14 鳴美からの手紙
土曜日。再び鎌倉を訪れた僕を、鳴美のお母さんはこの前のようなちょっと疲れた、しかしこの前よりも血色のよい笑顔で出迎えてくれた。
「ごめんなさいね。また来てもらっちゃって」
笑みを浮かべながらも申し訳なさそうに眉をひそめるお母さんに、僕は手土産のお菓子をさしだして首をふる。
「いえ。とんでもないです。この前は事情も知らずに失礼をしました。お電話いただいて嬉しかったです。あの……そのときにおっしゃっていたことなんですが、本当なんですか」
「ますはどうぞあがってください。その事についてはゆっくり話しましょう」
手土産を受け取ったお母さんは、そう言って僕を居間へと通した。
先日僕にかかってきた鳴美からの電話は、お母さんからのものだった。僕に連絡したかったのだが電話番号がわからず、まだ解約できずにいた鳴美の携帯からかけてしまったのだそうな。例によって鳴美とよく似た声だったので、心臓が止まるかと思った。動悸を押さえながら聞いた話はしかし、鳴美から電話がかかってくるのと同じくらい、信じがたいことだった。それを確かめに、お母さんの誘いに従い僕は今日こうやって、再び鎌倉へとやってきたのだった。
「これよ」
居間のソファに座ってしばらく待っていると、席をはずしていたお母さんは、一通の封筒を祭具のように大事に捧げ持って部屋に入ってきた。
ソファの前のローテーブルにおかれたそれに手をつけることもできず、僕はじっと視線を落とす。
「これを……なるミンが」
「そう。あれはあの子の四十九日の夜だったわ。あの子が私の前に現れて、お別れを言ったの。そして、もし博文君が来たら、この手紙を渡してほしい。自分の机の引き出しの中にいれておくからね。って、そう言って消えてしまった」
鳴美の四十九日。浩一の結婚式のちょっと前。僕が一生懸命式の挨拶文を練っていたころだ。
お母さんは目を細めて、いとおしむように封筒をなでながらつづける。
「私はそれをただの夢だと思っていた。だから確かめようともしなかったの。だけど、この前あなたがきて、鳴美と会っていたという話をしてくれたあと、もしかしてと思った」
「五月以降に彼女と会っていたという、あの話ですね」
「そう。最初は何かの間違いだろうと思っていたけど、でもだんだん気になって、あの子の机を探してみた。そしたらこれがあったの」
視線をあげて僕を見つめたお母さんは、お供え物をするように両手でその封筒を僕の前に差し出した。厚い茶封筒。「ヒロポンへ」と大きく書かれている。まるっこくて、でも元気よくあちこちに跳ねたその字は、間違いなく鳴美のそれだった。
「これを、受け取ってあげてほしいの」
それに触れようと伸ばした僕の指先が、小刻みに震える。
「でも、いいんでしょうか。これを僕がもらっても」
「もちろん。だって、これはあの子があなたに宛てたものよ」
それでも僕の指は、封筒に触れたまま動かない。その時、躊躇する僕の手に、お母さんの手が重ねられた。
「あれは夢ではなく、確かにあの子だった。最後にもう一度あの子と会えた。それがわかっただけで、私はとても嬉しいの」
そう言って彼女はほほ笑んだ。そのほほ笑みに一瞬鳴美の五月晴れのそれが重なったような気がした。そう思うととたんに、自分の体のどこからともなく、得体の知れない勇気がわいてくる。震えの止まった指で僕はしっかりと、その封筒を受け取った。
〇
鳴美からの手紙を手にした僕は、彼女の家から近い海岸に向かった。朝に降っていった雨はすっかりあがって、頭上には澄んだ青空が広がっている。土曜の午後の海には明るくも物憂い光があまたに瞬いていてまぶしいほどだ。その眠気を誘うような光の揺れにあわせて優しく波の音が寄せては退く。そのさざめきを聴きながら僕は、彼女の手紙を開いた。
★ ★ ★
こんにちわヒロポン君。
まず何から書いたらいいんだろう。
これを読んでるってことはもう知っていると思うんだけど、私はもう死んでます。
