第56話 血染めの産衣
季節は移ろい冬がやって来た。壮麗な魔皇宮殿もうっすらと雪化粧をし、情緒をいや増している。
数日前、魔皇アルヴァントが双子を出産した。兄はアーベルト皇子、妹はメルヴァント皇女と命名され、魔皇国政府から布告がなされた。魔族における多胎は、生まれた順番ではなく、魔力の多寡で長子を決める習わしがあるらしい。
(なんかやっつけ仕事感あるネーミングだね。まぁ分かり易くていいかもだけどさ)
その日はクッコロにとって、魔将カルマリウスの凱旋式典以来となる久々の参内だった。嬰児たちを見せたいということでアルヴァントに呼び出されたのだ。
「待ちかねたぞ」
出迎えたアルヴァントを見て愕然とする。
「え? アルちゃん……大丈夫なのそれ?」
かつての玉の肌、絹の髪から瑞々しさが損なわれ、見るからに憔悴しきっている。わけてもクッコロの目を引いたのは、今にも絶え入りそうなアルヴァントの魔力だった。
「子供らが妾の想定よりも大器なのが嬉しゅうての。つい魔力の割譲を張り切ってしまったのじゃ。まぁ半年もすれば魔力涵養も済むであろ」
「半年間も弱体化したままって危なくない? アルちゃんみたいな要人は、常に命狙われるでしょうに」
ライセルトの警告がどうも心に引っ掛かる。
「心配性じゃな。警備体制は通常よりかなり厚くしておるぞ」
確かにそこかしこで立哨にあたる牛頭の近衛兵たちは、みなそれなりの気配を纏っている。選りすぐりの精鋭なのだろう。それでもメーベルトやドリュースの姿がアルヴァントの傍らにないことに、いつになく不安を掻き立てられた。
「皇配殿下は?」
「憲兵総監に面会を求められての。引見に出向いておる」
「憲兵総監って、オークの魔将さんだっけ?」
「さようじゃ」
偏見かもしれないが、魔将ガルシアにはあまりいい印象がない。彼は人間抑圧派の急先鋒らしく、実際皇都近隣の住民に過酷な圧政を布いている。
魔皇国の魔族は人間に宥和的な者が多いが、例外がオーク族とリカントロープ族だった。ゼラール帝国の昔、竜骨山脈の蛮族としてとりわけ苛烈な征討の矛先を向けられたのが、大人口を擁するオーク族とリカントロープ族だったらしい。そうした歴史的な怨恨も尾を引いているのだろう。
「んじゃ、【首狩り】さんは?」
「あの者は既に妾の眷属ではない。契約を上書きして子供らに譲渡したからの。今はアーベルトとメルヴァントを人知れず護衛しておる」
(あの人いるなら少しは安心か)
「そんなことより子供らに会ってやってくれ。こちらじゃ」
奥まった居室に通され、ベビーベッドで眠る嬰児たちと対面。
「アーベルト。メルヴァント。クッコロばあやが見舞いに来てくれたぞ。この母の友達じゃ」
「……ばあやって、何気にひどくない? あたしまだ十六歳の女の子なんですけど?」
この世界に召喚されてからけっこうな月日が経過しているので、十七歳になっている可能性もなきにしもあらずだが、日本の暦が不明なので十六歳のままという屁理屈だ。誰も困らないのでこのまま押し通す方針である。
「すまん。そなたが老成しておるゆえ、実年齢を失念しておったわ」
ベビーベッドを覗き込む。
「うわぁ、ちっちゃ……ヤバい、めっちゃ可愛いんですけど」
「そうであろうそうであろう」
ご満悦のアルヴァント。
「こりゃ成長が楽しみだねぇ。とんでもない美少年と美少女になるんじゃない?」
「まぁ妾とメーベルトの子じゃからの。見目麗しくはなるであろ」
「早速親馬鹿ぶりを遺憾なく発揮してますね」
「まあの」
ドヤ顔で微笑むアルヴァント。何気に美人の自覚はあるらしい。
「頬っぺたぷにぷにだねぇ。あばばばば」
一頻り赤子たちをあやした後、暇乞いした。
「なんじゃ、慌ただしいの。もう帰るのか? 積もる話もある。ゆっくりしていけ。茶を飲む時間くらい取れるであろ」
