#11:心らしきものが消えて(前)(2)
カバンを投げ捨てたら、気分まで軽くなった。
一歩一歩、地面を踏みしめる。獣道とまでは言わないが、かといって、そこまでの生活感があるわけでもない。田舎道といったところ。
横幅、およそ3メートル。草の丈はくるぶし程度。
坂道を、足早に進んでいく。廃屋に近い状態の古い家や、ぼろぼろに朽ちた神社が残っている。かつては、このあたりにも人が住んでいたのだろうか。
「ああ、そうだった。まだ国府の森じゃないんだよな。手前なんだよな」
一歩、また一歩と、田舎道を進んでゆく。
歩き始めてから、少なくとも15分は経っている。額に汗が滲んでいた。フェイスタオルを取り出して、ざっくばらんに汗を拭う。
その後で、フェイスタオルをじっと眺める。中学生になって初めての誕生日に、由香里からプレゼントされたもの。
「……ちょっと休むか。風情もあるし」
辺りを見渡す。
この道と、民家との境目だった。ざっくばらんに石柱が横たわっている。俺は、吸い込まれるようにしてそこに座した。
「……」
山林が広がるばかりで、開けた地形はないに等しい。
道の先を見通すと、あるところでいよいよ森が始まっている。あれが入口だろうか。
――夜空を見上げる。満点の星々が広がっている。しみじみとした表情で、視線を前に戻すと、
「!」
誰かが……目の前を通り過ぎようとしている。
この近くに住んでいる人だろうか?
「……こんばんは」
ついうっかり、挨拶をしてしまう。
「!? 人がいたのか。あんた……見ない顔だな」
暗い。顔がよく見えない。
低めの声だった、背は高い。
学ランを着ているが、あれは中学校のものじゃない。高校生だろう。
「……帰りなよ。ここは危ない」
「それが、用事があって」
「ふうん。あんたがそう思ってるなら止めないよ。でも」
「……でも?」
「気が付いたら死んでいた、なんてことがないようにな」
言い残して、下の方に歩いていく。
その姿が消えると、俺はまた国府の森の入口を眺めた――歩き出す。
* * *
ザッザッザッ……ずにゅっ!
地面がぬかるんでいる。手のひらを空に向けてみる。雨は降っていない。
もう少しだ……ああ、ようやく見えてきた。国府の森のスタート地点が。
目の前に拡がる森林のど真ん中に、まっすぐな自然道が延びている。高く成長した樹木が頭上を覆ってていて、雨が降っても濡れる心配はなさそうだ。
植生は……針葉樹だろうか? 竹が多い気がする。竹って、針葉樹だっけ?
「さ、行きますか」
一瞬、頭をもたげる。集のことが。
かぶりを振った。前方に進んでゆく。
「お前、どこのもんじゃっ!!」
今まさに、国府の森に足を踏み入れたところだ。
目の前に、声の主はいない。
となると――
「どこのもんじゃと聞いとる!」
真上を見る。
「!?」
――刃が降ってきた。人間ごと。
バックステップッ! 真後ろに跳んでかわす。ズリュッという、泥濘の気持ち悪い感じ。
目の前には――背の小さい少年が立っている。
「国府の森になんの用じゃ、お前」
「入れてくれよ」
「……あ??」
「俺を、国府の森に入れてくれよ」
門番は、小刀を突き出して構える。
「ここから先に入りたいってか? そんなもん許さんわ!」
ため息を吐く。
「なんじゃ、その余裕は。ほら、足元を見てみい」
体勢を整えるべく、足先を上げようとする――上がらない。
ぬかるんでいただけの地面が、すっかりと汚泥になっている。
門番を見た。にんまりと笑っている。
……不思議だった。憎しみが伝わってきてもいいはずなのに、どういうわけか、楽しげな感情が伝わってきたから。
「そら、いねやっ」
汚泥など無きがごとく、俊敏な動きで迫り来る。
逆手に持った小刀を、まっすぐに振り下ろして――
「がっ!?」
「捕まえた」
速い。が、単純すぎる。
振り下ろそうとする手首をしっかと左手で掴んだなら、残りの右手を上からスッと差し込んだ。
そして、次の瞬間には完成していた――必殺の――腕がらみがッ!
「がぁっ! ちくしょっ、いてぇ……!」
「……なあ、門番くん。俺、国府の森に入りたいんだけど」
「知るかぁ、入りたいなら、オレを殺してからにしやがれっ」
「……わかった」
腕がらみを解いた。
小刀を離していなかった門番が、サッと身構えようとする――よりも早く、次の寝技が決まっていた。
「ごッ! おご……」
神速、と言ったら自画自賛になる。
……袖車締め。片方の順手で頚動脈に沿った横襟を握り、もう片方の手で反対側の前襟を握る。そして、全力で――引きつけるッ!
