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#01:手のひらに刺さった棘(1)

「なんだよ、今の……」


 目が覚めた。起き上がって、ふと室内を眺めると、めまいに襲われる。


「ま、飯食えばなんとかなるだろ」


 寝巻きのままで、歩き出す。畳の上が暖かいような、冷たいような。

 襖の梁の上に学ランがかけてある。ヨレヨレになっている。ロクに手入れをしていないから。


(わたる)。今日、早いね」

「まあな」


 背後を振り返ると、栞が布団に入っていた。いつもの、二度目の就寝というやつ。


「朝ごはん作ってあるから」

「ありがと、栞」


 ぶっきらぼうな返事……だったと思う。

 襖を開けて、廊下に出た。さすがに足元が冷たい。

 トイレと、洗面所と、いま目覚めたばかりの寝室。この狭い家を回って身支度を整える。

 最後に辿り着いたのは、居間だった。

 襖戸が開いていく時の乾いた摩擦音を聞きながら、座卓の上を眺める。


「……お、いいじゃん」


 卓の真ん中に置いてある皿には卵焼きとウインナー、少しばかり端の方には、すまし汁の入った鍋が置いてある。

 畳の上にある炊飯器が目に入る。傍には俺の弁当が。


「……」


 卵焼きとウインナーを一切れ摘んで、胃に放り込んだ。朝飯は、ほとんど食べない。いつものことだ。

 時刻は、午前7時30分。履き潰されたスニーカーとともに家を出る。いつものことだ。

 玄関を出た直後、大きな杉の木ごしに隣家を見る。誰も居ないことを確かめてから、なんの舗装もされていない通学路へと飛び出す――いつものことだ。


 *  *  *


 霧雨が降っている。

 お天道さまが雲の切れ端に横たわっている。いわゆる、キツネの嫁入りというやつ。

 ……細かいシャワーの粒みたいな水滴が、俺の前髪をしとどに濡らす。手首から先にかけての湿った感じ。学ランの袖についた水分をシャッシャッと払い飛ばす。

 空を見上げると、太陽が雲の切れ端から飛び出して、いよいよ彼方の青空へと羽ばたこうとしているみたいだった。実際には、雲が動いているだけなんだけど。

 雨なんて気にならない。むしろ俺を濡らして欲しい。傘は面倒だし。


「ちょっと早すぎたな。さすがにあいつも来ないか」


 小高い丘を降りていく。坂の下には国府第三中学校が見える。薄汚れたベージュ色の校舎。

 雨と晴れとの境界線を見やりつつ、真後ろを振り返る。

 やっぱり、来ていない。

 ……校舎の西側にある校門を通り抜け、くつ箱にスニーカーを放り込んで、すぐ傍にある階段を二段飛ばしで駆け上がり、渡り廊下を突っ走り、右手に曲がってまっすぐに廊下を行くと、3-3と書いてある年季の入った表札が見えてくる。

