最終話 約束のキャンプ
ジュンは妖精湖にある世界樹の前にいた。
ノーアとの戦い後も、返す宛てがない腕輪を、持っていたのである。
ジュンはその腕輪を、世界樹の根元に埋めてから見上げた。
「ありがとうございました。腕輪はお返しいたします」
返事はやはりなかった。
あの戦いから、ジュンは一度も世界樹の声を聞いてはいなかった。
ジュンは世界樹に触れて、そっと魔力を流した。
「あれから百五十年。どうかお元気で……」
そう言うとジュンは、もう一度世界樹を仰いで、湖畔に転移した。
「お久しぶりね。いつ見ても、ジュン様のその若さはずるいわ」
ジュンは寂しげに笑った。
「クレアもよくそう言っていた。分けてあげたいよ。先日、孫を老衰で亡くしたんだ。慣れているはずなのに寂しかったよ」
「それで、戒めの森からでてこなかったのね」
ジュンは静かにうなずいた。
「ミゲル様やジェンナ様。そしてクレアも眠っているからね」
「寂しくなるわ。でも、止めないわよ。私はいつもジュン様を見ていたから……。助けてくれてありがとう。見守ってくれてありがとう。あなたに会えて……、幸せだったわ」
ハンカチで涙を抑える彼女を、ジュンは優しく見つめた。
「ミーナ、もう一人で大丈夫だね?」
ミーナは困ったようにほほ笑んだ。
「あの人が迎えにくるまで、いい子にしているって約束をさせられたもの」
ジュンは約束をさせた人物を、懐かしむように笑った。
「ほんとうに心配だったんだろうね。約束が最後の言葉だなんて聞いた事がない」
「ええ。でもあの人らしいでしょ? 私の胸にはまだ、たくさんの愛があるわ。だから、ちゃんと待っていられるの」
ミーナは幸せそうにほほ笑んだ。
ジュンはノーアとの戦いの後で、自分の寿命をあと百五十年と決めたのである。
突然姿を消して、混乱を招く事は避けたかったのだろう、カイのまねをする事にしたようだ。
先日、家族や親しい者にだけ、カイやシオンと同じように、神界に行く事を伝えたのだった。
それが皆に受け入れられたのは、百五十年を経た今でも、その姿は十八歳のままだったからに他ならない。
ジュンは百五十年の間に愛する人や大切な人々を見送った。
三人の王子たちは、それぞれ、最後までジュンの大切な友人だった。
第三王子だったリックは、兄が王位につくと領地をもらって城を出た。
その後、家族を持ち小さな領地を豊かにした。
ダンは、王位に就くと大胆な改革を行い、城に勤務する者の世襲を撤廃した。
税金の徹底的な見直しにより、所得税の徴収方法が変更されて、貴族のほとんどが爵位を返上し、謀反は火だねが小さいうちに摘み取られたのである。
国が安定すると、ダンは妻と二人で田舎に住み、穏やかな余生を送った。
一番仲間を驚かせたのは、兄を支えると言っていたレオだった。
彼はその座を弟に譲ると、王家の籍から離れ、婿養子に入ったのである。
その相手はミーナだった。二人は仲むつまじい夫婦だった。
レオは息を引き取る間際まで、ミーナを片時も離さなかったが、最後に残した言葉は‘約束だ。俺が迎えにくるまで、いい子で待っていろよ’だったのである。
ジュンはクレアとの間に四人の子をもうけた。全種使いの三人の息子は、ギルドを守り、赤、緑、青の石が付いた短剣を受け継いだ。孫もまた親の跡を継いでいる。
一人娘はアルトロア国の国母になった。
クレアの最期の場所は、朝露が残る花畑だった。
食卓に飾る花をつんでいて倒れたようで、まるで良い夢でも見ているかのように、優しい笑みと思い出だけを残して旅立ったのである。
闇蜘蛛のメンバーの中で長寿であるはずのパーカーとマシューは、任務中の事故で亡くなったが、後のメンバーは引退をしてそれぞれ、天寿を全うした。
拠点は昔のままだが、その住人の中に初期メンバーはもういない。
永遠の命を持つシルキーは、老衰で旅立つミゲルに付き添って、早くに逝ってしまったのである。
