第一話
シスブロ:ロストフライト1184
銀翼の消失
昭和四十七年、二月。
八丈島沖を震源とする突発的な大地震は、瞬く間に近畿・西日本全域の通信網を麻痺させた。
鳥取県境港市、美保基地。
深夜の滑走路に、重低音の金属鳴りが響き渡る。出動要請を受けた航空自衛隊の輸送機
C-46「カーチス・コマンドー」愛称は「天馬」の機内には、被災地へと運ぶべき大量の物資が詰め込まれていた。
食料、衛生用品、組み立てテント、そして当時、試験運用段階にあったラジコン式の貨物ヘリ。
「美保タワー、こちらC-46。離陸準備完了」
轟音と共に滑走路を蹴った巨体は、暗闇を裂いて海上へと進路を取った。目指すは淡路島を経由した被災地域。
だが、その平穏なフライトは、兵庫県南部の山塊――六甲山脈の上空へと差し掛かった瞬間に、唐突な終わりを迎えた。
「……前方に霧! いや、これほど急速な発現は、気象予報に無かったぞ!」
副機長の悲鳴に近い声が、コクピットに響く。
目視による前方視界は一瞬でゼロになった。それだけではない。
機体を文字通り「鷲掴み」にするような、異常な突風がC-46の巨体を激しく揺さぶる。
自動操縦は強制解除され、計器の針が狂ったように振れ始めた。
高度計が、速度計が、まるで意志を持ったかのように死んでいく。
エンジンの出力が急激に低下し、機内は警告音の嵐に包まれた。
「高度が維持できない! 押し下げられている!」
「待て……視界の先、何だあれは。雪……か?」
機長が、フロントガラスの向こうに信じられないものを見た。
二月の関西の空だ。だが、そこにあるのはただの雪ではない。視界を遮る濃霧の向こう、叩きつけるような猛吹雪。
そして――その白銀の世界を、**「大きな黒い影」**が、信じられない速度で横切った。
機体の直前をかすめる、三本の脚を持った巨大な鳥の輪郭。
「チッ、このままだと胴体着陸になる! 総員、衝撃に備えろ! 緊急胴体着陸態勢!」
機長の怒号。
まもなく、大地を引き裂くような金属の擦過音と、鼓膜を圧するほどの轟音がC-46を包み込んだ。
木々がへし折れ、土砂が跳ね上がる。凄まじい衝撃の後に訪れたのは、耳が痛くなるほどの、深い静寂だった。
白い闇と温かい灯
「……おい、生きてるか」
どれほどの時間が経っただろうか。
佐々木真一隊長は、激しい頭痛と共に意識を取り戻した。正面のフロントガラスには細かなひび割れが走っているが、辛うじて持ちこたえている。
計器類は完全に沈黙し、機内にはうっすらと外の冷気が紛れ込んでいた。
「真一、動かないで。頭を打ってるわ」
横から鋭く、だが落ち着いた声がした。
姉であり、隊に同行していた医師の佐々木真琴だ。
彼女は素早く機長と副機長の容体を確認し、「二人とも軽い打撲だけ。人命は全員無事よ」と告げた。
「よし……。ハッチを開ける。外の状況を確認するぞ」
数人の隊員が、用心深く輸送機のリアハッチを開放した。
外に広がっていたのは、深い、あまりにも深い「闇」だった。
「灯りが……何一つ見えません。神戸の街の明かりも、工場の煙突の火も……何もない」
隊員が手にしたトーチ(懐中電灯)が、闇を鋭く照射する。
だが、光の輪の中に浮かび上がるのは、激しく降り積もる雪と、見たこともないほど鬱蒼とした原生林の木々だけだった。
人家の気配も、車の音も、電波のノイズすら存在しない世界。
「……下手に動くのは危険だ。夜が明けるまで機内にとどまり、様子を見る」
真一の判断は早かった。
隊員たちは損傷のない積載物資の中から、燃料タンク式の暖房装置を速やかに解体・設置した。
調理器具でお湯を沸かし、温かい飲み物を作って配る。
凍えるような白い闇の中、C-46の機内だけが、昭和のテクノロジーが灯す唯一の温もりだった。全員が言葉を失ったまま、ただ、静かに夜が明けるのを待った。
龍の笛
朝の光は、あまりにも冷徹に周囲の景色を浮き彫りにした。
無線機は完全に死んでいる。それどころか、ノイズすら拾わない。機長が青い顔で首を振る中、真琴は怪我人の手当てを終え、ふと、輸送機の外へ足を踏み出していた。
「……綺麗ね」
手つかずの雪景色。
真琴の目を引いたのは、その美しい雪景色ではなかった。
不時着した輸送機の上空。まるでこちらの様子を窺うように、ゆっくりと円を描いて旋回する「黒い物体」がある。
カラス――。
いや、あまりにも大きすぎる。それは、昨夜のコクピットの中で、機長たちが目撃したあの影そのものだった。
バサリ、と重い羽音がした。
その鳥が、真琴のわずか数メートル先の雪原に向けて、空中から何かを落としたのだ。
ポツリと、雪の中に突き刺さる細長い影。
「え……?」
真琴が引き寄せられるように雪に歩み寄り、その物体を拾い上げる。
それは、ひどく煤けてはいたが、見事な龍の細工が施された木製の「笛」だった。
指先で雪を払うと、黒ずんだ表面に、天へ昇るような凄烈な【龍の彫り物】が浮かび上がる。
「これ……蝉折の笛……?」
歴史の知識として、真琴はその名を知っていた。生きた蝉のような節のある貴重な漢竹を使い、鳥羽天皇の命で三井寺の覚祐僧正が作らせた名器、義経が、一ノ谷の戦場で帯びていたとされる伝説の笛。
遥か上空で、黒い影が一度だけ高く鳴いた。
まるで、「役者は揃った」と告げるかのように。




