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第一話 ひのと(一)

 僕は目を覚ました。ここはどこだ。今までの記憶は薄い。どうやら見たことのある鉄塊がある。あぁそうだ。車だ。記憶を頼りに今の状況を理解しようとする。覚えていることと言えば僕の名がひのとであること、そして僕は今、生まれ育った場所から遠く離れた都会にいることくらいだ。そして僕は辺りを見渡した。車があることからここは駐車場だろう。そして凍てつく風が僕を刺すのは僕がTシャツ一枚でいるからだ。でもこれ以上の僕の記憶はない。どうやってここにきて、どうしてこんなに薄着なのか。空は少し曇っていて今にも雨が降りそうだった。いやこの気温だと雪が降るかも。まぁ薄着だからそう感じているのかもしれないが。そして空を見上げてひとつ目を引くものがあった。それは「何か」だ。いや、適当を言ってるわけじゃない。本当に「何か」なのだ。そこに確実にあるはずなのにその理解を脳が拒む。ただでさえ記憶があやふやな僕の脳はその何かにキャパシティーが追いつかなかった。都会はこんなものがあるものなのか。いや、そんなことはない。こんな事象、聞いたことがない。

 「寒…。」

 しかし、とにかく今は防寒することが先決だ。こんな季節にこんなところでこんな薄着でいたら、死んでしまう。しかし、ここは知らぬ土地。僕は、このまま死にゆく運命なのだろうか。そう諦めかけた時、白いダウンジャケットを着た少女が僕の目を合わせようとしゃがんできた。

 「大丈夫ですか?」

 「え…。」

 唐突な登場に僕は戸惑った。

 「寒くないですか?」

 そう言って少女は来ていたダウンジャケットを脱いで僕に被せてくれた。一気に暖かくなった。物理的にもだし人の優しさに触れられたのもだし。

 「あの…、あなたは?」

 僕は少女が寒くないか心配になり、そう聞き返した。

 「私は志村雫。あなたは?」

 どうやらすれ違いを起こしているようだ。でもそれを訂正できる気力なんてもうすでに持ち合わせていない。

 「ひのと…です。」

 「そう。ひのとくんよろしくね。」

 他人行儀だった雫さんが初めて笑みを見せた。同時に敬語も解消されて随分と人当たりが良くなった気がする。

 「帰る場所は?」

 「わからないです。」

 僕は俯いた。雫さんの輝くローファーが気弱な僕を映してるような気がした。

 「じゃあ立って。うちに来なよ。こんなところにいても寒いだけよ。」

 雫さんは僕に手を差し伸べた。「さあ」と急かす雫さんに僕は呼応するように手を掴んだ。雫さんは意外と力があって僕なんかヒョイっと立たせてくれた。

 「自分がどこから来たのかわかる?」

 「わかりません。」

 「じゃあ、ここがどこかも?」

 「はい…。」

 雫さんは何もわからない僕に嫌気をさすこともなく親身になってくれた。

 「じゃあ説明するけど、ここは東京都入野居区。NSOがある街だから人はスペースシップタウンって呼んでる。ほんとに宇宙から来たかは甚だ疑問だけどね。」

 「NSOって…?」

 雫さんは「何もわからないのね。」と笑ったが、すぐにその「何か」を指さして説明し始めた。

 「あれがNSO。正式には「Nanika Sky Object」三年前突如現れたの。学校でも習うけど日本の高度飛行物研究センター、通称高飛が命名した飛行物だよ。ちなみに私のお父さんも高飛で働いてる。」

 「やっぱ、あれ雫さんも見えてるんですか?」

 「さあ。それは誰にもわからない。だって誰にも視認できないんだもん。誰もその形や色を認識できない。一体何かわからないから「Nanika」なの。ひのとくんもそうでしょう?」

 「はい。そうです。」

 僕は雫さんに誘導されながら車どおりの多い道に出た。初めてみる交通量に僕は足がすくんだ。どうやら僕は田舎者のようだ。初めて見る車がたくさんだった。あんな目の尖った車は初めて見たしバイクだって僕の知ってるバイクと違うものが現実で走っていた。

