坂田金平、奥六覇王と相対するの事
振り向いた老人顔を見た瞬間、金平は本能的にすでにその顔めがけて蹴りを放っていた。その突然の攻撃には流石の老人も予想していなかったのか一瞬面食らった表情を見せたが、それでも難なく金平の蹴りをかわし、そのまま後ずさりして金平との距離を取った。寝台の上に横たわっているにぃを守るように金平が前に躍り出る。
「テメエ、その顔!思い出したぞ、あの船の先頭にいた……!」
「人の顔見るなりいきなり蹴りかかってくるとはとんでもない奴だな貴様。ふん、やはりあの時目が合ったのは偶然では無かったか。あの距離でよく儂の姿を視認できたものよ、たいした眼力じゃわい」
老人は髭まみれの顔をくしゃくしゃにして笑った。老人とは言ったがその茫々たる髭に埋もれた顔は存外に若く見える。その実三十かそこらぐらいの若さなのではなかろうか。
金平はその顔に見覚えがあった。あの時、「悪路王」が鹿島灘に現れて暴れていたのをその後ろから船団を率いて追い立てていた陸奥国軍の旗艦の船首でこちらを眺めていた奴だ。確か名を……
「うむ、では改めてご挨拶申す。我こそは奥六郡を治める奥州権大掾、安倍忠良である。鬼狩り武者の盛名、北の果ての大地にまで響いておるぞ。一度お主のような都の兵と拳を合わせて見たかったものよ」
そう笑いながら北の頭領は手にした大鉈を振るいながら金平に飛びかかった。金平はにぃを庇いながら忠良の右手首を掴み、力任せに引き寄せる。想定以上の馬鹿力に振り回されて体勢を崩した忠良はためらう事なく大鉈を手放してその握られている右手首を返し、自分の左手で金平の右腕を掴みながら
「ふんっ!!」
と気合を入れて金平を背負い投げにする。地面に叩きつけるのではなく、遠くへ放り投げるような大きく金平を転がすと、忠良は再び距離を取った。
(こいつ……!)
金平もまた敵の思わぬ強靭さに舌を巻いた。辺境の地方豪族とタカをくくっていたが、なかなかどうして。無駄のない洗練された体術を身につけている。これはどうやら一筋縄ではいかない相手のようだ。
「一国の太守サマが御自らご出陣とは、陸奥ってのは随分と人手不足なんだなオイ」
にぃを守りつつ、それでいて距離を取った忠良を部屋の隅に追い詰めるように巧みに立ち位置を取った金平が挑発する。忠良はその言葉に真顔で答えた。
「わが国ではどのように『王』決めるか知っておるか?一番強い奴が王になるのよ。最強の戦士が最前線に立つのは当然であろう?」
安倍忠良が歯をむき出しにして笑う。髭まみれの粗野な顔貌はまるで狒々のようで見る者をすくませる。だがそれで身を引くようなヤワな金平ではなかった。
「おう、そうかい。するってえと……陸奥にはお前より強え奴はいねえってこったな!!」
隅に追い詰めた忠良に金平が摺り足で突撃する。最短距離で伸びた拳が忠良を襲う。忠良は驚いた事に身を守るでも体をかわすでもなく、前に進み出た。金平の拳を寸前でかわし、そのままの勢いで金平の鼻っ柱をめがけて強烈な頭突きをかました。
ゴツン、という鈍い音が部屋内に響き渡り、二人は再び距離を取った。辛うじて首を下げて鼻の急所の直撃を避けた金平だったが、その勢いでお互いの額と額が激しくぶつかり合い、火花が散るような衝撃が両者の全身を貫いた。
「がっ……!!」
「ぐぬうっ!!」
お互いに衝撃をそらすことも出来ずにマトモに食らい合ってどちらも一瞬意識を飛ばした。フラフラとしながらも、それでもなお互いにまた必殺の構えを向け合う。
「おおう、今のは効いたわい。やるのう都の」
忠良が頭に手を当てながら言う。
