魔宝石はパンドラの箱【前編】
ぐいーっとマグカップの中身を飲みほした私たちは、ささっと工房へと移動した。
「この間説明した素材については覚えてますか?」
「うん。レジン液が太陽の樹液で、貝殻はだいたい魔獣の鱗、ラメは妖精の鱗粉なんだよね?」
「そうですね。では太陽の樹液の着色の仕方は?」
「魔力的なやつ」
「的な、ではなく魔力そのものですよ」
くすくすと笑って、ラチイさんは工房の真ん中にある作業台へと歩み寄る。
そこには色々な道具があった。見たことのある道具もあれば、初めて見る用途の分からない道具もあって、うずうずと好奇心が刺激される。
ペン立てには筆とかペンとかスティックが並べられ、その横の木箱にはヤスリやら布やらが雑多に詰め込まれている。備えつけられている小物入れの引き出しを開ければ、シリコンの型や金具が入っていた。豆皿やパレットも作業台の上に重ねられていて、作業がしやすいようにマットも引かれている。
そしてぽつりと置かれた、真っ白いエクレアみたいな形をしたUVランプ。
そう、UVランプ。
「あれ? ラチイさん、UVランプ買ったの?」
「そうなんです。これ、便利ですよね。太陽の樹液が紫外線によって硬化するのが分かったのは、これと智華さんのお陰です」
「おぉう」
太陽の樹液は紫外線で固まる……やっぱりそれただのレジン液では!? 何も知らずに渡されていた太陽の樹液をUVランプで硬化しまくっていた自覚があるので、なんとも言えない私です。
これでUVランプが使えず、硬化できなかったらどうなっていたのやら……ぷるる、考えたくないなぁ地道に太陽光で硬化していくとか……地獄の作業でしかないよ。
あれっ、でも、待った。
「UVランプがなかったら、太陽の樹液はどうやって硬化させてたの? 太陽光だよね?」
「そうですよ。ひたすら天日干しです。温度と湿度を完璧に調整した魔法陣と、埃避けに小さな結界を作成し、その中で硬化するんですが、完全硬化は1日がかりの作業でしたね」
しみじみとしながら、ラチイさんは戸棚から茶色い瓶を取り出した。
「もちろん太陽の出によって硬化時間は変わりますし、季節によっても変わりますから、魔宝石の安定供給が難しいのが現状です」
茶色い瓶が作業台に置かれる。
「見慣れていると思いますが、これが魔力を通す前の太陽の樹液です」
ラチイさんが机の端からシリコン製のマットを取り出した。専用のスプーンを使い、蜂蜜をたらすように小さなマットの上へと太陽の樹液をこぼす。
つやつやとした透明な液体が、とろりとマットに広がった。
見た目はそのままレジン液のそれをじっと見ていると、ラチイさんがマットの端に人差し指を置く。
「魔力を通します。智華さん、何色が良いですか?」
「え? えーと……じゃあ緑?」
「緑ですね。緑は風属性になります」
ラチイさんがそう言うと、マットに緑色の魔法陣が浮かび上がる。魔法陣がパァァァってしたかと思うと、じんわりと太陽の樹液が緑色に染まっていった。
おお~!
「濃度はどれくらいが良いですか?」
「え、あ、っと、そ、それくらいで!」
ぽけぇっと見ていたら、ラチイさんに声をかけられて、私は適当にストップと言ってしまった。
できたのはちょっと濃い目の緑色の樹液。
ふぉぉぉ、相変わらず透明度が高い……!
「今回は試作ということなので、ここにある型で良いでしょうか?」
「う、うん」
するりとラチイさんの腕が伸びて、作業台の脇にある小物入れからシリコン型のようなものを出した。
まてよ……? 私、その型を見たことあるな……?
緑の看板にシルバーの指差しマークが目印の量販店にある奴では……?
「日本は便利な物が多くて良いですね。重宝させてもらってますよ」
にこり。
私はラチイさんの笑顔に真実を見た。
これは確実に日本産のシリコン型ですね!
日本で買ったのを異世界輸入ですか!
