1話 レッソルの後片付け
レッソルは22歳(銀河標準単位、以下すべて同じ)の大学助手だった。だったというのは、昨日付で休職扱いとなったためだ。休日の今日は机周りの整理のために研究室を訪れていた。机の整理といっても約1年後には大学に戻ってくるため、愛用の文房具類などの環境はそのまま残しておいてもらえるので、家に持ち帰る荷物は少ない。
「おはよう、レッソル君」
「おはようございます、教授」
教授が部屋に入ってきたので挨拶を交わす。昨日はレッソルの壮行会が研究室関係者で行われ、教授もお酒を結構呑んでいたが、体調は問題なさそうだ。いつもは理性的な教授にしては飲み過ぎたが、アルコール分解薬服用のおかげで悪影響は残っていない。
「昨日は結構呑んでいらしたようですが、大丈夫そうですね」
「ああ、さすがに昨日は分解剤を飲んだよ。君が抜けた後の研究をどう進めるか、考えなくてはならんからな」
「それは、申し訳ありません」
教授は上機嫌な顔だったので、別段皮肉を言ったわけではない。レッソルがそれだけ優秀だったと言いたいだけだ。
「まあ、実際には使節船ともネットワークがつながっているので、リアルタイムに情報のやりとりはできる。そんなに困らんよ」
レッソルが今後1年職場となる使節船には、直接情報ゲートがつながっているわけではなく、データの往復に約7秒のタイムラグが生じる。ヴァーチャル会議をするには微妙な時間だが、メールのやりとりなら何の問題も生じないだろう。
「ただ、派遣先の情報については優先的に取ってきてくれるだろうから、我々研究室の研究データがたくさん集まって、忙しくなるだろう。期待しているよ」
「いやー、まあ頑張ります」
教授は冗談半分で言ってるのだろうけど、目が笑っていない。レッソルは曖昧に受け止めて、後は笑って受け流す。教授も使節団への参加希望を以前からずっと出していたため、レッソルへのやっかみも多少ある。ただし、妻子ある教授の身で1年間帰宅を許されぬ出張は厳しい。実質的には軍艦でもある使節船への搭乗には色々と制限が加えられるが、使節船への缶詰状態が約1年続くというのが一番のネックだった。
「最近はますます派遣先ネットへのデータ取得要求が通らなくなってきているからな……」
教授はぼやきながら奥の個室へと消えていった。
派遣先データの取得は、当初はテレビやラジオなどの通信を傍受しての解析が主だったが、すぐに通信衛星へのハッキングが成功し、ネット情報の能動的な収集が可能となった。派遣先の大陸間データ通信は海底ケーブルによるものが99%以上を占めるが、衛星通信もまだ行われている。通信衛星にとりついてのハッキングなど、銀河連邦の科学技術力を持ってすれば造作も無いことだった。
派遣先のネットデータは、使節船の人工知能が膨大なデータ取得要求を元に優先順位を決めて取得し、その内容を丸々コピーした仮想ネットを銀河連邦ネット上に作って公開している。派遣先の歴史などを研究する者は銀河連邦中に増え続け、かなりの人気分野となっている。よって、他の研究者を出し抜いて新しいデータを取得したいと要求しても、多くの研究者が要求するメジャーなデータの取得が優先されてしまう。
ただし、使節団員は別だ。使節団員は個人で好きに派遣先ネットにアクセスする時間が割り当てられるため、出身母体の研究所と示し合わせてマイナーなデータを収集し、いち早く研究して発表することが可能となる。
ちなみに、派遣先ネット内のハッキングは禁止されている。派遣先と銀河連邦との間に国交が結ばれた後、違法なデータ収集をしていたことが露見すると大変だ。しかし、現在の派遣先で使われている暗号(巨大な数値の素因数分解)は、銀河連邦の技術レベルだと暗号としてまったく役に立たないため、実際には秘密裏にハッキングを行っているという噂は絶えない。
すでに荷物のまとめは終了しており、今日はその最終見直しとして研究所に顔を出したが、やはり持ち帰るべき荷物はなかった。しかし、何も持ち帰らずに家に帰るのは癪だったので、愛用の万年筆を持ち帰り、使節船に手荷物として持ち込むことにした。科学技術が派遣先よりも大幅に発達した銀河連邦においても、文字を手書きする機会はなくなってはいない。しかし、資源の限られた使節船内では、その機会はほとんど無いだろう。しかも、管理が面倒な万年筆を持ち込む団員は過去にもいなかった。
「ふぅー、万年筆を持って家に帰るか……」
