開かずの間の秘密
「ちょっとそこに正座しましょうか」
ラチイさんが微笑みながら工房の床を指す。私はイエスマン。すとんっとその場で正座をしましたとも。
そんな私の前で仁王立ちしたラチイさんは、私を見下ろした。顔は笑ってるけど、目が笑ってないよぉ……!
「さて、ようやく諸々が片づきましたので、お説教です。智華さん、俺は留守番をしているように言いましたよね」
「そ、その話は昨日終わったのでは……」
「終わっていません。保留にしていただけです」
ああー!
全然終わっていなかったようですごめんなさいー!
「あの、事故だったんです! ムーンが月ノ路を開いちゃって、それがジローにつながっちゃって」
「月ノ路は一人で通らないようにと言ったはずですが」
「あう」
ラチイさんに弁明をはかってみるも、あえなく撃沈。
そうでした、月ノ路は危険だから通らないようにと言われてました。でも、通る通らないを選べたわけじゃなくて、ムーンによる強制転移だったんだけど……うん、ムーンにその躾をできてない私が悪いのかもしれない。そういうことですね、はい。
私の言葉は言い訳にしかならない。昨日からずっとラチイさんに怒られるようなことしかしてないしね。だからこのお説教は甘んじて受けるしかない。受けるしかないけど、でもこれだけは言わせてほしい。
「ごめんなさい、ラチイさん。いっぱい心配と迷惑をかけちゃった。でもね私、後悔はしてない。行って良かったって思ってる」
私はラチイさんを見上げる。
ラチイさんから笑顔が消えた。厳しい視線で私を見下ろしている。
「貴女を親御さんから預かっているのは俺です。もし智華さんに何かあったら面目が立ちません。お願いですから、俺の目の見えないところで危ないことはしないでください」
「……ごめんなさい」
ラチイさんは切々と私に道理を説いた。
前にも同じことを言われた気がする。
そう思ったら、なんだか胸がもやっとした。
ラチイさんが怒る時は、いつもお父さんとお母さんを引き合いに出してる。もちろん、私の知らない魔法が危険に繋がるかもしれないっていうのは理解しているよ。だからその危険性をちゃんと理解しないで、軽く見積もっている私が怒られるのは仕方ないけど……ラチイさんが怒るのは、私に何かあったら、お父さんとお母さんに怒られるから?
そう思ったら、胸がもやっとして。
分かるよ、私はまだ子供だもの。日本じゃまだ未成年で、学生で、立派な子供だもん。だから保護者が必要で、私が異世界にいるのもラチイさんが異世界での保護者の役割をしてくれるから。お父さんとお母さんはそれを条件に、私が異世界に行くことを許してくれた。
分かってる。分かってるのに、胸がもやっとする。
怒られるのが分かっててやったのは私なのに。反省の気持ちよりも、摺りガラスのように靄がかったこの胸のもやもやが主張してしまう。
「……ラチイさんは私が魔宝石作れなくなったら困るもんね」
「智華さん?」
ラチイさんの眉がぴくりと上がる。
私は顔を見てられなくて、俯いた。
「私、もう異世界に来ないほうがいいよね。ラチイさんに迷惑かけちゃうから」
「そんなことは」
「ううん。迷惑かけちゃってるもん。ごめんなさい。私、もう我がまま言わないよ」
「智華さん、迷惑なんてことはありません。我がままでもなくて」
「だって、私に何かあったらお父さんとお母さんに怒られるから……っ」
「違います!」
大きな声。
びっくりして、弾かれたように顔を上げた。
ラチイさんが途方に暮れたような表情で私を見ている。
正座している私の前で、ラチイさんは膝を折った。
私と視線を合わせたラチイさんは、うなだれたように頭を下げる。
「……すみません。俺の言葉が足りませんでしたね。俺は、怖いんです」
怖い?
いつも飄々としているラチイさんが、怖がっているものがあるの?
ラチイさんはまた深くため息をついた。困ったような表情で顔を上げる。でも琥珀色の瞳は迷子のように不安に揺れていた。
ラチイさんの初めて見る表情に、私は何か違うと気づく。
もっと深い。ラチイさんはもっと深いところに、私に向けてくれる感情の核になるようなものを隠していたんだと気がついた。
「転移魔法は本当に危険が伴うんです。もし智華さんまでいなくなってしまったら、俺はもうどうして良いのかわかりません」
怒りと心配と責任感でコーティングされていたその感情。
この感情はなんだろう?
