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第一章 2 キモチノワルイコドモ

「ミズキはね、私の末の妹なの。」


そう言って社長室という場に似つかわしくない、花柄のリクライニングチェアに腰掛けたカグヤが、眼前の来客用のソファを指差した。

たぶんそこに座れということだろう。

サクヤは、その端にちょこんと座り、斜め後ろに立つミズキを横目で見た。彼女はどうやら座る気は無さそうだ。


「まあ正確に言うと腹違いというか何というか。説明するとすごくめんどくさいんだけど…」

「姉さま、私の話はいいのです」

「ああ、そうだったわね」


状況説明と言うか、ミズキの素性の話は、本人の冷たくそっけない言葉で打ち切られ、カグヤは、身を乗り出して私に話しかける。


要約すると、その話は彼女をどうして雇うことに決めたのか、それから今後の彼女の仕事についてだった。

ミズキは、数年前に京の実家を飛び出して、東都のほうでいろいろ仕事を掛け持ちしながらその日暮をしていたらしい。ぼかされたがその仕事があまりまっとうなものでなかったらしく。ヒガシノミヤと完全に縁を切ってはいたが、時々遠方に嫁いだ母を心配して連絡をよこしてきていたヒガシノミヤの前当主、カグヤの祖父が、ミズキの面倒を見てはくれないかと頼みの文を送ってきたそうだ。

要求は二つ。ミズキに今の仕事をやめさせること。そして、彼女の様子をしばらくの間はこちらに報告すること。

そうすれば、祖父は、ソウジロウとカグヤの結婚を正式に本家に認めさせるよう口添えをすると約束をしてくれたらしい。


「別に今更ヒガシノミヤに未練があったわけじゃないけれどね。」


母はなんともいえない表情で、自嘲気味に笑った。

両親のしていることに賛成は出来なかったけど、本人たちはそんなに嫌いじゃなかったし。それに祖父のことは大好きだった。高齢で、いつ帰らぬ人になってしまうかわからない先代の願いを親不孝な孫娘ながら最後にかなえてあげたかった。

そう言ったカグヤは、あわててサクヤに向き直り、「ごめんなさい。よくわからない話だったわね」と笑った。


そんなわけで、コミカドの権力の元、捜索願が出され、その数日後にはミズキは保護されたらしい。そしてそれから、仕事人間の母は、あれよという間に、彼女を家付きのメイドに任命したそうな。


「だってミズキちゃんてば、働くって聞かないんだもの。」

「いくら姉さまでもただでお世話になるわけには行きませんから」

「えー?だって姉妹よ?」

「……一度も会ったことはありませんけどね」


ぼそっとつぶやかれた言葉は、母まで届くことはなく、私の耳元で消えた。今までの会話でなんとなく彼女たちの関係性がつかめたサクヤは、母にずっと気になっていたことを尋ねる。


「母さま?でも私、特に困っていることはないよ?」


そう、今更メイドをつけられても、特に彼女に与える仕事はないのだ。母が彼女の仕事として家政婦をおいたのがサクヤにとって最大の疑問だった。

いくら大会社の社長の家だといっても、コミカドの家は一般家庭とそう変わりはない。それなりには広いが、豪邸かと聞かれると首を振る程度の規模で、ヒスイの住む本家なら2代目のひいじいさまがお建てになられた大きな日本家屋だが、それに比べたら人を雇って面倒を見てもらうほどではないのだ。

掃除は私が気になったところはこまめにしているし、食事も朝は母が、夜は私か父が、又はアラタが台所に立っている。洗濯も自分のものは自分でしていた。


「ええ。まあだから形だけね。」

「え」

「働かさせてくれないと前の仕事に戻るって言うんですもの。だから形だけ家政婦。」

「か、母さま?」

「わが娘ながら何でもさせて、そして出来るようにならせてしまったのがいけなかったかしら。メイドすら募集広告が出来ないなんて。会社のほうは人手不足だって言うのに、本当に家内は平和だわ。」


もう、頭きた。なんでうちの会社はこんなに使えないやつらばっかりなのよ。

そう言って、おもむろに受話器を持ったカグヤは、どこかに電話をつなげると、「機械の不具合ぐらい自分たちで何とかしなさい!ソウジロウさんを何でも屋代わりにするなぁ!」と叫び声を上げた。それに対して「だって会長のほうから出向くって言ったんですよ!?」「会長が勝手に来たんですよ!こっちのが驚きましたよ!」と聞こえる受話器を迷惑そうに置いた母は、トラブルに心底疲れている、というより、娘の誕生日にソウジロウを取られたのが心底腹が立ったようだった。


