第百二十七話 思い出のために
その日拠点では、ジュンとルークが調理場で、忙しく働いていた。
メンバーたちも楽しそうに、食事会の準備をしている。
この世界の結婚は、領主か王城に届けを出す事で、終了する。
その後、両家の家族や近くの親戚と食事をする事が多いようである。
ただ、闇蜘蛛であるメンバーの結婚は希であり、極秘にされていたようである。
それに異を唱えたのはジュンだった。
「僕のメンバーは人間だからね。堂々とでなくても、親や兄弟姉妹がいるなら、結婚の報告くらいはして欲しい。ここで暮らすなら、なおのことだよ?」
そう、本日アルトロア国に結婚を届けに行っているのは、ジュンの執事であり、闇蜘蛛の団長であるコラードと侍女頭のカリーナである。
コラードの両親はアルトロア国の王城勤務であるため、届けを出した後に面会をして、拠点に帰ってくる事になっている。
カリーナは、魔物に襲撃されて全滅した村の出身であり、身内はいない。
二人は拠点で暮らしている。
カリーナがコラードの部屋に移るだけで、何かが大きく変わる事はない。
仕事柄、家族と頻繁に接触できないメンバーに、ジュンは拠点でともに暮らす家族として、誰かが結婚をした時は、食事会を開こうと提案したのである。
来客としてジェンナと、コラードの祖父母である本邸執事のジーノと侍女頭のサマンサを招待した。
「マントは買ったっすかねぇ?」
ワトの言葉に、ジュンは首をかしげる。
「マント?」
ルークは料理の手を休めずに言う。
「そりゃあ買うでしょう? マントを買えない男は、かい性無しって一生言われますからね」
「結婚用のマントがあるの?」
食器を取りに来た、エミリーがジュンの言葉にクスリと笑う。
「昔、結婚は秋が多かったのです。作物の収穫や、越冬用の魚や木材が動く時期は、収入がありますからね。王都や、領主の暮らす町まで届けを出しに行って、その後に、二人で新しいマントを買う人が多くて、慣習になったようです」
「なるほど。冬に近い秋なら、寒いからね」
ジュンが言った言葉に、ワトはため息をついた。
「せめて、二人の人生の旅立ち、くらいは言ってほしいっす。寒いって……」
エミリーは面白そうに二人を見て言った。
「二人の人生の旅立ち云々(ぬん)は、後付けですね。マントは値が張りますから、結婚を機に新しくして、一生使うというところでしょうね」
食事会の支度が調い、本邸からジェンナたちも駆け付けると、真新しいマントを着たコラードが、カリーナの肩を抱いて転移陣に到着した。
「おかえりなさい、コラード。カリーナ。おめでとう」
いつも出迎えられるジュンが、コラードを迎えた。
「ありがとうございます。二人で拠点を留守にして申し訳ありません」
恐縮するコラードにジュンは言った。
「明日の朝まで、二人は仕事をしてはいけないからね? 生活と仕事場が一緒だけど、結婚した日くらいは休んでほしいと思うよ」
コラードはカリーナと、顔を見合わせると言った。
「そうは参りません」
ジュンはその返事を、知っていたかのように小さく笑う。
「ふうん。それなら、僕やメンバーも、結婚した日は休めないんだね?」
ジュンの言葉と、皆の視線を受けて、コラードはため息をついた。
「どなたの入れ知恵でしょうか……。ありがとうございます。それでは、休ませていただきます」
ジュンと一緒に迎えにでた、マシューがコラードに小声で伝えた。
「入れ知恵をしたのは団長だぜ、きっと。そっくりな言い回しだ」
横でカリーナが手で口元を隠したが、肩が小さく揺れていた。
拠点の住人が十二人とジェンナたちを入れて十五人の食事会は、主であるジュンが乾杯の音頭を取り、にぎやかに始まった。
終わるのが待ち遠しいスピーチもなければ、半分はBGMで泣かされる花束贈呈もない。
いつもより少し豪華な食事をして、いつものように会話を楽しむだけではあるが、身内だけの集まりは気兼ねする事もなく時間を忘れる。
ルークが作った、二人の出身国であるアルトロアとゼクセンの郷土料理が次々に消えていき、深夜に及びそうな様子になった頃。
ジェンナより一足早く、コラードの祖父母が本邸に戻って行った。
ジュンの横にきたジェンナがニヤリと笑う。
「ジュン。どうやら、結婚式をする事になりそうだねぇ」
ジュンはジェンナを見た。
「嫌ですよ。クレアがかわいそうです」
「あれは、ここに入るのだから、問題はないだろう。それより、各地の後始末も終わり、各国でイザーダ軍に入った者たちの式典が行われる。アンドリューとチェイスが参列するが、国民が見たいのはジュンなのは分かるかい?」
「……なんとなく」
嫌そうな顔のジュンを見て、ジェンナは小さなため息をついた。
「王たちは、ジュンとクレアの出席を希望している。王都だけだから七カ所だけで終わる話だ。うるさいから、さっと済ませておいで」
ここでジュンは我に返ったように、手を振りながら言った。
「いやいやいや。僕はイザーダ軍で頑張ってくれた方々が、褒美をもらえるのは嬉しいですが、クレアは一般人ですよ?」
