え、縦方向スラロームを繰り返していく。
「やるなぁ~、イッセキ。私も負けてらんないわ」
対戦相手の機動を横目で見たシャギー赤髪は、更にペースを上げてスラロームをクリアしていく。徐々に両機の差が拡がっていく。やがて先にスラロームを抜けたマルーンの機体がナイフエッジからスプリットSに入る。一方、今や推力偏向のコツを多少なりとも掴んだイッセキは、これまでの3戦では見せなかったような速度でスプリットSに飛び込んだ。通常の機動では速度超過となるような領域でも、推力偏向を使えばクリアできるはず。空戦実技競技会で大きな収穫を得たイッセキであった。
先にゴールラインを超えて水平飛行を続けるマルーンの機体の周囲を、最大パワーで追いついたグレーの機体がバレルロールで飾る。コークスクリューの中心でフレミングは、常にコクピット上面をイッセキ機に向けるようなスローロールを開始する。2回転ロールの後スロットルを最大パワーに入れつつフレミングが叫ぶ。
「いくよ、イッセキ!」
2機は機体の底面を互いに向い合せる形で上昇し、互いに感じ合うその瞬間、2人は同時に叫ぶ。
「バーティカルハート」
即席の曲芸飛行チームとは思えないほどのコンビネーションで決勝進出者達は互いの健闘を称えた後、2機並んで08滑走路に着陸した。




