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猫と横浜  作者: のらしろ
第一部 猫に引っかかれて明冶にまいる …

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19/75

第19話 イルサ・ランドさん




 新たな患者


 俺は明日香さんを連れてホテルに戻った。

 最近はだいぶ遅くまで明るくなってきており、夕方になる時間ではあるが、あたりは十分に明るい。

 しかし、一度部屋に戻るのも夕食を摂る関係で面倒だ。


「少し早いが、夕食にでもしようか」


「はい……あら」


 俺達はホテルに入り食堂に向かって歩き出すと目の前には一人の外国人貴婦人が立っていた。


「明日香さん、久しぶり」


 その貴婦人は明日香さんに名前を呼んでから挨拶してきた。

 どうも前からの知り合いらしい。


「え、あ、イルサさんでしたっけ」


「ええ、本当に久しぶり。

 それよりもお隣の紳士の方を紹介くださいませんか」


「え、一様……」


「ああ、明日香さんのお知り合いですか。

 私は金田一です」


「一様ですか。

 私はイルサ・ランドと申します。

 本当に不躾な出会いとなり申し訳ありません」


 俺は、小声で明日香さんに聞いてみた。


「明日香さん。

 この方とは……」


 俺の質問が聞こえたのか、イルサさんの方から説明があった。


「彼女との最初の出会いは、横浜での紳士が集まるパーティーですが、その後はあまり誇れるような知り合いではありませんね。

 明日香さんとは同業者といいますか……」


 イルサさんの説明に明日香さんは補足してきた。

 少し玄関先での立ち話になってしまったが、イルサさんは横浜に来ていたオランダ商人の愛人として二十歳前に横浜に来たようなのだが、わずか数年でその商人宅から追い出されて、このホテルで春を売る商売をしていたということだ。


 明日香さんとは、オランダ商人も参加する横浜で度々開かれる外人を対象とした懇親会で出会ったと言うことだ。


 ふたりとも横浜に来る外人に翻弄されてコールガールになったということだ。

 尤も、ふたりともそれ以前から体を張って生きてきたこともあり、自然の流れといえば言えなくもない。

 これが貴族の令嬢がこのような商売をするまでになるようならば一大悲劇として物語でも書けそうになるのだが、明日香さんの同業者にはそういった方も多いらしい。


 しかし、立ち話であまり歓迎されるようでない話を長々としていたこともあり、よろしくない。

 俺としては少し落ち着いて話したい。

 尤も、それがイルサさんの目的でもありそうだ。


「立ち話もなんですが、そうだ、まだ夕食前ですよね。

 私がごちそうするのでご一緒できますか」


 俺はイルサさんをホテルの食堂に誘った。

 彼女が誰かの御婦人であれば、旦那様を差し置いての食事になるのでNRTだとかで騒がれることもあるだろうが、先程ここホテルで春を売る商売をしていると聞いているのでヘタレな俺でも安心してホテルの食事に誘えた。

 少しハードボイルドぽい展開を期待してなのだが。


「ええ、嬉しいわ。

 ぜひご一緒させてください」

 