「あ~ごめん、領地開発の件で業者と打ち合わせあるみたい」
「いくらでも待たせておけ。そなたはノルトヴァール伯じゃぞ」
「長命種のアルちゃんと違って、短命な人間の時間は貴重だからねぇ。時は金なりって格言もあるくらいでさ。仕事やっつけてからまた来るよ」
「そう言う事であればやむを得ん。晩餐は同席致せよ」
「うん」
アルヴァントが相好を崩した。
「なんだかんだ言って領主が板に付いてきたの」
「ディアーヌさん不在の穴埋めようってんで、みんな頑張ってるからね。あたしだけのんべんだらり出来ないよ」
「真面目じゃの。妾など基本国政は閣僚どもに丸投げじゃぞ。案外妾より国主に向いておるのではないか?」
肩を竦めるクッコロ。
「あたしが王様なんかやったら、どんな強国も衰退一直線じゃない? まぁディアーヌさん復帰するまでは勤勉な振りするよ」
「ディアーヌの復帰を見据えておるということは、例の霊薬素材集めが捗っておるのか? 確か世界樹の葉と混沌魔晶石が未収集だったと記憶しておるが」
「それがねぇ、紆余曲折あって残りは闇魔晶石ひとつになったの」
「ほう……この短期間でよくぞ稀少素材を入手したものじゃ。数年かけて取り組むクエストになるかと思っておったが。混沌魔晶石など一体どうやって手に入れたのじゃ。晩餐の席で聞かせてもらうぞ」
「あー……うん」
アルヴァントもまた世界有数の魔法使い。探究者の性として、霊薬エリクシルの素材などという好奇心を触発される話題には、当然食いついてくるだろう。
(ライセルトさんの事ぼかして説明しないとな)
転移間際に声をかけた。
「何かあったら念話ちょうだいね。すぐ駆けつけるから」
「心強いの。では妾の魔力が戻るまで面倒を見てもらうかの」
会議の名目は、皇城の警備体制についての意見交換とのこと。メーベルトが会議室へ入ると二人の魔将が出迎えた。
「遅参つかまつった」
「これはメーベルト殿――いや皇配殿下とお呼びするべきですな。お忙しいところ恐縮千万」
憲兵総監たるオークの魔将ガルシアが恭しく言った。近衛軍司令にしてミノタウロスの魔将クランヴァルトは無言で一礼。
「社交辞令はよろしい。疾く会議を進められい」
ガルシアが周囲を睥睨した。
「これより魔将同士で軍機に関わる談合を致すゆえ、副官の諸君には席を外してもらいたい」
メーベルトとクランヴァルトが各々の副官たちに目配せ。
「次の間に控えておれ」
「さて、皇城警備の要たる御両所に御足労願ったのは他でもない」
勿体付けた咳払いひとつ。ガルシアが円卓の上に乳白色の欠片を二つ置いた。
「御両所が陛下のお側近く侍っていては、事を仕損じる恐れがあるのでね」
「? おぬし何を言っておる」
首を傾げるクランヴァルト。武勇に優れ忠義に篤い男だが、やや愚鈍なところがある。
乳白色の欠片から猛烈な妖気が噴出した。危険を察知したメーベルトが抜剣。一切の躊躇なくガルシアに斬りかかる。竜人の骨格を彷彿とさせるスケルトンが妖気の中から現れ、メーベルトの斬撃を受け止めた。
「なっ? メーベルト殿の剣を受け止めるだと」
「クランヴァルト。ガルシアを斬れ。謀反だ」
「よく分からんが応!」
もう一体の竜人スケルトンが現れ、ミノタウロスの巨漢と戦闘に入る。クランヴァルトの舌打ち。
「こやつ、手強い……メーベルト殿やルディート老と立ち合っているようだ」
「並みの竜牙兵ではないな」
竜牙兵を構成する骨には摩訶不思議な紋様がびっしり描かれている。戦闘力は瞠目すべきもので、メーベルトがほぼ互角。クランヴァルトはやや押され気味であった。
増援を呼びたいところではあるが、次の間からも剣戟の音や怒号が聞こえる。ガルシアのことだ。こうして蹶起に及ぶからには、配下のオーク兵たちが周到に皇城の要所を押さえているだろう。
「拙者が二体抑える。クランヴァルトはガルシアを」