「姉さま。でしたら私は会社のほうで雇ってくださればよろしかったんじゃないでしょうか?」

「そうだよ。母さま。お仕事大変なら、私は大丈夫。家のことは任せて?」


ミズキの言い分を擁護したわけではないが、仕事に関しては合理的である母の珍しい意見に、私も彼女の言葉を援護する。

だが、私たちのそんな言葉を一蹴して、母は呆れたように言った。


「雇えるわけないじゃない。その子15歳よ?」


この部屋に来て何度も驚かされていたが、今日一番の母の衝撃発言だった。

ぽかんと開いた自分の口は一言も驚嘆の声を上げることができず、首だけをぎぎぎ、とまわして、後ろに控えるミズキを見る。

しれっとした表情をした彼女は、「絶対にばれないのに」とでも言いたそうに、唇を尖らせた。そんな子供っぽい表情を浮かべていても、ミズキという女性は、到底自分より2歳しか違わない未成年の少女には見えなかった。




◇ ◇ ◇




所変わって、サクヤとミズキは、迎えに来たアラタの運転する車内にいた。

車の中にはなんともいえない微妙な空気が漂っており、先ほどと変わらず車のシートは乗り心地がよかったが、無言の空間は居心地が悪かった。


「えっと、その…。ミズキさんは、私の叔母に当たる人なんですよね…?」

「ええ。そうですね。書類上は。」

「え、えーっと…。でも、とてもお若いから…。お、『お姉さま』とお呼びしてもいいですか?」

「…いえ。今の私は一使用人です。お嬢様はお気遣いなく。どうぞミズキとお呼びください」


きっちりしている人だと思った。母の実家はヤマト有数の資産家で、華族であることは十分理解していたので、ミズキの自立心の高い性格や王族らしくない完璧な使用人としての立ち振る舞い、そして先ほどの会話から、彼女は家で相当不遇な扱いを受けてきたのではないかと悟った。

母の発言から、ミズキとカグヤは母親が違うということは理解できた。そして15歳というあまりの年齢差。自分の母方の祖父がどんな顔をしていてどんな性格なのかは知らないが、ミズキは後妻なのか妾なのかはわからないが、カグヤが家を出た直後に生まれた不遇の子なんだろう。そして曽祖父がそんな彼女を直接心配していたということは、彼女には何も言わず家を飛び出しただけでなく、何か圧倒的に家側に問題のある要因があったに違いない。母は幼い私を心配させないよう、よくおじいちゃんから手紙が届いたと笑って見せていたが、一年に一度届くか届かないかのそれは、ほとんど罵詈雑言で埋め尽くされているのを私は知っている。古めかしい考えの曽祖父の気持ちもわからなく、そして何よりはカグヤは自分の祖父を愛していて、出て行ったことに罪悪感も感じていたみたいだった。だから今回の話も二つ返事で了承したのだろう。本当に曽祖父と母との間で、それを遂行することでヒガシノミヤとの復縁を取り持つ駆け引きが行われたのかはわからないが、そんなことを言われなくても彼女は、母は、ミズキをうちで保護したに違いない。


「では、ミズキさん、と。」

「はい、お嬢様。」

「ミズキさん。あのね。私の話を聞いて欲しいな。」


彼女にとって、私の急な発言は突拍子のない話題に思えたようだった。

でも、これ以上この不愉快な空間に居座ることにも疲れたし、なにか話題といっても彼女のことを聞くのはすごく失礼に思えた。

だから、私のこと。きっと仕事はほとんどないと思うけど、一応彼女は今日から私の専属の使用人だ。姉と呼ぶことを許してくれないのだったら、仲のよい主人になりたい。そう思った。


「まずははじめまして。サクヤ・コミカドって言います。父さまと母さまが大好きな中学一年生です。よろしくお願いします。」


それから私はいろんなことを話した。

まずは家のこと。ソウジロウのこと。カグヤのこと。大好きな従姉妹のヒスイのこと。

それから学校のこと。今日の出来事。

本を読むことが好きで、あまり得意じゃないけど料理が最近の趣味だということ。

不器用でお嬢様らしくないとよく言われてしまうことも、笑い話に混ぜて少しだけ話した。

ミズキはその話を黙って聞いてくれた。はじめのほうは、何を急に話しているんだ、と言うような不審な表情を浮かべていたが、だんだんと私がただ単に自分の話がしたいだけだということがわかったらしい。警戒を緩めてなんでもない話にも相槌をうってくれて、自宅へとたどり着くまでの間、聞き上手な彼女との間には会話が途切れることはなかった。





