第7話 泥棒猫オラクル
「待てえええええええ!!」
「待てと言われて待つ泥棒がいるかよ!」
「自分で泥棒って言った!!」
夕暮れの町。
石畳を蹴って、私は走る。
その少し先。
二本足で走る灰色の猫男。
右手には。
黄色からもらった金袋。
「返せ!」
「やだね!」
「それ私の!」
「今は俺のだ!」
「いつから!?」
「さっきから!」
「泥棒ーーー!!」
「だからそう言ってんだろ!」
腹立つ!
ものすごく腹立つ!
猫男は速かった。
人混みを縫う。
屋台を飛び越える。
荷車の下をくぐる。
「ちょっ……待っ……!」
こっちは。
さっき戦ったばかり。
身体中が痛い。
足だって重い。
それでも。
止まれない。
あれは。
ただのお金じゃない。
――これ。
黄色が。
最後に渡してくれた。
――パパとママ、見つけるでぷ。
「返せえええっ!!」
私の声に。
猫男が一瞬だけ振り返る。
「しつこいな!」
「当たり前でしょ!」
猫男が。
細い路地へ飛び込んだ。
「待って!」
私も追う。
右。
左。
また右。
洗濯物の下。
積まれた木箱の横。
「どこ!?」
姿が消えた。
「……」
静か。
「はぁ……はぁ……」
私は。
周囲を見回した。
いない。
「……嘘」
逃げられた?
「そんな……」
膝が震える。
駄目。
諦めるな。
探す。
絶対に。
「黄色……」
拳を握る。
「絶対、取り返すから」
◇◇◇
日が沈んだ。
町に。
灯りがともる。
魔法なのか。
道沿いの柱に浮かぶ小さな光が、青白く石畳を照らしていた。
私は。
ずっと探していた。
大通り。
路地。
市場。
建物の裏。
でも。
いない。
「どこ行ったのよ……」
お腹も空いた。
喉も渇いた。
身体も痛い。
何より。
一人だった。
いつもなら。
赤が。
「腹減ったでぷ」
って言う。
緑が。
「まず宿を探すでぷ」
って言う。
黄色が。
「予算を決めるでぷ」
って。
「……」
考えるな。
今は。
探す。
「すみません!」
道端の店主に聞く。
「灰色の猫、見ませんでした?」
店主が。
私を見る。
「猫?」
「二本足で歩いてて!」
「獣人か?」
「たぶん!」
「灰色?」
「はい!」
「この町には何人もいるぞ」
「泥棒です!」
「ああ」
店主の顔が。
妙に納得した。
「それならオラクルじゃないか?」
「……オラクル?」
初めて聞く名前。
「有名なの?」
「悪い意味でな」
「どこにいる!?」
「知らん」
「ええ!?」
「居場所が分かる泥棒なんて、とっくに捕まってるだろ」
「……確かに」
嫌な説得力。
「でも」
店主が。
顎を掻いた。
「夜なら、酒場の裏手で見たって話は聞くな」
「酒場!」
「おい、嬢ちゃん!」
私は。
もう走り出していた。
◇◇◇
町の酒場。
夜になって。
昼より騒がしい。
扉を開けた瞬間。
「うわっ」
熱気。
酒の匂い。
焼いた肉。
大声。
笑い声。
人間。
獣人。
ドワーフ。
知らない種族。
みんな。
飲んで。
食べて。
騒いでいる。
私は。
入口から中を見回した。
「猫……猫……」
一匹いる。
違う。
白い。
もう一匹。
違う。
太ってる。
「灰色……」
いない。
「裏!」
酒場を出る。
建物の横。
細い道を抜ける。
裏手。
樽。
木箱。
空き瓶。
そして。
「……」
いた。
木箱の上。
脚を組んで座っている。
灰色の猫男。
口元には。
さっきと同じ細い煙草。
そして。
手の中で。
ちゃり。
ちゃり。
黄色の袋を弄んでいる。
「……見つけた」
猫耳が。
ぴくっと動いた。
