36.第十章、完
しとしとと降る雨が、国葬の参列者の心だけでなく体をも冷やした。
国王の埋葬は先に済んでいたが、訝しむ者はいない。
クラウディアの実母も患った流行病が起因していた。
貴族の中でも少なくない死者を出したことで、その頃から死者と顔を合わせるのは憚られるようになっていた。病が移るかもしれないからだ。
古くにも、近隣諸国で流行病が猛威を奮った歴史がある。
献花台に花を手向けるのが、故人との別れの儀式として確立されつつあった。
最後に集まった花を空の棺へ入れ、棺ごと燃やすことで、舞い上がる灰に気持ちを託す。
国葬は、そうして終わりを迎えた。
参列者を見送ったあと、シルヴェスターは国王の墓石の前に立っていた。
傍らでトリスタンが傘をさしている。
王妃には先に戻ってもらうよう告げ、クラウディアは自ら傘をさして、シルヴェスターの隣に立った。
「静かなものだ」
傘に落ちる雨粒の音だけが、その場にあった。
シルヴェスターの背中は、結婚式のあとと変わらない。
覗き込んだ顔にも、感情は浮かんでいなかった。
手の平で頬に触れると冷たかった。外気によって冷やされたのだ。
「国王陛下は永い眠りにつかれました」
「そうだな」
「シル、今だけは、王太子の仮面を外してもいいのではなくて?」
あなたは十全を尽くした。
頑張ったのだと、伝える。
「もう息子に戻っても、大丈夫ですわ」
「私は……」
シルヴェスターは、静かに涙を溢れさせた。
一筋の滴に、クラウディアはハンカチを当てる。
「雨で濡れてしまいましたわね」
「っ……」
シルヴェスターは、父親の背中を見習って王太子であろうとした。
現に、役目を全うした。
感情のコントロールに長けた王族として。
クラウディアにとっても、なじみ深い姿である。
(同じ分だけ、渦巻く感情があるのも知っているわ)
時に偏りが感じられるほどのものを、シルヴェスターは持っていた。
それはクラウディアに向けられたからだが、隣国の友人を思う気持ちも嘘ではない。
屈折を抱えていても、夫が全く何も感じない人でないことを、理解していた。
本人が思っている以上に。
「私は、父上を、尊敬していた」
「愛しておられたのですね」
「そうだ、いつだって……っ」
家族だった!
シルヴェスターの心の叫びが聞こえる。
互いの身分や、不器用さが、足かせになろうとも。
父親の愛も、息子の愛も、伝わっていた。
力任せに抱き締められる。
シルヴェスターの震えを直に感じて、クラウディアの目にも涙が溢れた。
奥歯を噛みしめるようにして、シルヴェスターが吐き出す。
「愛していた! ずっと元気で、いてほしかった……っ」
老いには勝てずとも。
どれだけ白髪が増えても。痩せ衰えても。
厳しい目を向けられても、受けて立ったのに。
潤んだ黄金の瞳が、朝焼けを想起させる。
「ディアは酷い。私に感情を自覚させて、どうしようというのだ」
言葉にする前に、クラウディアはシルヴェスターの背中へ腕を回した。
「あなたの全てを受けとめたいのです」
妻として、家族として。
シルヴェスターが、一人の人間に戻れる場所をつくりたかった。
「これからは妃として接する時間が増えるでしょう。それでも常にわたくしが、クラウディアが、傍にいることを忘れないでくださいませ」
「愛する女性を忘れるものか」
額と額を合わせ、互いの体温を確かめ合う。
身分があっても、不器用でも、愛する心は伝えられる。
今までも、そして、これからも。
「二人で歩んでまいりましょう。夫婦なのです。遠慮はいりませんわ」
「そう言われると、調子に乗ってしまいそうだ」
「配慮はしてくださいまし?」
「難しいことを言う……」
ふっと笑って、軽く唇を啄まれる。
甘い空気が漂うのと同時に、呆れた声が続きを遮った。
「僕の存在も思いだしてください」
「まだいたのか」
「誰のおかげで濡れないでいるとお思いで!?」
「ディアの傘がある。もういいぞ」
言い返す気力がなくなったトリスタンは、素直に帰りの馬車へ向かった。
「わたくしの傘だけでは足りないのではなくて?」
「邪魔者がいるより、私は雨に濡れることを選ぶ」
「風邪を引かないでくださいね」
「ディアが温めてくれ。その分、私がディアを温める」
背中に回されていたシルヴェスターの手が腰に下りてきて、クラウディアは強かに叩いた。
「お義父様の前で不謹慎ですわ」
「父上の前だと言われると、さすがに萎えるな」
「そもそも墓地であることを思いだしてくださいませ」
「時に人は、生き死にかかわる場所にいるほど、本能的に子を残したくなるらしい」
嘘か本当か。
クラウディアに確かめる気はなかった。
代わりとして、指先でシルヴェスターの二の腕をなぞる。
次いで爪先で立ち、耳元で囁いた。
「わたくしは、柔らかいベッドの上がいいですわ」
「早く帰ろう」
現金なものだ。
すぐさま踵を返すシルヴェスターに笑いが漏れる。
初夜を迎えてからは、互いにベッドに入るなり眠る日々が続いていた。
シルヴェスターに限っては、執務室で朝を迎えることも少なくなかった。
馬車に乗り、早くルイーゼに会いたいと不貞腐れるトリスタンと王城へ戻る。
「きっとルーも同じ気持ちで、帰らずに待ってくれていますわ」
「だったらいいんですけど」
一秒でも長く一緒にいたいのは、どこのカップルも同じである。
健気にトリスタンを待つ親友の姿は、容易に想像できた。
しかし、王城に着いたクラウディアたちは、動揺する王妃アレステアに迎えられることになる。
「母上、どうされました?」
「ああっ、シル! 大変なのです。あなたの、戴冠式用の王冠が、消えてしまいました……!」
王冠は、新しい者が王位に就く儀式で用いられる。
建国当初から受け継がれてきた年代もので、つくりは素朴だった。
むしろ世代ごとに与えられる王妃のティアラのほうが、宝石で輝くほどだ。
ハーランド王国の王族にとっては重要なものだが、外へ持ち出したとて資産価値はない。
考え得るのは、シルヴェスターの戴冠式を阻止したい者の犯行か。
「どうしてこう、次から次へと」
シルヴェスターが苛立ちげに前髪をかき上げる。
クラウディアたちが休めるのは、まだ先のようだった。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。




