第65話 湯治場視察
まずはこの世界の湯治場がどんなものか視察することにした。ミリーナを伴ってザファルティアに転移。
ダンジョンの街だけあって、湯治場は冒険者風の老若男女で混雑している。休み処らしきホールを闊歩する毛むくじゃらの半裸男たち。眉を顰めるクッコロ。
「ここってもしかして混浴とか?」
「開湯当初は混浴だったようですが、今の領主が風紀にうるさい方なので男女別ですよ。昔バルマデル病が蔓延した際、混浴の湯治場が槍玉に挙げられたらしいです」
(バルマデル病……そういや前世にもそんなのあったな)
所謂性病の一種だ。
「まぁこの街には大きな色里があるので、汚名を着せられた感がなきにしもあらずですけどね」
「なすりつけ、追い落としの類いか。いずれにせよ世知辛いね」
番台で勘定を済ませ、露天風呂や蒸し風呂のある区域へ進む。利用料は一人頭リムリア銅貨五枚だった。
「思ったより庶民価格だね。お風呂は王侯貴族の嗜みって聞いたから、もっと高額なのかと思ったよ」
「冒険者ギルドが協賛してますから、安く抑えているんだと思います。生傷の絶えない稼業ですから、冒険者の利用客が多いようです」
すれ違った湯治客が立ち止まり、声をかけてきた。
「あら? ミリーナじゃない? やっぱりそうだ」
「あなたは確か……エミリー。奇遇ね」
「お久しぶり。いつこっち来たの。またザファルトの顎に潜るのかしら」
「ちょっと湯治にね。連れがいるから失礼するわ」
「クッコロちゃんじゃない。ミリーナのパーティに入ったの?」
「その節はお世話になりました」
以前ポーターとして同行したパーティの治癒士で、金級冒険者のエミリーだった。
「マースやジルは元気にしてるの?」
「二人とも死んだわ」
「……そう。惜しいわね。二人ともいい腕だったのに」
冒険者をやっていれば死別はよくある話だ。深く追及しないのが業界のマナーだった。
(ミリーナちゃんのパーティ仲間だったっていうケット・シーだろうな)
「これから温泉? 上がったら食事でもどう? 情報交換もしたいし」
ミリーナがクッコロの意向を目で問うてきたので頷く。
「分かったわ」
「メリンズたちと食堂にいるから声かけてね。じゃあまた後で」
「ふぃ~体の芯から温まった。やっぱ温泉いいね。井戸水沸かしただけのお湯とは違うよ。定期的にここ来たくなるな」
「あたしは蒸し風呂が好みでした」
「蒸し風呂もよかったねぇ。オータムリヴァにも造りたいな」
「露天風呂のほうはぬるぬるしてちょっと苦手です。でも、肌は確かにしっとりしますね」
「アルカリ鉱泉水の乳化作用なんだろうね。まさしく天然の化粧水だなこれ」
なにそれおいしいの的な顔のミリーナ。
「そういえば、クッコロ様とエミリー顔見知りだったんですね」
「少し前エリクシルの素材集めでザファルトの顎に潜ったんだけど、そん時メリンズさんのパーティにポーターで雇ってもらったの。いい人たちだったよ。ミリーナちゃんはどういう知己なの、彼女たちと」
「一時期ザファルティアでも冒険者活動してたんですが、何度か彼女たちとクエスト合同で受注したことありまして」
「ふむふむ」
「この後の会食ですが、クッコロ様は身分を窶された方がいいような気がします。どういたしましょうか」
「そだね……うちの国今内乱の真っ最中だし。ノルトヴァール伯がここいらウロチョロしてたら問題かもね。じゃあこうしよう。あたしはミリーナ先輩のパーティの新入りって設定でどう?」
「了解しました。それでいきましょう」
大まかな設定を摺り合わせ、食堂に向かった。
「壮健そうで何よりだ。あんたに背中預けるのはわりと気分良かったよ、ミリーナ」
「あなたも元気そうで何より、メリンズ」
