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第二話 ひのと(二)

 この家は何か息が詰まりそうになる。綺麗に整頓されすぎて生活感がないからだろう。でも記憶のない僕はホームシックなるものはならない。しかしなんとなく居づらかった。ここ、東京都入野居区はどこもそうなのか。

「お腹空いた。」

僕はお湯が湧くのを待っていた。どうやら僕は朝食を日常的に摂っていたようで朝の腹の減りようは凄まじかった。朝食を摂らない雫さん親子は昼食までに疲れたりしないだろうか。なんてつまらない心配をしても仕方がない。カップラーメンを理解できるということは僕はカップラーメンを食べていたということ。それくらいそうだろうが、どうやら全てを忘れている訳じゃなさそうだ。棚や車、朝食。それらを理解できるのは僕が触れてきたから。どうやら僕の記憶の糸口はここにありそうだ。僕はカップラーメンに沸かした湯を入れた。

「3分…。」

朝からカップラーメンを食べるのは気が引けたが背に腹はかえられない。とりあえず腹ごしらえをしなければ。

多分久しぶりに食べたカップラーメンは身に染みて美味しかった。その瞬間、脳内に流れ込んできた記憶の波が僕を攫った。顔は思い出せないが声の低い男の声。そうだ。僕はこの男とあったことがある。そしてこの男とカップラーメンを食べた。僕は息を切らした。記憶というものは不思議なもので自分のことながら僕にもよく分からないことの方が多い。

記憶から逃げるようにカップラーメンを平らげるとゴミになったカップを捨てた。ソファーで横になると急激に眠気が襲ってきた。そして僕はいつの間にか眠りについていた。

どのくらいたっただろう僕は目を覚ました。時刻は四時。そろそろ2人も帰ってくる頃だろうか。

すると鍵を開ける音が聞こえた。

 「ただいま。」

 雫さんだ。

 「おかえりなさい。」

 僕はまるで犬みたいに玄関まで迎えに行った。

 「待ってたよ。」

 「暇だったよね。ごめんね。」

 「雫さん学校どうだった?」

 「つまんないよ。先生としか話さないし。たたつまんない課題をこなす毎日。」

 僕は雫さんの荷物を受け取った。それはひどく重くて体を持っていかれそうだった。

 「おもたっ。世の学生はこんな重いものを抱えて歩いてるの?」

 「ひのとくんは学校行ったことないの?あ、記憶ないのか。」

 雫さんは僕に気を使ってか「ごめんごめん」と片手で拝んだ。僕としては特に気にしている訳では無いから別にいいのだが。まぁ、優しさと思って受け取っておこう。

「あの、今日の朝勝手にカップラーメン食べちゃったんだけど…。」

「あぁ、あれ?いいのいいの。私が買い漁ったやつだからお父さんには怒られないよ。」

すると僕はすぐに申し訳ない気持ちになった。雫さんが一生懸命買いためたカップラーメンを、しかも勝手に食べてしまった。

「ごめんなさい…。」

「なんで謝るの?別に悪いことしてないじゃない。」

「でも…。」

そう言う僕に雫さんは笑って見せてくれた。

「本当に気にしてないから。これからも食べていいからね。だから落ち込まないで。私の方こそ何も用意してなくてごめんね。」

 「ありがとう…。」

 「でも偏食は良くないね。二日続けてカップラーメンだと体壊すよ。」

 雫さんはそう言うとキッチンに向かった。僕は雫さんがせんとすることがなんとなくわかった。野菜かなんかを切ってくれるのだろう。僕は自分に野菜嫌いの記憶がないか思考を巡らせた。

 「はい。切っただけ即席サラダ。ほんとはコンビニとかの方が美味しいんだろうけど、外へ出るのめんどくさいから。」

 僕はサラダの入ったボウルを受け取った。そうか。雫さんはインドア派なんだ。それをしれただけでも収穫だと思った。別に気になっているわけでは断じてないが。

 「そういえば、ひのとくんって好物とかあるの?」

 「いや記憶ないから…。」

 そう僕が言うと雫さんは僕の隣に座った。

 「あのね、記憶を無くしても好物や人格は変わることはないらしいの。ひのとくんだってその好物を持って今まで生きてきたんだもん。」

 雫さんは真剣な表情をしていた。僕には勿体無いほどに。

 「それに野菜は食べれたでしょう?とりあえず野菜は好きだったってことじゃない?」

 そうか。確かにそうだ。雫さんの言う記憶を無くしても好物は変わらないという説が本当だとしたら、僕は野菜好きだ。まぁ多分田舎者だっただろうから当たり前といえば当たり前かもしれないが。でもいいことを知った。

