第5話 左手の数字
第5話 左手の数字
トクン。
聖なるマップの上で。
【???】が脈打った。
【NEW INFORMATION】
【TIME】
「……TIME」
私は、その文字を読み上げた。
知らない名前。
なのに。
赤も。
緑も。
黄色も。
さっきまでとは顔つきが違う。
「ねえ」
私は三匹を見る。
「TIMEって何?」
誰もすぐには答えなかった。
代わりに。
武器屋の店主が口を開く。
「……嬢ちゃん」
「はい」
「その地図をしまえ」
「あ」
慌てて羊皮紙を畳む。
胸元へ。
しっかりしまう。
「ごめんなさい」
「俺に謝る必要はない」
店主は店の扉へ目を向けた。
「だが、次からはもっと気をつけろ」
「……はい」
緑も頷いた。
「さっき言った通りでぷ。これは、人に見られたらまずい物かもしれないでぷ」
「うん」
もう。
町の中では簡単に出さない。
私は短剣の柄に触れた。
少しずつ。
覚えなきゃ。
この世界で生きていく方法を。
「それで」
もう一度聞く。
「TIMEって?」
店主が。
低い声で答えた。
「組織だ」
「組織?」
「ああ」
「何をする組織なの?」
「……それが分かれば苦労しない」
「え?」
店主は腕を組む。
「奴らが何を目的に動いているのか、正確に知っている者はほとんどいない」
緑が補足する。
「国の軍隊じゃないでぷ」
「じゃあ冒険者?」
「違うでぷ」
「悪い人たち?」
赤が。
少し考える。
「少なくとも、近づきたい相手じゃないでぷ」
曖昧。
でも。
三匹の反応を見れば。
危険なのは分かる。
店主が。
自分の左手を開いた。
「TIMEには十二人いると言われている」
「十二人?」
「そいつらには、それぞれ数字がある」
店主は。
左手の甲を指差した。
「ここにな」
私は。
自分の左手を見る。
もちろん。
何もない。
「数字って、1とか2とか?」
「ああ」
「何のため?」
「序列だと言われている」
「序列?」
緑が言った。
「数字が大きいほど、危険だって噂でぷ」
「じゃあ……12が一番?」
「そう言われてるでぷ」
十二人。
数字。
謎の組織。
「なんでTIMEって名前なの?」
私が聞くと。
店主は首を横に振った。
「知らん」
「緑は?」
「知らないでぷ」
「赤?」
「知らないでぷ」
「黄色?」
「知ってたら格好よく説明してるでぷ」
「だよね」
何のためにいるのか。
どうしてTIMEなのか。
何を探しているのか。
分からないことばかり。
「じゃあ」
私は店主を見る。
「さっき話してくれた男の人と女の人は、TIMEに追われてたの?」
「俺が見た限りではな」
「その二人が……」
両親かもしれない。
そう言おうとして。
やめた。
証拠はない。
ただ。
似た物を持っていた。
それだけ。
おばあちゃんの言葉が。
頭をよぎる。
――分からないことを、分かったつもりにならないこと。
「……まだ、分かんないよね」
「?」
「ううん。なんでもない」
私は。
胸元の羊皮紙を押さえた。
今は。
覚えておこう。
TIME。
その名前だけ。
◇◇◇
店を出る前。
店主が私を呼び止めた。
「嬢ちゃん」
「はい?」
「一つだけ言っておく」
その表情は。
真剣だった。
「もし旅の途中で、左手に数字を持つ奴を見たら」
「うん」
「逃げろ」
「……」
「戦おうなんて考えるな」
私は腰の短剣を見る。
さっき手に入れたばかり。
ブラックファングにだって。
自分一人では勝てない。
「分かりました」
「本当に分かってる顔じゃないな」
「分かってるよ!」
「ならいい」
店主は鼻で笑った。
「死ぬなよ」
「うん」
私は笑う。
「この短剣、大事にするね」
「先に自分の命を大事にしろ」
「……はい」
店主。
意外と優しい。
「おじさん、ありがとう!」
「おじさんじゃない」
「え?」
「俺はまだ二十九だ」
「…………」
私は。
巨大な身体。
太い腕。
一本角。
険しい顔を見る。
「……ごめんなさい」
「なぜ謝る」
三匹が。
必死に笑いをこらえていた。
◇◇◇
店を出る。
太陽は。
少し傾き始めていた。
町の屋根が。
柔らかい橙色に染まっている。
「さて」
黄色が言う。
「重大な問題があるでぷ」
「何?」
「宿代でぷ」
「……」
忘れてた。
私。
この世界に家がない。
「野宿は?」
赤が言う。
「嫌」
「即答でぷ」
「虫いるでしょ?」
「いるでぷ」
「無理」
「森より町の外のほうが大きい虫いるでぷ」
「絶対無理!」
緑が呆れる。
「ブラックファングより虫が怖いでぷ?」
「種類が違うの!」
黄色が。
お金の袋を開く。
「安い宿を探すでぷ」
「ごめんね。私、お金持ってない」
「気にしなくていいでぷ」
黄色が胸を張る。
「友達から金利は取らないでぷ」
「金利?」
「例えばフールちゃんに十赤B貸した場合――」
「黄色」
緑が止める。
「なんでぷ?」
「今、取らないって言ったでぷ」
「例の説明でぷ」
「絶対取ろうとしてたでしょ」
「気のせいでぷ」
怪しい。
「俺は肉が食いたいでぷ」
赤が言った。
「さっき食べたでしょ」
「戦ったから腹減ったでぷ」
「ずっとお腹減ってない?」
「成長期でぷ」
「三つ子なら緑と黄色も成長期じゃないの?」
「…………」
赤。
沈黙。
緑が。
本を開く。
「赤は昔からこうでぷ」
「昔からなんだ……」
笑いながら。
大通りへ向かう。
その時だった。
カァン――!
