第四話
八年の歳月、響き合う音
その出会いから、驚くべきことに八年の歳月が流れた。
遮那王は元服を間近に控え、その身体はしなやかで強靭な武士のそれへと成長しつつあった。昼の経読みは形骸化し、夜な夜な奥の院の僧正ヶ谷に足を運んでは、剣術の修行に没頭する日々。
そして、彼の傍らには、いつも「彼」がいた。
「ほな、行くで! 遮那!」
上空から声をかけたのは、見違えるほどに立派な黒羽をまとった烏――をとごろすだった。
体躯は並のカラスよりも一回り大きく、その三本の足は、今や力強く大地を掴むことができる。しかし、中身はあの頃のまま、少しも「完成された神」にはなっていなかった。相変わらず大和訛りで喋り、好奇心旺盛で、人間である牛若のことが好きでたまらない。
「来い、をとごろす!」
牛若が木刀を構える。
をとごろすは大きく羽ばたき、上空から猛烈な速度で急降下した。かつてオオタカに襲われた時の動きを、今や彼は「牛若の剣術の訓練」のために再現しているのだ。
をとごろすは、空中での静止や急旋回を完璧にこなしていた。三本の足を器用に使い、空中で風の壁を作り出す。それは並の鳥には不可能な、神使としての片鱗だった。
「そこや!」
をとごろすが、牛若の死角から風の塊をぶつけるように突撃する。
「甘い!」
牛若は気配だけでそれを察知し、身を翻しながら木刀を振り抜いた。刃はをとごろすの尾羽をかすめ、美しい弧を描く。
「あたたた! また羽が抜けるやんけ!」
「お前が真剣にやらないからだ。さあ、もう一本だ!」
二人は笑い合いながら、息が切れるまで山を駆け回った。
修行の後は、決まってお気に入りの巨石の上で、山の幸を分け合った。秋にはアケビや栗、春には山菜の芽。
「なぁ、遮那。お前、いつまでこの山にいるんや?」
栗の皮を器用にクチバシで剥きながら、をとごろすがふと尋ねた。
「……もうすぐ、ここを出る。俺の血が、そう叫んでいるんだ。平家を倒し、源氏を再興する。それが俺の宿命だ」
牛若の瞳に、かつてオオタカを睨みつけた時以上の、鋭い光が宿る。
をとごろすは、少し寂しそうに首を傾げた。八咫烏の長老たちは、いつも言っていた。
「人間は一瞬で死ぬ。彼らの闘争に巻き込まれるな」と。
だが、をとごろすにとって、牛若のいない世界など、ただ退屈な空でしかない。
「……しゃあないな。お前がどこへ行くにしても、うちはついていくで。お前の『守り神』やからな」
「頼りにしているよ。あ、そうだ。これをやる」
牛若が懐から取り出したのは、一本の笛だった。
それは、をとごろすが数日前、どこからか(おそらく都の貴族の邸宅から、物珍しさで)クチバシに咥えて持ってきたものだった。
「これ、うちは吹かれへんからな。お前にやるわ」
最初は、音すら出なかった。牛若が息を吹き込んでも、すーすーと虚しい風の音がするだけだった。
けれど、二人は諦めなかった。をとごろすが「もっと指の力を抜くんや」「京の都の奴らは、もっと優しく吹いてたで」と、空から見てきた知識を口うるさく授けた。
やがて、数ヶ月の練習の末、牛若は美しい音色を奏でられるようになった。
鞍馬の月夜。
牛若が笛を唇に当て、静かに息を吹き込む。
澄んだ、どこか哀愁を帯びた音色が、夜のしじまに染み渡っていく。
すると、隣の枝に止まったをとごろすが、その音色に合わせて、喉を鳴らし始めた。
「カァ……ホゥ……」
それは通常のカラスの濁った鳴き声ではない。まるで、太古の神楽のような、深く、心に響く特殊な共鳴音だった。
人間の奏でる笛の音と、若き神使の唄う声。
二つの音が鞍馬の山で完全に重なり合い、こだまする。
それは、歴史の表舞台には決して記録されない、けれど確かにそこに存在した、「二人の青春」の頂点だった。




