第百二十六話 竜王の墓場
「ジュン。聞かねばならぬ事があるのじゃ」
ミゲルの真剣な声に、ジュンは目を閉じてうなずいた。
意識のない間に、ジュンの体に起きていた事を聞かされて、ジュンは小さく息を吐いてから口を開いた。
「あの時の僕を支えていたのは、気力だけでした。全ての関節から力が抜けていくようで、立つ事も危うくなり、頭の上から徐々に凍り付いていくような、寒気に襲われた僕が感じる事ができたのは魔力だけでした。僕はそれを全部、剣に練り込みました」
ジェンナは眉間にしわを寄せて尋ねる。
「なぜ、自分に回復魔法を使わなかった?」
「あの戦いは、僕が優位に立っていた訳ではありません。僕が負ける事があったら、イザーダ軍が戦う相手です。彼らが勝てるようにするべきですよね? ただ途中から、人でしかない僕が、神を相手にする理不尽さに腹が立ってきたんです」
ジュンの言葉にジェンナがうなずく。
「確かにねぇ」
「だから、ちょっと文句を言ったんです」
ミゲルが首をひねる。
「誰にじゃ?」
聞かれたジュンも首をかしげた。
「神様を作った方?」
ミゲルはあきれたように聞いた。
「……それで?」
「真っ黒な空間で‘すまぬ。迷惑をかけた。詫びだ……’って言う声を聞いたんです。そうしたら小さな光が見えて、それがどんどん大きくなって、冷たかった体が温かくなってきて、気持ち良くって寝てしまいました。すみません」
ジュンはゆっくりと、思いだそうとするかのように、時々、視線を動かしながら話した。
「今は体調に異常はないかい?」
ジェンナの心配そうな声に、ジュンは笑顔を向けた。
「ありませんよ。変わった魔法を掛けられたようですが、今は普通に紙でも手が切れますからね」
(嘘を言ってごめんなさい。手の傷はすぐに勝手に塞がったんだ。これをモーリス家に残す訳にはいかないよね。魔力が高いだけでも特別扱いだよ? 不死身になったらって考えるだけでも恐ろしいよ)
「あんな魔法を使える者など、聞いた事もないねぇ。あれば、治療師は楽ができるだろうがねぇ」
ジェンナの言葉にミゲルは言った。
「魔法は術者が離れると消えるからのぉ。闇魔法のムシ以外は、見た事がないのでのぉ。ジュンの体を幾度か見たが、あの治療魔法は残っていなかったのぉ」
ジュンは竜王に会ってお礼を言いたいと、あれから初めての外出許可をもらって、竜王の元にやってきた。
ジュンは竜王と、互いにノーアとの戦いに勝利したことを喜び合い、シロにもお礼を言いたかったようだが、彼は水竜の島に出掛けていて、留守だった。
ジュンは自分の体に起こった事を、竜王に話した。
『呪いや祝福などの、後から付けられた物は遺伝はしない。だが、言わぬ方が良いだろうな。人は身の丈も考えずに欲に走る。魔力が高い者は長生きをする。ジュンが長生きをしても、誰も不思議には思わないだろう』
ジュンは憂鬱な顔でうなずいた。
「この迷惑な贈り物を、捨ててしまう方法はないのかなぁ」
『あるには、あるのだが……。人生を終わらせる時でいいだろうな』
ジュンはその返事を、想像してはいなかったのだろう、竜王を見つめる。
「どう言う事ですか?」
『カイはどうやってこの世界にきて、どうやって神の元に行ったと思う?』
ジュンはカイがこの世界にきたことは、知っていたが、その方法に疑問を持った事はなかったのである。
「神に送ってもらって、迎えにきてもらったのでは? 僕はミゲル様のところに届けられたんですけど。あぁ、カイはモーリスの初代か……」
竜王はうなずくと言った。
『カイは、男と二人で竜王の墓場からこの世界に入ったので、竜王の墓場から帰ると言っていた。ジュンもおそらくその場所からこの世界に入ったのだろう』
「僕は来た時の記憶が、全くないんです」
『カイと違って戻る必要はないからな。記憶は要らなかったのだろう』
ジュンは一応うなずいたが、その場所が気になるようである。
「竜王の墓場とは?」
『竜王はそこで眠りにつく。その場所に行けるものもいないので、その名になったのだろう。竜王の墓場は空にある。カイは来た場所に戻る転移魔法が使えたから、戻れたのだろう』
転移の魔法はジュンもよく使うので、理解はできたようだが、どうやら腑に落ちない事があるらしい。
「なぜ竜王以外は行けないのですか?」
『空にある穴が竜王以外には見えないからだ』
竜王が口にした言葉に、ジュンは首をかしげた。
「穴ですか?」
『そうだ、その穴の向こうに島がある。何もない島だ。生き物もいない。ただ、竜王だった物の骨があるだけだ。カイは生死の境の島だと言っていたがな。苦しまずに楽に死ねるらしい』
「なんでそんな島があるんだろう?」
ジュンはいよいよ難しい顔になっていく。
『儂は我らの死に場所だと、カイに出会うまで疑った事がなかった。だが、カイやジュンが現れた。神の元に行く必要がある、カイみたいな奴がいるから島はあるのかもなぁ。カイが去った後、何度も島を探したが、カイの遺体はなかった。それが答えだろう?』
カイがいない以上、竜王も憶測の域を出ている訳ではない。
「僕は神に、帰る約束はしていませんけどね?」
『頼みもしないのに、不死身にされたんだぞ? 脳と心臓を離さなくては、死ぬ事はできないんだぞ?』
「うは、考えるだけでも痛そう。でもなんで知っているんですか?」
