春乃の家で待つ人は
「あら?」
お父様が運転する車で璃玖と共に自宅へと帰ると、誰もいない筈の我が家に光が灯っていました。宮成の屋敷を見た後では小さな、と言い表す程度の敷地の我が家ですが、それでも家族三人が住むには大きく、少数だけの集まりでしたら催すことの出来る広さと造りになっています。
一応、という言葉と共に屋敷と呼べるだろう我が家で家内を滞りなく整えるのには人の手がどうしても必要で、春乃家では数人ではありますが家事を手伝ってくださるメイドに来て頂いています。宮成家を始めとして、住み込みで24時間用を言い付けることの出来る使用人を雇っていらっしゃる御宅もよく話には聞きますが、我が家では遅くとも夜の9時までという通いの者のみです。
家の中に灯る明かりに時計の時間を確かめましたが、家に帰るまでに何度か確かめたものから予想通りに針が進んだ、9時半を指しています。それを考えれば、もう家の中には誰もいない筈。
今日、会場に向かう前に準備を手伝って貰った時に、「お嬢様達の御帰宅をお待ち出来ないなんて、明日まで気が気ではありません」と彼女達は言っていました。早くにお母様を失った私や璃玖にとっては幼い頃から居た彼女達は家族のような人達で、でも彼女達にはちゃんと自分達の家庭があるのですから遅くまで無理をさせる訳にはいきません。朝早くから来て貰い朝食の準備まで行ってくれる方まで、私達が出掛ける時間まで残ってくれていた事はあまり彼女の体の為にも良い事では無いのですし。
何があったのかちゃんと教えるから、と残って待っていると言おうとした彼女達を璃玖や彰子姉様が説得してくれたので、彼女達が中にまで居るとは考え辛い。
「あぁ、彰子ちゃんだよ」
「彰子姉様?」
用がある。頑張る。と仰って会場に残った彰子姉様がその何かを終わらせて、私達の帰宅を家で待っていてくれた、という事なのでしょうか。
でも、それなら…
「大分お待たせしてしまったのでは無いのでは…」
宮成の家を出た後、お父様の提案で三人で久しぶりの、本当に久しぶりの揃っての外食をしました。事前に予約を入れていたんだ、という幼い頃に時折訪れていた御店で楽しい時間を過ごす事が出来ました。ですが、彰子姉様の用というものがどれ程の御時間で終わったのかは分かりませんが、その時間の分だけお待たせしてしまったのでは、と不安になります。
「あぁ、大丈夫。ちゃんと、食事をして帰ることは前もって伝えて置いたから。というよりも、ゆっくりと楽しんできて、と言ってくれたのが彰子ちゃんなんだよ」
好きに寛いでいて、と彰子姉様に伝えたから大丈夫だとお父様は言うのですが、それでもこんな遅くまで。
「彰子姉さんなら、暇を持て余すってことは無いだろうから大丈夫だよ。それに…」
「それに?」
「ほら、二人共。早く中に入ろう」
璃玖が何か考えることがあるようで言葉尻を小さく濁しました。
玄関の前で立ち止まり、考え込む璃玖とそれを首を傾げて言葉の続きを待っていた私に、車を停めたお父様が玄関を開け、家の中に入るように促したのです。
「おかえりなさい」
扉越しの小さな物音が漏れてくるリビングへと足を踏み入れた私達を出迎えたのは、お父様が仰った通りリビングのソファーで寛ぐ彰子姉様でした。
ソファーに腰掛け、ドアを開けて足を踏み入れた私達に背を向けていた彰子姉様は、満面の笑顔を浮かべて振り返りました。おかえりなさい、という温かな出迎えの言葉を彰子姉様は口にしてくれましたが、私も、そして隣を見れば璃玖も、その言葉に「ただいま」という簡単な言葉も返すことが出来ませんでした。
彰子姉様からテーブルを挟んで向かい合わせとなっている揃えのソファーにあった、居るなどと想像もしていなかった二人の御客様の存在に、返事を忘れる程驚いてしまったのです。
御客様の内、御一人のことは私も存じ上げている方でしたから、尚のこと。
「鳳凰院春日先輩に、観堂伊織先輩、ですよね?」
璃玖は、その鳳凰院様だけではなく、その隣に腰掛けていらっしゃる女性のことも知っていたのですね。問い掛けるように名前を口にしていますが、その声に戸惑うものは含まれていないように聞こえました。
鳳凰院様はクラスこそ違いますが、同じ学年にいらっしゃる方で。成績優秀な方なのだということを、順位という形で常に貴一様と名前を並ばせていることから知っています。
観堂伊織様と璃玖が呼んだ方は申し訳ないことに御名前も御顔も存じ上げてはいませんが、それは私が周囲を見渡すことも出来ずに日々を送っていたせいなのでしょう。先輩と言うのならば、璃玖とは学年が違うのだということで、それでも知っているのなら学園でも有名な方なのでしょうから。
「前橋さんの言葉に甘え、留守中に断りも無く、それもこんな夜分にお邪魔させて頂いておりました。怜泉学園三年、鳳凰院春日です」
「同じく、怜泉学園三年の観堂伊織と申します」
驚いている私と璃玖、そして私達の後ろに立っている御父様に向かい、お二人は腰掛けていたソファーから立ち上がって頭を下げられました。
「いや。彰子ちゃんの方から、ちゃんと連絡を貰っていたからね。透子、彼等は君に話があるそうだよ」
「私、ですか?」
御父様はそう仰ると、私が居ては楽に話も出来ないだろうから、とそのまま二階にある書斎へと上がっていきました。
「前橋先輩、隣に失礼させて頂きます」