「テメエもな。ど田舎に引きこもってる割りにはたいした度胸じゃねえか」
クラクラする頭を叩いて目を覚まさせながら金平も答える。
「ふん、都が世界の中心だとでも思い上がっておる連中のいいそうな事よの。世界は広いぞ。儂らが朝廷だけを相手に商売しておるとでも思うたか?北の果てにも土地はあり、人がおり、文明がある。何も都だけが大陸を相手に交流をしているとは思わぬ事だな」
体勢を整えた安倍忠良が再び大鉈を手に取って金平を襲う。唐竹割りに一直線に振り下ろされた一撃を、今度は金平の方が避けもせずにその凶刃を両手で受け止めた。
「な……!?」
掌に食い込んだ刃をものともせず、血が流れるままに金平は掴んだ大鉈を力の限りに捩じ切った。重い鍛鉄でできた鉈の刀身が金平の馬鹿力によってぱきん、と音を立てて真っ二つに折れた。
「……なんとも、呆れた怪力よのう、人の域を超えておるわ。ふふ、欲しいのう、その力」
「何言ってやがんだバーカ、テメエらよくもまああんなバケモンけしかけてくれやがって、こちとらいい迷惑だ!なんだってあんな傍迷惑なことしやがったんだコラ!」
「ああ、アレのことか?そうさなあ、強いて言うならば……『意趣返し』と言ったところかな」
「はああ?なんでえそりゃあ」
忠良の返答に思わず構えていた手を下げてしまう。
「貴様らがうちのお得意さんをぶちのめしてくれたおかげで我らはとんだ大損よ。忠常には美味しい思いをさせてもらっていたのよう」
「なんだとう!?ああそうかそういえばあの野郎がなんかくだらねえ嫌がらせしてたよなあ、その片棒を担いでいたのがテメエらってわけか」
忠良の言葉で金平も思い出した。先年の平忠常との抗争において、敵将忠常は敵国である相模国を干上がらせるために陸奥方面から上がってくる交易品をその莫大なる資金で市場価格の二倍三倍という高値でごっそり買い占めていた経緯がある。どうやらこの安倍忠良はその時に忠常から多大な収益を得ていたようだ。
「おかげで潤っていた南の通商路はすっかり昔並みに戻っちまった。せっかくのもうけ口を潰された代償はきっちり払ってもらわねえとなあ」
「そんなくだらねえ理由であんなバケモンをけしかけてきたってえのか!?頭どうかしてるぜテメエら。権大掾ってこたあテメエも一応は帝の臣民だろうがよ。それが同じ臣民の自治領を襲うとはいい度胸じゃねえか。反逆者としてまた滅ぼされてえのか?阿弖流為の時みてえによ」
阿弖流為の名を出されて安倍忠良の顔つきが変わった。人をからかうような半笑いが消え、その目に本物の殺気が宿る。
「貴様……あたらおろそかにその名を語るな、貴様ら中央のクソ貴族どもが我らの祖先を笑う事など許さぬぞ!!」
「上等だテメエやるならかかってこいやコラ!!
金平もまた本気になって身構える。自分の国を、アイツがいるこの国をそんな損得勘定で好きに蹂躙してくるような輩は絶対に許さない。怒りでみるみる全身に血が回り、筋肉が盛り上がる。金平は今、完全に殺す気で安倍忠良と対峙していた。
「とと・・さま」
そんな金平の怒りを一気に冷ましたのは、後ろの寝台に寝かしつけられていたにぃの声だった。
「にぃ!?おい、にぃ、起きたのか、にぃ!?」
金平は忠良の存在も忘れてにぃに駆け寄り、その手を握る。相変わらず氷のように冷たい。
「にぃ、おいにぃ!!」
金平が呼びかけてもにぃは再び意識を失い、浅い眠りについている。
「おい、坂田金平」
無防備な背中を襲うこともせずに傍観していた安倍忠良が金平に囁く。
「お前、その娘を助けたくはないか?」