「……?」
大きな音。
鐘?
カァン!
カァン!
カァン!
町中に。
激しい鐘の音が響く。
さっきまで。
笑っていた人たちの顔色が変わった。
「何?」
店の人が。
商品を放り出して。
扉を閉める。
ガタン!
バタン!
通行人が。
走り出す。
母親が子供を抱き上げる。
露店の商人が。
屋台を置いたまま逃げる。
「な、何なの?」
「警鐘でぷ!」
緑が叫ぶ。
「警鐘?」
「危険が来た時の鐘でぷ!」
赤が。
剣へ手をかける。
黄色も。
お金の袋を腰へ押し込んだ。
ドォン!!
遠くで。
爆発。
「きゃっ!」
地面が揺れる。
黒い煙が。
町の入口付近から上がった。
「門のほうでぷ!」
「行くでぷ!」
赤が走り出そうとする。
緑が。
襟を掴んだ。
「行かないでぷ!」
「なんで!?」
「危険だからでぷ!」
「誰か襲われてるかもしれないでぷ!」
「俺たちが行ってどうするでぷ!」
二匹が言い合う。
その時。
人の波が。
こちらへ押し寄せた。
「逃げろ!」
誰かが叫ぶ。
「門が破られた!」
「衛兵を呼べ!」
「もう来てる!」
「何が来たの!?」
答える人はいない。
私は。
流されそうになる。
「フール!」
黄色が私の手を掴んだ。
「離れないでぷ!」
「うん!」
緑が周囲を見る。
「路地に入るでぷ!」
四人で。
大通りから離れる。
細い路地。
積まれた木箱の陰。
「ここなら……」
ドォン!!
また。
爆発。
近い。
「……」
怖い。
ブラックファングとは。
違う。
何が起きているのか。
分からない。
それが。
怖い。
「見てくるでぷ」
赤が言う。
「駄目!」
今度は。
私が赤を掴んだ。
「危ないって言われたばっかりでしょ!」
「でも」
「私たちだけで行っても何もできないよ」
赤が。
悔しそうに口を閉じる。
その時。
ザッ。
ザッ。
ザッ。
足音。
「……?」
路地から。
大通りを覗く。
町の衛兵たち。
十人以上。
槍や剣を構え。
何かを囲んでいる。
「武器を捨てろ!」
衛兵の一人が叫ぶ。
その中心。
一人。
立っている。
黒い外套。
小柄な男。
顔の半分は。
外套の影に隠れている。
「……あいつ?」
私が呟く。
緑は。
答えない。
衛兵たちが。
槍を向ける。
「何者だ!」
男は。
面倒そうに。
顔を上げた。
「邪魔だ」
低い声。
「何だと?」
「俺は、お前たちに用はない」
男は。
町の奥へ視線を向ける。
何か。
別の目的がある。
「もう一度言う」
男は。
静かに言った。
「退け」
「ふざけるな!」
衛兵が。
一歩前へ出た。
「町を襲っておいて――!」
その時。
男が。
左手を上げた。
「……!」
手の甲。
数字。
【1】
「数字……」
さっき。
聞いたばかり。
左手に。
数字を持つ者。
私は。
緑を見る。
緑の顔から。
血の気が引いていた。
「まさか……」
黄色が。
小さく呟く。
赤も。
剣の柄を握っている。
「TIME……」
緑が言った。
「1番でぷ」
「でも」
私は思い出す。
「数字が大きいほど危険なんでしょ?」
「そうでぷ」
「じゃあ1なら――」
「フール」
緑が。
私の口を塞ぐ。
「それでも」
声が震えていた。
「普通の相手じゃないでぷ」
衛兵が叫ぶ。
「捕らえろ!」
一斉に。
動く。
十人以上。
槍。
剣。
男へ。
「……」
黒衣の男は。
逃げなかった。
首元から。
銀色の懐中時計を取り出す。
カチ。
小さな音。
次の瞬間。
「……え?」
衛兵たちが。
止まった。
違う。
止まってない。
動いてる。
でも。
遅い。
ものすごく。
遅い。
振り下ろされる剣。
踏み込む足。
飛び散る汗。
全部が。
ゆっくり。
ゆっくり。
動いている。
その中を。
黒衣の男だけが。
普通に歩く。
一人目の横。
二人目。
三人目。
何事もなかったように。
包囲の外へ。
「何……あれ……」
私は。
声が出なかった。
男が。
指を鳴らす。
パチン。
時間が。
戻った。
「うわっ!?」
「ぐあっ!」
衛兵たちは。
男が消えた場所へ一斉に突っ込み。
互いにぶつかる。
倒れる。
武器が。
石畳を転がる。
カラン。
カラン。
カラン。
「時間……」
私は。
男の手にある懐中時計を見る。
「時間を操ってるの?」
緑が。
小さく答えた。
「だから……」
「え?」
「TIME……」
黒衣の男が。
こちらを向いた。
「……!」
心臓が止まりそうになる。
見つかった?
