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フィリーは天然のイメージですね。
とりあえず逃げている。
街の中をあてもなく逃げている。
目的地はあるんだ。
目的地は役所なのだが、理由があって、その前にまず逃げているだけだ。
俺と一緒に仲間である剣一姫、古場佐々子が並走している。
仲間というのなら一人足りない。
いや、一人足りないのではなく、追いかけてきているのが、俺の仲間でもある金髪碧眼の少女、脳筋馬鹿のフィリー・ラポーズだからだ。
「斑目! もうそろそろ限界やねんけど!」
「じゃあ、くたばれ!」
「ではの!」
俺と一姫は逃げながら佐々子の足を引っかけて転ばせる。
両足を刈られた佐々子は空中をクルクルと回りながら地面に激突。
「へぎゅ!」
背後から嫌な声が聞こえたが振り返っている余裕はない。
さらばだ、佐々子――お前の雄姿は忘れない。
「待つデス! その子返すデス!」
「ちっ、囮が効かねえ! さすが佐々子だ、糞の役にも立たねえな!」
「佐々子の身を挺した貢献が無駄に終わったのう。さすが佐々子じゃ、無駄に空気を消費しとるだけはあるの」
軽く仲間にひどい仕打ちと暴言を吐いたような気もするが、気にしたら負けだろう。
俺たちが仲間であるフィリーに追われている理由。
「ピュイ!」
「あ、こら。お前、動くなって落としちまうぞ!」
俺の胸ポケットにいる愛玩動物スライムが原因だった。
半透明、半球体のぷよぷよした肌触り。
この世界のスライムは魔物ではなく愛玩動物扱いだ。
スライムは何でも食べる悪食だ。
金属だろうが、石だろうが、何でも消化・吸収してしまう。
ただ、この世界のスライムは自分よりも大きい生き物を捕食しない。
スライムは元々小さく、手の平に乗るくらいのミニサイズ。
こいつらが捕食したとしてもせいぜいネズミまでなのである。
このスライムは飼いならすことができる。
スライム自体は「ピュイ」としか鳴かないが、人の言葉はある程度理解できるそうなのだ。
スライムを飼いならすと、とても便利なところ。
まず、残飯処理係として最適。
なんでも食べるので、残飯とか形の残る骨とかも跡形もなく処理してくれる。
次に家の掃除もしてくれる。
生活をするうえで出るゴミはもちろん。
狭いところの埃とりや、浴室のカビとか石鹸カス。
スライムはそれも消化・吸収してしまう。
家の中に放し飼いにしておくだけで、部屋がきれいになるのだ。
躾をすることで、食べては駄目なものをちゃんと理解するらしい。
スライムは超便利な上、餌がいらないペットとして貴族の間で大人気。
そもそも個体数の少ないことが人気の拍車をかけている。
こんな便利なペットが簡単に手に入るわけがない。
この世界のペットショップでどれだけ安くても金貨10枚はする値段で売られている。予約して半年待ちというのもざららしい。
スライムは俺たち庶民が手に入れられる生き物ではないのだ。
何故、俺の胸ポケットにその希少なペットであるスライムがいるのかというと。
「その子は私が拾ったデス! 返すデス!」
脳味噌筋肉馬鹿のフィリーがどこからか拾ってきたからだった。
「いや、だから! こいつ絶対どこかの貴族のペットだから! 勝手にお前が持ってきたんだろ!」
「そうじゃ! いくら何でもスライムがそこらに落ちているわけがなかろう!」
「橋の下で拾ったデス! 天然スライムゲットデス!」
話が通じねえ。
☆
フィリーははっきり言っておつむが弱い。
付き合えば付き合うほど、こいつが馬鹿だということに気付かされるのだ。
簡単な罠にすぐ引っかかるし、ちょっと歩いたらもう忘れて同じ罠に引っ掛かる、鳥頭もいいところだ。
俺たちのパーティーで作戦を考えるのは主に俺と一姫。
佐々子もたまに意見をいうけれど、フィリーに関してはいつもニコニコして聞いているだけだ。いや、聞いている振りをしてるだけだろう。
あまり難しい作戦にしてしまうと、フィリーには理解できない。複雑な手順は覚えきれないのだ。
魔物を見れば、とりあえずぶん殴りに行こうとする脳筋だから仕方ないとも言える。
