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第五話

今回はデート回です。

動物園に行くのは小学生の時以来かもしれない。


約束の前日の夜、ざあっと雨が降り、急いで20個ほどの即席てるてるぼうずを作り、自分の部屋だけでは飽き足らず桜良やリビングの窓のところにまで吊るした。


「ちょっとなんか怖いんだけど!」と桜良に文句を言われたが、おれは聞こえていないフリをして夜ご飯と一緒に弁当の仕込みを始めた。


夜ご飯のアスパラの豚肉巻きをいくつか小皿に分けておいたのでそれと、あとは朝に卵焼きとタコさんウインナー、茹でたブロッコリーあたりでおかずはいいだろう。メインはサンドイッチにする予定だ。ハム、チーズ、卵、きゅうり、レタスあたりを使ってラップに載せてくるくると巻くと一口サイズの食べやすいサンドイッチが出来上がる。昨日、TikTokを流し読みしている時に紹介されていたのだ。


作り置きしておいてもいいが、やはりパサパサになってしまうかもしれないのでやはり当日に用意したい。


いそいそと用意していると、お風呂上がりの桜良がタオルで頭を拭きながら覗き込んできた。


「ていうか、その一緒に行く彼女にお弁当作ってもらわないんだ?」


「か、彼女とかじゃないし!同級生だよ、ただの同級生!」


慌てたように弁解するおれを、桜良はどこか含みのある笑みを向けた。


「ふーん、高校生男子が前の日の夜からせっせと弁当を用意する相手がただの同級生ねぇーそんなことあるのかなぁー」


「いいから!早く髪を乾かしてこいって!母さんは?まだ仕事部屋?」


夜ご飯を急いで食べてすぐに部屋に閉じこもってしまった母は、締め切りが明日のようでげっそりとして覇気がなかった。


「うん、もうちょっと仕事の目途がついてから勝手にお風呂に入るからお湯の栓は抜かないで置いてって」


「そっか、分かった。じゃあおれもお風呂入ってさっさと寝ようかな」


明日は土曜だが、「SAKURA」はまた朝から営業だ。父さんは朝早いのですでに寝ている。桜良も明日は込み合う昼前にはまた手伝いに店に行くらしい。


以前、父さんにおれも店を手伝おうかと打診してみたが見事に断られた。一番可能性を秘めている高校生の時期にこそ、部活だったり勉学だったり友達との付き合いを大事にしてほしいと目を真っすぐ見て話してくれた。桜良にもパートさんがいるから自分のしたいことを優先して欲しいと話したらしいが、彼女曰はく、今まで習い事でほとんど周りの友人たちと遊んでこなかったのと、家業の手伝いを優先したいのでと中学に入ってから帰宅部に徹することにしたので問題ないと。ただ、お店が開く前からよく土日は父さんと台所に立ってパンやお菓子を作っていたので、そちらに力を入れたいという気持ちは本物なのかもしれない。


父さんは嬉しさと複雑さを交えた表情をしていた。


風呂に入る準備をして洗面所に向かう途中、カチカチと母さんの部屋からマウスをクリックする音がしきりにしていた。父さんのお店が軌道に乗ってきたものの、母さんは仕事量を減らすことをしなかった。まだ見ぬ未来への投資というのがあるのか、住む場所や環境を変えざるを得なかった部分は自分の力不足、経済力不足という負い目を少なからず抱えているのかもしれない。


母さんが抱えきれなくなった家事の負担は、なるべくおれと桜良で分担するようにしているが、今後、おれが陸上部に入ればそれが厳しくなるかもしれない。大会が近くなれば練習量も増えるし、土日なんかも潰れるかもしれない。


だけど、この前羽が生えたように走れた感覚を思い出すと、未だに身震いがする。むしろ、歓喜の震えが体中を走り抜けていくようだ。また、あの感覚を味わいたい。でも、桜良一人に押し付けていいのか。桜良だって部活は入っていないものの、もしかしたら今後やりたい部活が出てくるかもしれないし、家庭のために辞めてしまった習い事をまたやりたいと思うかもしれない。「お兄ちゃんは気にしなくていいの」と今は笑って言われるけれど、おれと桜良と母さんと父さん、四人で一つの共同体、そして皆で助け合って生きていく。そんなことを考え始めたのは、父が元の会社を退職し、一気に環境が激変してからだ。そして、父さんのお店が軌道に乗るまでは、誰もが不安や不満でいつもぴりぴりしていた。