 「僕の知ってる乗り物じゃない…。」

 「まぁ、いずれ慣れるよ。」

 しかし雫さんは寒さに身震いした。僕は焦ってダウンジャケットを返そうとしたが「大丈夫」と跳ね除けられた。

 「私、ヒートテック着てるから平気なの。それに今一番寒いのはひのとくんだから。」

 雫さんはそういうが僕は気が気でなかった。僕がダウンジャケットを着たままで雫さんに風邪でも引かせたら、その高飛?ってやつで働いてるお父さんに怒られてしまう。

 「ひのとくんは多分、相当な田舎者だね。でも育ちは悪くなさそう。」

 僕はそう言われてもどんな感想を言えばいいのかわからなかった。

 「でも、一般常識は大きく欠落しているね。まるでずっと引きこもってたみたいに。」

 確かにそうかもしれないがいざ面と向かって言われるとなんか傷つくところがある。でも何も言い返せやしない。

 「でさ、ひのとくんは何歳なの?」

 「わかりません。」

 「ほんと何もわからないのね。」

 そう笑う雫さんに僕は狼狽えていた。

 「あ、タメ語でいいよ。もう友達だから。」

 友達。僕は久しく聞いてないその言葉に無性に嬉しくなった。今にも飛んでいきそうなくらいに。

 「じゃあ雫さんは何歳なんで…なのかですか?」

 「もうぐっちゃぐちゃじゃん。」

 雫さんはまた笑った。どうも雫さんが笑うと僕は嬉しくなる。なんかいい関係だ。一方的ではあるが。

 「私は十四歳。中学二年生。ああは言ったけど友達がいない。中学から入野居にきたからってのもあるけど一番は保健室登校だからだね。」

 どうやら雫さんは少し寂しそうだった。皆何か抱えているもの。僕だけじゃない。そう知らしめられた気がした。

 「これだよ。」

 僕はそう言われた建物を見上げた。見たことのない大きな塔。記憶の断片だが、こういうのを高層マンションと言うらしい。どうも大きすぎて頭がくらくらしそうだった。

 「ひのとくんは見たことないんじゃない?これが家なの。」

 「これ?全部?」

 「な訳ないじゃん。一室だよ。」

 僕らはマンションに入るとなんとなく芳しい匂いに迎えられた。

 「これがエレベーター。見たことないでしょ。」

 エレベーターに乗り込むと雫さんは慣れた手つきでスイッチを押した。ものすごい速さで上へ登っていくエレベーターに僕は重力を感じて思わず声が出た。

 「五十五階が家だよ。」

 「五十五階って、五十五目の家?」

 「もっと多いよ。一フロア一室じゃないから。」

 雫さんは家の鍵を挿して重そうな扉を開けた。

 「ただいま。」

 すると男の人が顔を覗かせた。

 「雫、また学校行かなかったな。」

 「ごめんごめん。猫拾ったんだよ。」

 「猫?」

 男の人は廊下に焦った様子でかけてきた。すると僕と目が合うと目を丸くした。

 「どこが猫なんだよ。男の子だろ。返してあげなさい。」

 「家も記憶もないの、お父さん、お願い。うちに泊めてあげて。」

 男の人はさっき雫さんが言っていた高飛に勤めているお父さんのことだ。雫さんがそう呼んでいるからきっとそうだ。

 「記憶がない?」

 雫さんのお父さんはまた目を丸くした。僕みたいな稀有な事例が珍しいのか。

 「どこにいたんだ?」

 「学校の前の駐車場だよ。寒くってうずくまってた。」

 そう言う雫さんはお父さんに詰め寄った。

 「知らない子でも助けるべきでしょ?そう言ってたじゃない。」

 雫さんはそう言うがお父さんはなかなか首を縦に振らない。僕としてもどうか一瞬でいいからここに居座りたいものだ。でもどうせすぐ追い出されるだろう。

 「その子の名前は?」

 「ひのとくんだよ。」

 すると、お父さんは目を丸くした。そして何かを思い出したかのように僕の肩を掴んでしゃがんだ。お父さんは顔色が悪かった。じっと僕の目を見る目の眼光は鋭かった。

 「ひのとくん。座間吉宗という名前に聞き覚えは?」

 「ないです。僕、記憶がなくて…。」

 お父さんは大きくため息をつくと僕の頭をぽんぽんと撫でた。

 「そうか。しばらく家にいなさい。私は志村譲二。なんとでも呼んでくれ。」

 「はい。じゃあ譲二さんで。」

 「さ、お風呂に入っておいで。着替えは置いておくから。」

 僕は言われるがままお風呂に入った。久しぶりであろうお湯は寒さで縮こまった体を弛ませた。正直極楽だった。湯船なんて、どのくらいぶりだろうか。記憶はないが多分相当久しぶりだと思う。今だけは僕の記憶だとかNSOだとか、あと座間吉宗とか。脳を使う事象を考えなくていいだろう。

 僕は風呂から上がると、譲二さんのであろうTシャツとズボンを着た。ぶかぶかだったがズボンは紐が通ってて締めることができたからよかった。

 「上がりました。」

 僕が脱衣所を出ると何やら二人が話し込んでいた。

 「譲二さん?雫さん?」

 僕が話しかけると譲二さんは笑った。

 「大丈夫。何もないよ。」

 すると雫さんが僕の手を掴んで自室に連れ込んだ。

 「うちにずっといていいからって。お父さんが。」

 「ほんと?」

 「でも、その代わりひのとくんは外に出れない。それでもいい?」

 外に出られないのは窮屈だが、何も頼ることのできない僕にとって雫さんや譲二さんのそばから離れることはできない。諦めてそれを受け入れることにした。こうして目覚めて初日に僕は都会の牢獄に身を投じることとなった。