私達が呆気に取られている間に、観堂様が手前にある彰子姉様が腰掛けていたソファーに素早く移動されました。テーブルに置かれていたカップも御自身と鳳凰院様のものと共に動かされていました。
「春乃さん。色々とあり御疲れの所にきて不快に思われるかも知れませんが、どうか話を聞いて頂けないでしょうか」
「後日伺いたいと言ったのを、私が無理矢理連れてきたの。話を聞いてあげてくれないかしら?」
鳳凰院様が一度は上げた頭をまた下げられ、そして彰子姉様も「お願い」と仰られて。何か重要な事が、あの後会場であったのか、と思うと例えどれだけ疲れていようと断ろうとは思わなかったでしょう。
「はい。私も、あのように場を荒らしてしまった後のことは気になっていましたから。お聞かせ頂けますか?」
「勿論です。ありがとう、春乃さん」
「ありがとうございます、春乃様」
席の移動を終わらせた観堂様、そしてその隣に移動なさった鳳凰院様に御礼を言われ、なんだか居た堪れない思いが生まれました。私が計画した事ではないとはいえ、それを事前に止めることも、他の場所で終わらせることの出来たことなのに、生徒達全員にとっては大切な思い出になる筈だったあの場所で、それを台無しにしています一端を担ったのは自分なのに、と思うと、御礼など言われる立場ではないのに、と。それに、呆気に取られてしまっている間に終わってしまったことではありますが、御二人を下座に移動させてしまうなんて、と今更気づいたのです。
「いいえ。前橋先輩の御言葉に甘え、春乃様が御帰りになるまではと、座らせて頂いただけでも心苦しいことでしたから。自分達の身の可愛さに貴女の苦境をただ傍観していた私達が、この春乃の御宅で上座を使わせて頂くなど許されることではありません」
「何処に座るか、で三十分くらいは戦ったのよ?いい暇潰しになったからいいけど」
お茶を淹れ直してくるわね、と彰子姉様は何の説明もしてくださらずに部屋から出て行ってしまいました。
これに困ったのは、私だけではありません。鳳凰院様も観堂様も、どう話を切り出そうか、と思っていらっしゃるるのでしょう、表情を濁らせていました。きっと、私も同じ表情になっていると思います。向かい合わせに腰掛けた中、多分実際の時間では数分も経っていない、それでも長く感じた沈黙を破ってくれたのは、璃玖でした。
「鳳凰院先輩は何となく、いらっしゃった理由は予想がつきますが。観堂先輩がいらっしゃった理由の予想はつきませんね」
どうして、あの、観堂伊織先輩が?
沈黙を破ってくれたのは本当に有り難いことなのですが、璃玖のその物言いは少し、含みがあるように聞こえたのは私だけでしょうか?
「まぁ、璃玖様にまであんな話を知られてしまっていましたのね。お恥ずかしいわ」
恥ずかしいと頬を赤く染められた観堂様は可愛らしいという言葉が本当にお似合いな方に思いました。そんな方の、あんな話とは?気になり、それを知っているのだという璃玖に視線を向けて聞いたのですが、眉間に皺を寄せた璃玖は「姉さんは知らなくていい話」と教えてはくれませんでした。
「私がお邪魔しましたのは、以前から前橋先輩と個人的に親しくさせて頂いて居りましたので、前橋先輩に促されてお邪魔することになった彼の付き添いとしてです。勿論、私も春乃様に御詫び申し上げたかったということもあったからですが」
「彰子姉様の?」
「はい。彼、鳳凰院君とは所謂幼馴染と言われる関係になります」
彰子姉様の御友達。そんな方が同じ学年にいらっしゃるとは思ってもみませんでした。どうやって出会ったのか、観堂様の事を知れば知る程、気になるが増えていきます。ですが、それを尋ねるのは観堂様が手で指し示された鳳凰院様の御話をお聞きした後。そう考え、観堂様に向かっていた顔を鳳凰院様へと向けました。
「まず、ダンスパーティーについて。あのまま何事も無かったように開催する事は、どう考えても無理なことだったので、日を改めて開催するか、しないかの点から、後日また話し合いを行った上で決めることになりました。あれは授業の一環ですので、極力開催する方向で話は進むと思いますが、また一から準備を整える予算の有無や、裏方として準備を進めてくれた生徒達の理解、この後に控えている体育祭に学祭といったイベントとの調整、それらによっては開催しない可能性も出てくることになると思います。」
「それは…」
「ですが、春乃さんがあの時点で止めてくれなければ、そして偶然にも中心人物であった二人が退席する事態になってくれなければ、あれが公式のものとして記録に残る事態となっていた。それを思えば、私達生徒は春乃さんに御礼を言わなければならない立場です」
勿論、この事態と責任を有耶無耶にするつもりはない、と鳳凰院様は仰います。そして、その責任を生徒会にだけ押し付けるものではない、と。
「前橋さんの言葉で、あの場に残された私達全員はそれを理解しました」
「彰子姉様の言葉?」
それはどんな言葉だったのか。
鳳凰院様は、私達が去った後に会場で起こった全てを、教えて下さいました。
ねぇ、鳳凰院君。
君、お芋堀りってしたことある?
は?
前橋先輩ってば、鬼っ畜ぅ。
うぅ。
やだ、秋月先生。痛み止めいりますか?…半分だけの優しさで足りるかな?
観堂は基本、猫被ってます。
夏の間に終える筈だったのに、すっかりと秋ですね。
焼き芋が美味しい季節になってしまいました。
落葉を掻き集めて、アルミと新聞紙に包んだ芋を放り込んで…。でも、最近だと消防署に通報されるんですよね、これ。




