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15 エピローグ

「いかかでしょうか、社長」


 提出した記事にしばらく目を通していた男は、やがて顔をあげると満足げに頷いた。

「良くできている。やはりうちにきてもらってよかったよ」

 そう言ってメガネの奥の優しげな目をさらに細くした。


 あれからもう二月近くがたとうとしている。僕はあの会社をやめてこの小さな編集プロダクションに転職した。前の会社の広報部長が立ち上げた会社だ。彼は、牧野におしつけられて僕が書いた広報部の依頼記事を読み、それを評価してくれていて、会社立ち上げの時に声をかけてくれたのだ。


 この会社で僕は今、いろんな仕事をしている。インタビューをしたり記事を書いたり。時には営業活動をしたり発表会に参加したりと、なかなかいそがしい。だが、人を喜ばせることに自分の創ったもので関わることができるこの仕事に、充実感を抱いている。もちろん得意なことばかりやらせてもらえるわけではなく、苦手な仕事もたくさんあるけれど、でも、不思議とそういった活動も昔ほど苦痛には感じなくなってきた。


「ねえ。この前君が書いたA社からの依頼記事。評判よかったらしいよ。私も負けてらんないな」


 自分のデスクに戻ると、隣の席の女子社員が話しかけてきた。彼女は前の会社の同期で、僕と一緒にこの会社にスカウトされた人だ。成績優秀で将来を嘱望されていたらしいのだが、社の体制に不満があったとかで、今こうして僕と机を並べている。僕に一目おいてくれているらしく、時々こうして誉めてくれたり、鼓舞してくれたりする。


 何もかもが前職とは違う。そしてこの空気の中にいて、僕はようやく気づくようになった。苦手だと思っていたことも積極的な気持ちでぶつかっていくことができるようになった、その理由はきっと、肯定感だと。自分を認めてくれる人がいる。そして彼らの言葉を受けて自分自信を肯定することができる。そういう環境が、自分を高めてくれているのではないかと。もちろん能力や性質としてどうしてもできないことはある。だけど自分はできると思わせてもらえることで、ちょっとだけ勇気をもって一歩踏み出せることもあるんだ。


 そして、それを最初に教えてくれたのはきっと……。


 時計に目を向けた僕は、物思いから覚めて立ち上がった。

「いけね。もう、こんな時間だ」

「そうか。今日は午後休みだったね」

「うん。大事な約束があるんだ。お先に失礼するよ」


 デスクから離れようとすると、隣の彼女に呼び止められた。

「ねえ。今度……」

 しかし彼女はその先を言わず、僕の顔を数秒じっと見つめてから、元気よく僕の背をはたいた。

「いってらっしゃい」


 社長のデスクの方を向くと、彼も笑顔で手をあげていってらっしゃいのジェスチャーをした。僕はみんなに会釈をして、小さなオフィスをあとにした。


     〇


 海水浴のシーズンも過ぎたとはいえ、夏真っ盛りといわんばかりの暑い光の注ぐ鎌倉の駅前は、やはりお祭りのようににぎやかだった。この街は雨でも暑くても人を呼ぶ。しかし鳴美の実家の界隈までいくと、そういったものとは無縁で、どこかの田舎のように静かで穏やでしんみりとした空気が漂っていた。


 駅で浩一と待ち合わせて鳴美の実家を訪ねた僕は、鳴美にお線香をあげしばらくお母さんと談笑したあと、海へと向かった。あの、彼女からの手紙を読んだ海岸へ。


 例の不思議な出来事について、浩一には彼が新婚旅行から帰ってからすぐに話した。信じてもらえるか不安だったが、彼も、数日悲しみに浸ってから受け入れてくれた。そして今日、一緒に彼女に会いに行こうと約束したのだ。直接姿を見ることはできないけど、彼女の、たましいに。


     〇


 ヒグラシの鳴き声の降り注ぐ古びた住宅街の道をぬけると、あの日よりもいっそう眩しい光が視界を埋め尽くした。海には、溶かした金属を流し込んだように、一面に白く眩しい光が漂い煌めいていた。


 持参したバケツに木片や紙切れを入れて火をつけた僕は、そこから立ち上る細い煙を追って空を見上げながら彼女に語りかけた。


 鳴美よ。

 君のおかげで僕は立ち直ることができた。

 君のおかげで、これからも生きてゆこうという気持ちになれたんだ。

 君が僕を外に連れ出してくれたから。

 君が僕を肯定してくれたから。

 だから僕は、まだここにいてもいいと、自分を認める気持ちになれた。

 ありがとう。

 本当は直接君に言いたかった。でも言いそびれてしまったこの気持ちを、君に送るよ。

 君がしてくれたみたいに。君が認めてくれた、僕の文章で。僕の気持ちを、君に対する感謝と……愛情を、この手紙にたくしたから。どうかそっちでゆっくり読んでくれ。


 そして僕は、鳴美に宛てた長い手紙をバケツの中にいれた。浩一もまた、何かを納めた封筒を同じバケツに投じる。二人して見上げる空には大きな入道雲がそびえていて、その眩しい白さを眺めていると、鳴美がどこかで笑っているように思えた。


 もちろん彼女の姿はもう、どこにもない。でも、彼女の姿が見えなくても、もう僕は寂しくなかった。目に見えないことは、今の僕には大きな問題ではなかった。


 僕は自分の胸に手を当てる。そしてどれだけ時が過ぎようと薄れぬほどの強さで想う。


 君はここにいるのだから。僕のとなりに、僕の中に君はいて、いつでも僕を見守り励ましてくれるのだから。

 君は僕の、一部なのだから。と。






   おわり

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