間話1−1 血の嵐
廃れた商店街に、二人の男がいた。
シャッターの前に立つ一人は、
茶髪に白と黒の薄いコートを羽織った男。
もう一人は、そのシャッターにもたれかかり、血を流している男――殺し屋だった。
茶髪の男は、
殺し屋の首元に、赤暗く鈍く輝く刀を当てていた。
「君、炯眼って知ってる?」
穏やかな声だった。
だが、その優しさが、逆に恐怖だった。
殺し屋は喉を鳴らし、震えながら頷いた。
「も、もちろんだ……話す……話すから、殺さないでくれ……」
「うん。じゃあ、話してくれるかなぁ」
刀は離れない。
むしろ、わずかに押し当てられる。
「炯眼は……全能の殺し屋だ……」
「七年前に、突然姿を消した……」
「……それくらいは、僕も知ってるんだよね」
茶髪の男は、少しだけ首を傾げた。
「他は?」
沈黙。
殺し屋の喉が、何度も上下する。
「……な、ない……」
「本当に……それ以上は知らない……」
次の瞬間、
刀が、わずかに沈んだ。
首元から、赤い血が細く滲む。
「――っ」
殺し屋の身体が震え、
低血圧の人間のように、黒目が裏返る。
そのまま、崩れ落ちるように意識を失った。
茶髪の男は、刀を離し、小さく呟いた。
「……また、情報を得られなかったか」
血の匂いの残る商店街で、
彼は空を見上げる。
「兄さん……どこに行ったんだ」
男の名は、千草亜嵐。
亜嵐は、
七年前に姿を消した兄・亜水の行方を追い、
炯眼と呼ばれる暗殺者を探していた。
そのために――
暗殺者を捕まえ、
情報を引き出し、
それを、飽きるほど繰り返していた。
これは、三年前。
千草亜嵐が、
“暗殺者になる前”の物語である。
※
ほとんど光の届かない、
森の奥深くに、小さな廃墟があった。
人の気配はない。
獣の匂いすら薄い。
世界から切り離されたような場所。
亜嵐は、そこに一人で住んでいた。
昔からではない。
七年前――兄がいなくなってからだ。
亜嵐は廃墟の床に仰向けになり、
赤黒く鈍い光を放つ刀を、天に掲げて眺めていた。
妖刀――亜飲。
その刃を見つめながら、
亜嵐は、兄のことを思い出していた。
亜嵐は幼い頃に、両親を失っている。
それ以降、彼を育てたのは、
十歳年上の兄――亜水だった。
亜水は国に創設された部隊に所属していた。
異能使いを集めた、特別な部隊。
兄はよく、自分の仕事の話をした。
とくに誇らしげだったのは、
国最強と呼ばれた集団――天将。
その十二人の一人、伊達幹雄の部下になったことだ。
その話を、亜嵐は嫌というほど聞かされた。
今でも、一言一句、同じように語れる。
だが――
亜水は、決して優秀な人間ではなかった。
騙されやすく、嘘を見抜けず、
人が良すぎて、いつも損をする。
欠点はいくらでもあった。
それでも――
嘘をつかない人だった。
素直で、優しく、
誰かのために働くことを、当たり前のように選ぶ人間だった。
亜嵐は、そんな兄を誇りに思っていた。
兄がよく口にしていた言葉がある。
「正解はな、自分で考えて
自分で答えを出さないといけない」
何度も騙された男の言葉とは思えない。
それが逆に亜水らしく、
思い出したたびに安心ができた。
だが、ただ一度だけ、亜水は、嘘をついた。
七年前。兄は笑いながら言った。
「炯眼っていう殺し屋を討伐する」
「すぐ終わる任務だ」
そのまま、出ていった。
そして――
帰ってくることはなかった。
亜嵐は、一週間後、国に問い合わせた。
だが、兄の情報はなかった。
行き先も、
任務内容も、
すべてが“機密”だと告げられた。
追い返されそうになった、そのとき。
隻眼の男が声をかけてきた。
「国には内緒だ」
そう前置きして、
隻眼の男は、亜水が向かった場所を教えた。
森の中にある、廃墟だと。
後に、その隻眼の男が、兄の上官――伊達幹雄だと知った。
亜嵐は、言われた通り廃墟へ向かった。
中には、誰もいなかった。
人の匂いも、血の匂いもない。
静かすぎるほど、静かだった。
ただ一つ――
床に、刀が刺さっていた。
赤黒く輝く刃。
廃墟の天井に空いた穴から、
かすかな外の光が差し込み、
まるで――
見つけられるのを待っていたかのように、そこにあった。
亜嵐は、ゆっくりと近づき、
その柄に触れた。
その瞬間、
一つの言葉が、頭に浮かんだ。
「――吸え、亜飲」
無意識に、そう呟いた。
次の瞬間。
刀は、甲高い音を立て、
亜嵐の手から血を吸い始めた。
脈を打つように、刃が震え、
歪み、巨大化していく。
血を吸われた亜嵐は、
血が抜けたように視界が白くなり、
黒目が裏返った。
そのまま――
意識を失った。
※
これが、
亜嵐と妖刀・亜飲の出会いだった。
それから亜嵐は、
この廃墟に住み着いた。
なぜか――
兄が、ここに戻ってくる気がしたからだ。
赤黒い刀を傍に置き、
今日も亜嵐は、静かに空を見上げている。
兄を探しながら。
兄が帰る場所を、守りながら。
そしてまだ――
この刀が、何でできているのかを、
亜嵐は知らない。




