第63話 魔将マルヴァース
「侯爵殿下。こちらにおいででしたか」
国主といえども陛下と呼ばれることはない。リムリア大陸東方にあって陛下の敬称が用いられるのは、既に滅亡して久しいフォルド連邦総統ただ一人だった。
東方諸国の君主たちは、フォルド連邦時代の爵位に準拠した国号を称するのが常である。仮にも独立不羈の元首なのだから、皇帝や国王を僭称する者が現れてもよさそうなものだが、そうした先例は皆無だった。ゼラール皇帝やリグラト国王と対峙してきた東方の覇者フォルダリア家が、二番煎じを嫌って総統の尊称を用い、皇帝や国王の称号を忌避した影響と言われる。
執務室にやってきたのはメルジックの実妹で、バルシャーク侯国魔法軍団長のソルヴィート。
「ソルヴィートか。魔皇の子供たちの消息は掴めたのか?」
「はい。位置確認に手間取りましたが、所在は判明しております。港湾都市エスタリスの沖合に群島があります。その中の一つ、オータムリヴァ島と呼ばれる島に避難したもようです」
「聞くだに不可解な話だな。皇都リスナルからはかなりの距離であろう」
「リスナルに潜入していた手の者から、魔道具による念話で報告が寄せられました。粉雪のちらつくリスナルから、瞬時に常夏の南の島へ移動させられたと。やはり転移魔法か、それに類する新技術と考えます」
「その昔、ゼラールの名将アルネ元帥が行使したとされる伝説の魔法か。事実ならばきわめて脅威だが、同時に敵の迂闊さも明らかだな。我が国の間諜を篩にかけず、避難先に連れて行くとは」
「リスナルの住民を無差別に強制転移させているようです。人口も多い事ですし、煩雑な身辺調査など端から想定していないのでしょう」
「よし、念話にて手の者どもに指令を下せ。機を見て魔皇の子供たちを排除せよとな。せっかく目障りな魔皇が消えてくれたのだ。魔皇国には今しばらく内輪揉めを続けてもらわねばならん」
眉を顰めるソルヴィート。
「不服そうだな。そなたは優秀だが感傷的でいかん。敵にかける情けなど百害あって一利なしだぞ。考えてもみよ。魔皇の子供などが健在であれば、早晩旗頭に担ぎ出され、行く末四分五裂の魔皇国を一つに纏め上げかねん。将来の禍根は早めに取り除くに如くはなし」
「……はい」
ソルヴィートは生まれつき魔法の才に恵まれ、いずれ東方随一の魔法使いと謳われるドルティーバに肩を並べるだろうと嘱望されていた。
八歳にして西方のセルメスト魔法学院に留学し、在学中に魔術士から魔律使、更には魔道師への開闢を成し遂げる。在学中の二段階開闢は、学院の長い歴史の中でも数例しか存在しない快挙だった。開闢とは魔法使い界隈の用語で、より高次の魔法使いへのレベルアップを意味する。
卒業して帰国後、弱冠二十歳にして魔法軍団長を任され、自分より優れた魔法使いなど今の世に存在しないと若いソルヴィートが自惚れたのも無理からぬ事であろう。
そんな彼女の自尊心を打ち砕く出来事が、魔皇アルヴァントとの出会いだった。外交使節団の一員としてリスナルを訪問しアルヴァントに謁見した瞬間、格の違いというものをまざまざと思い知らされた。
(魔皇の魔力は魔道師の私を遥かに超えていた……あの方は、ここ数世紀出現していないと言われる魔行匠かもしれない)
九次元の魔法階層魔行匠の上には、十次元の魔導司や十一次元の魔創神等が存在するとされるが、この領域になると神話や伝説の類いで実在は疑わしかった。
そんな世界有数の大魔法使いがあえなく殺害されたという。
(誤報ではないの。魔皇が斃される姿など想像できないわ)
その疑惑に至る理由が転移魔法だった。
(何万もの人々を、いちどきに千公里以上の遠隔地に転移させる……ありえない。人間業じゃない。私は言うに及ばず、ドルティーバやリグラトの宮廷魔法士団長、魔法学院長にもこんな真似は不可能だ)
ソルヴィート自身が専門家だからこそ、その魔法の異常さがよくわかる。
(皇都リスナルで何らかの変事があったにせよ、実は魔皇が健在で、敵対者を焙り出すための虚偽情報という可能性も排除しない方がいいわね)