ジュンは、カイがこの世界で初めて建てた、戒めの森にある家の庭に、モーリス家の墓を建て、納骨堂を作った。
その横には、身内のない闇蜘蛛の墓も作った。
寿命の短い人族のワトは家族を作らなかった。コラードの家系は家と墓を持たないので、カリーナはワトとともに、今はそこに眠っている。
魔人族であるコラードは長命だが、生涯、主はジュン一人だと言い張り、拠点から戒めの森に移ったジュンについてきた。
闇蜘蛛はコラードの息子が継ぎ、孫も優秀な執事になった。
コラードは先日。ジュンの旅立ちを聞かされ、使い切れない程の退職金をもらったが、カリーナが眠る墓のそばで、暮らす事を望んだのである。
戒めの森の結界を張り直すのは、モーリス家の当主の勤めである。
先祖が眠る場所は、これから子孫が眠る場所になる。結界と同様に維持してほしいと子供たちに語ったジュンだが、ミゲルの骨を海に流す事が、どうしてもできなかったのが本当のところだろう。
モーリス家の当主は本邸に住み、仕事も多忙である事から、ジュンが去った後の、森の家と墓の管理はコラードが当主により、正式に依頼されたのである。
神界に行くために、森の家をでるジュンにコラードは言った。
「ジュン様、旅のご無事を願っております。行ってらっしゃいませ」
「コラード。今までありがとう。行ってきます」
ジュンはコラードをまっすぐに見つめて、そう言った。
ジュンは竜王の住み処を訪れていた。
『ジュン! 元気だった?』
「もう、シロとは呼べないな」
『そう呼んでくれるのは、ジュンだけになったね』
「もうじき、竜王になるんだろう? がんばれ」
『まだ、子供は作らないから、先の話だよ』
シロは父親である竜王と同じように、水竜を番いに選んだ。
初めての子が竜王になる子であれば、シロは番いを失う事になるのである。
それと同時に父親も失うのであれば、子供を作る事に二の足を踏むのも理解ができる。
『困った奴だ。それだけ黒くなったのだ。相手の覚悟は決まっておるだろうに』
竜王はシロを見てそう言った。
黒くなっても、頭を寄せて甘える姿に、ジュンは小さく笑った。
「新しいシロに会えないのは少し残念だったかな。シロ、お別れだ」
『うん。父さんに聞いたから、会いにきたんだ。いつか、ジュンと同じ匂いの人間がくるのを待っているよ。父さんがそうしたようにね』
ジュンはシロの顔に、ただ黙って頬を寄せた。
『それでは、行こうか。いつものように石に入るのだろ?』
ゆっくりと立ち上がった竜王を見上げて、ジュンは答えた。
「はい。お願いします」
竜王はジュンに見せるかのように、世界を一巡りしてから、上昇した。
ジュンは眼下の景色をただ、見つめていた。
跡を継ぐ者たちへ残す物は、全て残してきた。
「大きな家族の肖像画。僕が残した一番好きな物かな」
ジュンは思い出したのか、満足そうな笑みを浮かべた。
ノーアと戦った後で、ジュンは一人の貧しい絵師と出会った。
彼が描いたジュンの肖像画は、とても素晴らしく、それは拠点に飾られた。
彼はその後、ジュンを描いて有名になったのである。
その絵師が晩年、ジュンの家族の肖像画を描いてくれたのである。
その肖像画は歴代の作品の中でも一際大きく、本邸の踊り場には飾る事ができなかった。
しかし、ジュンはその絵がとても気に入ったようで、とうとう本邸の階段横にある部屋を二つも取り壊し、そこをギャラリーにして飾ったのである。
竜王が石ころテントを置いた場所は、本当に何もなかった。
島と呼ぶには余りにも小さいそこには、竜の白い大きな骨だけがあった。
「あの骨は……」
『竜王は絶命すると発火するのだ。その火は燃え尽きるまで、決して消えない。死期が近づくとこの島にくる理由が分かるだろう?』
ジュンは竜王の顔を見つめた。
「竜王だけなの?」
『竜王だけが母親の命を奪って誕生する。最後にその罪を償うのだと、伝えられている。儂もここに来るのは、そう遠くはないだろうな』
「シロが寂しがります。できるだけゆっくりと来てくださいね」
