配役決定
午後6時。
夏とは違い、もう既に辺りは闇に落ちるころ。
今日は部活は休みの日だが、俺は燐音先輩に呼び出されて、部室のドアの前に立っている。
「あっ、先輩。こんばんは。」
「やっ、水月。ごめんね、待たせて。すぐ終わらせるつもりだから。」
先輩がいつもと変わらぬ様子で話しかけてくる。
長い髪が垂れかかっているのは、今回披露する台本のものだった。
自分の髪をちょいとどかして、その台本を目線が届きやすい位置くらいに持ってきて、1ページ目を開く。
「いましがた、夏希達と色々決め終わったところで、あと一役除けば、全員の役が決定してるんだ。」
「その一つの役が俺に関係があるってことは、俺が受けた役ですか?決まってないのって。」
「いいや。そっちはもう決めた。第一、受けた本人にどうするかを決めてもらうのはナンセンスだし。
僕が話したいのは、君津と月乃の方。」
その言葉に、少し顔がこわばる。
君津と月乃。
二人の演技はほんとに良かった。
確かに、どっちを決めるかなんて、そう簡単にできることではないと感じた。
でも、だからこそ分かる。
今日ここに呼ばれた理由。
「選ぶんですか。俺が。二人のどっちかを。」
「ふふ。正解。話が早くて助かるよ。正直、君津と月乃。どっちをとっても成功すると思うんだ。この二人に限って失敗はないだろうし。
だから、君が決めて欲しい。直感でも理屈でも構わない。君が決めたという事実が、おそらく最後のピースだからね。」
そう誇らしげに語り、パタンと台本を閉じる。
紙が擦れる音すらも敏感に感じてしまう程の、沈黙。
考えれば考えるほど、思考が目まぐるしく周り、意見を翻しては戻ってくる。
一瞬、選ばれなくても大丈夫そうな方、なんて考えがよぎったが、それは燐音先輩の言葉によって粉々に砕け散った。
「言っておくけど、結果ってのは無情で絶対的なもの。それを優しさなんかで決めるのは論外だし、それを受けた本人はきっと惨めな気持ちになる。それになにより、君が想いを込められない。今、欲しいのは、君がイマジネーションをぶつけれる人。君自身のエゴなんだ。」
自分の…心。
"悩んでいるな、水月。"
…こうして話すのってなんか久しぶりだな。そぞろ。
"そうだな。最近は意識が統合されつつあるから、こうやって話すのは、君がまた、何かにつまづいてる証拠ともいえるだろう。"
はは、なんかだっさいな、俺。少しは変わったと思ったのに。
"変わったからだ。悩みは、いつだって同じことを繰り返している者には訪れない。また、それを変えようとも思っていない者にも。悩めるということは、生きてることを実感するのにこれでもない程明確なものだ。"
頭の中で、彼の声が響き渡る。
いつものような落ち着いた声色で、優しく見守るような温もりをくれる。
決める基準ってのが曖昧で、俺はそれを掴めてない。
月乃も君津も、どちらも変わったようにも見えるし、その核は変わってないように見える。だから、変わったかどうかを基準にするのは、違うと思うんだ。
"同意する。では、こう考えてみればどうだ?
どちらを自分の手で変えたいのか…と。"
俺の手で…?
"ああ。君のエゴとやらが必要ならば、共演者として、一人の人間として、その人を自分に染めたい。そう願うのは、とても合っていると感じる。"
そんなこと、する権利があるのかな。この俺に。
"勇気がないのなら、棄権すればいい。どの道ステージに立つのなら、それは桜を落としたことになる。
もしそれができないのなら、桜に渡した方がいい。こういう役回りは、彼の方が、よっぽどそれが似合うはずだ。"
嫌味だが、正論だ。
俺が選ばれるのなら、それに応えるくらいには自信を持つことは、桜にとっての礼儀だ。
じゃあ、俺はどっちを変えたい?
どっちを自分に染めさせたい?