「内包物はどうしますか?」
「何があるの?」
「種類そのものは、数え切れないほどありますから……使いたい素材はその都度ご説明します」
それじゃあ、ラチイさんのお言葉に甘えまして。
私は作業台から工房内をぐるりと見渡す。
「素材の棚はあちらです。あの棚の中身は全部、内包物用の素材です」
ラチイさんが指し示してくれた棚に歩みより、物色する。すごいなぁ、パッケージが違うだけで手芸屋さんみたいな品揃えじゃないですかぁ……!
前回も簡単に案内してもらったけど、改めて見てみれば、棚に敷き詰められている素材の豊富さに感嘆してしまう。
本棚のような棚に雑多に並べられていたり、扉付きの棚に入れられていたり、色付きの小瓶や透明な小瓶に入れられていたり、そのまま牙(?)やら毛玉(?)やら目玉(!?)やらが置かれていたり。
「……め、目玉…………っ!?」
「ああ、それはスワンプフロッグの卵ですね」
「すわ……?」
んんん、なんの卵だって?
「スワンプフロッグです。そうですねぇ……地球で言うカエルでしょうか。小さい個体で子供くらいの、大きい個体で人の二倍にまでなる魔獣です。名前の通り沼地に生息し、沼に動物を引きずり込んで捕食します」
「ひぇっ」
思わず棚から離れてしまう。
に、肉食な巨大カエルの卵……!?
「まぁ卵といっても、そのほとんどはスワンプフロッグのお腹に収まってしまうので、貴重なものなんですが」
目玉にしか見えないカエルの卵におののいていると、ラチイさんがそんなことをぼやく。ちょっと違和感。
「胎内受精ってこと?」
「違いますよ。スワンプフロッグの生態は少し複雑でして、彼らは自分で生んだ卵を食べてしまうんです。他の獲物と同じく、食事として」
ぽけっとラチイさんを見上げれば、ラチイさんは困ったように笑いながらスワンプフロッグについて説明してくれる。
「スワンプフロッグは性別がなく、交尾をしません。その代わり、雷に打たれると産卵するという特性を持ってます」
「雷に打たれると産卵するの? は?」
「そうなんです。スワンプフロッグは避雷針のような役割をする器官を持っていまして、雷雨が生息地周辺にくると、まず間違いなく雷に打たれて産卵します」
「な、なんてファンタジー……」
雷に打たれたら産卵するって、どういうドMなカエルなの? なんなの? ちょっと智華さん意味がわかんない。
「しかし一つの沼にはスワンプフロッグは一匹だけしか生息しません。スワンプフロッグは子育ての習慣を持たず、産卵した卵は魔力を豊富に含むので親のスワンプフロッグの栄養となるんです。スワンプフロッグが死んだときに残っていた卵が孵ることで新しいスワンプフロッグが生まれるんですよ」
なんというか……これが自然の摂理というか、厳しさというか。世知辛い生態をしていることを把握した。
「素材としての卵は雷雨の時にスワンプフロッグを討伐した際に採取されます。ここにある卵は魔獣討伐専門の第一騎士団が採ってきてくれたものです」
「第一騎士団……」
なんか最近どっかで聞いた気が……?
うーんと首を捻っていると、苦笑したラチイさんが教えてくれる。
「ロランのいた部隊も第一騎士団ですよ」
「あぁっ! ロランさん!」
あのヤバイ炎シールドの魔宝石持ってる人!
そういえば前会ったときにラチイさんと魔獣素材がどうのと言っていたけど、これのことだったのかな。
なるほど、なるほど。よく分かったよ!
「と、ここまで説明しましたが、智華さん。このスワンプフロッグの卵は内包物として使いますか?」
「うん、また今度かな!」
どーしても目玉にしか見えないその卵はちょっとお断りかな!
はっきりと断れば、ラチイさんも私が断るのを見越していたのか、深く追求することなく次へと視線を向ける。
いやー、よくよく考えてみるけど、今までラチイさんが私に持ってきてくれていた物がわりとまともで良かったよ。
もし「これを使ってください」って目玉みたいな卵持ってこられたら、私、その場で縁切りしていたと思う。
この目玉の素材も、使いようによってはトルコのお守り『ナザール・ボンジュウ』みたいな感じに仕上げられるかなぁとは思うけど……あれはガラスだからこそ抵抗が無いだけで、リアル目玉はお断りだよ!