ソースの定かでない情報に踊らされ、魔皇の子供に手を出して敵の逆鱗に触れるのは危険な気がした。
(兄上をお諫めするべきだろうか……)
オーク軍を撃破した後、一旦エスタリスに入城したカルマリウスとルディートの軍勢。結界玉でそれとなく彼らの動向を見張っていたクッコロは、両将軍が軍装を解いた頃合いを見計らってエスタリスに転移した。
カルマリウスとルディートは既に味方であることが明確なので、アルトナルとの談合もスムーズに進んだようだ。
「次は誰のところを回るの?」
「面会がまだなのはマルヴァース将軍とクノッチ将軍です。ファンタム将軍もですが、あの方は所在不明ですし」
「クッコロが転移魔法で送迎してくれるなら、私も同行しようかしら。北方の状況も見ておきたいし」
カルマリウスがそんなことを言い出した。ルディートが承諾する。
「構わんぞ。ワシは留守番しとる。寒いところは苦手じゃからな」
「寒いのは苦手という割に、ご老体はいつも薄着じゃないの」
「そりゃなぁ。ワシみたいなデカブツが着られる服は、この特注チュニックしかないからな。ワシらの種族は被服に金がかかって仕方ない。お前さん方の何倍も布地や糸を消費するでの」
「ずいぶん吝嗇な物言いね。ご老体は古参の魔皇国貴族で、我が国有数の権門勢家の当主じゃないの。お金は腐るほどあるでしょうに」
「ワシの小遣いなど微々たるもんじゃ。貴族歳費の大半は孫や曾孫たちにくれてやるからの」
「戦場では死と破壊を撒き散らすあなたが、家庭では好々爺そのものとはね」
「子孫はかわええぞ。お前さんも早う身を固めて世継ぎを作らんか。泉下のシャールランテが嘆いておるぞ。それとも、誰ぞ意中の男でもおるんか」
話題の雲行きが怪しくなってきたので、名うての戦術家カルマリウスはさり気なく転進を図った。
「北方は夜になると冷えるわ。日が高いうちに移動しましょう」
アルトナルが所持していた地図の精度はいまひとつだったが、結界玉で事前調査した甲斐あって、マルヴァース将軍の駐屯するサンディール要塞はすぐに見つかった。城門近くに転移扉を開いて着地。
「クッコロ。リスナルでは、あなたの弟さんに世話になったわ」
「弟?」
「ウェルス・リセール君」
「ああ」
(即席でそんな設定拵えたんだっけ。うっかり襤褸出さないよう気を付けなきゃ)
「彼、なかなか出来るわね。剣閃を素手で止められたのは初めてだわ」
どういう心境の変化か、あれほど毛嫌いしていたクッコロに対してやけに友好的に話しかけてくる。
(てきとうにリップサービスしとくか)
「綺麗なおねえさんに斬られかけてドキドキしたって言ってましたよ、弟」
「戦場での出会い頭だったしね。まぁその節は失礼したわ。お詫びの印に今度食事を奢らせてちょうだい。あなたから弟さんに伝えておいて」
「まぁかまいませんけど。あたしも同席してもいいんですかね?」
(同一人物だから同席なんて無理なんだけどさ)
露骨に嫌そうな顔をするカルマリウス。
「野暮な姉貴ね。こういう場合は気を利かせなさいよ」
城将の執務室へ通され、少年のような魔将と挨拶を交わす。
「ようこそサンディール要塞へ。僕がこの城を預かってるマルヴァースだ。御前試合の時以来だね」
「その節はどもです」
メーベルトとの御前試合の際、審判を務めたのが彼だ。ぶつくさとぼやいている姿が印象に残っている。
「カルマリウスもお久しぶり」
「御無沙汰。ここ久しぶりに来たけど、相変わらず辛気臭い場所ね」
「ゼラール帝国時代の監獄を改修して造った城だもの。風光明媚な保養地って訳にはいかないよ。ここ、確か君の初任地だっけ?」
「そうそう。まだ初々しい新兵の頃よ。ここは志願者少ないから、配属も即決だったわ」
「この要塞勤務を志願する物好きは、今日日なかなかいないだろ」
意外にも、カルマリウスは兵卒からの叩き上げらしい。貴族で名将シャールランテの孫と聞いたので、てっきり幹部候補生よろしく士官からのキャリアスタートかと思っていた。