……………
「決まったかい?」
「…はい。俺が選ぶのは…」
「さあさ始まってまいりました演劇部!今日はみなさんお待ちかねのー?配役発表だー!」
「いえーい!パチパチパチ!」
いつもの部室。
少し寒気がするくらいの気温を吹き飛ばすように、体全体を使ってエネルギッシュに燐音先輩と夏希先輩が場を盛り上げようとする。
一年のみんなもそれに同調して、花音も興奮冷めやらぬといった様子である。
…とうとう決まる。
そして知られてしまう。
俺がどちらを選んだのか。
急に水が飲みたくなって、水筒に手を伸ばして喉を潤す。
飲み終わったあとには、先ほどまでの騒がしさがどこかに消え失せていて、空元気のような状態から、全員が目を覚ました。
「…おい、燐音。あの後一人で決めると言ってどこかへ行ってしまったが、ちゃんと決めたんだろうな?」
「全く…僕ってそんな信用ない?安心してよ、僕は境内をけいないって読まないタイプ!しっかりと選ばせて貰ったさ。」
「ならいい。場の空気も出来上がっているようだし、そろそろ発表しようか。」
紗香先輩が前にきて、燐音先輩から台本を受け取る。
1ページ目をぱらっとめくり、いよいよその時がやってくる。
「まずはこの台本の話から。作品名"宮川探偵事務所!"
主人公、宮川一奈と朝日大輔が経営するへっぽこ探偵事務所に、突如として、高校生の鶴澤千佳が働きたいと申し出てくる。そして3人になった探偵団で、事件の調査を進めていく。そんなストーリーだ。
ではまず、オーディションがなかった者からおさらいとして呼んでいく。
佐原廻役、足利花音!
滝沢玲央役、豊臣燐音!
羽咲美雨役 織田紗香!
上妻来賀役 徳川夏希!
そしてここから、オーディションを受けた者だ。
最初は主役とその相棒。宮川一奈役と朝日大輔役。
お互いの動きをよく理解して、いいアドリブをしてくれた…
津田香奈恵!
木戸雄馬!」
「うっしゃ!」
「やったね!雄馬君!」
「そして、藍川洋役、
演技力で圧倒的力量差でステージを彩る人物…
松尾水月!」
「やりましたわね!水月さん!期待しておりますわ!」
「任せておけって!…さて。」
目線を横に送る。
二人とも、どこを見てるのか、何を考えてるのか、自分でもわからなくてなっているだろう。
石像のようにじっと待って、しかし体は正直で、その手は汗で滲んでる。
…後悔はさせない。
俺が、最高の姿に導いてやる。
「最後に、主人公とはまた違ったこの作品のメインを務める鶴澤千佳役。このキャラの配役は、松尾水月が決めたもの。それに間違いはないな?」
「…はい。俺が扱いきれないくらい、思い切りのいい演技をしてくれそうで、俺に合わせないような人。そんな人と、一緒にやってみたいんです。」
「…では、鶴澤千佳役。お前に任せよう。
空海月乃!」
「……はい!」
「以上だ!では、これからその役で台本を読む。全員、台本を用意しろ!」
部活終わり。
私はこの前と同じように、君津と並んで下校している。
友達なんだから、別にそれ自体は変なことではないのだが、やはりというべきか、気まずさが勝ってしまっているのが現状だ。
自分の名前が呼ばれたことへの昂る気持ちを、どうにかこうにかして抑えようとすると、またいつものようなポーカーフェイスになり、それはそれで、勝ったことに大した何も感じてないみたいな雰囲気になって…
そう一人でぐるぐる考えていると、急に君津が吹き出すように笑う。
「…なに?」
「いや、負けちゃったなぁって、ちょっと落ち込んでたんだけど、勝ったのにまだドキドキしてる月乃ちゃんが面白くって。」
口に手を当て、ニヤニヤ笑いながらこちらを見る君津に、心配して損した気分になる。
なら、こちらも少し反撃だ。
「君津こそ、ずっと松尾が好きだったんでしょ?あの人が私を選んだことはどう思ってるの?」
「まあ、当然悔しいし、昔のことに執着してた私だったら、立ち直れなかったかも。でも今はそれより、早く月乃ちゃんと水月君の共演が観たいんだ。それと、月乃ちゃんが水月君のことをどう思ってるのかってことも。」
街灯にきらりと目を照らされた君津が、またあの顔で私に笑いかける。
私が松尾をどう思ってるのか。
そんなことを急に言われても、よくわからない…が、これだけは言える。
「別に好きなんかじゃない。これは見栄を張ってるわけじゃないし、残念ながら、君津が求めてる答えは出ない。」
事実、あいつの顔を思い浮かべても、何も感じやしない。
ただまあ、料理はそこそこ…
「水月君は、多分月乃ちゃんのこと好きだと思うよ?」
「…からかわないで。」
「あっ!照れてる?」
「うるさい!こういうのは話が展開された瞬間に水掛け論でしょ!」
ああ、もう、ほんとにムカつく。
私が?
