第九章 退屈だったもの
翌年の冬は厳しかった。
王都の貧民街では凍死者が出た。
セシリアたちの部屋の窓にも、朝になると内側から薄い氷が張った。
ユリウスは酒をやめられなかった。
マルタにも捨てられた。
「昔は近衛だった」
その話を繰り返すだけの男に、女は飽きた。
セシリアも以前ほど金を稼げなくなっていた。
痩せた。
肌が荒れた。
髪から艶が失われた。
かつて鏡を見るたび、自分は美しいと思っていた。
今は鏡を見なくなった。
ある晩、古い箱から一枚の招待状が出てきた。
王家主催の春の舞踏会。
婚約していた頃のものだった。
「こんな生活になるなんて、思わなかった」
ユリウスは返事をしない。
「ねえ」
「何だ」
「アルフォンスなら」
口にした瞬間、ユリウスがこちらを向いた。
それでも続けた。
「アルフォンスなら、こんなことにはならなかったでしょうね」
「なら、あいつのところへ帰ればいい」
「帰れると思う?」
「お前が捨てたんだろう!」
「あなたも一緒に笑っていたでしょう!」
怒鳴り合う。
しかし昔ほどの力はない。
やがて二人とも疲れ、黙った。
ユリウスが壁にもたれて呟く。
「俺は侯爵家の息子だった」
セシリアは招待状を見つめた。
「私は公爵夫人になるはずだった」
口にしてから、首を振った。
「違うわ」
「何が」
「私は何にもなるはずじゃなかった」
ユリウスが見る。
「アルフォンスが公爵になるから、その妻になるだけだったのよ」
自分に公爵家を豊かにする能力があったわけではない。
領民を食べさせることも。
商会を動かすことも。
冬の薪を用意することも。
街道を直すことも。
アルフォンスがやっていた。
自分はその隣で宝石を身につけ、褒められていただけだった。
夜会で彼が家令と話しているたび、退屈だと思った。
『北部街道の橋を先に直そう』
『小麦価格が上がる前に備蓄を放出する』
『薪が不足しそうなら今のうちに買い付ける』
全部、つまらない話だった。
今なら分かる。
あの退屈な話の一つ一つが、人間の暮らしを守っていた。
「私は」
セシリアは招待状を握った。
「何を見ていたのかしら」
ユリウスは答えない。
「宝石も、ドレスも、馬車も、暖かい部屋も」
一つずつ思い出す。
「全部あの人が用意していた」
「もういい」
「私、一度でもありがとうって言った?」
「やめろ」
「言ってないわ」
涙が落ちた。
貧しくなったから泣いているのではない。
ようやく分かった。
自分が捨てたものが何だったのか。
そして、自分が彼に何をしようとしていたのか。
もしあの計画が成功していたら。
ユリウスとの子を、アルフォンスは自分の子として抱いていた。
きっと大切にした。
真面目な男だから。
責任感の強い男だから。
何も知らず、その子の未来を考えた。
自分はその横で笑っていたのだろうか。
「最低ね」
セシリアが呟いた。
「何が」
「私が」
ユリウスは何も言わなかった。