「ん?」
振り向く。
「あ」
猫男が笑った。
「さっきのお嬢ちゃん」
「返して」
「嫌だ」
即答。
「返して」
「聞こえなかったか?」
煙を吐く。
「嫌だ」
「……」
「俺はな」
金袋を。
軽く投げ上げる。
受け取る。
「一度手にしたBは返さない主義なんだ」
「それ」
私は。
短剣へ手を伸ばした。
猫男の目が。
一瞬。
鋭くなる。
「やる気か?」
「……」
怖い。
こいつが。
どれくらい強いのか。
分からない。
でも。
「返して」
「だから嫌だって」
「返してよ!」
声が。
路地に響いた。
猫男が。
少し驚いた顔をする。
「何だよ」
「それは……」
喉が。
詰まる。
「それは……ただのお金じゃないの」
「金は金だろ」
「違う!」
「何が違う?」
「友達のなの!」
「……」
「今日」
声が。
震え始めた。
言いたくない。
口にしたら。
本当に。
いなくなったって。
認めるみたいで。
「今日……友達ができたの」
猫男は。
黙っている。
「三人」
「……」
「赤と」
「……」
「緑と」
「黄色」
涙が。
出てくる。
「みんなゴブリンで」
「……」
「変な喋り方して」
「……」
「赤はずっと肉食べてて」
笑おうとした。
できなかった。
「緑は何でも本で調べて」
「……」
「黄色はお金のことばっかりで」
「……」
「会ったばっかりなのに」
ぽた。
涙が。
石畳へ落ちる。
「私のお父さんとお母さん、一緒に探すって言ってくれた」
猫男の尻尾が。
止まった。
「……両親?」
「うん」
「いないのか?」
私は首を横に振る。
「この世界にいるって聞いて」
「……」
「だから探しに来た」
「一人で?」
「最初は」
「……」
「でも三人が友達になってくれて」
声が。
出なくなる。
それでも。
言う。
「私を守って……」
「……」
「死んじゃった」
猫男の顔から。
笑みが消えた。
「その袋は」
私は。
涙を拭う。
「黄色が最後にくれたの」
「……」
「お父さんとお母さんを見つけろって」
「……」
「だから」
頭を下げる。
「お願い」
「……」
「返してください」
静かだった。
酒場の中から。
遠く。
笑い声だけが聞こえる。
猫男は。
何も言わない。
煙草の先から。
細い煙だけが上がる。
やがて。
「……チッ」
猫男が舌打ちした。
「調子狂うぜ」
「……?」
ぽん。
何かが飛んできた。
「わっ!」
慌てて受け取る。
黄色の。
金袋。
「……え?」
中を見る。
ある。
ちゃんと。
入ってる。
「返して……くれるの?」
「気が変わった」
「泥棒なのに?」
「返すぞ」
「泥棒なのに?」
「二回言うな」
私は。
袋を胸に抱きしめた。
「……ありがとう」
「礼を言われる筋合いじゃねえよ」
猫男は。
顔を背ける。
「元々お前のだ」
「それはそう」
「そこは否定しろよ」
「なんで?」
「知らねえよ」
変な猫。
でも。
さっきまでより。
ほんの少しだけ。
怖くなくなった。
猫男は。
煙草を地面に落とし。
靴の先で火を消した。
「で?」
「何?」
「どこから来た?」
「……遠いところ」
「雑だな」
「説明しても信じないと思う」
「言ってみろ」
私は迷った。
でも。
お金を返してくれた。
少しくらいなら。
話してもいいかな。
「別の世界」
「……」
猫男が。
私を見る。
「本を使って来た」
「……」
「満月の夜に」
「……」
「何その顔」
「いや」
猫男が。
額を押さえる。
「思ったより面倒くさい話だった」
「だから言ったじゃん!」