 「じゃあ今日のご飯は私が作るね。まぁいつもそうなんだけど。」

 雫さんは台所に立った。

 「今何時?」

 「五時前です。」

 「時間あるなぁ。じゃあカレーでもしようかね。」

 僕は思い出した。カレー。僕の記憶では中年の女が台所で包丁をトントンと鳴らしている。多分お母さんかもしれない。顔はもやがかかったように思い出せないが、そうかもしれない。

 「あの、雫さん。」

 「ん?なあに?」

 話そうと思った。でも今はその不確かな記憶を伝えるよりも今の会話で得られる情報を大切にした方がいい気がした。まぁ話すのが気だるかったと言うのもあるが。

 「いや、なんでもないです。」

 「何それ。」

 雫さんは笑ってた。

 「じゃあさ、ひのとくん手伝ってよ。」

 「僕料理なんか…。」

 すると雫さんは僕の前の歩いてきた。

 「大丈夫。私が手取り足取り教えてあげるから。」

 雫さんは僕の手を半ば無理矢理取ってキッチンに戻った。包丁を手に取ると僕に渡してくるやいなや、スクールバッグを漁ってじゃがいもとにんじんを手に取った。

 「これを切って。半分にして、それを半分に…。」

 雫さんは僕に言葉どうりに手取り足取り教えてくれた。今までの僕の人生至上一番平和な時間だと思う。いつ追い出されるかもわからない監禁生活でも僕は随分幸せに慣れる。そんな気がした。

 「あとは煮込むだけ。ご飯炊かないとだから戻ってていいよ。」

 「ご飯…。僕も手伝うよ。」

 「大丈夫。こんくらい造作もないから。手伝ってくれてありがとね。」

 僕は頷いた。リビングに戻ると付けっぱなしのテレビから見覚えのないアニメがやっていた。まあ僕に取ってはどれも見覚えがないが。しかし今朝のニュースよりもつまらない。そこでふとニュースを思い出して雫さんにきいた。

 「そういえば五十四体目のサテライトが生まれたらしいけど、これも教科書に載るの?」

 すると雫さんはくすりと笑って炊飯器のスイッチを押して僕の方へ歩いてきた。

 「載んないよ。五十四体も教科書に載せたら生徒がパンクしちゃうでしょ?」

 雫はスクールバッグから教科書を取り出した。

 「これが乗ってるサテライト一覧。」

 そこには文字でだけが埋まった見開きのページがあった。

 「教科書に載ってるサテライトは一体目、十五体目、三十二体目の三体。後半の二体は生命維持に成功してる。つまり今も生きてる個体ってこと。」

 雫さんは僕の隣に座った。

 「もちろん本当はどうかわかんないけどね。都市伝説系ユーチューバーは他にも生きてるって言ってる。」

 僕は今朝入れた水を飲み干すと雫さんに向き直った。

 「もし他にも生きてたらどうなるの?」

 すると雫さんは半笑いで困った表情を見せた。僕の質問は答えるのに少し時間を有したようだった。

 「んー。まぁまず高飛の信頼は地に落ちるよね。だって税金がたくさん使われてるもの。」

 「税金?」

 「あーそこからか。」

 雫さんはまた困った顔をした。僕はどうやら雫さんを困らしてしまうプロのようだ。自分で自分が嫌になる。

 「じゃあこの教科書貸してあげる。明日は土曜日だから。」

 僕は雫さんから教科書を受け取ると、そのサテライトのページに目を落とした。

 「どうしてサテライトの写真がないの?」

 「それも書いてあるよ。」

 雫さんはそうは言いつつも指を刺して教えてくれた。サテライトは高飛のトップシークレットらしい。その見た目は写真はおろか文章ですら書かれない。それは国民の周知の事実らしい。僕は遅れてる感じに焦りをあらわにしてしまった。