「吟遊詩人や、噂本に名前がでる一般人はいないねぇ。卒業式の出席は辞退せざるをえないだろうねぇ。だったら、ジュンの嫁として立たせて、堂々と守った方が良いだろう? 中途半端な立ち位置にしておくと、また、変なのが湧くからねぇ」
「考えておきます」
うつむいたジュンに、ジェンナは畳み掛けるように言う。
「考える暇はないよ。ジュンだけなら特務隊の制服があれば良いが、クレアの正装やドレスは、大急ぎで発注せねば間に合わないからねぇ。女は金と時間が掛かるからねぇ。覚えておくといい」
「では、クレアが快く納得してくれたら、と言う事にしましょう。無理はさせたくないです。僕と結婚した事を後悔したら、どうしてくれるんです?」
ジェンナはその問いをさらりと流して言った。
「クレアの悩み事はそこではないから、心配はいらないよ」
「悩み事ですって?!」
慌てるジュンにジェンナは面白そうに笑う。
「聞いてやるな。口にはできない、乙女の矜持だろうからねぇ」
(アンドリューがジュジュ嬢の映像を、見せちまったからねぇ。毎日鏡を見ている孫娘に掛ける言葉はないねぇ)
コラードの結婚からひと月ほど過ぎた日。
コンバル国の王都コンバルは、ジュンが初めてコンバルを訪れた日のように快晴で、真っ白な街並みの窓辺には、真っ赤な花が咲き誇っていた。
ただ、あの日と違うのは、ジュンとクレアの結婚式を見ようと、観光客が押し寄せて、王都は入場制限が掛かる程、にぎわっている事だった。
ジュンは教会の控室にいた。
支度室から、カリーナに連れてこられたクレアは、淡い桜色の髪を緩く結い上げ、シルキーが作った、フェアリーシルクのドレスに身を包んでいた。
「クレア、きれいだ……。あ、前からきれいだけど、そのぉ、今日は一段とね」
よく分からない弁解をしながら、赤くなって褒めるジュン。
クレアは、口元に小さく笑みを浮かべた。
「ジュン様の制服姿。凜々しくて素敵です」
金のモールで飾られた、特務隊の礼装は上下が白である。
腰にある剣の鞘も今日は儀礼用の銀の細工物である。
すっかり伸びたジュンの髪は、コラードが念入りに、細い革ひもで束ねていた。
各国の王族が見守る中、ジュンとクレアは婚姻申請書に署名をした。
コラードとカリーナが二人にマントを着せた。
ため息と拍手の中で、目を丸くしたクレアが小声で言った。
「ジュン様、これは……」
「僕が作らせたんだよ? 気に入ってくれるといいのだけれど」
「ええ、とても嬉しい」
ジュンにとって、結婚の衣装はやはり白だったようである。
マントは暗い色が多く、せいぜい縁に別布や毛皮が付いている程度で、どれも大きな差はなかったのである。
ジュンはクレアのマントに、自分の目の色と同じ赤と紫の小花の刺しゅうを入れ、ジュンのマントには、クレアの目の緑で小さな葉を刺しゅうさせたのである。
道路に舗装などはされていない。旅人ならば絶対に身に付けないマントだろうが、ジュンには時の魔法がある。
白いマントを選ぶ際に、迷いは見受けられなかった。
「いつまでも、僕の愛は変わらないと約束するよ」
「信じています。私にはジュン様だけですもの」
コンバルの王が小さく笑った。
なぜなら、ジュンたちの結婚式の見届け人は国王である。その前で、緊張することもなく、二人は愛を誓いあっているのだから。
ジュンたちは、転移を使わずに、そのまま馬車でゆっくりと王都を巡った。
それは、遠方からわざわざ二人を見に、王都まできてくれた人たちがいると聞いたからである。
「俺たちを救ってくれて、ありがとう!」
「お幸せに!」
たくさんの声に二人は、笑顔で手を振り続けた。
クレアは世界中の王都に行ける事を喜んだ。
それが、気ままな旅ではない事も、様々な視線に晒される事を聞かされても、クレアは未知の国が見たいようである。
「ねぇ、コラード。僕はこれからも、世界中を飛び回ると思うんだ。危険な事の方が多いからね。クレアは連れては行けない。時間を作って連れて行っても、いずれ子供もできるでしょう? 年齢相応の旅はできるだろうけどさぁ。好奇心が旺盛なクレアのこの時間は、戻ってこないよね」
コラードは大きくうなずいた。
「七カ国の王都は日程が決まっております。十三日間で終わりますので、旅をされてはいかがでしょう。海や山などは人目もないでしょう。旅装では気付かれる事もないでしょうから」
「そう言うと思っていたよ。クレアのためにカリーナを連れて行くから、コラードも付いてきてね」
嬉しそうなジュンに、コラードは言った。
「私には仕事がございます」
ジュンは小さく息を吐いた。
「コラードは僕の執事でしょ? マシューもいるから、重要な仕事が入ったら、転移魔法で戻ればいいんだよ」
(自分がいなければ、回らない仕事なんて、実はないんだよ。回せなくしているのは自分。いなくなっても仕事は回る。大して影響はないと気が付いたんだよ。だから、コラードを時々連れだそうと思ったんだ。カリーナと一緒にね。この世界の僕は、皆を看取る運命。だから、幸せな思い出をたくさん作らなくてはね)




