17.悪役令嬢はスタジアムに到着する
まだ早朝だというのに、日差しがギラついていた。
馬車から降りたクラウディアは夏の接近を肌で感じながら、ヘレンがさしてくれている日傘の中に入る。
王家直轄領でハーランド王国の玄関口とも名高い、港町ブレナーク。
その内陸部に位置する町「グラスター」は、王家発祥の地として歴史に名を刻んでいた。
眼前にそびえ立つ巨大建築物を見上げる。
同じように仰いでいたヘレンが感想をこぼした。
「町外れに、これほど大きな円形闘技場があったんですね」
「ほとんど使われずに残されていたなんて、勿体なく感じるわ」
国土の中心へ遷都してから、武芸試合も現在の王都郊外で開催されるため、グラスターにとっては宝の持ち腐れになっていた。
港町に近い立地から、何かに使えるだろうと壊されずにいたところ、リーグ戦の会場として再利用されることが決まったのだ。
クラウディアは、フットボールの競技場――スタジアム――として生まれ変わった会場の案内を受けに来ていた。
案内人は、兄のヴァージルだ。
明日には、記念すべき一試合目がおこなわれる。
商人の後押しもあって、全席指定の初日チケットは完売。別日も残りわずかとなっていた。
縦にも横にも視線を巡らせながら歩く。
円形になるよう配置された何十個ものコンクリート製の大きなアーチが、各階層を支えている様は圧巻だ。
歴史を重ね、くすんだ外壁。
そのうちの一つ、貴族用の出入り口として設けられた巨人の口へ、ヴァージルの先導によってクラウディアとヘレンは入っていく。
「当日は瓶など割れて危険なものは持ち込めないよう、手荷物検査がある」
暴動への対策だった。
陰に入ると空気がひんやりしていて気持ち良い。
「おかげ様で改修の人手は足りたが、芝を敷くのに苦労した」
港で大々的に募集をかけたため、出稼ぎ労働者が効率良く集まっていた。
ただ芝の育成には専門的知識が必要な上、用意する面積が広く、特に運搬が大変だったとヴァージルは語る。
「遠方から運んでいては、試合に間に合わない。近隣のナーセリーでは在庫が足らなくて、王城の庭師に協力を仰いで、予備の圃場から芝生を融通してもらった」
「種から育てるのではありませんのね?」
「ああ、何せ期間がない。芝生はマット状にして運搬が可能でな、スタジアムでは張り芝工法で、他所から持ってきた発育済みの芝生を敷いた」
とはいえ、それで終わりじゃない。
「根付かせても、枯れたら意味がないだろう? 芝生の専門科に、リーグ戦が終わるまで徹頭徹尾、管理してもらう予定だ」
土壌など環境に合わせた育成が必要な上、発育が良すぎたら刈る必要があった。
クラウディアは短く刈られた河川敷のピッチを思いだす。
フットボールのしやすい長さも運営で考えられており、仕事の煩雑さから芝生専用の部署が立ち上げられていた。
石畳の通路を抜け、ピッチのあるアリーナへ出る。
陰から日向へ。
眩しさに束の間、目を焼かれる。
視界が戻ると、一面にエメラルドグリーンが広がっていた。
色褪せた空間から、まるで別世界へ来たみたいだ。
クラウディアを歓迎するように、青々とした芝生の上を風が通り抜けていく。
「良い景色だろ?」
「ええ、素晴らしいです」
細長い葉の一枚一枚が艶めき、足を踏み入れるのが勿体ないくらいだった。
ピッチの中央まで進み、広さを体感する。
左右の端にはゴールネットが設置されていた。ここで本当にフットボールがおこなわれるのだ。
すり鉢状の観客席には、まだ誰もいない。
けれど、明日には全ての席が埋まる。
その光景を――一堂に会し、熱狂する様を――想像して、体が震えた。
河川敷で試合を見たときの興奮が蘇る。
あの感覚を、観客全員で共有する途方もなさ。
光が降り注ぐ観客席を見て、ヘレンは隣で息を呑んでいた。
「明日が楽しみですわ」
「そう言ってもらえて良かった。俺は胃がひっくり返りそうだ」
目の下にあるクマで苦労が窺えた。
「お兄様ならやり遂げられます」
「ああ、シルに罵られるのは勘弁願いたいからな」
「罵るより、冷たい一瞥を送られるかと」
「より想像しやすくするのはやめてくれ」
ダメージが思いのほか大きくて、ごめんなさい、すぐに謝る。
少しでも労えればいいと背中を摩った。
持ち直したヴァージルが訊ねる。
「明日は運営席の観戦で本当に良かったのか? 上から観たほうが、わかりやすいぞ?」
スタジアムは三階席まで設けられており、立派な屋根がある三階が貴賓席だった。
運営席は、ピッチサイドの奥まった場所に設けられている。
選手を観る分には近いが、目線が同じだけピッチ全体を把握するのは難しい。
「はい、お兄様の近くにいるほうが心強いですから」
「うむ、そうか」
ヴァージルから嬉しそうな気配が伝わってくる。
笑みを受けとめながら、クラウディアは緊急の事態に備えていた。
(運営席のほうが、何かあったとき動きやすいもの)
対応を迫られることがあるかもしれない。
クラウディアもヴァージルと一緒に全試合を観戦する。
もしものとき、兄を助けるための配置だった。




