第三章 婚約破棄
婚約解消の手続きは、驚くほど短かった。
グランフェルト公爵邸へローデンベルク伯爵とセシリアが呼ばれ、ヴァレンシュタイン侯爵家からは当主とユリウスが来た。
王家から立会人も派遣された。
セシリアはまだ、自分ならアルフォンスを説得できると思っていた。
「アルフォンス」
話し合いが始まる前、いつものように名を呼んだ。
「私たち、幼い頃からずっと一緒だったでしょう?」
「そうだな」
「なら、話を聞いて」
「聞いた」
「え?」
「十分に聞いた」
机の上に七枚の紙が置かれた。
「四月三日、十二日、五月一日、八日、十九日、六月二日、十一日」
セシリアの顔色が変わる。
「確認できた密会の日付だ」
「それは」
「さらに六月十一日、二人が話していた内容について証言がある」
ユリウスが立ち上がった。
「盗み聞きか!」
「座れ」
ヴィルヘルムの低い声に、ユリウスは動きを止めた。
アルフォンスは一枚の紙を読み上げた。
「セシリアが私と婚姻した後も関係を継続する。ユリウスを公爵家に入れる。二人の間に子ができた場合、私の実子として届け出、公爵家の後継者とする」
「違うの!」
セシリアが叫んだ。
「何が違う」
「あれは冗談よ!」
「なら、面白かったか?」
その一言で、部屋が静かになった。
アルフォンスは初めて彼女を真正面から見た。
「私は面白みがない男だから分からない。教えてくれ。どこが面白かった?」
「アルフォンス……」
「他人の子を私に育てさせ、公爵家を継がせる話のどこが冗談だった?」
セシリアは何も言えなかった。
婚約はその場で解消された。
グランフェルト家からローデンベルク家への援助も終了する。
ただし貸付金については契約通りの返済期限を守ればよいとされた。
アルフォンスは取り立てを早めなかった。
違約金を追加することもしなかった。
「公爵家として要求するのは、契約書に書かれているものだけです」
それだけだった。
ユリウスは近衛騎士を罷免された。
これはアルフォンスの要求ではない。
王宮警備を担当する近衛騎士が、公爵家の嫡男を欺き、血統を偽装する計画に参加していた以上、王家がそのまま置いておけなかった。
ヴァレンシュタイン侯爵も息子を庇わなかった。
「今日から、お前は我が家の人間ではない」
ローデンベルク伯爵も同じだった。
娘を除籍しなければ、伯爵家そのものが共謀を疑われる。
セシリアは泣いた。
「お父様」
父は見なかった。
最後に残ったのが、二人に対する刑事告発だった。
爵位継承を不正に操作する計画は、単なる男女間の不貞では済まない。
そこで双方の家と王家の立会人が協議した。
結果として、二人が結婚し、互いの扶養責任を負って独立して生計を立てるなら、公爵家は告発の一部を見送ることになった。
婚姻を解消した場合、猶予された訴えを再び審理できる条項が付いた。
法律上、離婚できないわけではない。
ただ、離婚すれば過去の問題が再び裁かれる。
「嫌よ」
セシリアが言った。
「では裁判を受ければいい」
アルフォンスは淡々と答えた。
「そんな……」
「愛し合っているのだろう」
皮肉ではなかった。
それがかえって残酷だった。
「望んだ相手と生きられる。何が不満なんだ」
署名の直前、セシリアは最後に彼に縋った。
「アルフォンス。お願い。昔のことを思い出して」
「覚えている」
「だったら」
「覚えているから許せない」
彼女の手が止まった。
「知らない女なら、ここまで傷つかなかった」
セシリアの唇が震えた。
「昔のお前なら、許せたかもしれない」
一瞬だけ、希望が宿った。
「だが、昔のお前はもういない」
二人は署名した。
その日を境に、アルフォンスは一度も二人に命令を出さなかった。