最適な戦力配分を瞬時に割り出し、指示を出すメーベルト。
「承知」
「ふん、笑止千万」
竜牙兵の攻勢が激しさを増し、防戦一方となるクランヴァルト。背後に回り込んだガルシアの剣が、クランヴァルトの胸を貫いた。切っ先に刺さる魔石核。吐血して斃れるミノタウロスの巨漢。
「すまんな、クランヴァルト。貴様の愚直さ、嫌いではなかったぞ」
「騙し討ちに磨きがかかっておるな。そのほうの父祖は清廉な武人だったが」
二体の竜牙兵と熾烈な戦闘を繰り広げつつ、ガルシアの動きをも牽制するメーベルト。
「何とでも言え。綺麗事で大望を成就することは出来んからな。アルヴァント陛下や貴様のような化け物を凌駕するためには、奸計だろうが卑劣な手口だろうが手段を選んではいられんのだよ」
血振りして剣を鞘に納め、踵を返すガルシア。
「貴様はここで竜牙兵と遊んでいるがいい。私はアルヴァント陛下の首級を頂戴しに行く。陛下を斃せば、眷属の貴様はなすすべなく滅びることとなろう。さらばだ」
「何やら表が騒がしいの」
「様子を見てまいります」
侍女の一人が部屋を出ようとしたところ、ミノタウロス族の近衛兵がただならぬ様子で駆け込んできて片膝ついた。
「緊急事態につき無作法ご容赦を」
「何事じゃ。騒々しい」
「宮中にて変事が出来いたしました。魔皇陛下におかせられましては、至急退避のご用意を」
眉を顰めるアルヴァント。厳重な警備下で避難が必要なほどの事態とは何か。
「そちの話は要領を得ぬ。具体的に報告いたせ」
アルヴァントの叱咤に爆音が重なった。立て続けに起こる爆発。殿宇が震撼し、粉塵が周囲に立ち込める。
「魔皇陛下、皇子殿下、皇女殿下をお守りせよ!」
訓練された近衛兵と侍女がアルヴァントと赤子たちの周囲に集まり、人垣を形成した。粉塵をついて現れる三体の竜頭スケルトン。
(あれは……竜牙兵? 何じゃ、あのでたらめな妖気は)
瞬時に敵の危険性を看破するアルヴァント。魔力が万全の状態であれば、三体相手でも余裕で戦えるだろう。が、今のアルヴァントでは一撃食らっただけで致命傷を負いかねない。
近衛兵たちが竜牙兵の制圧を試みるが、鎧袖一触に蹴散らされ死傷者が増える一方。
「ドリュース、出会え!」
「はっ」
赤子たちの眷属となった【首狩り】ドリュースがどこからともなく現れ、竜牙兵三体を魔力糸で搦め取る。魔力を纏った手刀で魔力糸を寸断する竜牙兵たち。短い攻防の間に彼我戦力を分析した様子。冷静な具申。
「陛下。やつがれでは一体の掣肘が精々かと。三体相手では程なく戦闘が破綻いたしまする」
「念話でメーベルトを呼んでおる。しばし遅滞戦闘に努めよ」
「御意のままに」
メーベルトから返ってきた念話は、かなり衝撃的だった。魔将ガルシアの謀反。魔将クランヴァルトの戦死。強力な竜牙兵二体に足止めされ、速やかな赴援が困難との事。
(ガルシアめ。彼奴の造反は織り込んでいたが、準備状況からあと半年は先と見積もっておったわ。読みが甘かったか……妾も焼きが回ったの)
反省は後だ。今はアーベルトとメルヴァントの安全を最優先で確保しなければならない。念話で頼りになる友達を呼ぶことにする。
『クッコロ、すまんがすぐ来てくれ。襲撃を受けておる。助けてくれ』
『――分かった。すぐ行く。場所はアルちゃんの執務室?』
『いや、先程そなたが来た子供部屋におる。あっ――』
竜牙兵の一体がドリュースの拘束を振りほどき、ベビーベッドに突撃。立ちはだかった侍女たちが殴られ、無惨な肉塊となり果てる。辺りに充満する血の臭い。アーベルトとメルヴァントが号泣した。巨大な手刀を振りかぶる竜牙兵。
「させぬ!」
咄嗟に赤子たちへ覆いかぶさるアルヴァント。その華奢な背中に、容赦なく打擲が降り注いだ。飛び散る血で、純白の産衣がみるみる赤く染まっていった。