「お嬢様。私は明日から正式にコミカドのメイドとして働かせていただきます」

「うん。えっと、じゃあ今日はうちには泊まらないんだね」

「はい。荷物をまとめて、明日からこちらに住み込みをさせていただきます。鍵はカグヤ様から預かっておりますので、お嬢様が学校に言っている間に片付けを済ませておきます」

「わかった。ありがとう。明日からよろしくね」

「はい、お嬢様。」


玄関先まで彼女は私を送ってくれた。

そこで明日からの日程と当たり障りのない会話をして分かれる。ミズキは最後にはやっと笑った表情を見せてくれた。

彼女がアラタの車まで戻るのを確認して、サクヤは玄関の扉を施錠した。



誰もいない暗い室内に電気を灯す。今日は両親ともに帰ってくるのは深夜を過ぎるだろう。

母が言っていた誕生日プレゼントの山を確認してその多さに苦笑をもらしながら一つずつ確認する。

父からの腕時計。母からの小説を数冊。父の工場で懇意にさせてもらっている従業員の方々からの少女趣味らしいぬいぐるみ、髪留め、手帳など。叔母夫婦からは私が料理をはじめたと聞いてなのか持ちやすそうな小さ目のフライパンだった。そして机の上でなくソファーの端のほうに投げ捨てるように置いてあったひときわ可愛い包装紙の中に翡翠色のエプロンが一つ。誰からのプレゼントかなんて一目瞭然だ。

そして最後の一つは小さな紙袋に入れられたワンピースだった。今着ている黒のシックなロングスカートのものと同じブランドのもので今度は春らしいピンクのふんわりとした膝丈のもの。私の好みの清楚で落ち着いたものをいつも選んでくれるのには本当に頭が上がらない。袋のそこに引っかかっていたメモ用紙にアラタさんの筆跡で「おめでとうございます」の文字が見えたのが嬉しくて、私は思わずほほを緩めた。


いい気分のまま部屋に戻って部屋着に着替え、お風呂を沸かす。その間にさっきまで話していた新しい家政婦の寝泊りする部屋を片付けておこうと、一階の奥にある空き部屋へと掃除機を持って移動しようとした。


「…結局最後まで、わからなかったな、あの人。」


サクヤは階段を下りながら、そうつぶやいた。

初対面のときからあまり表情の変化の少ない人だとは思ったが、車の中での会話から緊張をしているわけではないことはわかった。こちら側にすごく気を使った話しやすい相槌から、彼女の前職は接客業に間違いないということも把握できた。最後に笑ってくれたことから、この仕事が嫌でない事も、私を嫌っているわけではないことも理解できた。

それでもその表情から、彼女の心の中を覗くことは一切出来なかった。何を考えているのかさっぱりわからなかった。

今までに会ったどんな人よりも、隠すことが上手い彼女をサクヤは少し苦手だと思ってしまった。





それが’“同属嫌悪”だという感情だということを彼女は知らない。





◇ ◇ ◇




「…なにあの子」

「何って?」

「サクヤ・コミカドよ。なんなのあれ、本当に13歳?」


ミズキ・アマミヤはふうっと大きなため息を吐いて、明日から自分が仕える少女にはっきりとした同属嫌悪を抱いた。



ミズキ・アマミヤ、旧名ミズキ・ヒガシノミヤはヒガシノミヤ現当主である父と京の歓楽街にある政府公認遊郭・嶋原シマバラ散茶女郎さんちゃじょろうとの間に出来た、いわゆる隠し子である。

払いのいい地主の父が贔屓にしてくれていた花魁として生みの母は郭の中でも相当な地位にいたそうだ。父のことをそれほど愛してはいなかったが、客としては最大級の敬意をもって相手をしていた。そんな二人の間に出来てしまった私は母にとってはとても迷惑な存在だったらしい。もちろん堕胎する気満々だったらしいが、郭の主人であった人は、見目のいい父と母との間に出来る子供の遺伝子を信じ、新しい働き手として私を欲しがった。そんな勝手な大人たちの理由により生を受けたミズキは、彼らの思惑とは異なり、遊郭の中でなくヒガシノミヤの正式な娘として育てられることとなった。その時のちょうどのタイミングで出て行ったカグヤの代わりに跡取りを欲しがったのが理由だった。だから私は見知らぬ姉に小さい頃から頭が上がらなかった。