レッソルは独りごちると、研究室を出た。
大学のキャンパスはかなり広いので、超空間ゲートは4つも設置されている。惑星上に存在するこれらの物理ゲートは、すべて恒星系内に閉じたゲートだ。恒星間の超空間ゲートは、惑星から1銀河標準宇宙単位(およそ1,550万km)も離れたところにしかない。情報しか通さない情報ゲートであれば、恒星間ゲートが惑星上にも多数ある。ただし、その場所は秘密となっている。
レッソルが所属する研究室から大学内の最寄りのゲートまでは、500m程度歩く必要がある。学内の無人タクシーを呼んでも良いのだが、このような開放的な環境下を歩く機会はしばらく訪れなくなるため、のんびり歩くことにした。
少し歩くと売店がある。休日で人通りもまばらだというのに、有人の売店だ。
この社会では、生活に必要な物資はすべて無人の工場で生産されるため、ほとんどの人間は働く必要がなくなってしまった。企業家や政治家、研究者、技術者などの、ごく一部の職業だけが必要とされており、それらは天才や秀才と呼ばれる人々で占められていた。ほとんどの人々はベーシックインカムのみでも暮らしていけるが、売り子などのサービス業や、半分趣味のような農業や工芸品作製を職業としている人々が多数を占めている。もちろん芸術家やスポーツ選手などの、巨万の富を稼ぐ人たちもいた。
「やあ、ギーギー! オレンジジュースのMサイズを一つください」
レッソルは売り子に声をかける。売り子の名前「ギーギー」は本名ではない。売り子として働いているロボットらしき物体の名前が「ギーギー」という設定になっている。政府は職業不足を解消するため、サービス業の無人販売には大幅な規制をかけており、この販売店ももちろん対象だ。よって、ギーギーは本当のロボットではなく、ロボットのふりをした人間の、いわゆるコスプレだ。自動販売機には強力な規制があり、人間のふりをするロボットも同様に規制がかけられているのだが、人間がロボットのふりをするのは規制できない。いわゆる表現の自由の範疇となっていた。
「ハイ、れっそるサン。マダ大学ニハ来ラレルノデスカ?」
合成音っぽい声で返答するギーギーだが、これは中の人が頑張って出している生の声だ。当初は合成音をあらかじめ何パターンか作っておいて、接客に利用しようとしていたのだが、自動販売を規制する法律に引っかかってしまった。人間にできることをコンピューターにさせてはいけないという、失業対策のために出来た法律だ。変声機で声を変換する場合も、本人が声を客の目の前で出す必要があるため、元の声も客に聞こえてしまう。そのため、ギーギーの中の人はロボっぽい声を生で出せるように頑張ったのだ。
こんなことを色々頑張ってもお金にはならないが、ベーシックインカムがあるために、ギーギーの中の人は無駄なことをやる余力はある。店の売り上げが増えても、売り子の時給は上がらない。ギーギーの中の人は自己満足のために頑張っているのだ。その頑張りのおかげで、この売店は割と注目度が高く、メディアの取材も何度か訪れているし、平日であれば売り子の時給を払った後でも小売店としての儲けは出ているようだ。たいていの小売店は、失業対策としての補助金無しでは存続し得ないので、注目をあびる貴重な店となっていた。
「今日で最後だよギーギー。それにしても、僕の名前を知っているとは光栄だ」
「先週ノ学長主催ノ壮行会ニ、私ノますたーガ参加シマシタ。アナタハ学内ノ期待ノ星デス。ドウカオ体ニオ気ヲ付ケテ、任務ヲ成功サセテクダサイ」
ギーギーのマスターというのは、実際にはギーギーの中の人のことだ。彼はこの大学の学生だったが、機械工作が得意だったため、このバイトをロボコスプレで始めたのだ。バイトにのめり込みすぎて学業がおろそかになり、成績不振で中退した後もバイトを続けていた。大学進学率は2%程度と非常に狭き門だが、それでもエリートと言われる職業への就職率は高くない。さらに大学を無事に卒業するには、高校で天才と言われていた若者でも、かなりの猛勉強が必要だ。
ジュースをレッソルに渡すと、ギーギーは手を振って送り出してくれた。手を振り返して売店を離れ、少し離れたところで振り返ると、ギーギーは直立不動の姿勢で待機状態となっていた。じっとして動かないというのもパントマイムの技にあるが、誰も見ていない状況でもそれを実施するギーギーの中の人のこだわりには脱帽するしかない。