 スライド扉をくぐると、まだそう見慣れてもいない教室が広がる。

 午前7時55分。人はまばらだ。俺とそして、向こうに座っている(あつし)砂羽(さわ)を含めても十人ほどしかいないだろう。


「……」


 挨拶はしない。無言で教室に入る。

 俺たちに反応する奴なんていない。いないけど、先ほどまでは確かにあった喧騒の波が崩れるというか、空気が変わったのはわかる。


「はよっす~!」


 俺のすぐ後ろから、別の男子生徒が入ってきた。

 ざっくばらんにクラスメイトに挨拶をすると、また元気のよい挨拶が返ってくるのだった。朝の雑談の仲間がひとり増えたようだ。

 そんな様子を尻目に、すごすごと教室のはじ、窓際の最前列から3番目の席にカバンを置いた。


「渉、おはよう」

「……はよ」

「篤、砂羽、おはよう」


 小声で挨拶を返して、席に座る。

 すぐ前の席に居る篤は、いつものようにキリッとした、でもどこか冷たい表情で英単語ノートを広げている。ああ、ごめんな。勉強の邪魔して。

 もうひとり、最前列に座っている砂羽は……これまたいつものように、半目をこすりながら窓側に背をもたせている。

 俺も授業の仕度をとばかり、カバンの中身を机に入れ始めたところ、


「おはようっ!」


 ついに来た。いつもより5分ほど遅い。

 大きな声を響かせながら、ひとりの女子が入って来る。


「……」


 静寂。誰も挨拶を返さない。これもまた、いつものこと。

 この3年3組の教室に入って、ちょっと仕度を始めたところで、この女子、汐町由香里(しおまちゆかり)が入ってくる。

 ここまで全部、いつものことだ。


「……」


 由香里がこちらに歩いて来た。俺のすぐ後ろの席だ。

 今ちょうど俺は、1時間目の教科書類を確かめたところ。


「おはよう、渉」

「……おはよう」

「いつもより早かったじゃない。栞さんとケンカでもしたの?」

「……そんなことない」

「え~、ほんとに? 急いだけど、追いつかなかったよ。ねえ、たまには一緒に登校しようよ」

「してるだろ。たまにだけど」

「ほんとに、たまにだけどね」


 勘弁してくれよ。もう中学3年生だぞ。


「ねえ、ところで。今日は、みんなにあいさつした?」


 ああ、コレもまた、いつもの流れだ。

 うっかり、渋い顔をしてしまった。


「してないんでしょ!」

「してないけど」

「いや、なんで?」

「なんでも」

「いやだから、なんで?」

「なんでも」

「いやいや、だっかっら~、なんで?」

「どうしても」

「いやいやいやいや、だからさぁ~~、な・ん・でっ?」

「わかってるんだろ」

「……」


 しかめ面になってしまう。

 いやいや、おかしいのはお前だぞ。


 ガンッ!!

 

 机の脚を蹴り飛ばした。機嫌が悪い時はこんなことをする。

 由香里は、憤懣やるかたない? 様子で席についた。


「おい、丸聞こえだったぞ……聞こえないようにしろよ」


 篤だった。こっちに視線はない。英単語ノートを読みながら話している。

 ふと見ると、その机の上に薄いピンク色の封筒が置いてある。封が開いている。


「なあ、篤。お前は、今日は挨拶したん?」

「僕は、毎日しているよ。ああ、なんにも聞くな。わかってるから」

「砂羽は?」

「……え?」


 ぼんやりとした様子の砂羽。


「いつものことだろ。そっとしておこう」


 篤の言葉を耳に入れつつ、封筒からはみ出した手紙に目をやる。

 ああ、そうか。わかった。どういうものかが。思い出してしまった。あの中には、A4サイズの1枚ものの手紙が入っている。

 ……さて。もう一度だけ、砂羽に聞いてみるか。


「なあ、砂羽はさ。教室に入った時、挨拶してるのか?」

「してない」

「なんで?」

「どうしても……」


 砂羽は、すぐ表情に出る。答えに窮しているのが手に取るようにわかる。


「いやいや、だから、なんで?」


 でも、問いかけをやめない。


「ええと、だから、どうしても……!」

「いやいや、だからさ、なんでなのか気になるだろ」

「……だって、みんな、」

「真似すんなっ! あんたに問う資格なしっ!」


 ガ、ガ、ゴッ! ガガッ!


 ……由香里が机を蹴り続けている。

 篤がため息をついた。


「諦めないといけないんだよ」


 小さな声だけど、はっきりと聞こえた。

 真実だけれども、由香里の鋼鉄のハートに響くことは一生ないだろう。

 ……感じ取ろうとしなくても、わかる。クラスの全員、俺たちのことなんか誰も気にしちゃいない。


 *  *  *


「さて、そういうわけで……それまでは、石器はせいぜい磨いたりするまでが関の山だった。でも、時代を経るごとに、粘土を焼いたら硬くなるとか、鉄や銅でも頑張ったら溶かせる、ということに気がつくわけだ。そして、冶金技術が広がりを見せた頃が石器時代の終わりの区切りになる……よし、ここもテスト範囲だからな。縄文時代と弥生時代の区別もつけられるように」