「ご、ご、お……」
立ち姿勢での締め技は不安定だが、これぐらい密着すれば問題ない。
あとは、時間の問題……事切れた。
「ふう……いやいや、事切れさせちゃだめなんだよ」
力が抜けて、だらりとなった敵を投げ捨てたなら、
「せーの、オラッ!」
「ぐ、げぼ、げほっ」
そいつの元に歩み寄り、心臓にカツを入れてやる。まだ咳き込んでるが、そのうちに目覚めるだろう。
……そして、俺は森の奥へと――足取りは、軽やかに。
* * *
さっきとはうってかわって、地面が乾いている。
スニーカーで歩いているが、靴裏に土くれが付く心配すらないほどの、それくらい乾いた地面。
入口から約1キロの地点。ここまで来る間に、農道や里道の名残りが見られた。かつては、ここいらでも農業に勤しんでいたのだろうか。
俺は、おもむろに足を止める。
「……さて! そろそろいいだろ? 俺は初心者なんだ、手加減してくれよ」
ガサガサと、真上にある竹やぶが揺れる。
「ハハッ、ボクに気が付くなんて、外の連中にもまともなのがいるんだね」
「さっき学ばせてもらった」
「それはどうも。得物を使うなんて無粋な真似をしてすまなかったね。しかし、次はどうかな?」
「!?」
――真下からだ。気配を感じる。
危険だ! と感じて、前方に走り込んだ。
「なんだ、今のは」
何メートルか走って、後ろを向く――
いくつもの土くれの塊が宙を舞っていた。旋盤のように。
回転を加えながら、突っ込んでくる。何発も、何発も。
「くそっ!」
ひたすらに避け続ける。しかし――
「いづうっ!」
肩に当たってしまう。
痛い。冗談抜きで痛い。鎖骨が折れてるかもしれない。
が、今のでわかった。これは、土だけじゃない。
「……中身は岩石ってわけか。どうりで痛いわけだ」
――笹の葉が落ちてきた。
樹上にいるであろう敵人を、しっかと見つめる。暗闇でよく見えない。
今しがた俺にぶつかり、地面に落ちた土くれを掻き分ける。ああ、やっぱりだ。手のひらサイズの石を入れてやがる。おにぎりかよ。
拾った石を、しっかと握り締める。
「ハハッ、しっかりと罠にかかってくれたね。どうだよ、ボクの輝石投射陣の威力は」
ハハッ、じゃねえよ。どっかの遊園地にいるっていうネズミかよ。公民館の視聴覚ルームの中でしか見たことないけど。
「……その、ダイヤモンドなんとかっていうの。けっこうきついかも。肩が痛てえ。なあ、手加減してくれねーの?」
「ハハッ、この世からいなくなったら、痛い思いをしなくていいんじゃないかな?」
今のこいつの台詞を、あのネズミの台詞と重ねた。
「……ブフッ……そりゃあ、名案だと思う」
「いったい、なにが面白いんだい?」
身を乗り出したのだろう、敵の影が揺れるのを確かめる。
なるほど、あそこか。
「ところであんた。概念力を使うときって、技の名前、叫ばないといけないタイプか?」
「ハハッ、さあね。人によるとしか」
地面が盛り上がる際の、わずかな音を聞き分ける。
――今だ。たった今、地面からダイヤモンドなんとかが噴出した。高速回転が加わった石ころが、土くれを伴ってこちらに飛んでこようとしている――飛んできたッ!
前転、横っ飛び、地面を転がる、伏せ、ありとあらゆる動きでもって、石をかわしてゆく。
「しつこいね、きみっ!」
ゴ、ゴゴ……!
いくつもの土の塊が、地面からせり上がって――宙を舞っている。
「トドメだっ!」
物体が、四方八方から迫ってくる――軌道は、暗闇の中でも器用に俺を捉えているんだろう――
「……あ?」
すべて、不発に終わる。
真砂土という衣を身にまとった岩石は、なんの抵抗もなく地面に落ちた。
「ど、どういうことだ……? 目が、目が見えないッ! おごぉっ!」
――鈍い音が聞こえた。人が落ちてきたから。
受身すらも取れず、地面にバウンドして跳ね返った、あわれな肉の塊。
なにをどうしたかと言えば、①攻撃を避けながら敵の位置を把握する、②敵が本気の攻撃に出るのを待つ、③視界を遮断して混乱させる、④最初に拾っておいた石をぶつける、⑤樹木から落ちてくる。以上。
落ちた敵のところまで歩いていくと、胸ぐらを掴んで引っ張りあげた。様子を確かめる。
「おい、どうせ生きてんだろ。目、覚ませ!」
頬をバシバシ叩いていると、
「ぐ……お前、どこの聚落の者だ」
「いや、その辺の田園地帯に住んでる」
「嘘をつくなよ……お前も使用者だろう」
「そうだ。山野辺町から越してきた」
感情が動いた。瞳孔の動きでわかる。
「山野辺……そうか。復讐にきたんだな」
「なんのことだ」
「とぼける……なっ、う……!」
「ま、あの高さから落ちたらな」
血まみれの頭部にフェイスタオルを当ててやる。
「なにをする……? おい、やめてくれ、侮辱だ!」
構うものか。血を拭う。
「……なあ、俺さ。国府の森に入りたいんだけど。なんか方法とかあったら、教えてくれない?」
「プライドがないのか! ボクらが根絶やしにしたんだぞ、お前の故郷……を……」
「気絶した。出血がひどいな。カバンがあれば枕にできたんだが」
そこいらを眺めると、先ほどまで戦いに使われていた石を持ち上げ、
「このくらいの石がちょうどいい。枕代わりになるな」
『でも、こいつはやれないんだ』とフェイスタオルを取りながら呟いた。
こいつの頭を石枕に乗せてやった後、さらに奥へと歩みを進めていく。
残りは、ええと……直線距離だと3,4キロか? でも、山道だからな。もっとあるんだろうな。道がグネグネしてるだろうから。
足取りは、軽やかに。ここまで来たら、心の澱も消えつつあった。