レベルが上がってゴブリン相手に怯えなくなってから、フィリーは性質が悪くなっている。
パーティーの中で筋力と体力が飛び出てるのも問題だ。
多少の攻撃なら耐えられるようになってきている。
確かにフィリーは、ステータス的に筋力と体力があるのでパーティーの盾役として最適だ。
敵の引付役として、活躍するのならまだ使い道もある。
敵陣に突っ込んでいってから引き付けるものだから、フィリーだけが敵に囲まれるという窮地に陥ったことが何度もある。助け出すのに何度死にそうな思いをしたことか。これだったらまだゴブリンに怯えていたころのフィリーの方がましだった。
そして、フィリーにはもう一つ悪い癖がある。
フィリーはうろつく動物をすぐに拾ってくるのだ。
「あのー、この子、橋の下で拾ったんデスが」
「お前これで何度目だよ! うちではペット飼わないって言ってるだろ!」
「世話もできんのに、そこらから拾ってくるなといつも言うておるじゃろ!」
「たははー」
「たははーじゃないわい。で、今日は何を連れて帰ってきたんじゃ?」
犬や猫ならまだいい。
一番ひどいパターンは放牧されていた牛を連れて帰ってきたことか。
俺と一姫が牧場主に土下座する勢いで謝りに行ったのは苦い思い出だ。
「この子デス」
フィリーの手の平の上でぷよぷよした半透明の物体を見て、俺と一姫は固まった。それがスライムだと分かり、俺と一姫は一気に青ざめた。
この世界は魔物が出ること以外、比較的平和な世の中なので争いが少ない。
とはいえ、犯罪はどうなのかと言われるとそれなりにあるのだ。
盗賊もいれば、殺人だって起きている。
この街は治安がいいけれど、治安が悪い街にもなると、殺人もあるという。
罪を犯した人間は、捕まれば罪の重さによって死罪もありえる。
死罪まで行かなくても重罪の場合は大抵が犯罪奴隷に落とされる。
犯罪奴隷となると奴隷紋という魔法の縛りを与えられ、所有者の命令に絶対服従することしかできなくなるという。
庶民相手ならば、大きな問題にならなくても、謝れば大抵許してもらえる。
これが貴族相手だと簡単に許してもらえず、重罪になってしまう可能性だってあるのだ。
庶民相手ならともかく、貴族相手はまずいと、それが俺と一姫が青ざめた理由だ。
これは速やかに返却せねばならない。
今ならまだ間に合う。相手が分からないときに備えてせめて役所に届け出よう。
ビレンさんならいいアドバイスをくれるはず。
これが俺と一姫の中で決まった内容だった。
テーブルの上でスライムがぴょんこ、ぴょんこと真上に飛び跳ねてる。
そんなスライムを見て一姫は口元を緩める。
「か、可愛いのう」
「お前が誘惑されてどうすんだ」
「ところで、こいつは何でも食うんじゃったか?」
「ああ、例えば……」
俺はテーブルの端に置いてあった爪楊枝を一本、スライムに与えてみる。
スライムは爪楊枝を包み込むと、じっとしたまま動かなくなった。与えた爪楊枝に変化はない。
「…………それ、食べていいぞ」
俺の声を理解したのか、スライムの体内でシュワ~と溶けるように爪楊枝が消える。
「おお、言葉をちゃんと理解するのか。噂には聞いていたが、賢いのじゃな、これは凄いのう!」
「一姫……これで最悪な方が確定した。こいつ躾済みの飼われてたスライムだ。待つことを知ってる、言葉を理解するっていうことはそういうことなんだよ!」
「やばいではないか! 早く返さんと捕まってしまうぞ!」
こうして、俺と一姫はスライムを手にして役所に向かおうとしたのだ。
「何してるデス? その子どうするつもりデス?」
自分の部屋に荷物を置きに行っていたフィリーが戻ってきてしまった。
「こいつは役所に落とし物として届け出る。そうすれば、持ち主に礼こそ言われても、犯罪者にはならんからな」
「その子は私が拾ったんデス! 持ち主なんていないデス!」
「いや、これマジな話だぞ。こいつが躾が終わってるスライムだから。絶対持ち主がいるから!」
「フィリー、よく聞くのじゃ。まずは届け出じゃ。持ち主が名乗り出るまではこの家で面倒見るのもよいじゃろう。だが、持ち主が現れたら返すということを約束するのじゃ」