 「まあ大都会の上空から飛来してくるんだし。その形は周知の事実。人型だよ。」

 僕は今朝のニュースを思い出した。

 「人型ってことは宇宙人てこと?」

 「さあね。それこそ高飛が必死こいて内緒にしていることだよ。」

 僕はこの時点で脳がショートしていた。教科書によると人DNAと似通ったサテライトの使い道として臓器移植のための臓器として摘出。それを培養できるか試しているらしい。また人体実験も可能になるとか。

 「まあ、大丈夫。ここ日本で起きてることをできるだけ理解するのがひのとくんの仕事。中学生で習うことなんて一般常識だよ。」

 「わかった。頑張る。」

 でも僕は一般常識なんかよりも僕の記憶について知りたかった。最初こそ自分の記憶なんて興味なかったけど今となっては好奇心なんかじゃない、使命感を掻き出してくるようなものにすらなりつつあった。 

 僕は教科書のページをパラパラとめくった。岩頭村。新潟県岩頭山に位置する村を気にした。

 「あのさ、岩頭村って行ったことある?」

 「あーないけど、何年も前に失踪事件が多発して警察の立ち入り捜査が入ったのは覚えてる。結局どうなったのかは覚えてないけど。」

 僕は教科書を閉じた。すると雫さんは「もう飽きた?」と笑いかけた。別に飽きたわけじゃない。僕は辺りを見渡した。パソコンを探しているのだ。

 「雫さん。パソコンってある?」

 「私の部屋にあるよ。おいで。」

 僕は雫さんに連れられて雫さんの部屋に向かった。パソコンと対面したがアルファベットの文字盤に戸惑った。

 「あれ?パソコンは知ってるのに打つことはできないんだ。」

 すると雫さんは僕をのけてパソコンの前に座った。

 「何を調べるの?」

 「岩頭村について…」

 「わかった。」

 雫さんは慣れた手つきでキーボードを打った。

 「岩頭村は昔あった村。今は西条村と合併して岩西村になってる。失踪事件があったことくらいでそれ以外は特に注目すべきことはないかも。記憶にあったの?」

 「わからない。でもなんか気になった。」

 「そっか。そう言うのを好奇心って言うの。大切にしなきゃね。」

 するとキッチンから炊飯が完了したアナウンスが流れた。すると雫さんは立ち上がって僕に振り返った。

 「カレー食べよっか。」

 僕はこの人に一生敵わないだろう。僕なんかをこんなに思ってくれてこんなに良くしてくれる人はこの先現れないだろう。そこに無償の愛を感じた。

 「ただいま。」

 そう言って扉を開けたのは譲二さんだった。

 「おかえりお父さん、遅かったね。もう食べ始めてるよ。」

 「すまない。ちょっと手こずってな。帰るタイミングを測っていたんだ。」

 譲二さんはコートを脱いで椅子にかけた。

 「ちょっとお父さん、コートを椅子にかけたら形が崩れるって言ったでしょう?」

 そう言って雫さんは譲二さんのコートを書斎まで持って行った。譲二さんは「いただきます。」と手を合わせると、カレーを食べ始めた。なんとなくだが顔が疲れているように感じた。

 夕食をとると、僕はまた教科書と睨めっこをした。一般常識を得るために大切なことだ。非常識な僕を常識人にしてくれる最も身近なツールだ。その日は遅くまで読み耽った。

 翌朝。僕はソファーで目を覚ました。付けっ放しのテレビからは星座占いがやっている。僕は飛び起きた。やばい。二人とも気配がない。パニックになった。もう学校や仕事に出かけたのではないか。そう思ったがすぐに扉が開く音がした。