もうあのような触れると火傷するような不安定な共同体に戻りたくない。


そのために、これからおれはどこまで自分の意志を家庭という天秤にかけて生きていけばいいのだろう。




目が覚めると、てるてるぼうず大量作戦が功を奏したのか薄曇りだったが雨は止んでいた。おれは小さくガッツポーズをして、そのままベッドから降りた。


父さんは疾うに家を出たようで、洗いそびれた紺色のマグカップがシンクに置きっぱなしになっていた。最近は朝ごはんを食べると眠くなるというので、空きっ腹にコーヒーのみを入れて出勤しているらしい。コーヒーだけであんな重労働の仕事をほぼ一人でこなせるのか心配になるが、仕事後の父は以前の会社勤めの時よりも大分表情が明るいのでそんな心配をあらためてぶつけるのも野暮なのかもしれない。


卵焼きやたこさんウインナーを作る。甘ったるい卵焼きと、あまり味付けのない薄い卵焼きを別に作っておく。薄い卵焼きはサンドイッチ用だ。家での料理もほとんどが桜良で、おれはアシスタント程度でしかないのでTikTokの見様見真似とはいえ一人ですべてをこなすのはやはり緊張する。


作っている途中ではた、と思い当たる。権田原さんに弁当を作っていくという旨を相談していなかったことを。勝手に、彼女は喜んで大きな口でばくばくと食べてくれるだろうという自分勝手な押し付けがましい想像だけで遂行してしまった。


もしかしたら、彼女もお弁当を作ってくるかも。


いや、もちろん、権田原さんの手作りのお弁当はものすごく食べたいが、おれも作ってきたら嫌な気持ちにさせちゃうだろうか。大したものは作っていないが、このくるくるサンドイッチは両端を赤やピンクのリボンなんかで結んでしまって乙女趣味全開みたいな構図になっているから気持ち悪いとか思われはしないだろうか。


そんなことを悶々と考えていたら、いつのまにか家を出る30分前に差し掛かっていた。まだ顔も洗っていないし髪型もセットしていない。


急いでお弁当を包むと、余っていた食パンを焼かないでそのまま口に放り込んだ。バタバタしていると、眠気眼の桜良が目をこすりながら起きてきた。


「お兄ちゃん、まだ行ってなかったの?」


「あ、桜良、お弁当の残りあるから母さんと朝ごはんにしてな。帰りは、そんなに遅くならないと思うから夕ご飯は一緒に準備しよう」


「いいよー今日くらい夕飯も一緒に食べてくればいいじゃん。まぁ、まだ高校生だし、朝帰りとかは止めといた方がいいんじゃない?」


にやにやしながら話す桜良に、おれは「何言ってんだ!」と何故か狼狽えながら返事をした。


姫ケ丘動物園は開園して25周年の古くからある動物園だ。約260種類の動物や昆虫たちが飼育されている広大な敷地の中で、自然に近い環境の中暮らしている。広大な敷地のため、園内バスが走っていて子供たちに人気だ。


権田原さんは白いキャップにグレーのクロップド丈のパーカーにジーンズといった格好で入り口に立っていた。制服しか見たことのないおれは声を掛ける前からドキドキしていて一瞬息をするのを忘れたくらいだった。権田原さんは待っている間もキャンバスを片手に何かを考えているようだった。おれは白のロンTシャツの上から黒のテーラードジャケットを羽織り、カーキのパンツを履いた無難なスタイルだ。普段からあまりおしゃれに気を使わないおれは、何日も前から桜良に相談をしてやっと今日のスタイルを作り上げたのだ。


