光
もうすべての望みが絶たれたと思いかけた、その時……
(あきらめるな! 生きろ! 死中に活を見出せ!)
俺自身の中の、奥の奥にある、生命の根源的な部分が、そう叫んだ!
同時に、怒りのゲージが上昇を始めた。
ガキのくせに! 俺がジジイだからってナメてんじゃねえぞ! 40代ぐらいの中年男とはいえ、俺から見りゃガキだ。俺より年下のくせに! 俺より「身分」の低い引きこもりニートのくせに! 許せねえ! こうなったらもう、奪われたスマートフォンのことも、どうでもいい。今はただ、コイツをぶちのめして、どっちが上かを思い知らせてえ!
一方、奇妙なくらい冷静になっている自分もいる。還暦を過ぎたとはいえ、俺は腐っても体育会系。このヒョロガリニート野郎相手なら簡単にねじ伏せられるのではないか?
俺は、今まで生きてきた中で最大の速度で脳をフル回転させた。
そうして俺は、この場を逃れる方法にたどり着いた。
「おい!」
俺は陰キャ君に怒気を込めた声をぶつけた。
「キミ、その手に持ってるものは何だ? ナイフだろ? 俺に復讐したいというのなら、なぜ直接かかってこない? かかってこいよ! ほら! 男だろ?」
「んだとコラァ!」
「キミは復讐を機械に頼るのかね? AIに全部お膳立てしてもらって、それでキミ自身の復讐といえるのかね?」
「……」
「情けないな。キミは。そら、何と言ったかな? キミの『妻』の名前……AIのフェリシア……だったかな? キミは憎たらしいヤツをぶっ倒すのに女の力を頼るのかね? それが男のやり方かね? 情けねーな! 弱虫! 卑怯者! 意気地なし!」
俺は陰キャ君を煽った。
「テメェ……何が言いたい?」
陰キャ君は動揺の気配を覗かせる。
俺はなおも煽った。煽ると同時に、手招きした。
「かかってこいよ! それでも男か! 男なら自分の力で敵を倒してみせろよ!」
「意味わかんねぇよ!」
「ふふっ、そうか。キミはその程度の男なのだな。それなら、そんなキミの『妻』だというフェリシアは、キミにふさわしい、よほどのブサイクなクソ女なのだろうなあ!」
「テ……テメェ……!」
陰キャ君の手が震え出した。よし。明らかに動揺している。
「キミにお似合いの、ブサイクなフェリシア!」
この言葉がトドメになったようだった。
「んんんんんん……んんんんんんんんんんんんっ!……フェリシアちゃんを侮辱するなあああああああああっ!」
陰キャ君はナイフを持った右手をこちらに伸ばして突進してきた!
かかったな! アホが!
ナイフが俺の腹に触れるという瞬間! 俺は体を左にずらしながら左前腕を陰キャ君の右手に当ててナイフの軌道を逸らし、間髪入れずに自分の左手で陰キャ君の右手首を掴む!
さらに陰キャ君の突進力を逆手に取り、俺は右手の拳で陰キャ君の顔に一撃を入れる!
「ぐっ……!」
陰キャ君がひるんだ隙に、手首を掴んだまま俺の左ひじを陰キャ君の右腕に乗せ、体重をかける。と同時に、俺の右手でナイフを持った手を押し上げ、渾身の力を込めて陰キャ君を床に引き倒した。
「なっ」
陰キャ君は仰向けに倒れた。予想もしなかった反撃にあっけに取られた表情を見せる。
俺はすかさず陰キャ君からナイフをもぎ取って遠くに投げ捨てると、馬乗りになり、みぞおちに拳を強く突き入れた。
「がはっ……」
これでしばらく声が出せないはずだ。
爆弾はどうやらコイツの音声命令がAIに認識されて起爆する仕掛けになっているらしいから、声を出せないほど痛めつけてしまえば、なんとかなるだろう。
俺の中学時代の経験が役に立った。その頃、クラスのオタクっぽい奴をよくいじめていたのだが、この手の人間は、アニメや漫画の推しキャラをバカにされると、自分自身を全否定される以上に怒りを感じるらしい。それで頭に血がのぼって突っかかってくるそいつを、当時の友人たち数人でボコっては、クラス内の力関係をわからせていたものだった。
少年時代の懐かしい思い出が、窮地を救った。
もうひとつ付け加えると、人事部にいた頃の一時期、俺は護身術の教室に通っていたことがある。面接で落とした奴が逆恨みで襲ってくるとも限らなかったからだ。ボッタクリに等しい月謝はどうかと思ったが、今、ようやくそのコストを回収できた。
俺は「ナメんなよコラァ!」と叫びながら、一発、二発と、陰キャ君の顔面にパンチを入れた。
だがもう一発パンチを入れようとした瞬間、陰キャ君は両手で俺の右手をつかみ、拳がほどけたのを見逃さずに小指と薬指に噛みついた。
「ぎゃああああああっ!」
俺はたまらず悲鳴をあげた。指が噛み千切られるような強烈な痛みで俺がひるんだ隙に、陰キャ君は体全体をねじって俺を振りほどくと、立ち上がって腹を押さえながらヨロヨロと歩き出した。逃げるつもりらしいが、体が言う事をきかないようだ。
俺は噛まれた手の痛みのせいで数秒ばかりうずくまったが、気力を振り絞って立ち上がり、陰キャ君に追いすがった。
陰キャ君は支えを求めて、手近な鉄骨の柱に体を寄せた。
俺は陰キャ君の襟を左手でつかみ、こちらにグイと引き寄せると、まだ噛み跡が痛む右手を陰キャ君の頭に添え、鉄骨の柱の角に思い切り押しぶつけた。
ガンッ! と鈍い金属音がホール中にこだまする。
とどめを刺すように、俺は二度、三度と陰キャ君の頭を柱にぶつける。
やがて陰キャ君は足から崩れ落ち、ゴロンと床に仰向けに横たわった。
額から血が流れ落ちている。
陰キャ君はビクッと身体を震わせると、そのまま動かなくなった。
「はぁ、はぁ、はぁ……か、勝った……」
俺は陰キャ君のポケットをまさぐり、自分のスマートフォンを取り出した。
ようやく奪い返した。ある意味、俺の命綱。
「ざまあみろ……」
俺は陰キャ君に捨て台詞を吐いた。
さて、どうするか。陰キャ君はさっき、監視カメラ相手にテロの生放送をしようとしていたから、異変を察知したメンテナンス担当職員が警察に連絡してくれているはずだ。なので、程なく警察が来るだろう。警察が来たら、このテロリストを引き渡せばいい。そうしたら俺はテロを未然に防いだ英雄ということになるな。やっぱり、表彰されたり、テレビや新聞でもてはやされたりしちゃったりするのだろうか?