私は目玉のことは忘れて、次の素材へと目を向けることにする。でも私が手に取る素材っていうのは、基本的に日本でも使っている貝殻とかが多いからなぁ。
試作する~って言っても、やっぱりそういう貝殻……もとい、魔獣の鱗が増えてしまう。
「うーん、やっぱ無難に貝殻系になってしまった……」
私が手に取った素材は、黄色と薄荷色と濃い青色の貝殻っぽい素材。
黄色はカトプレパスっていうなんかいつも項垂れているらしい四足歩行の不気味な魔獣の黄色い牙の破片。薄荷色はシーホースというタツノオトシゴっぽい水棲魔獣の鱗。濃い青色はブルードラゴンの鱗、らしい。
見た目だけならただの貝殻に近いのに、全く知らない未知の生物が三種三様揃ったね?
「他はどうしますか?」
「とりあえず今はこれでいいよ。そんな凝ったやつは作らないし」
他にも材料を勧めようとするラチイさんにストップをかけて、手に取った材料の小瓶を作業台に置いた。
「よーし、それじゃどうしようかな?」
「そうですね、できれば同じ材料で二種類の魔宝石を作っていただけませんか? そのほうが、違いが実感できると思いますよ」
「おっけー! それならひとつ目は~」
私はシリコン型を用意する。
よくある、一つのシリコンに幾つもの型がくりぬかれているタイプの型だから、二つ同時、並行して作っていこう!
まずはモールドを用意します。
今回用意したのはこちら!
「てけて~ん! 宝石型モールド~!」
六角形とか、四角とか、カッティングされた宝石をイメージして作る立体的な型です。
「まずは、太陽の樹液を流しまーす」
「緑色のですか?」
「いいえ、透明のです!」
ラチイさんにお願いして、透明な樹液の瓶を取ってもらうと、適量をシリコンでできたパレットに移してもらう。
そこから、調色スティックっていうヘラとスプーンが一体型になってるスティックで、透明な樹液をすくいあげた。
とろりと艶のある太陽の樹液を四角形の型に流しこむ。だいたい三分の一くらい流し込んだら、そこに鱗や牙の破片をグラデーションになるように敷き詰めていく。
黄色から薄荷色。
薄荷色から青色へ。
ちまちまと、今度はヘラとニードルが一体になった調色スティックで一つ一つの鱗や牙の破片を配置していく。
ふふふ。いつも思うけど、この作業、モザイク画を作っているみたいで楽しい。
「四角いのはこれでいいかな?」
「もう一つはどうされます?」
「丸いのにしまーす」
同じシリコンに存在してる、別の丸い型に目をつける。
「こっちは真ん中が緑で」
調色スティックのスプーンを使って、ラチイさんに風の魔力を通して貰った樹液を、丸い型の真ん中に流し込む。
「……む、気泡入っちゃった」
ぷちぷちとニードルのスティックで樹液に入った気泡を潰すけど……全然なくならない~っ!
「うぁ~! ラチイさん! エンボスヒーター! エンボスヒーターはありますか!?」
エンボスヒーターというのは、高温の熱を出してくれる機械。
気泡は温めると消えるから、気泡を消したいときはこのエンボスヒーターっていう機械を当てて温めるんだけど……。
ラチイさんにエンボスヒーターを要求すると、彼はにこりと笑った。
「エンボスヒーターの代わりは、私が勤めますよ」
「はい?」
そう言うと、ラチイさんはシリコンの型の上に手を翳す。
「気泡を出したいんですよね?」
「う、うん」
「それでは」
淡い赤色の魔法陣がシリコン型の下に現れた。
「熱いので、触らないように」
ぷつ、ぷつ、と気泡が樹液から浮上して消えていく。
煌々と輝く魔法陣と、魔法を使って気泡を出していくラチイさん。エンボスヒーター要らずのこの所業。
「はぁ~……。すこいねラチイさん」
「それほどでも。こうやって魔法を使うにも、原理を知らねばできませんから。熱で気泡が溶けるなんて、地球に行ってから知りましたし」
「すごい勉強してるんだねぇ。一家に一人、ラチイさんが欲しい……」
樹液への着色は自由自在で、エンボスヒーターの代わりにもなるなんて……レジン作家の強い味方じゃないですかラチイさん!