保冷バックを掴む手の平にじんわりと汗が滲むのがわかった。おれが何気なく見つめた風に声を掛けようと一歩足を踏み出すと、キャンバスから権田原さんが視線を挙げたので不自然に笑みを浮かべたおれと目が合ってしまった。


「―—―多田くん!」


「権田原さん、ごめん、待たせた?」


「いや、約束の10分前に来たからそんなに待っていないぞ。それに、今日はたくさんの動物たちの姿を目に出来るから何を題材にしようか迷ってしまうと思ってな。むしろとてもわくわくしていた」


目をキラキラさせながらそう語る彼女に、おれは実は30分前には来て見えないところからスタンバってましたと、そんな気持ちの悪い発言は出来ないと思い立った。


「でも、貴重な土曜日に私なんかのために時間を削ってもらってすまない。多田くんは、陸上部にこの前見学に行ったのだろう?」


「あーうん、中学の時に陸上やってから。あと長崎くんと増島くんにも誘われたし、見学だけしてみた」


「やっぱり、入部するのか?」


「うーん、そうだね、やってみたいとは思っているけど、まだちょっと悩んでいる部分があるかな。でも、まぁ、今日は権田原さんの絵の参考になればとここに来たわけだし。楽しみながら、題材を探そうよ。おれも小学生以来なんだよね、動物園に来るの」


「そうなのか?私は幼稚園の卒園遠足で行ったきりかもしれないな。父親が動物アレルギーで、動物園に来るだけでくしゃみが止まらなくなるんだ」


そんな他愛のないことを話しながら権田原さんと動物園のゲートをくぐった。




園内はアジア、アフリカ、オーストラリア、昆虫と4つの層に分けて展示されているようだった。正門をくぐるとまずはアジア園で、コウノトリやタヌキ、またマレーバク、アジアゾウ、大きなゲージに入った鳥たちを間近で観察できる豊富な展示であふれていた。権田原さんはユキヒョウの展示で足を止めていた。ユキヒョウは灰白色に黒い斑点が散らばった模様をしており、雪山での保護色として役立つらしい。


「何かしっぽが長いね」


「ユキヒョウの尾はネコ科の中でも長いらしい。岩場に飛び移る際には、上下左右動かしてバランスをとっているらしいな。足の裏には肉球の間にも毛が生えていて、断熱効果と、滑り止めの役割を果たしているらしい。過酷の環境で生き抜くには、こういった適した構造をしていないと、難しいということだな」


「……権田原さん、凄い詳しいね」


おれがそう言うと、彼女は鼻高々にふふんと笑みを浮かべた。


「昔、動物博士になりたくて色々と図鑑を読んでいたんだ。でも、図鑑の絵を描き写しているうちに、絵を描くことの方が好きになってきたんだ」


「そうなんだ……」


権田原さんの横顔を見つめていると、どこからかさあっと風が吹いて彼女の髪が頬に掛かりきれいな形の鼻梁が目に入る。彼女は、確かにそこにいるはずなのに、なぜかふっと影が掛かるように消えようとする感覚に陥り、おれは瞬きをした。


「―—―権田原さん!」


おれが声を荒げると、権田原さんはゆっくりとこっちを見て薄く笑みを浮かべた。


「私は、ここにいるよ、多田くん。私は消えてしまうと思ったのか?」


消えてしまう、そんなことあるはずがないのに、何故か無性に不安が押し寄せてきた。いつもよりも心臓が早鐘を打っている。


「消える、いや、そんなことあるはずがないのに。何だろう、急にごめん」


急に恥ずかしくなりおれは下を向くと、いつの間にかぐっと上体が前につんのめった。


右手に、温かい感触があった。


「ほら、こうやって手を繋いでいれば私がいなくなった時にすぐに気付けるだろう?」


視線を上げると、彼女は恥ずかしそうに頬を染めていた。慣れているのか思った、おれが軽率だった。すべては、彼女の思いやりでしかなかったのに。


おれは嬉しくて嬉しくて何かを口にしようとしたが、彼女の感触を再認識するために更に強く握り返すことしか出来なかった。

基にした動物園は多摩動物公園です。

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