なんで?
あんなやつに?
いや、違うから。
私は見てほしいとは思ったけど、そういう好きとかになってほしいじゃないし、第一、中学から今に至るまでなんのイベントも…
「ふふっ、あはははは!ほんっとうにわかりやすいね、月乃ちゃんって!」
「…最悪。頭のネジ、何本か外れたんじゃないの?」
ギロリと睨みつけるが、効果なし。
君津史上最高の笑顔と言っていいほどのその顔は、人が往来する通りに混じることはなかった。
「まあまあ、そんなに睨まないで。私にも私なりの考えってのがあるの。」
「…聞いてあげる。というか、ちゃんと理由あるんだ。おちょくってるだけじゃなくて。」
「まあおちょくってるのもあるけど…私、3年になったら、演出監督になりたいんだ。人に見せたい姿を見せるのは、何も、私自身の体で表現するものだけじゃない。
私の理想の人が、二人一緒に共演するんなら、それを完璧に仕上げるのも、悪くないんじゃないかなって思ったの。」
「…つまりこれは、未来の演出監督様の仕込み?」
「うん。月乃ちゃんに水月君を意識してもらおうと思って。実際は、水月君が月乃ちゃんを好きかなんて全くわからないよ?」
「…はあ、ほんとに最悪な気分。」
「あ!それってー、水月君が自分を好きじゃないかもしれないから?やっぱり好きなんだね、水月君のこと。」
「だから!そうじゃないって言ってるでしょ!」
ああもう、教えてあげたい。
今の私の胸中を。
こんなに何かが渦巻いて、苦しくて、話したくても話せないような、これが最悪な気分以外のなんなの?
それから何かをずっと言われた気がするけど、全部生返事。
これ以上詰め込まめたら、破裂しそうな気がするから。
そんなこんなで、いよいよ分かれ道に着く。
君津は終始楽しそうな顔をしていて、あんなに眩しかった顔をもう見たくないと思えるのは、ずっとサイゼリアに通っていた時期を思い出させる。
「やっと着いた。帰り道の方が疲れた。」
「私は元気だったよ。月乃ちゃんがいい反応してくれたから。」
「はいはい。それじゃ、おやすみ。」
道を右に曲がろうとする。
その瞬間、背中に大きな君津の体がばさっと覆い被さる。
「…何?今度は。」
「…こういう、体で表現するのって、舞台ならではだよね。共演者にはもちろん、観客の人にも視覚的に伝えやすい。」
そう言って、私に抱きつく力を強める。
握りしめた拳をそっと重ねてあげて、私はしばらく身を動かさずに、私の背中を貸してあげる。
「分かってる。私は君津の分まで頑張る。勝っただけ、みすぼらしい姿に終わらせない。君津もそれが嫌で、私達を応援してくれるんでしょ?」
「そう…だね。でも、二人のことが大好きで、もっと良く見られたらって思うのは本当。
…ねえ、耳貸して。いい案があるんだけど。」
……………………………
「…本気で言ってる?」
「うん。ダメ…かな?」
蚊の鳴くような、消え入りそうな声。
…私は役者だ。
演技が嘘だという話には反対だが、まあ今はその言い訳を使うとしても…
「それ、本番当日に、いきなりやるんでしょ?サプライズ的なノリで。そんなの、他の人達が…」
「着いて来れるよ。みんな、即興劇上手かったもん。
…お願い。私を、どうか連れてってほしいの。」
月明かりが差す。
まるで舞台の上の照明のように。
流石演出監督様だ。
私は勝者で、主役とくれば、もう出せる答えは一つしかない。
「分かったよ。連れてってあげる。そして、着いて行かせる。私の背中を追わせてね。」
…月乃ちゃんは、今日も眩しい。
次回、やっと劇スタートです。
水月絡みの話が思ったより長くなり、リアルの方の慌ただしさも相まって、ここまでくるのが凄く長く感じました。
この劇が終われば、いよいよ最終章です。
できる日常回も少なくなってきたし、ここまできたのなら、有終の美を飾れるように、構成を練ります。
あと、他の方のモノを読むと、みなさんちゃんと改行してるし、そっちの方が見やすいなと思ったり思わなかったり。
そんなこんなで、次の劇は"宮川探偵事務所!"
へっぽこな探偵とその助手の二人。
彼女らが劇中で'"見る"ということの大切さを説けるような、そんなお話にします。
どうぞ、お楽しみいただけたら幸いです!




