チョコちゃん熱を出す
「お姉ちゃん、ごめんね。ごめんね」
「馬鹿! 喋ってないで寝てなさい! チョコは何にも悪くない。むしろ悪いのはわたしの方だ!」
「そうだよ、悪いのは全部この性悪女だからね!」
「なんで女将さんがここにいるのさ?」
夜中に、チョコが熱を出したと大騒ぎしたクロ。あまりにも狼狽え方が見苦しかったので、女将さんが見に来てくれたのだ。
「体温めて、頭冷やして、水飲ませときゃ治るときは治るさ。治らないときは治らないさね」
「こうして頭を濡れタオルで冷やしているわけだが……熱は37度8分。高いけど、まだ許容範囲だ」
チョコの熱を太陽表層温度でも計測できる探知力場を使って精査した。クロはその結果に冷静さを取り戻した。
濡れタオルをひっくり返すと冷たかったのか、チョコがビクリと体を震わせた。
「ごめんなさい……。明日にはなおるから、お仕事つづけられるから……」
言うなと言ってもチョコは謝る。まだ、昔の暮らし方が抜けきれてないのだ。弱ったときの甘え方を知らないのだ。
「魔界へ行く前に言っただろう? しばらくお休みを取るって。お金も充分持ってるし、チョコが心配することは何もないんだ」
「でもでも……」
「ええいまどろっこしいね!」
女将さんが割って入ってきた。
「いいかい? チョコちゃん! あんたがどんな生活してきたか、あたしゃ知らないよ! でもね、この町じゃ病気になったときは甘えて良いことになってんだよ。弱みを見せていいんだよ! この町で暮らしたいなら、病気になったときはクロに甘えることだね!」
「クロ姉ちゃん?」
チョコは熱っぽい目でクロを見上げた。
「甘えたまえ。その代わりわたしが病気になったらチョコに甘えよう。その時は看病してくれたまえ」
「……うん、チョコ、かんびょうしたげる……」
チョコの目から涙が零れた。クロは指で涙を拭ってやった。
チョコのほっぺが熱を持っていて赤い。
「ほれ、お水飲んで」
「うん。コクコクコク」
「飲んだら目をつぶる」
「うん……」
チョコはストンと眠りに落ちた。
荒い寝息が聞こえてくる。呼吸に合わせ、毛布が上下する。
ホッと息を吐く二人。
キッ! と音を立て女将さんはクロを睨んだ。
「どうせ魔界攻略に焦って急かしたんだろう! いいかい、魔界ってのはね、1回や2回挑んだだけで簡単に攻略できるモンじゃないんだよ! こんな小さな子を連れて行ったりしたら、攻略できるモンも出来なくなるよ!」
既に2回攻略成功してますが。なんて事を言ったら余計キレられるだろうから謝るだけにしておいた。
「すんません」
「ふん! あんたが責任持って看病しておやりよ! あたしゃ寝るからね!」
女将さんは怒りを露わに、チョコを起こさないよう足音をひそめて部屋から出て行った。
「台所に欲しいモンがあったら、勝手に持っていきな!」
廊下から、チョコを起こさないよう小さな声が聞こえてきた。
「さて、今のうちに現代知識とやらを生かしてスポドリを作っておこうかね。台所に女将さんが大事に隠していた高価な砂糖があったよね? なんでも使えって言われたから遠慮なしに使うけど」
クロは女将さんのご厚意に、素直に甘えようとしていた。
スポドリの入ったカップとベッドで眠るチョコを横目に、窓の隙間から星空を見上げる。結局、スポドリ作りに果汁まで使わせてもらった。
獣人の村からここ、アリバドーラまで10日掛けて歩いてきた。昔、江戸から京都まで2週間掛かったと聞く。大変な距離だ。ましてやチョコのような子どもの足だともっと大変だ。
今までの生活から逃げ出したいとの思い。クロに嫌われたくないという思い。外の世界、新しい生活への期待。獣人は人と比べ体力値が高い。そんなのがない交ぜになって歩ききれたのだろう。
「でも、あの時は休憩を多く取ったし、早めに宿に泊まったり、早めに野宿したりしたからね。いやまてよ……」
クロは顎に手を置いて考え込んだ。
それにしては……、
過去2度の魔界攻略において、2つともほぼ同じ時間配分だった。
朝8時には魔界へ入り、午後9時に最深部たる魔王の間へ到着。帰りは往路で魔獣を殲滅させているから余裕を見て行動。朝9時に出発し、午後5時頃に魔界の門へ到着する。
一方、獣人の村からアリバドーラまで歩いた時、1日で歩いた時間はもっと短かった。
宿でも野宿でも、朝の早めに支度をして出発する。途中、チョコが何度も息を上げるので、都度休憩をしていた。
大体、朝2回、昼食休憩、午後1回休憩、そして4時には宿に入るか野宿の準備をする。野宿の場合、もっと早くに場所を選んで腰を下ろした日もあった。
魔界だとチョコの足が速すぎないか? 耐久力が高すぎないか?