 「じゃあ、食事にしようか。なんも作り置きがないからラーメンでいいか?」

 そういう譲二さんに僕と雫さんは目を輝かせた。僕はカップラーメンは知ってた。なんとなく懐かしい響きだ。

 翌朝、僕は雫さんを見送ると譲二さんの元へ向かった。

 「雫さん、行きましたよ。見送らなくてよかったんですか?」

 「あぁ。いつも勝手に行くんだ。それにひのとくんが見送ってくれたから別にいい。」

 そういう問題じゃないだろと思いつつ僕は譲二さんの向かいの席に座った。

 「座間吉宗っていうのはどなたなんですか?」

 すると譲二さんは僕を見つめて言った。

 「知らないんならいいんじゃないかな。きっと今知るべきことじゃないと思うよ。」

 なんか隠してる。そう思わずにはいられなかった。でも居候してる手前、無理に聞くことはしにくい。ここは大人しく引くことにした。

 「あの…。譲二さんは高飛でどんな研究をしているんですか?」

 「雫から聞いたのか。」

 僕は頷いた。苦虫を噛み潰したような顔をする譲二さんの顔を見て言っちゃまずかったかと後悔したが、譲二さんはため息をついて話し始めた。

 「私は基本、NSOの正体について研究してる。NSO研究の根幹だ。」

 「あれの正体、まだ分からないんですね。」

 「あぁ。でもきっと私が解明してみせる。ひのとくんもその時を待ってるといい。」

 僕は正直不完全燃焼だった。

 「話を戻すがNSOには大きく二種類存在する。」

 「二種類ですか?」

 「まず、一つはNSO本体。そして二つ目は本体から定期的に飛来する人型オブジェクト、サテライトだ。」

 譲二さんは人差し指をスッと立てた。僕の視線はその指に集められた。

 「このサテライトはNSOの子供という説がある。つまり、NSOが生物であるという説だ。これにはいくつかの根拠がある。三年前からNSOはサテライトを生み続けているがそのDNAは大変似通ったものだ。一卵性双生児を凌ぐほどにな。」

 僕は途中から理解できていなかったがその話をあたかもわかっているかのようにうなずいて聞いていた。

 「まぁつまり…って分からないよな。」

 譲二さんはそう言って立ち上がると僕の頭をぽんぽんと撫でた。

 「辛かったろうがもう大丈夫。ここにいれば大丈夫だから。」

 「僕のこと何か知ってるんですか?」

 食い気味に詰め寄った僕に譲二さんは冷や汗を垂らした。

 「何も知らないよ。」

 「知ってるでしょう。座間吉宗についても教えてください。」

 「いや、本当に知らないから。」

 僕は懐疑心に駆られた。でも譲二さんは知らないと一点張りだった。

 「さて。私も仕事に向かおう。」

 「高飛ですか?座間吉宗の情報もあるかもですよね。連れていってくださいよ。」

 「いい勘をしているね。でもダメだ。ここから出ないのが契約だろう?」

 何も言えなかった。確かに契約ではそうだ。外に出ようものなら僕は追い出されてしまう。でも僕の好奇心は火がついてしまった。僕は記憶に関してはそこまで執着していなかったつもりだが、焚き付けられたのなら話は別だ。僕の記憶にも興味が湧いてくる。僕の故郷はどこなのか。なんでここで目が覚めたのか。座間吉宗とは誰なのか。一度気になったらずっと気になってしまう僕の性格上どうしてもこの好奇心を葬ることはできない。僕は諦めきれなかった。

 「僕の見に起きたこと知ってるんじゃないですか?」

 追い出される覚悟だった。そうだとしても僕は引けなかった。流石に僕にも意地がある。必ずや僕は僕の情報を得る。そう決めた僕の気持ちは確かなものだった。

 「強情な子だな。我の通し方が雫に似てる。」

 僕は至って真剣な顔をしていた。なのに譲二さんは僕を見て笑った。

 「わかった。じゃあヒントをあげるよ。」

 「ヒントですか?」

 「あぁ。座間吉宗は二ヶ月前から行方不明の男だ。」

 そういうと譲二さんは家を出た。いきなり静かになった部屋は耳鳴りがした。こんな静かな空間は少し落ち着かない。僕はおもむろにテレビをつけた。すると、ニュース番組が流れていた。

 「今日未明、五十四体目のサテライトが飛来しました。サテライトが着地した現場には未だ規制線が張られています。ここからでは見ることができませんが、これまでの傾向から人型オブジェクトかと思われます。」

 人型オブジェクト。僕は好奇心に駆られた。あんな何かわからないものからものが出てくるなんて。ましてやそれが生物の形をしているなんて、なんなら五十四個も。僕は外に出たくなった。でも契約だ。破ることはできない。

 「あー僕は一体なんなんだぁ。」

 その疑問は解明するまで消えることはないだろう。

 暇を持て余した僕は冷蔵庫をおもむろに開けた。入っていたのは数個のフルーツとプリン。脇の収納棚にはカップラーメン。食べていいのだろうか。まぁここからでちゃダメなんだしちょっと拝借するくらい問題ないだろう。

 僕は湯を沸かして沸くのを待った。しかし僕はあることに気づく。

 「あれ?なんで使えるんだ?」

 さっきもそうだ。なぜカップ麺を知っている。全部忘れたと思っていたがそうでもないみたいだ。僕は高揚した。もしかしたら僕の故郷のことも座間吉宗のことも思い出せるかもしれない。いやきっと思い出してみせる。

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