「普通はもっとこう……遠い国とかだろ」
「嘘ついてどうするの!」
「分かった分かった」
猫男は。
面倒そうに手を振る。
「それで異世界から両親探しに来て、初日にゴブリン三匹と友達になって、そいつらが死んで」
「……」
「あ」
「……」
「悪い」
急に。
気まずそうになる。
本当に。
変な猫。
「俺はオラクル」
「え?」
「名前」
猫男は。
自分を指差した。
「オラクル」
「オラクル……」
「聞いたことないか?」
「今日この世界に来たって言ったでしょ」
「そうだった」
少し残念そう。
「有名なの?」
「そりゃあもう」
オラクルが。
胸を張る。
「世界に名を轟かせる大泥棒――」
「店の人が悪い意味で有名って言ってた」
「誰だそいつ」
「酒場教えてくれた人」
「今度盗みに行く」
「やめなさい」
オラクルが。
私を見る。
「お前は?」
「フール」
「……」
「何」
「いや」
「変な名前って思った?」
「思った」
「やっぱり!」
三匹にも言われた。
ちょっと腹立つ。
「それで」
私は聞く。
「オラクルは何してるの?」
「見て分かんねえか?」
「泥棒」
「即答だな」
「だって泥棒でしょ」
「まあな」
オラクルは。
夜空を見上げた。
「俺には夢がある」
「夢?」
「ああ」
「何?」
にやり。
猫らしい。
悪そうな笑顔。
「世界一の金持ちになる」
「……泥棒して?」
「手段は選ばねえ」
「選びなよ」
「嫌だね」
「捕まるよ」
「捕まらねえ」
「なんで?」
「俺だから」
「意味分かんない」
「そのうち分かる」
自信だけは。
すごい。
「じゃ」
私は。
金袋をしっかり腰へ結び直した。
今度こそ。
盗られないように。
「私、行くね」
「どこへ?」
「……」
止まった。
どこ?
「宿」
「どこの?」
「……探す」
「金は?」
黄色の袋を見る。
「ある」
「この町の相場は?」
「……知らない」
「安宿とぼったくり宿の区別は?」
「……知らない」
「治安の悪い地区は?」
「……」
「明日の飯は?」
「……」
「この町から次にどこへ行くかは?」
「……」
オラクルが。
呆れた顔をした。
「お前」
「何」
「よくそれで旅してんな」
「今日始めたの!」
「なるほど」
笑われた。
腹立つ。
でも。
何も言い返せない。
赤たちが。
全部。
助けてくれていたから。
一人になって。
初めて分かった。
私。
この世界のこと。
本当に。
何も知らない。
「……」
オラクルが。
私を見る。
「なあ」
「何?」
「お前」
少しだけ。
言いづらそうに。
耳の後ろを掻く。
「俺と来るか?」
「……え?」
「だから」
「聞こえたけど」
「なら聞き返すな」
「なんで!?」
「なんでって……」
オラクルが。
一瞬黙る。
「俺も一人だからだ」
「……」
「生まれた時からな」
いつもの軽い声。
でも。
その言葉だけ。
少し違って聞こえた。
「一人のほうが楽だと思ってた」
「……」
「けど」
私を見る。
「お前みたいなのを一人で歩かせたら、三日で身ぐるみ剥がされそうだ」
「失礼!」
「今日すでに俺に盗まれてる」
「返したじゃん!」
「それは俺が優しかったからだ」
「自分で言う?」
「事実だ」
オラクルが。
手を差し出す。
「俺は金を探す」
「……」
「お前は両親を探す」
「……」
「ついでに一緒に旅する」
私は。
その手を見る。
迷った。
泥棒。
初対面で。
黄色のお金を盗んだ。
最低。
信用できない。
絶対。
まともじゃない。
それでも。
――俺たちも探すでぷ!