「クッコロも久しぶりだね。火蛇騒動の後、あんたを探してたんだよ。正式にうちのパーティに勧誘しようと思ってさ。ミリーナに先に唾つけられたか。残念」
「はぁ」
「それにしても普段覆面してて正解だね、あんた。こんな美少女がダンジョンうろうろしてたら、エロ男どもにすぐかどわかされちまうよ」
食事中なので封魔の頭巾は外していた。そういえば、メリンズのパーティに素顔を晒すのは初めてかもしれない。
「お世辞にせよ、美少女なんて言われたの初めてっすよ」
当人に自覚はなかったが、アルヴァントという絶世の美少女を知るクッコロの審美眼はかなり厳しい。
「みんな気付いてっか。さっきからスケベそうな野郎どもが、こっち注目してやがるぜ」
メリンズの妹ロゼッタが揶揄い気味に指摘。
「クッコロちゃん効果かしらね」
「いやいや、ありえませんて。女子冒険者が集まって歓談してるから目立ってるだけですよ。たぶん」
冒険者業界は非情なほど実力主義なので、女だから競争上不利だとか、女だから殺し合いで手加減してもらえるなどと言う事もない。ちやほやされるとすれば技能に長けた者や実績を積んだ者で、性別は一切考慮されない世界だ。実際、【波動使い】や【幻影双剣】といった女性の強者も数多いる。
「実は拠点を変えようと思ってるのさ。最近リスナルやエスタリス拠点にしてた冒険者どもが、大挙してこっちに流れ込んできてるからね。ザファルトの顎はいっつも混雑してて、上がりも美味しくなくなった。深い階層はあたしらの実力じゃまだきついし」
「中原の情勢あんなんだしね。そりゃ冒険者も商人も逃げ出すわ」
「ミリーナは旅慣れてたから助言もらえるかなーと思って声かけたのよ」
「なるほど」
「最初はリスナル行こうぜって相談してたんだけどよ。魔族の内戦で向こうはキナ臭くなってるだろ。じゃあいっそ魔皇国から出て、リグラトかロンバール目指すのもありじゃね? ってな具合なんだよ。なぁ、どこかお勧めのダンジョンあったら教えてくれよ、ミリーナの姐御」
腕組みして思案するミリーナ。
「一ヶ所いいところがないでもない」
「ほんとか! 何処だ?」
身を乗り出すメリンズパーティの面々。
「ノルトヴァール諸島って知ってる? エスタリスの南西二百公理ほど沖合にあるんだけど」
「酒場で噂を聞いたね。未踏破ダンジョンが発見されたって島だろ。けっこうヤバめの魔物が徘徊してるって話じゃないの」
(もうザファルティアにもオータムリヴァ島の話伝わってるのか。さすがは冒険者の情報網というべきか)
感心するクッコロ。
「どうやってその島に渡るの? 船便もまだないって聞いたけど」
頬に刃創のある弓使いパトリシアが言った。その情報を把握しているということは、意識的に下調べしたということか。
「エスタリスの冒険者ギルドか商業ギルドで聞き込みすれば、移民募集の情報を教えてくれるわ」
「行ってみてもいいんじゃない? エスタリスはマーティス海航路の要衝。リグラトやダルシャール沿海の諸都市にも定期船があるし、選択の幅は拡がると思うわ」
「行くならリスナルの一帯は迂回したほうがいいわよ。今はオークの勢力圏で関所の検問厳しいみたいだから」
ミリーナの忠告を受けてあれこれ行程を議論するメリンズたち。
「よし、ザファルティアを引き払ってエスタリスに向かうよ。最終目的地はノルトヴァール諸島のダンジョン島だ。みんな身辺整理に取り掛かりな」
「おうよ」
(オータムリヴァ島です。妙な渾名付けないでくださいな……)
エスタリスから不定期便を運航している竜爪団のリュートル宛と、オータムリヴァ冒険者ギルドのギルマスに就任したランタース宛に紹介状を認め、メリンズに渡しておいた。ささやかだが便宜を図ってもらえるはずだ。