 「ただいま。」

 雫さんの声だ。譲二さんの姿もあった。

 「どこ行ってたの?」

 「パン屋さんだよ。」

 「驚いたよ…。起きたらいないんだもん。学校行ったのかと…。」

 雫さんはパンをテーブルに置いて僕の方へ近づいた。

 「今日は休日だって言ったでしょ?」

 そういえばそうだ。だから教科書を貸してくれていたのだ。すっかり忘れていた。僕は苦笑いして雫さんに謝った。

 「じゃあパン食べよっか。」

 雫さんはパンの袋からいくつかパンを出した。しかし昼にしては早い気がする。朝食が食べたい僕からすれば願ってもないことだが。

 「今日は早めの昼食をとって映画を見に行くの。」

 「そっか…。」

 僕は外に出れないから一緒に行くことはできない。雫さんは僕を放って譲二さんと映画を見に行くのだ。正直、羨ましかった。

 「ひのとくんは教科書勉強しててね。」

 確かに教科書は楽しい。でも映画だってしのほど楽しいはずだ。僕だって見に行きたい。不満ながらもクリームパンを食べた。

 「美味しい。」

 「ここのパン屋は美味しいって有名なの。」

 雫さんはそういうとメロンパンにかじりついた。

 ひとしきり食べ終えると、雫さんは白いダウンジャケットを羽織って玄関にたった。」

 「行ってきます。」

 しかし譲二さんは玄関に行こうとしない。なぜだろうか。譲二さんは映画に行かないのだろうか。

 「譲二さんは行かないんですか?」

 「行かないよ。ひのとくんがいるから。一人にしておけない。」

 「すみません…。」

 僕が謝ると譲二さんは笑って「ごめんごめん」と言った。僕はなんのことかわからなかった。

 「なんで謝るんですか?」

 「さっきのは冗談さ。行かなかったのは君のせいじゃない。ただ単に私が休日を家で謳歌したかっただけ。気にすることないよ。」

 そうは言いつつも多分本当は僕のせいだ。譲二さんは取り繕ってる感じがして少し居心地が悪かった。

 「ありがとうございます…。」

 何に対する礼か、自分でもわからなかった。でも多分自分の深層心理ではわかっていたのではないだろうか。

 「さ、今日は教科書を読むんだろう?わからないことがあったら書斎に来なさい。教えてあげよう。」

 譲二さんはそう言ってリビングから離れようとした。しかし僕は譲二さんを呼び止めた。

 「あの、今日はNSOについて教えてくれませんか?」

 「なんでだい?君の」記憶とはなんら関係はないよ。」

 「それでもです。教科書に乗ってるだけじゃ僕の脳は満たされませんでした。なんせ見開き一ページしかないから。」

 譲二さんは少し困った顔をした。僕は確固たる意思を持ってそう言ったのだ。きっと伝わってるはず。そして譲二さんはそれに呼応するように口を開いた。

 「いい本がある。ついてきなさい。」

 僕は少し高揚していた。だって教科書以外の本と触れ合うのは初めてだったから。まあ記憶を無くす前に読んでただろうが。譲二さんはそんな僕を見て少し笑っていた。

 「いいかい?本というのは、教科書であろうと物語であろうとエッセイであろうと雑誌であろうと、そのすべては歴史書だ。ひのとくんはそれで他の本を読みたくなったんだ。多分そうだろう?」

 僕は譲二さんの言ってることがわからなかった。別に歴史書として見てるわけじゃ断じてなかったから。

 「でも本は使い方を間違えれば無に帰することがある。むしろマイナスにもなるかもしれない。それはナイフを食べるようなことだ。」

 譲二さんは書斎に入った。もちろん僕も後に続いた。

 「きっとひのとくんになら津顔こなせるような気がする。」

 譲二さんが書斎の電気をつけると膨大の量の本が姿を現した。広い部屋には窓すら隠れるほど、天井まである本棚が並んでいる。その上床にも大量の本が積まれていた。僕は圧倒された。こんな量の本を見たのは初めてだったから。

 「少し汚い部屋だが、ここは私の好みが詰まった図書館だ。もちろんNSOについての本もたくさんある。私が著した本だってあるぞ。」

 僕は高揚していた。教科書なんかよりずっと面白そうだったから。背表紙だけでも楽しくなるタイトルばかりだ。しかしそこで僕はふと思い出したように聞いた。

 「座間吉宗の書いた本はありますか?」

 「君はそればかりだな。言わなきゃよかったよ。」

 譲二さんはため息をついた。僕としては記憶が戻る手がかりかもしれない座間吉宗のことを知りたいのは当たり前だ。正直僕は開き直ってたと思う。

 「残念ながら座間吉宗は本を出していない。」

 そういう譲二さんは少し笑っていた。なんで笑ってるかわからなくて僕は首を傾げた。

 「座間吉宗についてそんなに知りたいのか?」

 「なんか知ってるんですか?」

 「じゃあヒントとして。座間吉宗は元高飛の研究員だ。ある理由で辞めたがな。」

 僕は息を飲んだ。しかし何か納得がいかなかった。僕が高飛の研究員と何か関係があるのだろうか。譲二さんは僕の目を見て何を思ったのか。僕は疑問に思えて仕方なかった。


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