いつもと違う雰囲気のラチイさんに、私はどう反応すればいいのか分からない。つい視線をそらしてしまう。
「そんな大袈裟な」
「大袈裟じゃありません」
ラチイさんはそう言うと、私の手を引いておもむろに立ち上がった。
「こちらに来てください」
正座していた足がちょっと痺れていたけど、ラチイさんに手を引かれて進んでいく。
工房を出たラチイさんは居間を通り過ぎると廊下に出て、階段を登った。二階? でも、二階にあるのは。
私は目を瞠る。
初めて異世界に来た時、ラチイさんはこの部屋に入らないようにって念を押していた。だから私は一度もこの部屋を覗いたことがない。
決して覗いてはいけませんよ、と言われていた開かずの間。
その扉の前でラチイさんは立ち止まる。
「この部屋って」
ラチイさんは無言だ。
ドアノブに手をかけると、紫色に発光する魔法陣が浮かび上がる。心臓が少しときときと速度をあげた。
ゆっくりと開かずの間の扉が開く。
部屋を見て、私は息を呑んだ。
大きなベッドと生活道具。テーブルの上の写真立てには家族らしい姿絵。でもひどく部屋の中は荒れていて、片付けられていない。
まるで強盗でも押し入ったかのような、荒れ放題の部屋。絶句していると、ラチイさんが私の背中をそっと押して部屋の中へと招いた。
「ここは俺の記憶を投影した部屋です。俺が壊した日常の一場面。戒めの部屋、とも言いましょうか」
「ラチイさんが壊した日常……?」
その意味を掴みあぐねて彼を見上げれば、琥珀色の瞳が苦しそうに伏せられる。
「俺の話を少し、聞いてくれますか?」
私は頷いた。
ここまで来たら、話しを聞かないなんてありえないよ。
ラチイさんは微笑むと、私の手を引いて部屋の中央にあるテーブルに近づく。視線の先をたどると、写真サイズの家族らしい姿絵があった。
真面目そうなお父さんと、綺麗なお母さん。その間で笑っている男の子。
間にいる男の子は髪が短いけど、その面立ちからラチイさんだって分かった。ラチイさんはお母さん似だったみたい。
「俺はラゼテジュでも北のほうにある街の商家で生まれました。魔法なんて縁遠い、普通の家です。父は厳しかったですが、母は穏やかな人で、人並みに愛されて過ごしていたと思います」
部屋の風景が揺らいだ。荒れていた部屋の家具たちは新品のように綺麗になり、定位置だったらしい場所に移動していく。すっかり綺麗になった部屋は、本当に普通の部屋だった。
「俺は魔力持ちだったことを知らずに育ちました。周囲も気がつかなかった。小さな町だったのもあって、周りに魔術師がいなかったんです」
穏やかにカーテンが揺れる部屋。
ラチイさんの言葉に耳を傾けていると、その声音が少し強張った。
「五歳の時でした。家に強盗が押しかけてきました。父と母は俺を逃がそうとしてくれました。でも俺は強盗に捕まって……殺されそうになった瞬間でした。俺の魔力が、発現したんです」
部屋の中に影が伸びる。私とラチイさんのじゃない、三人目、四人目、誰かの影が部屋の中に集まってくる。
わらわらと動く影はこの部屋で起きたことを、紙芝居のように教えてくれた。
「当然、それまで魔術の訓練なんて受けなかった俺に魔力の制御はできません。俺は剥き出しの魔力を放出してしまった」
影たちがくるくると、まるでミキサーにかけられるように何かに吸いこまれていく。影たちだけじゃない、家具もまたぐちゃぐちゃに荒れ狂う。家具がぶつかりそうになった私はラチイさんにしがみついた。
「俺の魔力は貴重な空間属性です。暴発した魔力は空間をめちゃくちゃにして……俺を助けようとした両親を異次元に吸い込んでいったのです」
全ての影が消えた。
影の中にはたぶん、ラチイさんのお父さんとお母さんがいたはず。私は呆然とその様を見ていた。