 俺達は、そのまま食堂に入りいつものように食事を始めた。

 食事をしながら、本題に切り込んでいく。


「それで、イルサさんは明日香さんにどのような御用があるのですか。

 あ、私が聞いているとまずいようならば早々に私は切り上げますが」


「いえ、ぜひ一様にも話を聞いてほしくて、今回不躾ながらお二人をお待ちしておりました」


 そう言って、彼女が話し始めた内容は、昨日ラウンジで明日香さんと話し込んでしまった梅毒についてのことだった。


「たまたま私がラウンジに向かった時にお二人の話が聞こえまして、ぜひ相談したくこのようなことに」


 イルザさんはそう言って、自身の健康状態を話し始める。

 それは、梅毒患者の典型的な症例で、手のひらに発信が少しあり、発熱もあるという。

 あまり、食事をしながらの会話にはふさわしくないこともあり、話を一旦切り上げて、俺の部屋で聞くことにした。


 彼女は、俺達がかなり大声になってしまったが、梅毒について治療中であるように話していることを聞いて、自分も治療してもらえないかと頼んできた。

 しかし、いきなりの治療と言っても、まだ準備すらできていない。

 そこで俺は、彼女に俺達の現状を話した。


「私はこの国の医者でもなければ学者でもありませんので、私のこれから言うことが合っているかは知りませんが、梅毒は現在この国では治療方法がありません」


「ですが、あなた方は昨夜……」


「ええ、わたしたちの会話が聞こえていたのならば隠しておく意味がないのでお話しますが、あなたの言う通り明日香さんは梅毒に感染しておりました。

 彼女は幸い、感染してからそれほど時間が立っていないこともあり、治療については時間的に猶予があります」


「では、治療していると……」


「それは微妙ですね。

 たしかに私はこの国でも梅毒の治療ができる環境を整えようと準備を始めたばかりですが、まだ研究は始まってもおりません」


 彼女はかなり真剣に治療について食いついてくる。

 よくよく話を聞くと、彼女は梅毒にかなりの知見を持っていた。

 彼女を日本につれてきた商人の弟さんがオランダで医者をしており、彼自身が梅毒に罹患して慌ててオランダに帰っていったことらしい。


 その際、かなりオランダ商人の家では大騒ぎになり色々と調べもしていたとのことで梅毒について相当詳しく知っていた。

 不治の病として彼女自身も理解していて、最近自分のその梅毒に感染したようだと自己診断をした矢先での俺達の会話を聞いたのだそうだ。


 先のオランダ商人の弟さんも不治の病とは理解はしていてもドイツやフランスには 細菌による病気の研究が盛んで、もしかしたらと急ぎ帰った経緯がある。


だから彼女は俺が同じように研究をして、その治療方法を見つけたと勘違いして頼み込んできたのだ。

俺は最初に彼女に誤解を訂正していく。


「申し訳ありませんが、あなたが考えているような研究は始めてもおりません。

 ですが、あなたがご自身で診断したものが正解なのかを私が確認することはできます。

 その上でお話しましょうか」


 俺の提案に彼女は素直に従って、すぐに俺の前で全裸になった。

 こういう商売をしているので、男の俺の前で裸になることに抵抗感が少ないのだろう。

 それでも恥ずかしそうにはしていたが、これがこの時代でもなくとも淑女ならばここですったもんだもあろうかということだが、そういう意味ではいらない手間はない。


 俺は、最初に女性器の周りを調べるとすぐに見つけた。

 発疹というやつか、PCで調べた時に写真があったがそれに近いものだ。

 その発疹の一部が敗れて液が漏れていたので、俺はそれをピンセットで少しだけ取り出して、プレパラートの上に乗せた。


 これは後で調べるが、その後は俺の時計を使ってバイタルのチェック。

 体温に血圧など。

 血糖値は関係無さそうなので、この時には調べてはいない。



*****


 一応診察の真似事をしていたのだが、イルサさんは驚いている。

 まだ、俺のような診察はどこでも行われていないようだ。


 少なくともここ横浜でも江戸からの町医者のそれとあまり変わりがないらしい。

 症状を見て、聞いて、調べるにしても脈拍くらいで診察しているとのことで、体温や血圧なをは調べないらしい。


 それに何より、その体温と血圧を調べるのが俺の持っていた健康腕時計だけでの話なので、驚くのも無理はない。

 まあ、明日香さんは既に毎日のようにしているので、全くどうじていない。


「イルサさん。

 私の見立てでも梅毒に間違いはありません。

 それに、この症状を見る限り第二期であると思われます」


「第二期?