「だから、その子に持ち主なんていないデス!」
たまに出るフィリーの強情なところ。
これは問答が続くだけで結論が出ない。
そうこうしているうちに、持ち主から盗まれたと被害届を出されたんじゃ目も当てられない。
これは強硬策に出よう。
ちらりと一姫に視線を飛ばすと、俺の考えが伝わったのか、こくりと小さく頷いた。
一姫はキッチンを指差し。
「あ! あんなところにアライグマが!」
「アライグマどこデスか!? 捕まえてラスカルと名付けるデス!」
言う方も言う方だが、引っ掛かる方も大概だと思う。
その隙にスライムを胸ポケットにしまって、屋敷を飛び出す。
「ラスカルどこデスかー? ああっ、何故逃げるデス!?」
俺の横には一姫も着いてきている。
すぐに俺たちのあとをフィリーが追いかけてくる。
「とりあえず役所だ!」
「承知!」
途中、出かけていた佐々子が走っている俺たちを見つけ、俺たちに並走してくる。
「斑目、今日は誰に追われてんの?」
「フィリーだ」
佐々子も慣れたものだな。
走っている俺たちを見つけてすぐに並走できるようになってるとは。
走りながら佐々子に事情を話し協力を求める。
佐々子は追いかけてくるフィリーの姿を見て。
「うーん、あの状態のフィリーの説得はうちでも無理やと思うなあ。完全に頭に来とる感じやで、あれ」
「とりあえず、捕まらんように逃げるぞ。あいつにスライム渡したら今度はあいつが逃げるぞ」
「それは勘弁やな。あの子体力だけはピカイチやから、持久戦に持ち込まれたら負けるで」
そうなんだよな。あいつ体力だけは馬鹿みたいにあるから持久戦になるとまずい。
そして冒頭の話へと繋がる。
結局、俺たちはフィリーに持久戦で負けた。
俺も一姫もスタミナ切れになったところを追いつかれ、フィリーに捕まったのだった。
「……吐きそうじゃ」
「おい、ゲロインは止めとけ。少なくともヒドインまでにしとけ」
「……斬るぞ?」
フィリーは俺から奪い取ったスライムを大事そうに手の平に乗せている。
スライムはぷよぷよとしながら鳴いている。
「ピュイ! ピュイ!」
「へー、そうなんデスか。長い旅してたんデスねー」
一姫がそんなフィリーを見て。
「なあ、斑目……気のせいか、フィリーがスライムと会話しておるように見えるんじゃが」
「ああ、俺もそんな感じに見えるわ。あいつとうとう違う世界の住人になったのか?」
「それを言うなら、お主も私もとうに違う世界の住人になっとるではないか」
俺たちの言葉が聞こえたのか、フィリーがくるりと振り向く。
「斑目と一姫にも紹介しますデス。この子はエンペラースライムのトドロキ君デス」
「ピュイ!」
「え、エンペラースライム?」
後日談。
フィリーが拾ってきたスライムは本当に野良スライムだった。
ただし、その正体は魔族である。
エンペラースライムはすでに絶滅したといわれている魔族だった。
独自言語を持ち、現存する魔族でも対話可能な相手はいないらしい。
では、何故脳筋馬鹿のフィリーにエンペラースライムとの会話が可能なのか。
その答えはビレンさんが持っていた。
ビレンさんの持つ魔法『言語理解』。
この世界の文字や言語を理解できるようになる便利な魔法だ。
俺たちのパーティーは全員この魔法にお世話になっている。
詳しく聞くと、普通なら1回で済むところを、フィリーだけ5回ほど重ね掛けしたらしい。
この魔法は重ね掛けすることにより、効果が広くなったり、深くなったりするわけではない。
フィリーの馬鹿さ加減を心配したビレンさんが、効いてないかもしれないと、念のためかけまくったのが原因だ。
結果的にフィリーは誰よりも他種族の言葉を理解できるようになってしまったというのが落ちだ。
トドロキは正式に我が家の一員となった。
所有者登録もフィリーで済ませてある。
魔族ではあるが、生態は現存するスライムとなんら変わらない。
一姫や佐々子もトドロキを可愛がっている。
ときおりフィリーに話しかけているようで、フィリーも楽しそうに聞いている。
こいつは馬鹿だけど、自分に正直だ。
嘘も言えないというか、嘘が下手すぎる。
多分、フィリーみたいなのを馬鹿正直っていうんだと思う。