「その後、魔術師の才能を見出されてフォミナ侯爵に引き取られました。そこで二度と同じ過ちを起こさないよう必死に魔力制御を習いました」
ラチイさんは、異次元の路は星空のように静かで、寂しくて、美しかった、と教えてくれた。魔力制御に失敗して、何度か両親を吸い込んだ異次元の路を開いてしまったことがあるらしい。でもその失敗が、転移魔術の習得につながったとも。
「今は制御して便利に使っていますが……たまに全てを投げ捨てて、自分も両親を追いかけたくなる瞬間があります。あの星空の海に自分も、と」
思わずラチイさんの袖を引っ張った。
自嘲の笑みを浮かべたラチイさんはどこか遠い人のように感じられたから。
ラチイさんは私を見下ろすと、またあの迷子のような感情を琥珀の瞳に映していた。私はじっとその瞳を見つめる。
「行っちゃ、だめだよ」
「行きませんよ」
ラチイさんは泣き笑いのような表情になる。
袖を掴んでいた私の手を優しく取って、その手のひらで包む。
「魔力資源を探すためと言って危険な異世界転移を繰り返したのは、いつか両親と会えるかもしれないという期待があったからです。その途中で智華さんの作ったあの青い薔薇と出会った。あの世界での青い薔薇の成り立ちを聞いて、とても心を打たれたんです」
青い薔薇の花言葉は可能性。不可能を可能にした奇跡の一輪に贈られた花言葉。その言葉が、ラチイさんの後悔を掬い上げた。
それがきっかけで始まった私とラチイさんの関係。交流を深めるうちに、ラチイさんは私の才能を見つけて、さらには秘密を打ち明けてくれた。
自分が異世界の魔術師であることを。
でもそれが良くなかったのかも、とラチイさんは言う。
「俺が簡単に使ってしまうから智華さんに勘違いさせてしまったのかもしれない。本当は空間属性の魔力は恐ろしいものなんです。自分の知らない場所に行くだけならいい。存在証明ができずに魔力として魂まで分解してしまったら、もう二度と戻れない。そんな危ういものであることを、理解してほしいんです」
きっとラチイさんの両親は異次元の路を通ってどこかの世界にいるのかもしれない。存在証明ができずに、今もまだ異次元の路に取り残されているのかもしれない。戻ってくるのかも分からない。
制御のできない空間魔術の怖さを、私はようやく理解した。
じんわりと視界が歪む。
泣いちゃ駄目だって、分かってるのに。
「……ごめんなさい。私、知らなかった。私、ちゃんと聞いてるつもりで、分かってなかった……!」
ラチイさんはそっと私を抱きしめた。胸を貸してくれると、ぽんぽんと背中を叩いて宥めてくれる。
「泣かせるつもりはなかったのですが」
苦笑するラチイさんに、私はぎゅうぎゅうと抱きついて。
「ごめんなさい、ラチイさん。私、ラチイさんにいっぱい怖い思いさせた……! ちゃんと理解してなかったぁ……っ!」
私が魔宝石で転移の魔法を籠めようとするたび、どれほどラチイさんの心を抉ったんだろう。ラチイさんは教えてくれていた。軽々しく扱ってはいけないって。それを軽んじていたのは私だ。
魔宝石は願いを叶えてくれるけど、失敗のリスクも当然ある。そのリスクを担うのは、魔法が使えない私じゃなくて、ラチイさんやその魔宝石を使う人だ。
人には領分がある。願いを叶えられるからって慢心していた。なんでもできるって勘違いしてしまった。
そんなこと、私一人じゃ、出来もしないのに。
「智華さん」
ラチイさんが私の名前を呼ぶ。
いつもの柔らかい声で、私の名前を呼ぶ。
「俺は智華さんの作る魔宝石が好きです。夢と希望に満ちあふれた魔宝石が。貴女の作る魔宝石は想いに溢れている。いつも誰かの心に寄り添おうとする。そんな貴女の魔宝石に救われる人は必ずいます」
でも、と優しい魔法使いは教えてくれる。
「魔法は万能じゃないことを、忘れないでください」
私はようやく、自分の身勝手さを心から反省した。




