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 空には欠けた月。

 わたしはスマホを耳に当てていて、

 すぐそこに野田の家があって、

 野田がこっちを不安げに見ていて、


「阿左美さん……?」


 と彼はいった。

 わたしは、借りていたスマホを彼に返した。

 流れていた涙を手の甲でぬぐった。ついさっきのことなのに、それを流したのがずいぶん昔のことに思えるほど、今見た一瞬のイメージは鮮烈だった。


 さっき電話で、父に「死ね」と吐き捨てた。

 父は「はい」と答えた。

 そして電話が切れ、リダイヤルをしても、父は出なかった。わたしのなかに、罪悪感と焦りが巻き起こった。  


 けど、……それと同時に、かすかな疑念も芽生えていた。


 その疑念は、すぐにはっきりとは言葉にできなかったけど、代わりに、リアルなイメージとなってわたしを襲った。

 そして今、ふたたび冷静になって考えると、……やはりおかしい。


「阿左美さん……、お父さんは」


 野田がいった。

 わたしは、彼に、そして自分にも語りかけるようにいった。


「人って、そう簡単には変われないよ」


「……」


「あいつらはもう、お姉ちゃんを犠牲にしてる。すでに一度、やってしまっていることを、わたしが逃げたぐらいで反省して心を入れ替える理由がどこにある?」


「……」


「ないんだよ。今戻れば……まちがいない、わたしは捕まる。そして強引に売られて、抵抗する気力と意味を根こそぎ奪われ、あいつらの都合のいいように一生、働かされる……」


「そうかも……しれない」


 と野田はいった。


「人間は……そういうところがある。阿左美さんのお父さんがどう、とかではなくて……人間は、完璧じゃないから……」


 かすかに逸らされた野田の目は、今ではなく、彼自身の体験した昔に向けられているように思えた。


「あ、いや、でも」


 と、これはわたしの悪い癖で、たった今まで確信を持っていたことでも、同意してくれる人が見つかるとなんだか安心して、


「実際全部、勘違いかもしれないけど」


 とか言ってしまうのだ。


「え、でも」


 と返す野田に、


「まぁ、嘘くさいのは確かだし、人が簡単に変われないのも事実で、それをこっちが信用するのが馬鹿げてるってことは変わらないけど、でもまさか、戻ったら即捕まって売りにだされるなんてことは、現実にはそうそうないだろうと思うから」


 注射で眠らされて、目が覚めたら裸で撮影、とかを想像したのが今更ながら恥ずかしくなってきた。


「だから……」


 とまでいって、わたしは口をつぐんだ。

 だからといってどうしたらいいかわからない。

 さっきのが過剰な妄想だったとしても、今帰るのは不安だ。

 じゃあどうする。現実問題、今日、どこに泊まる?

 野田の家? いや、なんか泊めてくれそうな雰囲気ではあるけど、そこまでするのも……。


「俺が……話してみようか」


 野田が低い声でぼそりといった。


「え」


 と思わず返した。


「一人だから……不安なんだと思う。それに、一人だから、相手にも、いいようにされる……。二人なら……。こっちが二人だと、相手に知らせれば……」


 そ、そうか。

 仲間がいないのといるのとでは、向こうの対応も違うはずだ。


「すごい。頭いい。野田くん」


 すると彼はすばやく顔を背けた。


「べつに、こんなの……。阿左美さんには、世話になったし……」


「え、世話なんてしたっけ、わたし」


 覚えがまったくない。

 学校で彼との接点なんて、まるでなかったと思うんだけど。

 話したのも今回がはじめてで。


「……いや、いいよ。行こう」


 野田は歩き出した。


「あ、ごめん、わたしの家こっち」


 と反対側を指さすと、野田は、俯いて前髪で顔を隠しながら戻ってきた。



 おんぼろ一軒家の前についた。

 玄関からも、窓からも明かりは見えず、人のいる気配がまるでなかった。

 心臓がきゅうっと締め付けられる感じがした。


「お、おとうさん……。やっぱり…………死……」


 また罪悪感や焦燥感が湧き出てきた。

 悠長に徒歩で移動してる場合じゃなかった。

 一刻も早く、中に入らないと。


 隣の野田がいった。


「阿左美さん……待ってて。俺……ひとりで見にいく」


「え、いや、わたしも」


 すると野田がわたしを見た。

 その顔に浮かんだ緊張感は、わたしとはまったく別のものに見えた。


「俺が……いく。話をつけてくる」


 彼は歩きだした。

 ずんずんと、普段より男らしい歩調で塀の前までいった。

 そして、きょろきょろと頭を動かして、……たぶんインターホンを探しているのだろうけど、そんなものはうちにはない……。諦めて玄関の引き戸の前に立つと、ノックをした。ガラス戸が揺れるジャンジャンというような音が聞こえてきた。

 それから数回、彼はノックして、引き戸に手をかけた。

 戸は開いた。まさか開くとは思っていなかったようで、野田はこちらを一度ふりかえったが、手で再度制止する仕草をしたあと、中に入っていった。


 次の瞬間、引き戸がすごい勢いで閉まった。


 見えなくなった玄関から、物音がきこえた。

 靴が床に強くこすれるような音。服同士がこすれあうような音。

 かすかだが、力強い、激しい動きを感じさせる音たち。


「なっ、なんだ君は」


 という声がした。

 そして玄関に灯りがついた。


「ここは、他人の家ですよ。いたずらかい?」


『マネージャー』の声だ。

 明るくなった玄関には、三人の人影がうつっている。


「だめだよ、こんなことをしたら」


 今度は父の声だった。


「警察にいうこともできるんだよ。もうやめなさい」


 そしてガラス戸が開いた。

 わたしはとっさに走って、道の電柱の陰に隠れた。


 野田が、青ざめた顔で歩いてきた。

 二の腕を手でおさえていた。

 思わず彼を捕まえて、それを暴いた。


 小さな赤い傷があった。


「注射された。幸い、刺されただけで……中身は入れられてない」


 その声をきいた瞬間、あたまがぐらぐらした。

 それからどうやって彼と帰ったか、覚えていない。

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