 なんですか」


「梅毒にお詳しそうなので既にご存知とは思いますが、簡単に梅毒の症状の変化に着いて説明しますね」


 俺はこう言ってから家庭の医学書で仕入れた豆知識を説明していった。

 彼女は俺の説明を聞いて更に驚いている。


「一様の言われるようなことの半分も知りませんでした。

 なんですか、一度治ったようになるとか、そういえば私の仲間にも治ってから再発してすぐに……」


 イルサさんの言う人は第三期に入り症状を重くして亡くなったのだろう。

 家庭の医学書にも第三期には色んなところに菌が周り最悪亡くなると書いてあった。


 ごくごく稀にだが、自然治癒もあるのでその限りではないが、まずこの世界では梅毒は不治の病として一部の間では有名になっている。

 だからこそ、明日香さんもそうだが、イルサさんの怖がり方も納得がいった。


「イルサさんは、もうしばらくすると一旦症状が無くなるか、軽くなるようになりますが、これは先に言う通り潜伏期に入りますので、すぐにでも治療は必要です」


「でしたら、お願いできませんか。

 私は何でもいたします。

 それこそ一様の奴隷になっても私は生きていたい」


 イルサさんはそう言って泣き出した。

 治療はできなくもないが……

 すると明日香さんも俺にお願いしてきた。


「私だけが治療されて助かるのは、少し……」


 明日香さんはイルサさんの治療ができるのならば治療させて欲しいというのだ。

 まあ、その考えもわからなくもない。

 それほど親しくもなくても、知人が放っておくと死ぬとわかれば、それも治療の可能性があれば尚更だ。


「判りました。

 イルサさん。

 明日香さんと同じ条件での治療はしてみましょう」


「お願いできるのですか……」


 そう言ってイルサさんは更に泣き続けた。

 彼女が落ち着くまで待ってから、俺は条件などを話す。

 そう、俺の仕事の手伝いをさせる代わりに春を売る仕事から足を洗わせるということだ。

 拠点もできたことだし、今後の生活を拠点で一緒にしてもらうことなどを話して、今日は解散しておいた。


「明日、朝にもう一度ホテルに来てください。

 できれば、この後俺達の屋敷に向かいますので、そこで生活をしてもらいます。

 治療は、明日そこで行いますので」


 翌日も、朝明日香さんと一緒に食堂で朝食を済ませるとロビーには既にイルサさんが待っていた。

 俺は明日香さんに、イルサさんを連れて屋敷に先に行くよう頼んだ。


「一様は、何を」


「ああ、昨日街で見つけた品物を買ってから向かおうかと思ってな」


「それなら、私も……」


「イルサさんがだるそうなので、買い物に付き合わせるのも可愛そうなので、今日は俺だけで買い物をしてくるよ」


「そうですか……」


 明日香さんはまだ何かを言いたそうにしていたが、俺の言う通りイルサさんは朝からだるそうにしているのが見えたのか、すぐに俺の言うことを了承してくれた。

 俺はホテルのフロントで車夫を呼んでもらい、二人を人力車に乗せて送り出した。


 その後、もう一度部屋に戻り、応急治療セットだけをリュックに入れてから関内に向かった。

 この間街歩きをした時に見つけたシャーレなどガラス製品を少し買うためだ。


 リュックを背負い、関内のイギリス人商店を目指す。

 関内のちょうど真ん中あたりの一番場所の良さそうなところに目指す商店は合った、

 看板にはベーカー商店と日本語と英語で書かれてある。

 朝一番と言っても10時近くになって入るが、店は開いているので遠慮なく中にはいっていった。


 日本人の店員が俺を見つけて簡単に挨拶をしてきた。


「個々にあるガラス商品を見せてもらいたくてね」


「学者様でしたか」


 店員は、扱っているガラス製品の使い方を簡単ではあるが理解しているようで、まず一般人には用のないことは理解していた。

 そう、最近になりヨーロッパあたりでやっと盛んになってきている細菌研究には必需品となるそれらの品々だが、売り先は主に大学などの研究機関なだけあって、俺のことを学者かなにかと勘違いしていた。


 俺と店員が話していると奥から店主が出てきた。

 店員がさきほど俺のことを学者とか言ったのが聞こえたようだ。


「hello! ……」


 やばい、急に英語で喋りだした。

 俺はつたない英語で返事をするのがやっとだ。

 それでもどうにか意思は通じたのか俺はここでシャーレを10個程買うことができた。

 店員に屋敷まで運んでもらえるというので、俺は頼んでから店を出た。


 とにかくこのあたりでは日本語よりも英語などの外国語のほうが幅を利かせるようだ。

 海外から、特にヨーロッパ各国から来ている商人の店のほうが品揃えが良い。

 俺がこれから始める事業もそういうヨーロッパから物を仕入れないとできそうにないので、外国語は必須になる。


 だが、明日香さんがスペイン語ならば日常会話程度だが話せるようで、イルサさんに至ってはオランダ語に英語も読み書きまでできると聞いている。

 そういう意味では、二人を俺の配下に置けたことはこれからのことを考えるとこれ位以上にない幸運だと言える。


 俺はイギリス人商人の店、たしかベーカー商店だったが、そこを出た後に、次に必要なものを探しに一旦関内を出た。


 そう、細菌研究で必要な寒天を探している。

 海に近いこともあるので、乾物屋でもあれば見つかりそうなのだが、俺は追う考えて、前に明日香さんに連れてこられた野木山まで足を伸ばして寒天を探した。





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