「さて、温泉も堪能したし、あたしらも帰りますかね。伯爵業とお養母さん業の残業山積みだろうし」
「いえ、本日のクッコロ様の予定は全てキャンセルしてあります。夜まで羽を伸ばしていただいてかまいませんよ」
「ミリーナ先輩かっけーす。有能な秘書みたい」
「アルヴァント陛下が亡くなられてから、クッコロ様はだいぶ無理をされているように見受けられます。今日くらいは静養してください」
思わず苦笑。
「じゃあ折角来たしダンジョンで遊んでく? 確かここ、金級とパーティ組めば木級も普通に入洞できるみたいだし。まぁダメっつっても転移するわけですが」
「お付き合いしますよ。メイド業で体が鈍ってたので、あたしも久々に冒険者したくなりました」
「結界玉でざっと見たけど、深層には他の冒険者いないよ。思い切り暴れよ」
「いえ、クッコロ様が本気で暴れるのはさすがにちょっと……」
アルヴァント魔皇国、リグラト王国、ロンバール王国の国境が接するゼディーク高地。ただし地図上の国境線は曖昧で、実質三国の緩衝地帯となっている。申し訳程度の国境警備隊がそれぞれの主張する国境からかなり奥まった砦に駐屯していたが、仕事熱心な警備兵などほとんどいなかった。何か事が起こりまかり間違って外交問題に発展しても、彼らの利得は皆無だ。暗黙の了解として、庶民の越境は黙認される。運悪く警邏中の兵士に遭遇しても、この地では袖の下がきわめて有効だった。
なにしろ居住に適さない過酷な土地だ。そんなゼディーク高地ではあるが、いくつかの村が点在している。不羈奔放な開拓者、訳ありな出奔者、お尋ね者――国家の支配を嫌う人は一定数いて、そういった人々がこの辺境に流れ着き定住していた。
三国の領主や役人たちも、この地の村々に隷属を強要したり、無理矢理徴税するようなことなしない。緩衝地帯の重要性を弁えているからだ。
だが、無法地帯をよいことにのさばる連中も出てくる。
「自警団は皆殺しにしろ。見せしめってやつだ」
「ヒャッハーッ!」
「お頭、女ども攫っていいすか」
「ほどほどにしとけよ。根絶やしはダメだぞ。また肥えてきた頃食うんだからな」
「へっへっへ、合点承知でさぁ」
喜び勇む手下。火の手が上がる家々のほうへ駆けていった。
冒険者崩れの頭目ルマーゼン率いる盗賊団『紅雪党』。ここ一年ほどゼディーク各地の開拓村を荒らしまわり、国境を跨いで追捕を振り切るので、各国の国境警備隊も手を焼いていた。
「さて、俺たちも金目の物漁りに行くか」
何かが飛来してルマーゼンの足元に転がった。今し方駆け出して行った手下の首だった。戦闘態勢を取る盗賊たち。
「何だテメェ……オーガか」
巨大な戦斧を担いだ筋骨隆々の大女が、悠揚迫らぬ様子で歩いてくる。厳冬期というのにレザーアーマーだけの軽装で、露出した赤銅色の肌には所狭しと魔法文字の刺青が彫られていた。額には二本の鋭い角。
「ち。めんどくせえのがいやがるな。用心棒の冒険者か」
オーガ女が答えた。
「べつに用心棒ってわけじゃあないが、この村には一宿一飯の恩義があるもんでね。つうわけで死ねや」
「野郎ども油断すんな! ありゃ強ええぞ」
ルマーゼンの注意喚起は無駄に終わった。一瞬の後、ルマーゼンを含む三十人余の盗賊たちは両断されて地面に転がっていた。純白の雪原がみるみる赤く染まっていく。
(な……何が起きた?)
「うふふふふ――らしい死に様で本望だろ、紅雪党とやら」
薄れゆく意識下、ルマーゼンはオーガ女を凝視した。事ここに至ってオーガ女の正体に見当がついた。全ては後の祭りだったが。
(まさか、ロンバールの【呪印斧】か……くそったれ、なんだってこんな化け物が、よりによって今日ここにいやがるんだ……)




