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第三話

店から歩いて5分もしないところにあひる公園という呼称の公園がある。


ただ、公園の入り口には藤が丘第一公園と書かれた石銘板が置かれている。


あひるの形をしたスプリング遊具が昔あったのだが、老朽化のためかいつのまにか撤去されていた。だけど、おれは小さい頃からこの公園をあひる公園と呼んで友人たちと遊んでいたのでそのまま呼び続けている。


「そういやこの入口の輪っかみたいな奴邪魔だよね」


秋人がそう話すのを、権田原さんは人差し指を立てながらにやりと口元に笑みを浮かべた。


「分かっていないな、これはいわゆる車止めだ。車やバイクの侵入を防ぐためだから必須なんだ。あとは公園で遊んでいる小さな子供が一気に外に飛び出すのを抑制する効果もありそうだな」


「ふーん」


心底興味なさそうにそう言う秋人に、権田原さんの隣に立つ福永さんは眉をひそめている。険悪な雰囲気になる前に、「中に入ろうよ」とおれは声を掛けた。


昼時なこともあってか、ベンチに親子と散歩の帰りなのかおじいちゃんが座ってお茶を飲んでいた。


「座る場所はないかもしれないな、まぁ、立って食べても問題ないしな」


四人は邪魔にならないよう自転車を停めると、公園内をうろうろし始めた。


ベンチやブランコ付近に大きな木があった。4月とはいえ日差しが強く、木陰にお世話になることにした。


権田原さんはエビフライコッペを取り出し、大口を開けて食べ始めた。名残惜しいと思いながらも、彼女は美味しそうに相好を崩しているので次に行った時は絶対に購入しようと決めた。


「ごんちゃん、何個買ったの?」


「さっき一つ食べたから……全部で四つだ」


「え?そんなに買ったの?」


福永さんがびっくりしたようにそう言った。


「あのパン屋さんのパンは格別に美味しい。本当はもっと購入したかったが、今月は画材とかに使ってしまってあまり残っていないんだ」


しゅん、という擬音が浮かんでくるような落ち込みように、おれは「がざい?」と思わず口に出していた。


「ごんちゃんね、めっちゃくちゃ素敵な絵を描くの。中学の時に美術部で、そこで出した絵が全国学生美術展で推奨を取ったんだから!しかも中学1年から毎年!」


福永さんが目をキラキラさせてそう力説する。そこで、がざいが画材であることに気が付いた。そして、今日窓のところで一心不乱に絵を描いていた姿を脳裏に浮かべ、腑に落ちた。


「入学式初日から権田原さん、すでにスケッチブックに海の絵を描いていたよね。あと、その全国なんちゃらで推奨って凄いことなの?」


「推奨はランクで言うところの一番上。その下は特選、佳作、入選って続くの。佳作までは東京の美術館に一定期間絵が貼られるんだよね」


福永さんの説明に、へえーとおれと秋人は声が合わさった。


「画材は高いんだ。私は油絵を中心にやりたいんだが、絵具をそろえようとするとなかなか厳しい。母は絵を描くことを応援してくれているが、父は将来金にならないようなことは趣味で留めておけという考えの人で、出来る限りお小遣いの範囲内でやっていくしかない」


権田原さんはもぐもぐと小さく咀嚼しながらそう呟いた。


「アルバイトすればいいじゃん」


もしくは、と付け加えて秋人はスマホを出した。


「インスタとかで、稼ぐとか。俺のフォロワーたち熱狂的なファンが多いから、サブスクリプションで安定した収益源になるってわけ」


「え?秋人、そんなことしてたの?」


「まぁ、月に数万円ってところだけど。あまり稼ぎすぎても申請がめんどいし。芙由ならイラスト販売とかすればいいんじゃないの」


さらりと言う秋人に権田原さんはごっくんと大きな音を立てて嚥下すると、「そういうことじゃない」と少し声を荒げた。


「私は、私の描いた絵を販売して収益化したいとか、そういうわけじゃない。昔、秋人に言っただろ。私はたくさんの人たちに自分の絵を見て感動してもらいたいって。それだけなんだって」


「聞いたよ。だけど、画材を買うのにお金がいるんだろ?それなら絵を見てもらいたいだけなんて、綺麗事言ってる場合じゃないじゃん。おじさんの言うとおりだよ。アートは本当に金にならない。金を生み出しているのは、本当に選ばれた一握りの人間だけ。その現実を受け入れて、今は少しでも金になる方法を模索するしかないんじゃないの?」


秋人の言葉に権田原さんはとても傷ついた表情をした。


秋人の言いたいことは分かる。おれはアートに関しては門外漢だが、芸術家で成功して食べていける人はほんの僅かなんだろう、ということも何となく分かる。だけど、あんなきらきらした表情で絵を描く人を、おれは見たことがなかった。


そんな彼女の表情を曇らせたくなかった。


「あのさ―――」


「ほんっとうに、安東くんって現実至上主義者!そんなこと、ごんちゃんはよーく分かってるわよ。将来、絵を描くことを仕事にしていきたいと思うことがいばらの道だってこともよく分かってる。だけど私は、その現実を今のうちに受け入れて、筆を折るようなことをして欲しくない。目指すなら妥協しないで全力でぶつかっていくべきだと思うから。ごんちゃんの描く絵が、すっごく好きだから!」