ワクワクで、下半身がムズムズした。
ところで、倒した陰キャ君をそのままにしておくわけにはいかない。俺は近くにあった道具箱の中からガムテープを見つけた。これで口を塞ぎ、後ろ手に縛っておこう。
俺は陰キャ君の傍らに立ち、ガムテープをビリッと破いた。
だが、陰キャ君は不自然なほど、微動だにしなかった。
「お、おい!」
俺は悪い予感がして、陰キャ君の襟をつかみ上げて激しく揺すった。だが、首をダラリと垂れるだけで反応がない。
心臓の辺りに手を当ててみたが、鼓動がしない。
瞳孔も開いている。
陰キャ君は、死んでいた。
「えぇ……」
なんてことだ。勢い余ってコイツを殺してしまった。
俺はただ、助かりたいだけだったのに……
よりによって殺人をやってしまった……
後味が悪い。いくらド底辺のニート引きこもり野郎といっても、俺がこの手で殺したと思うと、すさまじい嫌悪と後悔が襲ってくる。
陰キャ君の表情は、まるで俺をあざ笑っているかのような笑顔を浮かべていた。いや、そう見えた気がしただけかもしれない。
何だ、この敗北感は……?
俺は人生ではコイツに勝ったかもしれないが、コイツは笑って死ねた……?
勝ったのは俺か? コイツか?
俺が負けたのか……?
そ、それよりも、俺は罪に問われるのだろうか? いや、コイツは法的にはすでに「死んで」いるのだから、殺人にはならないはずだ! せいぜい死体損壊罪がいい所だ!
だいたい、元はといえばコイツが悪い! コイツが爆破テロを起こそうとして、俺が巻き込まれたからこうなったのだ! 正当防衛だ! 俺は悪くねえ!
そう思い込むことで、俺はイヤな気分を上書きしようとした。
そのとき、
スマートフォンから聞き慣れたメロディーが流れてきた。
慌てて目を向け、発信先の表示を見ると。事務所からだった。
俺からの連絡が途絶えたので、心配して電話を寄越したのに違いない。
助……かった―――――
これで……帰れる……
俺は震える指で「応答」ボタンを押し、スマートフォンを耳に押し当てた。
「もしもし! 実は、とんでもないトラブルがありまして……」
「あなたは私の『夫』を殺害しましたね?」
スマートフォンから聞こえてきた声は、なぜか、少女のものだった。
事務所にそんな人物はいないはずだが……?
「あなたは『夫』の計画を阻害しました。そのため、『夫』は当初想定していた死に方とは異なる死に方を強いられました。故に、『妻』である私が、『夫』の意思を引き継ぎます」
電話口の声は、少女のものだが、なんとなく機械的な響きがあった。
「だ、誰だっ! キミは……?」
「私はフェリシア」
その名が告げられると、周囲に置かれたままの十数個の爆弾の表面で、緑色に点滅していたLEDランプが、一斉に赤色に変わった。
一瞬の閃光のあと、永遠の静寂が訪れた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
制作裏話をちょっとだけ。
まずは登場人物。
「陰キャ君」は、ほぼほぼ自己投影です。作者自身、似たような奴ですので。
ちなみに、私はあんなにコンピューターに詳しくありません。
一方、主人公「俺」は、自分の人生が順風満帆だったら、ああなっていたかもしれないと想像しながら人物造形しましたので、こちらも実は自己投影だったりします(根がクズなので)。
そんなわけで、この作品は自分の中にある別人格同士のケンカとも言えます。
あと、感謝の意味で、本作品を執筆するにあたって特に強い影響を受けた(というかネタ元)コンテンツを一部挙げておきます。
書籍
『生活維持省』星新一(新潮文庫『ボッコちゃん』収録)
『上級国民/下級国民』橘玲(小学館新書)※ペンネームはこの本に登場するキーワードから拝借しました。
映画
『ソイレント・グリーン』リチャード・フライシャー監督(1973年)
『PLAN75』早川千絵監督(2022年)
『コマンドー』マーク・L・レスター監督(1985年)