いや。
違う。
男の視線は。
私たちのいる路地を。
ただ横切っただけ。
私を見ても。
表情は変わらない。
知らない人を見る。
ただ。
それだけの目だった。
男は。
すぐに町の奥へ視線を戻した。
「……」
私は。
なぜか。
少しだけ息を止めていた。
「逃げるでぷ」
緑が言った。
「今すぐ」
誰も反対しなかった。
◇◇◇
大通りから離れる。
人の少ない道。
古い倉庫が並ぶ区画。
走る。
走る。
「はぁ……はぁ……」
足が。
痛い。
「もう……追ってきてない?」
黄色が後ろを見る。
「分からないでぷ」
「でも」
私は。
足を止めた。
「何?」
赤が聞く。
「さっきの人」
「TIMEでぷ」
「うん」
私は。
考える。
「私たちのこと、知らなかったよね」
三匹が。
私を見る。
「たぶんでぷ」
緑が答える。
「フールを見ても、何の反応もなかったでぷ」
「じゃあ」
私は。
胸元の聖なるマップを押さえる。
「武器屋さんが見た二人と、私のことが関係あるとしても」
「……」
「TIME全員が、私を知ってるわけじゃない」
緑が。
少し考える。
「そうでぷ」
「それどころか」
黄色が言う。
「さっきの1番は、フールちゃんなんて完全にどうでもよさそうだったでぷ」
「そこまで言わなくてもよくない?」
「事実でぷ」
でも。
そのほうがいい。
変に。
全部をつなげない。
まだ。
何も分かってないんだから。
「とにかく」
緑が言う。
「この町を出るでぷ」
「今?」
「TIMEがいる場所に残る理由ないでぷ」
「でも門は?」
「別の出口を探すでぷ」
その時。
胸元が。
熱くなった。
「……また?」
聖なるマップ。
でも。
出さない。
町の中では。
出さないって決めた。
「どうしたでぷ?」
「地図が熱い」
緑の顔が。
さらに険しくなる。
「ここでは見るなでぷ」
「うん」
「人のいない場所まで――」
「その必要はない」
「……え?」
声。
上。
四人で。
ゆっくり顔を上げた。
倉庫の屋根。
黒い外套。
銀色の懐中時計。
左手。
【1】
「……」
背中に。
冷たい汗が流れた。
TIMEの1番。
男は。
私たちを見下ろしている。
でも。
その目に。
驚きも。
懐かしさも。
私を知っている様子も。
何一つない。
ただ。
邪魔なものを見る目。
それだけ。
「な、なんで……」
私が呟く。
男は答えた。
「勘違いするな」
屋根から。
音もなく。
飛び降りる。
トン。
「俺はお前たちを追ってきたわけじゃない」
「じゃあ何でここにいるでぷ!」
赤が。
私の前へ出る。
男は。
倉庫の奥へ目を向けた。
「俺の目的地が、この先なだけだ」
偶然。
ただの。
偶然。
私たちは。
逃げた先で。
また。
こいつの進路に入ってしまった。
「なら」
緑が言う。
「俺たちは何も見なかったでぷ」
「そうか」
男が。
銀色の懐中時計へ手を伸ばす。
「なら忘れろ」
「……え?」
「永遠にな」
カチ。
小さな音。
赤。
緑。
黄色。
三匹が。
同時に。
私の前へ出た。
「フール!」
赤が剣を抜く。
「後ろにいるでぷ!」
「待って!」
緑が本を開く。
黄色が両手を構える。
私は。
腰の短剣を握った。
さっき。
武器屋のおじさんに言われた。
――左手に数字を持つ奴を見たら、逃げろ。
逃げた。
ちゃんと。
逃げたのに。
それでも。
出会ってしまった。
黒衣の男が。
懐中時計を開く。
カチ。
カチ。
カチ。
静かな倉庫街に。
秒針の音だけが響いた。
TIMEの1番は。
私を知らない。
私も。
こいつを知らない。
これは。
運命なんかじゃない。
ただ。
最悪の偶然だった。