最後は涙声になりながら、福永さんはそう言い放った。


おれが彼女の夢を応援したいという上っ面な擁護は必要なかった。権田原さんを中学時代からよく知っている親友がすべてを語ってくれたから。


「まこっちゃん……」


秋人は何の反応もないまま、食べかけのパンを自転車の籠に入れた。


「なーんか、俺の所為で雰囲気悪くしちゃったみたいだから帰るわ。別に、芙由の夢を応援してないってわけじゃないから」


手の平をひらひらさせながら秋人は自転車を引いて公園を出て行ってしまった。


ふーふーと息を荒くする福永さんの腕に掴まる権田原さんと、所在無さげに立ち尽くすおれ。これって、大分場違いだよな?


「ごめん、ごんちゃん、安東くんとの関係面倒にしちゃって」


「ううん、秋人とは小さい頃ちょっとうちで預かってたとかそういうだけだしな」


「預かってた?」


後方でおれが声に出すと、今しがた気が付いたかのように権田原さんがゆっくりと後ろを振り返った。


「ああ、秋人から私との関係を聞いていないか?」


おれは首を振った。


「幼馴染……とも違うのかな。私の母と秋人の母が高校時代からの友人らしくて、長期で家を空ける時はうちに秋人を連れてくることがたびたびあったんだ。父は家に他人が入ることを嫌がる人だったんだが、そこは母が頑張って説き伏せていた。二週間だったり、長いと三か月とかだったり。秋人の母、あ、知っていると思うが女優さんだからな、何人か付き合っている男性とかはいたみたいだが、スキャンダルになるのも秋人のためにならないし、信用に足る私の母に白羽の矢が立ったというわけだ。最初は、なかなか心を打ち明けてくれなかったが、私が絵を描いている姿を興味津々で見ていてくれて、一緒にクレヨンや色鉛筆で絵を描いたりしていた」


どこか懐かしむように権田原さんはぽつぽつと語ってくれた。


「私も秋人も中学生になると、もううちで預かるということはなくなっていた。一人で何でも対応できる歳になってきたから大丈夫だ、と。母は気になって何度か秋人の家におかずを持って行ったりしていたみたいだが、門前払いだったらしい。段々と秋人も学校に通わなくなってしまったし、あまり会うことがなくなったんだ。だけど、去年、久々に秋人が訪ねてきて絵を描いてくれないかと頼まれたんだ。先程行ったパン屋さんのちらしを描いてくれないかと。絵を描いてくれと頼まれたのは初めてだったので戸惑いもあったが、秋人に友人が困っているので助けてくれないかと言われたのはびっくりだった。今まで秋人が友人という名の付く人など聞いたことがなかったからな」


権田原さんの言葉に、おれは驚きと喜びで胸が高鳴っていた。胸が高鳴るなんて少女漫画の表現みたいだけど、本当にそういう表現がぴったりだった。


「……権田原さん、実はさ、さっきのパン屋さんは俺の父がやってるパン屋なんだ」


「―――え!そうだったのか?」


権田原さんと福永さんが同時に驚いた顔をした。


「秋人に手渡したちらしがどうなっているか気になって行ってみたんだが、ちらしは置かれていなかったし、少し落ち込んでいたのだがそれよりもあそこのパンが凄く美味しくて―――」


「そのちらし、おれが持ってるんだ!」


権田原さんの言葉を遮っておれはそう言った。


「ごめん、折角作ってもらったのに店に貼ってなくて。気に入らなかったとかじゃないんだ。むしろ、おれが凄く気に入ってしまって、今机の壁のところにずっと貼ってるんだ。昏い海に浮かぶゴンドラが、当時受験でもやもやしていた自分が迷走している感じがして……だけど、差し込む月明かりがそんな不安を打破してくれるような希望の光にも感じていて。あーなんか上手く説明できなくてごめん。あの絵に、おれは凄く勇気づけられたんだ!本当に!」


おれは拳を握り、そう力説した。


権田原さんは呆気にとられた表情をしていたが、すぐに嬉しそうに破顔した。そのくるくると変わる表情に、おれは自然と胸がきゅっと掴まれた感じがした。


「良かったじゃーん、ごんちゃん。あのちらしのこと、気にしていたもんね。だけど、その謎が今日ようやく解けたってわけだ。やっぱり凄いよ、ごんちゃんの描く絵は、誰かを勇気づけるし笑顔にさせる。その効果があるって、私はずっと思っていたよ」


福永さんは嬉しそうにそう言うと、権田原さんは「うん」と小さく呟いた。そして、あらためておれと向き合うと、


「良かった!あのちらしを多田くんが受け取ってくれていて。本当に、良かった。こんな私の絵でも、誰かを救うことが出来るって思うだけで、これからも絵を描き続けられるって思うんだ」


矢継ぎ早にそう言い放った。


この時の彼女の笑顔をおれはずっと忘れない。


いや、むしろこの日から脳裏に焼き付いて離れなくなってしまった。


葉桜が見え始める、そんな4月の春の午後のことだった。

段々と物語が加速していけるよう頑張ります。

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