父との仲は悪くなかった。血のつながった本当の親子であったし、高齢でできた愛娘に期待をしてくれていた。しかし継母はそうではなかった。おかしな世迷い言を言う娘だと言うことは承知していたが、彼女は自分で生んだ娘を心底愛していて、なにも未練を残すことなく出て行ってしまったカグヤに対する傷が癒えていなかった。その状態でつれてこられた他の女との間にできた父の実子。いきなり本家で後継として育てると言われ、愛することなどできなかった。継母は家の中で自分をいないものとして扱った。付き人もメイドもボディーガードもつけることを許さず、本邸から離れた小さな牢座敷でたった一人でミズキは育った。

幸いにも、そして不幸にも、ミズキは頭が良かった。自分がどうしてこんな目に会っているのか正確に把握することができた。

そして、ここでの選択肢として、彼女は継母を切り捨てることを選んだ。

父の期待だけに応え、今は幼い子供と侮って自分をいじめるその他の家の者たちをいつか見返してやろうと思った。また子供ながらの甘い考えで、継母に認められるには自分がカグヤ以上になるしかないという想いもあった。一人きりの屋敷でミズキは勉強をし続けた。屋敷内の本という本を読みあさり、そこから得た知識で、手本はないながらも何でもやってみせようとした。語学、数学、等の勉学をはじめ、生きるための身の回りの世話として、家事はすぐに覚えた。また、ただマスターするだけでなく、もし自分がこの家を追い出されたときのために誰かが雇ってくれるほどの力量まで必要だと思い、練習を重ねた。マナーも誰に習うこともなく、彼女は一人で完璧になった。お茶、手習い、ピアノ、様々なものを有り余る一人の時間を利用して極めたのだった。結果、彼女はたった一人で完璧なご令嬢になった。天才だった。父はそんな彼女をますます愛するようになり、継母は気持ちの悪い義理の娘の才能にますます嫉妬を深めた。


当初の予定とは少し違うが、ミズキはそれなりに幸せだった。12歳になった彼女は、早い成長期を終え、化粧と服に気を付ければ十分大人の女性と間違えられるほど美しくたくましく育った。

継母が、家が、私を愛してくれなくても、私はヒガシノミヤの一人娘だ。立派な跡取りだ。低能な有象無象の言葉など気にかける必要なんてないと考えていた。愛してくれる父のために自分はこの家に尽くすのだ。そう考えていた。

それは、彼女の誕生日にやってきた縁談で壊れることになる。


有無を言わない父の話に自分でも何が起こっているのかわからなかった。ただ、彼は黙って自分の言う通りにしろと言った。


「アマミヤ氏はカグヤの元婚約者だ。ミズキ、お前がカグヤに似て美しく育ったことに彼はとても感謝しているそうだよ」


冗談じゃないと思った。自分より二十近く年上の姉の婚約者が自分と釣り合う年齢だとは考えられなかったし、カグヤの替え玉として扱われたのが腹が立った。

そして何より、父が自分に期待していた、愛してくれていたのは、跡取りとしてでなく、ただの他家とのパイプ役だったことが心底悲しかった。


そこからの自分の転落劇は、喜劇、と称した方がいいほどテンプレであり、あっけないものだった。

アマミヤの家で迎えてくれた男は父とそう変わらないほどの年齢で、脂ぎった手で肩を抱かれた瞬間なんの計画性もなく、ミズキは京からの逃走を決意した。12歳の小娘が思いつきで起こした逃走劇は何度も失敗を繰り返し、そして、ようやく誰にも見つけられずにヒガシノミヤの領内をでることができた頃には13歳になっていた。

どこに逃げるか、そう考えたときに、ミズキには東都という選択肢しか頭になかった。自分の嫌いな継母に愛されたカグヤ、ヒガシノミヤに生まれながらも普通に生きることを望みその夢を叶えた見知らぬ姉。そんな彼女と同じ道を辿ってみたい。そう思った。

着の身着のまま電車に飛び乗り、少ない所持金で行けるところまで線路を進んだ。お金は中京チュウキョウあたりで全てなくなった。日銭を稼ぐためチェーン系のレストランでバイトを始めた。働き始めて二ヶ月が経ったとき、着物を着たひとりの綺麗なお姉さんがお客さんとしてやってきた。私の接客態度を見て、彼女は自分の店で働かないかと言ってくれた。私が、ホステス、という仕事についたきっかけだった。


そこで私は全てのことを習った。

人を信じすぎてはいけないこと、どんないいやな相手でも内心を悟られてはいけないこと、相手に安心感を与えるしゃべり方、愛される笑顔、そして男の人からの好かれ方。

とても新鮮だった。目から鱗だった。

自分が生きやすいように人生を作り替えるには、努力なんかが必要とされるのではない。相手の心を読み、相手が望む通りの自分を見せること。がんばらなくても好かれさえすれば世の中はうまく回るのだ。