そう。私はね、君に再会する前に死んじゃってたんだ。だから君と会ってたのはいってみれば私の幽霊。ごめんね言えなくて。だって、きっと怖がると思ったから。それに私が幽霊だなんて言ったら君はきっと、それが気になって他のことを考えられなくなってしまったでしょう。君を驚かすことが私の目的ではなかったんだからね。
私は君にしてもらいたいことがあったから、わざわざ化けて出たんだよ。知ってのとおり、コウちゃんへの挨拶文を書いてもらうこと。また前みたいな仲良しに戻ってもらいたかった。そして実は、その他にもうひとつ、目的があったんだ。その事を今から書くね。
君は私と再会したのは五月だと思っていると思うけど、実はその前に私は君の姿を見ていた。
君の職場で。
ビックリした? 君は覚えがないかもしれないけど、君のオフィスにある置き菓子。その補充に、配達員として何回かお邪魔したことがあるんだよ。
そこで君の姿をこっそり覗き見たの。
うちひしがれ、疲れきった君の姿を。
ショックだった。
君の変わり果てた姿が。だって学生時代、君はあんなにも快活で楽しい人だったのに。それなのに今の君は、まるで五十才も年を取ったみたいだった。いったい何が君をそんな風にしてしまったんだろう。
私は考えたよ。でもわかんなかった。私バカだし。もっとも答えなんか君にしかわからないよね。だから私は思ったの。君のために何かしたいって。君をうちひしがせている原因を取り除くことができなくても、今の君の救いにちょっとでもなれるなら。そのためにきっと私も何かできるはず。そう思ったんだ。
だけど、その何かをする前に私は死んじゃった。
後悔したよ。死ぬほど後悔した。もう死んでるけどね。そんな私を見かねて神様がチャンスをくれたんだ。その何かをするために。ちょっとだけ地上に戻してやろう。ただし四十九日だけ。命日から四十九日後にはちゃんと戻ってこなければならない。そうでなければ永遠に成仏できなくなるぞ、と。
どんな神様だ、と君は突っ込むかな。実は私もよくわかんない。うまく表現できないからとりあえずそう言っているだけなんだ。
この一月ちょっと。短い間だけど、いろんな所にいったね。
公園にラーメン屋に大学にバイキング。楽しかったなぁ。とても楽しかった。そして感じた。君はやっぱり、君だと。学生の時のようなキラメキを今でもちゃんと持ってるんだと。リコーダーがうまいのも、友達のために頑張れるのも、いろいろ。
ヒロポン。君はとても魅力的な人だよ。他の誰がなんと言おうと、断固として私はそれを主張する。だって私をあんなにも楽しい気持ちにさせてくれるのは君だけだもの。死んでさえもそう思わせてくれるのだもの。
そんな君に、私は自信を取り戻してほしかった。
その私の願いはかなったのかな。それは君にしかわからないよね。でも最後に見た君の表情から私は、叶ったと思っているよ。
完成した挨拶文を読めなかったことだけが心残りかな。でも私は信じてる。君の書いたそれがきっと、コウちゃんを、そして多くの人を喜ばせたであろうことを。
ヒロポン。君は今もちゃんと輝いている。その輝きは君の周りの人々を笑顔にする力を持っている。どうかその事を信じていてほしいと、私は思うよ。
そしてその光が君自信のこれからの道をも明るく照らすことを、君がたくさんの幸福を手にすることを、心から願っています。
心を込めて 鳴美より
★ ★ ★
読み終わった僕は、手紙をたたむとそれを抱いて目を閉じた。
深く息を吐く、僕の心はかつてないほどに凪いでいた。
耳によせる穏やかな波の音。肌にあたる陽光の暖かさ。頬をなでる海風の柔らかさ。潮の香り……。
僕を包むそれらすべてが、とても大事な、いとおしいものに感じられた。
ふと呼ばれた気がして、僕は顔をあげた。
僕は見た。確かに。波打ち際に立つ女の人を。きらめきながら揺れる幾千万もの光の粒に囲まれて、彼女は僕に手をふっていた。あの五月晴れのようなはれやかな笑みを、満面に浮かべて。
僕も彼女に手をふり返す。
一瞬かほんの数秒。彼女の姿が光の中に溶けてしまうまで。僕につくれる一番の笑みをみせながら。