『ああ、そうしよう。ジュン、楽しい日々をありがとう』
「竜王、お世話になりました。送ってくれてありがとう」
竜王はその大きな翼を広げて、立ち去った。
ジュンは大きく息を吸い込むと叫んだ。
「不死身の能力をお返しにきました!!」
次の瞬間。ジュンは河原に立っていた。
「待っていたぞ、淳。ほら、ぼうっと立っていないで、火をおこせよ」
そう言ったのは、見覚えのあるテントの前にいる快だった。
「うん。何を作るの? ここはどこ? 快はなぜここにいるの?」
快は愉快そうに笑って言った。
「俺は淳との約束を果たすために待っていた。なぁ、キャンプをしようぜ? クローメが材料を用意してくれたんだ。焼きそばを死ぬほど食う予定だったよな?」
「うん。食べる前に快が死んじゃったけどね」
「済まないな。焼きそばがトラウマになってしまったか?」
「さすがにキャンプには行けなかったよ。でも焼きそばは大丈夫だった」
淳は日本の製麺会社の名前がある袋を見て、小さく笑った。
肉や野菜とともに炒めた、焼きそばのソースの香りに、二人は顔を見合わせた。
「懐かしいな。うまそうだ。いただきます」
「うん。食べよう。ああ、こんなのも用意してくれたんだ。好きだったよね?」
それは、米国企業の黒い炭酸飲料だった。
「こんなに甘かったんだな?」
「これも焼きそばも喉に詰まるって、初めて知ったよ」
「久しぶりだからな。だが、うまい」
二人は成長期の男子ほど食べる事はできなかったが、それでも、楽しみにしていたあの日の食事を堪能したのであった。
「ふぅ。食ったな」
「うん。後片付けはここの川で洗っていいの?」
「いや、そこの木箱に入れておけと言われたぞ」
「そうだよね。ここって神界でしょ? 川なんてあったんだ」
「ないよ。イザーダが俺たちのキャンプ用に作ってくれたんだ。ひょっとしてこれが三途の川か?」
「死んだら、先祖が迎えに来るとか、まだ来てはいけないとか言うあの場所?」
「マジで言ってるの? 大事故や大災害が起こったら、対岸が花火大会のような人混みになるじゃないか?」
快はあきれたように笑った。
「だよね。しかも有料だよ? その金はどこで使うんだろう?」
「淳の質問のセンスが微妙なのも、変わらないな。神様を地上で接待したりするんじゃないのか?」
「快の答えのセンスだって、変わってないじゃないか。でも賽の河原って、三途の川のかわらだろう?」
「親より先に逝った子供が、親を思って石を積むんだろう? 鬼が蹴散らして、完成はしないんだっけ? 作りたいのか?」
「鬼の相手は面倒そうだから、遠慮しとくよ」
「面倒と言いながら、いつもやるのが淳だからな」
二人の間には、それぞれ百年と百五十年以上の時が流れていたが、二人の関係はあの夏の日までと、少しも変わってはいなかった。
「ところで、快は両親やお姉さんに会えたの?」
「いや。魂の行き先は違うらしい。淳は日本の家族に会いたいか?」
「いや、幸せに暮らしていると思っていたい。不幸だと知っても何もできないんでしょ? うちは大丈夫。僕が掛けた苦労や心配以上に大きな事って、そうそうないだろうからね」
「まあな。うちもつらい思いをさせたからな」
それから二人はイザーダ世界の思い出を語りあった。
それが短いのか、長いのかは時間が存在しない場所では分からない。
ただ、分かっていたのは、始まりには終わりがあり、終わりの先には始まりが待っている事だけだった。
「さあ、行こうか淳。いつかまた巡り会えるといいな」
「快。二度目の人生をありがとう。きっとまた会えるよ」
イザーダ神の作りだした河原は、三途の川ではなかったが、そこには石が積み上がっていた。
その景色と二人の体は静かに消えていった。
小さく光る魂が二つ。ただ一カ所を目指して飛び立った。
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