 落ち着かない教室。クラスの半分以上がおしゃべりに興じている。

 別段かわったところはない。いつも、こんな風だ。

 たまに、非常ベルが鳴ったりする。誰かがいたずらで鳴らしているのだ。そんなことは先生も生徒もわかっているから、非常ベルが鳴っても気にしない。

 俺はただ、機械的にノートを取っている。前の席を見る。篤は、熱心だった。ノートに独自の書き込みを加えまくっている。

 砂羽は、教科書のページが明らかに違ううえに、落ち着かない様子で貧乏ゆすりをしている。


「……」


 チラッと、真後ろを振り向いた。本当に、チラッとだけ。

 ……由香里は、片方の肘をついて教科書を読み込んでいた。ピンク色のマーカーが引いてある。


「ハイ! それでは~~っ!」


 教壇に立つ教師、赤木が大声を上げる。

 喧騒は止まない。


「静かにしなさいッ!!」


 喧騒が少しばかり収まった。だが、時間の問題だろう。


「今日、いや前回もだが、先生な、大事なことを話したぞ。さて、なんだっけ? 身分制度に関することだったよな。はい、だれか」


 ……誰も手を挙げない。

 そんな中、篤だけが手を挙げた。


「どうした、ひとりだけか? けっこう簡単なとこだぞ」


 生徒らを煽っていくも、誰も手を挙げない。


「ぎゃははははッ!!」


 教壇の近くの席で大笑いをしている者が約3名。

 箱田だった。ピシッとした制服の着こなしだけど、れっきとした不良グループのリーダーである。

 一緒に話をしているのは、鵜飼尚吾。俺の――


「やかましいッ!」

「あ?」


 どなる赤木に対し、睨みを利かせる箱田。一触即発。

 赤木は、深呼吸をしつつ、


「みんな聞きなさい。こんな成績加点チャンスはめったに無いぞ。みんな、今年は受験だろう」


 ここで手を挙げないのは不経済だと言っている。

 ……数人が手を挙げた。ひとりが指名される。


「ええと、弥生時代から国家が成立しはじめて……身分制度ができますっ」

「ああ、これは……もうちょっと! でも、平生点加点しちゃうぞ! ほかには」


 篤以外の全員が手を下ろしてしまった。

 赤木は、そぞろに教室中を見渡した。誰も手を挙げないのを確かめてから、


「よし、それじゃあ、神部(かんべ)。いってみようか」


 篤を指名する。

 落ち着いた調子で、回答が始まった。


「はい。以前に赤木先生がおっしゃったこと、そのままで失礼します……まず、弥生時代から国家が成立をしはじめ、身分制度が始まったと教科書には書いてありますが、事実と異なる部分があります。まず、縄文時代には国家の前段階としてのクニがあり、戦争がありました。そして、敗北したクニの人々は、勝利したクニの人々の奴隷となりました。特に、旧支配者層は弾圧を受け、生活するうえで著しく不便な地域へと強制移住させられました。これこそが、現代でいうところの被差別集落問題という国民的課題の始まりであり、その基礎を固めていったのが縄文時代です。すなわち、マルクスの用語でいうところの階級闘争です。虐げられた者たちは、物的生産過程の変遷によって古い生産関係を破壊し、新たな生産手段を身に付け、やがては支配者層への反逆を果たす。この典型が、平安時代に起こった鉄器の生産性革命における自立的村落の始まりです。これはそう、すなわち、弁証法的発展です」


 教室内が静寂に包まれる。

 ――静けさを破って、拍手が聞こえた。赤木ひとりによる。


「素晴らしい! 神部~、相変わらずだな。今回も満点を期待してるからな。弁証法的発展、なんと素晴らしい響きよ! ああ~、でもな。さすがに教科書にない範囲はテストに出せなくってな、申し訳ない。でも、君のようにやる気のある生徒がいる以上は、いつかはそんな問題を出してやろうと思うぞ、先生」

「恐縮です」


 教室内の空気は、しらけている……と思う。

 誰かが舌打ちをした。コソコソと話がはじまる。

 いつものことだ。

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