たとえ無理をしていたとしても、役に立つところを見せようと頑張ったとしても、途中のどこかでへちゃばるはず。意思の力より体が根を上げ、足が上がらなくなるはずだ。
そうそう、テンションは旅の途中の方が高かった。チョコが蝶々を追いかけなければもっと進んでいた。
「と、なるとだ。考えられるのはただ一つ。旅の途中に無くて魔界にある物」
魔素だ。
かくいうクロも魔素をエネルギーとして、効率よく利用している。
魔物の、生物として異常な運動能力。
鉱物すら生物として活動させるエネルギー。
チョコをして大人と同じ体力持久力を持ち得たと考えられる。ただ、体格や年齢による基礎許容量が少ないため、後に疲労という形で体に表れるのだろうか?
「あれ? するってーと?」
大人の攻略者達も、魔界じゃ能力の底上げが行われている?
あのレニー君が童貞のくせに大怪我だけで帰還できるのだ。その可能性は大いにある。
「そして怪我の治り」
初回の探査で包帯を巻く程の怪我を負ったレニー君。次の日には包帯を取ってもよい程には回復していた。魔界由来の魔素によるダメージの軽減か? 魔素入り軟膏などによる細胞賦活力の増強か?
「魔素ってしゅごい」
以上、考察終わり。
今度ザラスにあったらそこん所聞いておこう。ラルスさんでも知ってるかな?
「ううーん」
チョコの寝言だ。
熱くなったタオルをかえた。熱はまだ下がらないが息の乱れは無くなった。快方に向かっていれば嬉しいのだが。
怪我や骨折、尿道結石、その他外科手術で治せるものは原子構造を調整するクロの能力で何とかなる。しかし、風邪だとか痛風だとかはどうにもならない。歯がゆいところだ。
「わたしは万能じゃない。人間社会に適応するためデチューンされているしね」
母を恨むよ、と心で呟き、チョコが眠るベッドに潜り込んだ。
夜中、チョコは何度も目を覚ました。
都度、クロの腕を引き寄せしがみついた。
翌朝。
「お腹すいた」
チョコは目を醒ますや否や、ベッドに上半身を起こした。
そして周りをキョロキョロ見渡し、窓際の椅子に座ったクロを見つけてにっこり笑った。
「どれどれ?」
クロはチョコの額に手を当てた。
「ひゃー!」
クロの手が冷たかったのだろう。目をバッテンにして震えた。
「うん、下がってる。平熱だ。顔色もずいぶんよくなった」
「チョコ、お腹空いた!」
「よしよし。何か作って持ってきてやろう。朝は下がってるけど、昼に上がることもある。チョコはベッドで温和しくしていなさい」
やれやれ一安心だと呟いて、クロは台所へ向かった。
しばらくしてお盆に食器を載せて帰ってきた。お盆の上に乗っているのは、柔らかめのパンと暖かくて新鮮なミルクだ。
女将さんの仕業だろう。不自然に台所のテーブルに乗っかっていた。
「パンを千切ってミルクに付けて食べるんだ。パンのミルク粥、的な?」
「お肉は?」
「チョコのお腹と相談してみなさい。果たして、お腹は食べて良いと言ってるかな?」
「うーん」
チョコは小首を傾げ、お腹と会話していた。
「駄目だって。脂っこい部分がちょっとでもあったら入らないって」
「それは正しい判断だ」
「あと、にんじんもだめだって」
「それは何時もの事じゃないか」
ベッドにお盆を直置きすると、早速手を出してくる。
あむあむと一生懸命食べ進めているが、チョコにしては速度が遅い。本調子でない現れだ。
今日は動かせない。明日も用心した方がいい。明後日、様子を見る日にしよう。
わたしが出かけると言えば、チョコは付いて来たがるだろう。
あれをグルブラン武器屋へ持って行くのは明後日以後だ。
クロは壁に立てかけてある槍3本に目を向けていた。
金属の質としては悪くない。上級じゃない。あくまで「悪くない」レベルだ。小魔界で高品質の素材がバカスカとれたら、デフレが起こる。経済の危機だ。攻略者ギルドが倒産なんて目も当てられない。
「デフレになったらなったで、儲ける方法もあるけどね」
わたし、ギルド経営部部長じゃないしね。
あり得ないケースをアレコレ考えていても時間の無駄だ。面白いけど。
「ごちそうさまでした」
「お粗末様でした」
食材を用意した女将さんが聞いたら雷を落とすだろう。ぐーパンチが飛ぶケースだ。
自分もゆっくり過ごしてみるか。
ミルクとパンでベトベトになったチョコの口の周りを拭いてやりながら、そんなことを考えていた。
思い返すと、あちらの世界もこちらの世界も、ここしばらくまったく休み無しだった。
「よーし、綺麗になった。では予定通り、1週間のお休みに入る」
「1しゅうかん?」
「7日だよ。ほら前から休暇を取るって言ってたじゃないか」
「はー」
「この間、チョコ副隊長は全力をもって体調の回復に努めたまえ!」
「りょうかいです! たいちょう!」
難しい言葉を使うと大人っぽいの雰囲気を感じるのだろう。チョコを操るコツその1である。
「さあ、もう一眠りしなさい」
「お姉ちゃんもいっしょにねてくれる?」
「しょうがない子だなー。まあいいか休暇だし」
クロはチョコの横に潜り込んだ。
チョコも、だんだんと甘えるという事が出来るようになってきた。
その頃、冒険者ギルドでは、とある議題がテーブルに俎上されていた。