『なんで知らない? カイは不死身だったんだぞ? 儂と二人の秘密だったがな。カイは神の頼み事を引き受けた、そして百年生きる約束があっただろう?』
竜王の話を聞いて、ジュンは大きなため息をついた。
「そうですよね。確かに成功が約束されていた訳じゃないし、誰にも言えないのはよくわかる。僕はまた秘密を抱えなくてはならない。うんざりですよ」
ジュンの恨めしそうな顔を見て、竜王は首をかしげた。
『便利な体だと気楽に思っていればいい。カイはそう言っていたぞ。何から何まで、一つの隠し事もなく話す必要がどこにあるのだ? 人は他人の秘密を知りたがるが、それを生涯守る覚悟は薄い。余計な荷物を背負わさないのも、情というものだと思うがな』
ジュンはしばらく黙り込んでいたが、元気に顔を上げた。
「……そうですね。付いてしまった呪いだか、祝福だかにクヨクヨしても始まりません。不死ではないと分かったら、逆に便利かも知れませんね。そう思う事にしますよ」
竜王は優しく目を細めた。
『ところでジュン。クレアは笑ってくれたか?』
ジュンは驚いて竜王を見た。
「え? 僕の番いになってくれそうなんですよ。大事な人なんです」
『意識がなくても思うほどにな?』
赤くなったジュンを竜王は楽しそうに見つめた。
それからジュンは、拠点と特務隊以外には出掛ける事ができなくなった。
災害の後片付けに目途が立ち、復興が順調に進んでいるせいもあるだろう。
イザーダ軍にいた兵士たちの話に、吟遊詩人の豊かな脚色も加わり、ジュンは救世主や英雄扱いで、ギルドには式典の招待が後を絶たない始末である。
「僕がなんで身動きが取れなくなるのぉ? 指名手配されているみたいだよ」
不満げに告げるジュンに、コラードが平然と言う。
「それだけの事をなさいましたので、当然かと思います。相手は魔物ではなく神だったのですよ? 命懸けで守ってもらった感謝はしていただきたいものです」
ジュンはコラードをポカンと見つめた。
「してくれなくてもいいよ? むしろ、無視して。忘れてよぉ、頼むからぁ」
そこへ、王子たちからヘルネーの離宮への誘いがきた。
出歩きたくてウズウズしていたジュンは、いそいそと出掛けて行った。
「どうしたんだ、英雄殿。随分と暗い顔だな」
レオが言うと、リックがからかうように言う。
「今や時の人どころか、歴史に名を残す人だよね」
「何か悩み事かい? よければ相談にのるよ?」
ダンは優しくジュンを見た。
「外出禁止を言い渡されたんだ。色々な式典に呼ばれていてね。どこか、一つに出席する訳にはいかないでしょ。その辺をウロウロすると、罠に掛かるから動くなと言われたんだ。ひどいでしょう?」
三人の王子たちは、しばらく笑ってから言った。
「そりゃあ、ジュンが隠れているから見たいんだ。一度、姿を見せてやればいい」
「レオ、言ってる事は分かるけど、どうやってさ」
リックの問いにダンはニコリと笑った。
「ジュン、結婚式をしなよ」
ジュンは首をかしげた。
「金貨一枚払って届けるんでしょ? 金貨はあるけど?」
「違うよ。王族は教会で皆の前で届けるんだよ。それが式だよ」
ダンの言葉にジュンが言った。
「高い所から、国民に手を振ったりするのかと思っていたよ」
リックは笑って言った。
「それは、戴冠式だよ。王子はたくさんいるんだよ。全員が手を振ったら、国民はあきちゃうよ? 第一、王妃が一人ではない国はどうするのさ」
ダンはさらに続ける。
「どこかで式をあげて、どこかにお忍びで旅行に行くのはどう?」
「忍んでねぇだろ? それ忍びって言うのかよ」
レオは楽しそうだが、ダンはいたって真面目に話しているようだ。
「そう。ジュンのお忍びは安全が確保されているだろう。まず、王家や貴族は自国で事件があってはならないと考える。おまけに後ろにギルドがついていては、誰が手を出せる?」
ジュンはうんざりした顔で言った。
「それって見せ物だよ」
「うん。そこが狙いだからね。どこにでもふらりと、気楽に現れると思わせるのさ。例えばめったに市井に降りない私は歩いていると凝視される。でもリックは違うだろう」
ダンに言われて、リックはうなずく。
「まぁ、知り合いに声は掛けられる程度かな。レオなんか世界中のどこにいたって、誰も驚かないよね。すごく目立つ容姿で大声なのにさ」
レオは鼻の横をポリポリかいて上を見た。
「俺は誰に話し掛けられても、返事や挨拶はするぜ? 知ってる奴を見かけたら、目だけでも挨拶は交わすしな。ありがたみがないと言われるな。本当に王子かと聞かれる事も多い。ジュンには王子の自覚が足りないと言われるしなぁ」
「誰にも褒められていないよ? 気がついている?」
あきれるリックに、ダンはため息をつく。
「ごめんね、ジュン。レオはお手本にはならない……」
ジュンは小さく笑って言った。
「でも、一緒に旅をしていて、嫌な視線を感じた事はなかったよ。レオは気さくだから、国民から好かれるのかもね」
「結婚式は真面目に考えてみるといいよ。隠れていると探したくなるのは確かだからね。かと言って仕事柄、いつまでもそうしてはいられないだろう?」
ダンの言葉にジュンは言った。
「無人島に行って、クレアと二人で暮らすかなぁ」
リックは小さく笑った。
「どこの国の無人島? それはそれでまた、大騒ぎになるよ?」
ジュンはがっくりと肩を落とした。