(二十歳くらいに見えるけど実際のとこ何歳なんだろ? カルマリウスさん。サキュバスもけっこう長生きらしいから、もしかしておばさんどころかおばあちゃんてことに……)
クッコロが失礼な想像に耽っていると、カルマリウスがジト目を向けてきた。勘の鋭い女だ。
「……何か?」
「……別に。不愉快な視線を感じただけ」
マルヴァースがカルマリウスに訊ねた。
「君ん家のお祖母ちゃん、昔サンディール監獄に投獄されてたらしいな」
「そうよ。我が家とは所縁のある場所だもの。母も妹もこの地から魔皇国軍人の経歴をスタートしているし、フォルダリア侯爵家の伝統になったと言っていいんじゃないかしら。たぶん私の娘もマルセラスの娘も、軍人を志すなら同じようにするんでしょうね」
表向きサキュバスが生む子は女子だけということになっているが、実際には稀に男子が生まれるらしい。即ちインキュバスだ。そうした子供は忌み子と呼ばれ、闇に葬られる因習らしい。
「おや、君やマルセラスに娘がいたとは初耳だ。いつ結婚したんだい?」
「仮定の話よ馬鹿! 私は独身だから。勘違いしないで。――特にクッコロ。ウェルス君に余計な情報を吹き込まないようにね」
「へいへい」
重点的に釘を刺された。
フォルド連邦滅亡後、残党を率いて転戦しつつゼラール帝国に最後の抵抗を続けていたというシャールランテ・フォルダリア。
(フォルドの姫将軍さん、ベルズ陛下に捕まって処刑されるすんでのところ、アルちゃんが救出して配下に加えたとか言ってたな)
前世のクッコロ・ネイテール存命中も、サンディール監獄は多くの政治犯が収容され、陰鬱なエピソードてんこ盛りの旧跡だった。
(地球だったら有名観光地なってそう。バスティーユ牢獄の遺構みたいな感じでさ。アルちゃんと姫将軍が主役の歌劇とかも創られそうだよね。あ、でもそれだとあたしのベルズ陛下が悪役になっちゃうな……)
一通り社交辞令が済んだところでアルトナルが居ずまいを正し、訊いた。
「さて、急な訪問の趣旨は書状の通りです。マルヴァース閣下の御返答や如何に?」
「返答も何も、君らの陣営に与するよ。僕も大概ひねくれてるから、強い連中と戦ってみたい気持ちもあるけどね。まぁ今回は胸に仕舞って、陛下の仇討ちに奮励するさ。ただ、ガルシアの気持ちも少しは分かるんだ。僕自身、大昔アルヴァント陛下と戦って軍門に下ったクチだしね」
「へぇ、そうだったんだ。あなたも若い頃はヤンチャしてたのね」
「若気の至りは誰にだってあるだろう。かれこれ五百年も前かな。あの頃僕は竜骨山脈に蟠踞する群雄の一人でね。リカントロープ族のラジールやサイクロプス族のルディートたちと喧嘩三昧の日々だった。まだ魔皇国なんて影も形もなくてさ、メーベルトもシャールランテも生まれてなかったんじゃないかな」
「五百年前だと私も生まれておりませんな」
アルトナルが言った。この中で一番若そうなマルヴァースが、実は最年長だったらしい。
「ある時三人連れの傭兵が、僕やラジールやルディートを討伐しにやってきた。三人とも恐ろしい強さだったよ。当時まだ冒険者ギルドは設立されてなかったけれど、今の基準に照らしても、あの三人は確実に神金級以上だろうな。そのうちの一人が、魔法戦士アルヴァントさんだった」
「面白そうな話ね。陛下が昔流浪の傭兵だったというのは聞いていたけど。陛下のパーティだったって言う他の二人はどんな奴なの?」
「確かリチャードという吟遊詩人と、メアリという盲目の女剣士だったかな。二人とも陛下に勝るとも劣らない化け物だったよ。正直、連中とはもう二度と遭いたくないな」
「あなたにそこまで言わしめるの? それにしても……若かりし頃の陛下と互角だとしても、ちょっと信じ難いわね。そんな人間存在するのかしら?」
「人間じゃないかもよ」
何故かちらちらとクッコロを盗み見る一同。クッコロはまたクッコロで、別の想念に囚われていた。
(なんかやたら聞いたような名前が飛び交ってるけど……)