赤。
緑。
黄色。
三匹の顔が。
浮かぶ。
また。
誰かと旅をしていいのかな。
三匹を。
忘れることにならないかな。
「……」
黄色の袋を握る。
違う。
忘れない。
新しい誰かと歩いたって。
あの三匹が。
私の最初の友達だったことは。
絶対に変わらない。
私は。
オラクルの手を取った。
「一つ条件」
「何だ?」
「もう私から盗まない」
「……」
「今、間があった!」
「分かった分かった」
「本当に?」
「善処する」
「それ約束してない!」
オラクルが。
笑った。
私も。
ほんの少しだけ。
笑った。
泣いた後だったから。
上手には。
笑えなかったけど。
それでも。
この世界に来て。
初めて。
一人になった夜。
私は。
また一人。
一緒に歩く人を見つけた。
◇◇◇
「で」
オラクルが言った。
「両親を探す手掛かりは?」
「……ない」
「は?」
「名前も知らない」
「顔は?」
「知らない」
「住んでる国」
「知らない」
「職業」
「知らない」
「種族」
「たぶん人間」
「たぶん!?」
オラクルが頭を抱えた。
「お前、何を頼りに探すつもりだったんだよ!」
「これ」
私は。
周囲を見る。
誰もいない。
今度は。
ちゃんと確認する。
そして。
聖なるマップを少しだけ開いた。
「……」
オラクルの黄色い目が。
止まった。
「何だ、それ」
「聖なるマップ」
「どこで手に入れた」
「この世界に来た時」
「ちょっと待て」
オラクルが。
煙草を落としかけた。
「これ……」
顔を近づける。
「☆1」
「うん」
「☆3」
「うん」
「☆5……?」
「あるね」
「おい」
オラクルの声が。
変わった。
さっきまでの軽さがない。
「これ、本当にその場所にある物を示してるのか?」
「たぶん」
「たぶんって」
「☆1の短剣はあった」
腰の短剣を見せる。
オラクルが。
地図。
短剣。
また地図を見る。
「……マジかよ」
そして。
四つ。
【???】
オラクルの目が。
細くなる。
「何だ、これ」
「分からない」
「押したか?」
「押してない」
「なんで?」
私は答えた。
「分からないものには、むやみに触らない」
「……」
「友達に教えてもらったから」
オラクルは。
何も言わなかった。
少しだけ。
三つの墓がある丘の方を見る。
それから。
地図へ戻る。
「……正解だ」
「え?」
「こういうのはな」
オラクルが言った。
「分からねえ物ほど、高く売れる」
「そういう意味じゃない!」
「冗談だ」
「絶対本気だった!」
その時。
地図の一か所。
【☆3】
オラクルの目が止まった。
その横。
小さな文字。
【真実のカード】
「……真実のカード?」
私が読む。
オラクルの耳が。
ぴくりと動いた。
「場所は?」
地図を見る。
☆3の印。
その近くに。
町の名前。
【アデュー】
「アデュー……」
「カードの町だ」
「知ってるの?」
「当然」
オラクルが。
いつもの不敵な笑みを浮かべた。
「俺を誰だと思ってる」
「泥棒」
「もうちょっと何かあるだろ」
「猫」
「そうじゃねえ!」
少し。
笑った。
そして。
もう一度。
地図を見る。
【☆3 真実のカード】
真実。
その言葉が。
胸に引っかかった。
お父さん。
お母さん。
この世界。
聖なるマップ。
TIME。
分からないことだらけ。
もし。
そのカードが。
何かを教えてくれるなら。
「行きたい」
「決まりだな」
オラクルが。
地図の町を指差す。
「次の目的地は――」
カードの町。
【アデュー】
聖なるマップが。
淡く光った。
【NEW QUEST】
『真実のカードを探せ』
私は。
黄色の袋を握った。
「赤」
「緑」
「黄色」
心の中で。
三匹に話しかける。
私。
行ってくるね。
まだ。
旅を続けるよ。
こうして。
私と泥棒猫オラクルの。
最悪の出会いから始まった旅は。
最初の目的地――
【アデュー】へ向かって。
動き始めた。