それからは私の新しい人生の始まりだった。毎日がとても楽しかった。同じ系列の東都のクラブに引き抜かれたときは特に幸せだった。自分が始めてただのミズキとして認められたと思った。

ミズキは15歳という年齢を隠し、その年で、夜の女王として名を馳せるようになっていた。


その後の結末は前述の通りである。祖父の言いつけによりコミカドの家に戻された私は、刺激のないつまらない生活に戻ることとなったのだ。



…いや、なったと思っていた。



此れから仕える主を初めて見たとき、ミズキは思った。

ああ、なんてキモチノワルイ子供なんだろうと。


黒い瞳は光を反射すると同時に、それ以外のものも全て受け付けていないように思えた。

私が初めてであった心の中を全く見せない賢い(・・)その様子に背筋が凍る。

ああこの子は私だ。私と同じ、いや、それ以上だと感じた。


その直感は間違っていなかった。

帰りの車内の中で、彼女が天真爛漫に自分のことを話し始めたとき、この子は私の様子から全て汲み取って話題をさけたのだとすぐにわかった。

普通の女子中学生がそうであるように、なんの目的も論拠もなく話されたとりとめのない話題は、普通の思春期の娘が一番気になるであろう自分の母方の家族の話題と明日からともに暮らす叔母の素性を徹底的にさけるという違和感をあらわにしていた。



「“なに”とは何だ?サクヤお嬢様にそんな口がよくきけたもんだな」

「…ちなみに聞くけど、貴方、あの子のことどんな子だと思ってる?」


言い方に何か不満があったらしい運転手の男にミズキは期待などいっさいせず問いかける。

その男、つまり、アラタは、胸を張って得意げに答えた。


「お嬢様はとてもお優しい方で、努力家な方だ。」

「それで?」

「勉強はあまり得意ではないが、うん、そうだな。でも苦手だからといってあきらめる訳じゃない。六年生のときは最後の全国考査で学校で一番頭のいい生徒に数学で初めて勝つことができたととても喜んでいらっしゃったよ」

「…で?」

「それから…、習い事は今は習字しかしていないが、さぼることもなく上達度も目覚ましい。ご友人も多くはいらっしゃらないが、先日家にお止まりになられに来たときにお嬢様は『自分には過ぎた友人だ』と謙遜を。な?とてもすてきなお方だろう?」

「…」

「まあ生粋のお嬢様の貴方様から見たら平凡に見えるかもしれないが、お嬢様は…」

「もういい、もういいわ。この馬鹿。鈍感男。」


だめだ。この家の使用人は。全く当てにならない。

いや、それだけサクヤの能力が高いのか。

自分が失敗して、社会に出て人から教えられて初めて身につけることが出来た処世のすべてを、この少女は誰からも責められることの無い幸せの楽園のなかで完全に身につけ思うように操っていたのだ。

それはすごく異常な光景だった。





「一つ聞いていいかしら?」

「なんだ?」

「貴方、姉さまのこと、好きなのよね?」


明日からはもう戻ることのない安い賃料のぼろアパートの前で止められた車から降り、ミズキは送迎のお礼代わりに嫌がらせとしてバックミラー越しに運転席の男にそう声をかけた。

ただ単に鎌をかけただけだったけれど、ものの見事に顔を赤く染め、動揺でハンドルに思い切り足をぶつけたアラタの様子を見て、「もういい、皆まで言うな」とミズキは彼に背を向け、軽く手を振った。古見門の本社だか、会長が赴いている工場かは知らないが、そこへ戻るようにとジェスチャーで伝え、彼女は外階段を上がって自室へと戻っていった。


小さなキーホルダーのついた、錆びかけている鍵をまわし、六畳一間の明日にはお別れする自分の城に入って、ミズキはもう一度大きなため息を吐く。



「絵に描いたような完璧なおしどり夫婦との間に、愛情を受けて育ったはずなのに精神異常児が一人。それに夫人を恋い慕う秘書と、腹違いの妹がメイドとして住み込み…」


声に出せばその状況がどれだけ普通でないかは一目瞭然だった。


「…昼ドラかっての」


退屈はしなさそうだが、すごくめんどくさいことに巻き込まれた気がする。


ミズキさん15歳です。前話で彼女がお酒を飲む表現が出てきましたが、作り話としての演出です。この小説は未成年の飲酒を勧めているわけではありません。


※20歳未満の未成年は飲酒をしてはいけません。法律で禁止されています。

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